FC2ブログ

田中全事務所開きあいさつ

今日は私の事務所開きのために、このようにたくさんのみまさまがお集まりくださり、ありがとうございます。

私はみなさまのご支援をいただき、4年間、市長をつとめさせていただきました。しかしながら、私の不徳のいたすところで、2期目、続投へのご期待に応えられなかったことを、あらためてお詫いたします。

私はあの時の悔しさを胸に刻んで、この8年間、一市民として、あとを託したいまの市政を見てきました。しかし、いまの市政は私が進めて来た方向とは逆の方向に向かっている、という危機感を強く持つようになり、今度の市長選に再度出馬する決意を固めました。

私が4年間の経験を通して確信をしたのは、地方自治体(市町村)の役割の最大のものは、住民の命と暮らしを守ることにある、ということです。在任中の10年前、東日本大震災があり、それを痛感しました。

市民のみなさんの生活を守る最前線の砦は市役所なのです。県でも国でもありません。だって、戸籍、税金、年金や水道、消防など、生活に一番密着しており、頼るところは、は市役所ではありませんか。

だから、いつ、どんな時でも市民の生活を守れるよう、市役所は力をつけなければならないのです。

しかし、みなさん、この8年間みてもらえればわかるように、いまは逆に市役所の機能や力を弱体化し、骨抜きにする方向に向かっているのです。

いまお話があったように、市民病院の問題しかり、公立保育からの撤退しかりです。また、この間、四万十川対策を総合的に行う四万十川対策室もなくされました。黒澤さんが心配されているとおりです。

また、私の代につくった、市の職員を各地域からの相談窓口として配置する「地域づくり支援職員制度」もなくされました。

いま、市の職員はどんどん削減されています。

この結果どうなったのか。昨年来の新型コロナ対策において、隣の黒潮町や清水市は県下にさきがけていち早く独自の対策を打ち出したのに、四万十市は最近になってやっと出て来た。スピード感にかけています。市の機能として、機敏な対応力がなくなっているからです。

また、今回のコロナでわかるように、市が自らの医療機関をもつということは市民にとっての安心であり、大きなメリットであるにもかかわらず、市民病院の規模を縮小、撤退の方向にもっていっている。まさに本末転倒です。みなさん、このままでは市民病院はなくなってしまいますよ。それでいいのですか。

私が市長をやめたあとすぐに副市長が2人になりました。国土交通省(建設省)から迎えたのです。副市長の人件費は約1千5百万円です。若い職員なら5人を採用できます。

市長はドンドン職員を減らしている一方で、自分のとりまきの副市長はふやす。副市長を2人にしてほしいとみんさん要望をしましたか。また、副市長が2人になってみなさんに何かいいことがありましたか。副市長が2人になって喜んでいるのは、ごく一部の人たちでしょう。これは不公平ではありませんか。私が市長に復帰したら副市長は1人にもどします。

私はいまの市政の方向を断ち切り、市民の命と暮らしを守るために市の財源をつぎ込みます。私は命をかけて市民病院を守ります。公立保育所も守ります。

私の選挙スローガンは「コロナをともに乗りこえる 市民にやさしい公平・決断の市政に」です。詳しい公約はリーフレットに書いています。

そこには書いていない、公約をひとつ追加します。それは、子育て支援のために、公立保育所の給食費、毎月5千円を無償にします。幡多の他の5市町村は、この8年間で、どこも無償になったのに、四万十市だけが遅れているからです。

いまの市政の方向を転換するためにも、今回の選挙、絶対に勝たねばなりません。どうぞみなさんのお力をもう一度田中全にお貸しください。田中全を信じてください。田中全は市民のためにがんばります。どうぞご支援をよろしくお願いいたします。

事務所開き1   事務所開き3   事務所開き2



ノボリコ

四万十川の冬の風物詩にシラスウナギ漁がある。海からのぼってくるシラスを夜、岸辺や舟の上から灯りを川面に照らしておびき寄せて網ですくいあげる。

シラスウナギは養鰻業者に高価で買い取られるため、1キログラムあたり高い年には何十万円もの値が付く。だから白いダイヤともいわれる。

この時期、夜になると私の家の前から河口にかけては、川が灯りで染まる。海の漁火漁よりも赤々としている。地元では「四万十川の冬花火」というタイトルの演歌がつくられた。

私の実家には川舟がある。このあたりの農家はたいていもっている。アオノリ漁のためだ。しかし、最近はアオノリが採れない。だから、シラスウナギ漁に期待が大きい。

私はどちらの漁もしたことはないが、母はいつも舟を出していた。冬の寒い夜もシラスをとるために。寒い夜ほどよくとれるからだ。

母は灯りに向かってチョロチョロと近寄ってくるノボリコがかわいくて仕方がないと言っていた。ここらではシラスウナギのことをノボリコと言った。

母は働き者であった。田んぼをつくり、畑を耕し、冬にはアオノリとシラスをとった。

母がつくった川柳にこんなのがある。

空の碧四万十の碧海苔を掻く
海苔洗うはずんだ声の舟溜まり

母にとってアオノリやシラス漁は、田畑の仕事と違い、楽しかったようだ。元手がいらず、川に落ちているお金を拾うようなものだからだ。

しかし、冬の川に入ることは体にこたえた。母の体は70代に入ってから急速におかしくなった。無理を重ねた足腰がにぶくなり、さらに脳梗塞をおこし、程なく寝たきりになった。そして2007年、79歳で亡くなった。せめて80歳までは生きてほしかったのに。

毎年冬になり、四万十川の冬花火を見るたびに、母が言っていた「チョロチョロ近寄ってくるノボリコがかわいくて仕方がない」を思い出す。

私の原点

ふるさとにかつての賑わいと活力を 取り戻したい ― これが私の原点で す。

過去、わがふるさとのシンボルである 「おまち中村」 の繁栄を支えていたのが周辺地域です。 両者は 「里も栄えて街も栄える」 共存共栄の関係にありました。

しかしながら、 今はお互いの地域そのものが多くの困難を抱え、 必死で踏ん張っています。 この 「地域を守る」 こと、これが私の市政運営の最大目標です。

私は、この4年間、「対話を大切に市民の力を引き出す」、「弱い立場の人を応援する」 、「地元でできるものは地元で」 、「四万十川を再生する環境 ・ 産業を育む」 、「幡多の歴史 ・ 文化を育む」の5つを基本姿勢として、これらに取り組んできました。

その集大成の一つといえるのが、 健康福祉地域推進事業です。 山間地、まちなか共通に、 高齢化が進む中で、住み慣れた地域で誰もが安心して暮らし続けられるよう、市はいま地域のみなさんと一 緒になって各地区で健康福祉委員会設立を進めています。健康づくり、介護予防・生きがい交流、支え合いの地域づくり、が事業の三本柱です。 

地域の力を引き出すこの事業は、平成22年度から地域づくり支援職員を配置し、地域の課題の掘り起こし作業を行う中で方向が見えてきたものです。

市民の命や健康を守っていくためには、市民病院は絶対に必要であり、この間医師の確保に奔走してきました。

その結果、 脳ドッグが始まり、 医師が地域に出向き、健診に参加するまでになりました。 病院収支も大幅に改善しています。また、歯科医師会との連携で口腔ケア事業も始めています。

仕事や雇用をつくり、地域内循環による経済振興を図るためには、農商工連携、市産材利用促進、 四万十ヒノキブランド化などの事業開始のほか、 公共事業の地元発注の原則を貫いています。

中山間地域の足を守るために、公共交通システムを見直し、電話予約で迎えに行くデマンドバス、 タクシーも導入。

外との交流人口の拡大を図るために、移住促進のほか、ふるさと応援団、地域 おこし協力隊の募集も始めました。 そして、何と言っても災害から「地域を守る」 ための対策として、 東日本大震災を受け、 地震津波対策に緊急かつ最重要課題として取り組んでいます。

国政においては、 新政権がデフレ、円高からの脱却を図るとして大型補正予算を組むなど、大胆な経済政策を打ち出していることは期待が大きい反面、国債発行額は実質 52兆円にふくらむなど、 国の財政状況は厳しさを増す中で、 消費税の引き上げが近づいているほか、 医療、介護、 年金といった社会保障制度の再編など、 極めて重要な課題については不透明であり、不安がぬぐえません。

私はこの4年間、「地域を守る」ための基盤づくりに努めてきた結果、 まだまだ課題は山積していますが、 目指すべき方向には確かな手ごたえを感じています。

今後はこれまでの取り組みにさらに磨きをかけるとともに、なかなか前に進まない中心市街地活性化策や、これとも関連する本市にふさわしい文化センターの建設課題などに重点的に取り組りくんでいき、「里も栄えて街も栄える」 四万十市をめざして、 これまで以上に全力を傾注していく決意です。


広報四万十 2013年4月

私の決意

私は今日、次期四万十市長選挙(4月18日告示25日投票)に再出馬(3回目)することを表明し、以下の決意を発表しました。


私の決意 田中全

「ふるさとにかつての賑わいと活力を取り戻したい」との熱い思いで走り回った結果、確かな手ごたえを感じた4年間でした。

しかし、私の力不足から続投を果たすことができず、みなさまからの期待の声に応えられなかったことをおわびいたします。

市の人口は減少を続けている中で、新型コロナウイルスに追い打ちをかけられ、先が見えない不安と息苦しさにおおわれています。

市政の最大の使命は市民の命と暮らしを守ることにあり、心をひとつに、あまねく公平・公正でなければなりません。しかし、中村市と西土佐村が合併して四万十市になってから16年もたつというのに、いまだ統一的な市政運営がなされていないなど大きな課題を抱えたままです。

私は市民の声と心と力をひとつに結集し、いまの難局を乗り越えるために「全力」をかけて再度チャレンジし、果敢に決断をしていくことを誓います。

コロナの霧が晴れたあとの四万十市に再び太陽が降りそそぎ、四万十川の青い川面のように光り輝くように。

幡多は雪国

数年ぶりに中村は銀世界になった。幡多に冬景色がもどってきた。四万十川には真っ白な雪景色が似合う。

私が子供の頃は、冬になれば雪だるまをつくり、雪合戦をやっていた。学校の校庭でスケートをしたこともある。しかし、最近は冬になっても雪が少なく、去年はまったく降らなかった。こんなのおかしい。

今季の雪の写真をフェイスブックにアップしたら、全国の「友達」から南国土佐なのにと驚きのコメントばかり。しかも四国西南端の幡多がなぜと理解できないらしい。

地図を見てほしい。豊後水道は日本海からの風の通り道である。北風が関門海峡からドンと雪を運んで来る。四国山脈という防御体制が整っている高知市周辺とはまったく違う。

風の道は文化の道である。幡多弁が広島弁や、伊予弁、大分弁に似ており、いわゆる土佐弁とはイントネーションが違うことでもそれがわかる。

四季の景色は文化の景色。多様な文化が生き残るよう、地球環境を守らなければならないと思う。

わが市を語る

高知県西南部の幡多地域は、言葉もいわゆる土佐弁の激しさとは違うように、独自の歴史や文化をはぐくんできました。

幡多の中心地「中村」は、応仁の乱勃発の翌年(1468年)、京都の戦乱を避けた前関白一條教房公を迎えました。教房公は京都を模したまちづくりをおこない、当時形成された碁盤の目状の町並みや大文字の送り火の風習、東山、鴨川、逢坂の地名などが今の残っており、「土佐の小京都」と呼ばれています。最近では最後の清流四万十川でも有名になりました。

今年は江戸幕末、土佐一條家の遺徳をしのんで一條神社が創建され、その大祭「一條大祭」(通称いちじょこさん)が始まってから150年になることから、この11月、本市で3回目の全国京都会議(サミット)を開きました。この会議は京都にゆかりのあるまちが交流を図ろうと昭和60年、中村をモデルに結成されたものです。(現在加盟48)

本市は昭和21年の南海地震では建物倒壊と火災により、全国最多の犠牲者(死者291人)を出しました。約100年に一度必ず起こるといわれる次の地震では四万十川を遡上してくる津波にも備えなければなりません。

「津波から命を守る対策」「建物倒壊から命を守る対策」「地震災害に強い組織(地区・行政)をつくる対策」として津波避難計画の策定をはじめ、避難道や避難場所の整備、避難マップの作成のほか、住宅耐震化助成事業、公共施設の耐震化、行政情報や防災情報の伝達手段の多様化などに予算を重点配分し、次の地震では1人の犠牲者も出さない決意で取り組んでいます。

東日本大震災に伴う福島第一原発の事故では大量かつ高濃度の放射性物質が放出、拡散され、広い地域が放射能で汚染され、その影響は計り知れないものがあります。

平成21年、四万十川は文化庁から全国の川で唯一、源流から河口まで流域全体が重要文化的景観に指定されました。流域には棚田、沈下橋、伝統漁法など、自然と調和し共生をしてきたわれわれの祖先の生活の姿がいまも息づいています。こうした環境や生活を後世に残していくために、本年7月、流域の5市町共同で今後は原子力発電に頼らない自然エネルギー(再生可能エネルギー)への転換を進めていくとする「四万十川アピール」を発表しました。

中村はかつては「おまち」と呼ばれたほど伝統と風格そしてにぎわいと活気のあるまちでした。四万十川流域の主要産業である農林水産業がそれを支え、街と里とが共存共栄の関係にありました。

周辺の中山間地対策をしっかりおこなうことで街にもにぎわいが戻ってきます。この間、農商工連携事業を立ち上げ特産品を開発し、地産外商を進めているほか、流域の豊富な資源である「四万十ヒノキ」をブランド化するとともに、地元の木材を使い、地元の大工さんの手で造れられた住宅への150万円の補助制度も創設、山間地にはケーブルテレビを敷設しデマンドバス、タクシーも運行させています。

平成22年度からは地域づくり支援員制度を導入、高齢化が進む集落に対して市職員を支援員(兼務)として配置。本年からは全集落を対象に、①健康づくり、②介護予防、高齢者・障害者生きがい交流、③支え合い地域づくり、に取り組む健康福祉委員会の結成を進めています。

本市の命と健康を守る砦である市民病院は長く医師の減少が続いていましたが、UターンやIターンの医師を迎えたことにより増加に転じ、新たに脳ドッグや医師訪問健診を開始しています。

本市には清流四万十川や小京都中村を何度も訪ねてきてくれるファンが大変多くいます。100キロを走る四万十川ウルトラマラソンは申込者約5000人という日本一の大会になりました。

市の情報発信事業としてインターネットなどを通して2年前から四万十市ふるさと応援団の募集を始めたところ、団員は1000人を超えました。こうしたファンには移住者も多く、平成23年度市の人口は約10年ぶりに社会像に転じました。

本年度からは国の制度を活用し地域おこし協力隊を都会地から募集。大勢の申し込みがあり、20~30歳代の男女3名を採用し、主に中山間地の支え合いづくりをサポートしてもらっています。

こうした中、四万十川の大自然を舞台にして本市の地域おこし協力隊やUターン医師をモデルにした連続テレビドラマがつくられ、10月よりフジテレビ系列で「遅咲きのヒマワリ~ボクの人生リニューアル」として放送されています。

アンテナを高く情報発信。人と人が交われば可能性が広がります。交流人口の拡大や移住促進事業を通して「清流に歴史と文化を映すまち」の活性化につなげていきたいと思っています。

広報四万十 「市長談話室」 2012年12月

年頭のご挨拶

新年明けましておめでとうございます。

昨年はいちじょこさん150年を祝う、様々な行事が行われる中で、「中村」 に向き合った1年でした。わがふるさととは何か、 その歴史的、文化的意味など。

夏には、 本市が全面的支援をすることで、 テレビドラマ 「遅咲きのヒマワリ」 の製作を誘致することが決まり、 2回のロケでは、 市民の皆様から多大なご協力をいただきました。
このドラマは今年度芸術祭テレビドラマ部門優秀賞を受賞しました。

なぜ、 いまどきの若者が主人公のドラマの舞台に本市が選ばれたのか。それは、 清流四万十川へのあこがれがあったためだが、 それだけではない。「日本のどこにでもあるような地方都市だが、 どこにでもないような所」 「誰もがハッとするような何かがある」 。 若い移住者をリアルに描くのにピッタリの中村という街があったことが決め手になったと、 テレビ局の担当プロデューサーが話しています。

中村は、 昭和 21年、 南海地震で壊滅的被害を受けましたが、 見事に復興を 遂げ、 私が子どものころ、 昭和 30年代には 「おまち」 として、 隆盛を極めていました。

その頃、 中村はこの地域全体のシンボルであり、 みんなの誇りでした。しかし、 いま中村には映画館もなくなり、商店街を歩く人もまばらです。

かつての中村は、 周辺の郷や里と共存共栄の関係にありました。 その関係を復活させるには、 周辺もふんばると同時に、 中村自身ももう一度輝かねばならない。それによって、 周辺にも元気が戻り、 地域全体の誇りが目を覚ます。 ドラマでも商店街の復活に向けて挑戦をする若者が描かれました。

小京都中村は、 一條家の御所を中心にして開かれたまちです。 その御所があった場所、 いまの一條神社周辺の市街地を再開発することにより、 たとえば多くの人々が集い、 いつでも楽しめるような芝居小屋や映画館のようなものができないだろうか。そこでは、 歌や踊りの発表会やカラオケ大会もできる。 絵、 書、 華などの展示にも使える。

そんな多目的施設に隣接して、 物産館などもできれば、 新しい街並となり、「まちなか」を素通りしていた観光客も立ち寄り、「まち歩き」もしたあと、宿泊もしてくれるようになるのではないか。

「おまち中村」の復活をめざして、 そんなチャレンジをする年にしたい。


広報四万十 市長 年頭のご挨拶 2013年1月

新年を迎え、8年前この文章を書いた時と同じ気持ちになっています。

中村と西土佐

ふるさと四万十川は私の母であり、父です。

私は二〇〇九年五月から二〇一三年五月まで四年間、四万十市長を務めさせてもらいました。私の大きな公約は次の五つでした。

一 対話を大切に市民の力を引き出す。
二 弱い立場の人を応援する。
三 「地元で出来るものは地元で」、地元を優先する。
四 四万十川を再生する環境・産業を育む。
五 幡多の歴史と文化を育む。

公約の一番目にあげたのは、市民のみなさまとの「対話」です。就任一年目、市内二十四か所で「市政懇談会」を開きました。

併せて、広報四万十に「市長談話室」を設けました。このコラム欄では毎月、私が考えていること、その時々の市政の課題など、届けたいメッセージを書かせてもらいました。それらに対して、市民のみなさまから多くのご意見等をいただきました。

「市長談話室」は、市長と市民の間のキャッチボールの場となり、いただいた貴重な声は極力市政に反映をさせたつもりです。ここには、この間書いた四十二回のメッセージ(二〇〇九年十一月~二〇一三年四月)をそのまま載せています。私は広報のこの欄がずっと継続されることを願っています。

私が長く離れていた地元に帰って来たのは、合併によりふるさと中村市がなくなったことがきっかけです。「中村」の輝きを取り戻したい。

全国とのネットワークを拡げるため「四万十市ふるさと応援団」制度を設け、同時にインターネット交流サイトFB(フェイスブック)にも加入。市の情報発信を始めました。いまでは四万十市議会もFBを開いています。

FBには私も個人として一緒に加入しましたが、市長退任後はさらにブログ「幡多と中村から」も始めました。ブログではまとまった意見、考え等を発することができます。

二〇一五年四月十日、四万十市合併十周年にあたる日、私はブログに「四万十市合併十年を考える」を書きました。これを、この本の後半に載せています。

合併とは何だったのか。四年間のいわば「総括」として書いたのもですから、最初にこの後半ページを読んでくだされば、私の想いをご理解いただきやすいかもしれません。

ふるさとは厳然としてここにあります。いまさら「創生」(つくりだす)の必要はありません。自立、自尊、自愛。現にあるふるさとを守りぬく。そして次世代に誇りをもって伝えていく。

私はそんな取組みの輪に引き続き加わりたいと思っています。

DSC_8615-6.jpg

田中全『中村と西土佐』「はしがき」より
2015年10月出版

遅咲きのヒマワリ(2)

連続テレビドラマ 「遅咲きのヒマワリ 〜ボクの人生、 リニューアル〜」 が 10 月23日 (火)から始まりました。

市内各所で行なわれた第1次ロケ (9月 18日〜 10月2日) では、 急な交通規制等でご迷惑をおかけしましたが、エキストラ出演等を含め、 市民の皆様のご協力により、無事放送がスタートできたことに対しまして、お礼を申し上げます。

市は9月議会でドラマ制作支援の補正予算を計上するなど、 全面協力をしています。 放送は年内10回の予定です。

第1回放送では、 のっけから市内のあちこちが画面に登場し、 驚きました。 中村駅、 市民病院、 市役所、 佐田沈下橋、 勝間沈下橋、 かわらっこ、 安並水車公園、天神橋商店街、一條神社、 など。

主人公の小平丈太郎 (生田斗真) は、 東京で派遣切りにあいます。インターネットで四万十市が「地域おこし協力隊」 を募集していることを知り、 食いぶちにありついたような、 軽い気持ちでやってきたのですが、 親切に世話をしてくれていた近所のおばさん (倍賞美津子)の死にいきなり立ち会うことになります。

丈太郎がおばさんを運びこんだ市民病院で処置をしたのが女性医師の二階堂かほり(真木よう子) 。 東京の大学病院から医師不足の地元に不本意ながら帰されたことからくさっていたが、おばさんの救急処置がうまくできなかったことでプライドをズタズタにされ、自分の未熟さを思い知らされる。

ベテラン看護師のセリフ、 「急に怖く なりましたか?  このまちの人の命を 預かることが」

市役所の課長のセリフ、 「ここは都会よりも人が身近ってことですから。それは人の死も身近ってことですから」

おばさんの葬式で丈太郎がポツリと漏らすセリフ。「自分はこの仕事はただの雑用だと思っていたが、 このまちの人が生きていくためにすごく重要なこと」

これらは今後の展開を予想させるキーワードでしょう。

この作品は若い男女7人の群像劇ということになっていますが、 いまどきのチャラチャラした恋愛ものや、 現実離れをした奇想天外なストーリーのドラマとは違います。

過疎高齢化や人口減少、地域医療など、今の地方がかかえる重い現実に対して、不安や迷いにもがきながらも、 最後はしっかりと向き合っていく若者。 その軸になるのが移住をしてきた青年です。

第1回放送最後の、こいのぼりを見上げてカヌーをこぐシーンは、 制作者が最もこだわったもの。時流に乗り遅れてきた青年が自分の生き方を見つけた、天にも昇る喜びを表現したものでしょう。 撮影場所は、かわらっこです。

このドラマはフジテレビの芸術祭参加作品。 民放の、 しかも連続ドラマとしては、 きわめてめずらしいことです。 四万十市から発信をしたいという、 テレビ局の意気込みの表われです。

市としてもこのドラマを成功させ、 ともに発信をしたい。

11月後半からは、第二次ロケが始まります。交通規制等でご迷惑をかけることもあると思いますが、なにとぞスムーズなロケ進行にご理解、ご協力をよろしくお願いいたします。


広報四万十「市長談話室」 2012年11月

遅咲きのヒマワリ(1)

本市を舞台に連続テレビドラマがつくられます。タイトルは 「遅咲きのヒマワリ〜ボクの人生、 リニューアル〜」 。フジテレビ (共同テレビ) 制作。10月から毎週火曜日夜9時放送。 県内では高知さんさんテレビで放送されます。

映画やテレビドラマを誘致することは、 観光PR等地域活性化のための起爆剤になることから、 本市としても 「龍馬伝」 を誘致した実績のある高知県観光コンベンション協会 (フィルムコミッション) と連携をして、 関係方面にその働きかけをしてきました。そうした中、 このほど制作会社から、本市でロケが可能か打診があり、何度もテレビ局スタッフと協議、打ち合わせをしたうえで、 全面協力を約束しました。

フジテレビでは、かつて北海道富良野を舞台に名作「北の国から」 を制作しました。今度は西日本の大自然を舞台しにて、地方で生活をし、 悩みながらいろんな問題に向き合っていく若者群像を描きたいと、各地を調査した結果、四万十川という自然があり、中山間地対策や地域医療を守る課題に取り組んでいる本市がピッタリということになったのです。

本市では、 8月から 「地域おこし協力隊」3名を都会地から採用しました。また、市民病院では9月から地元出身の泌尿器科医師 (中尾昌宏先生)が帰ってきてくれました。ドラマ脚本はオリジナルであり、このような内容も盛り込まれる見込みです。

主人公 (出演者 ・ 生田斗真) は、四万十市の「地域おこし協力隊」 に応募し東京から移住をしてくる青年です。東京での生活に将来の夢を見つけられず、カヌーに興味をもっていたからでもあります。

相手役 (同 ・ 真木よう子) はこれも東京の大学病院から市民病院に帰ってくる地元出身医師です。この若い二人を軸に、同世代の友人たちを絡めてドラマは展開していきます。

「どこか懐かしく、 だけど、 現代の日本を映し出す、 新しい群像ドラマ」「将来への不安を持ちながら、毎日変わらない生活を送る若者たち。そして彼らを取り巻く人々。その街に、ある男が移住してきたことで何かが変わり始める」という企画です。

過疎、高齢化が進む中山間地域の問題やその中で市民病院が果たすべき役割などもテーマとして扱われますので、市民のみなさんもごらんにあり、一緒に考えていただきたいと思います。

「龍馬伝」 では実際のロケは県内ではほとんど行われませんでしたが、このドラマでは
9月中旬から市内各地でロケが行われます。

テレビドラマでこれだけのロケ隊が入るのは、本市でははじめてのことです。四万十市は実名で登場し、四万十川や中村の町の風景がふんだんに紹介される予定です。

出演者はほかに、 国仲涼子、 木村文乃、 桐谷健太、 香椎由宇、 柄本佑などです。

フジテレビの夜9時台のドラマと言えばゴールデンタイムです。 本市の映像が全国に流れることは、 観光面でも大きな追い風になります。

ドラマの成功に向けて市民のみさんのご協力をよろしくお願いいたします。


広報四万十「市長談話室」 2012年9月
プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
フェイスブック(FB)もしています。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR