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核のゴミはいらない 寿都町 神恵内村

7月23日、函館の翌日は寿都町と神恵内村へ向かった。貸し切りバスに乗ったのは会員6人プラス事務局等2人の計8人。(南相馬市の桜井さんは地元の行事があり帰った)。

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2町村はともに日本海に面した後志地方にあり、神恵内村は泊原発のある泊村に隣接している。ニセコや小樽も近い。

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朝8時発。高速で長万部まで1時間。さらに1時間で寿都町に入ると海岸線にずらり並んだ風力発電のプロペラ12基が目に飛び込んできた。寿都町は日本で最初に自治体が風力発電を始めたところであることを知った。

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寿都町総合文化センターには地元の2つの反対運動組織(実質一体)、「子どもたちに核のゴミはいらない寿都を!町民の会」と「脱・肌感覚リコールの会」のメンバー約10人が集まってくれていた。お互い自己紹介をしたあと、現在の状況を報告してもらった。

寿都町の人口は現在約2700人。かつてはニシン漁で栄えた町も、ここ20年間で半減しているが、周辺自治体も同じ。

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ことの発端は片岡春雄町長が2020年8月、突然、核のゴミと言われる、原発の使用済み核燃料から出る「高レベル放射性廃棄物」の最終処分場の選定に関する「文献調査」に応募すると表明したこと。全国に激震が走った。

核のゴミは毎日原発から出てくる。国とNUMO(原子力発電環境整備機構)は地層処分と言って、地下深くに埋める場所を探しているが、まだどこにも決まっていない。

通常なら、こんな迷惑施設を受け入れるところはないので、国は適地であるかどうかの調査を受け入れるだけで、「文献調査」で20億円、「概要調査」で70億円の交付金を出すことを提示。人口減などで財政に苦しむ地方自治体にとっては垂涎の話である。調査はNUMOが行う。

2007年、最初に手をあげようとしたのが高知県東洋町。しかし、住民が猛反発。町長は住民投票でリコールされた。

その後、しばらく動きはなかったが、2年前、寿都町が手をあげたのだ。しかも、町長が自分の「肌感覚」では賛成の町民のほうが多いと思うと言って、住民や議会の同意をえる手続きもしないまま、独断で書類を提出してしまった。

反対住民は署名を集めるのと併せ、議会に「住民投票条例」「寿都町に放射性物質等を持ち込ませない条例」の制定を求めたが、賛成4、反対5(最後は議長判断)で否決をされた。

また、2021年10月には町長選挙があり、対立候補を擁立し、行けると手ごたえがあったにもかかわらず、900対1135で敗れた。

反対運動の進め方において、むずかしいのは、普段の生活のしがらみから明確な意思表示をする住民が少ないこと。町長に投票をした住民でも、最終的には核のゴミは来ないものと思っている人が多いこと。

つまり、現在はあくまで調査であり、最終的に受け入れるかどうかの判断は別であるから、交付金をもらったあとで、最後は反対をすればいいと思っている。

そんな人は「目立った反対はするな。国からカネをもらえなくなるから」と、とんでもないことを言う。片岡町長もあいまいな言い方で住民を勘違いさせていること。

片岡町長は過去5回の選挙は初回を除きて無投票であったが、6回目になるきびしい選挙をくぐりぬける策として、別の形の住民投票条例を通して、文献調査から概要調査に移行する前に、住民投票を実施すると表明。住民を安心させた形となった。

しかし、この条例には大きな問題があり、投票率が50%を超えなければ開票をしないという縛りが入っている。つまり、反対票が多そうだとなれば町長、町行政ぐるみで圧力をかけ、投票に行かないようにさせればいいのだ。

文献調査はいま東京で行われている。すでに町は国から10億円もらっており、あと10億円もらえる。次の概要調査には来年以降に入るので、それまでには住民投票が行われることになる。

また、調査がすべて終わったあと、町が最終的には受け入れ拒否をすることもできるという建前にはなっている。しかし、国は全国のほかに候補地がないとすれば、あの手この手で圧力をかけてきて、受け入れ拒否ができないようにしてしまうことは眼にみえている。国を甘くみてはいけない。

この間、反対派の人たちは、脱原発を唱える小泉純一郎元首相や、橋本大二郎元高知県知事を迎えて、勉強会や集会を開いてきた。反対のポスター、チラシもたくさんつくり、全戸配布や新聞折込を繰り返している。

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しかし、何を考えているのかわからない言い方で、タヌキにような片岡町長に振り回され、少々疲れているような感じである。

片岡町長の本音は、町営の風力発電の採算性が落ちて来たので、次は洋上発電に移行するため経産省の歓心を買うために今回応募をしたのではないかという見方もあるという。

それと、北海道知事の態度。道には核廃棄物を受け容れないとする条例がある。鈴木知事は寿都町長の説得に来て、反対の意思を伝えている。

しかし、道の条例にはあいまいな部分もあるので、知事が最後まで反対を通してくれるのか、最後は国に妥協するのではないか、という不安もぬぐえない。

寿都町には、疑心暗鬼が渦巻いていた。

反対運動のみなさんを激励し、記念写真をとったあと、次の神恵内村に向かった。リーダーのお一人吉野寿彦さんがバスに同乗、ガイドをしてもらいながら(昼食も吉野さん経営の牡蠣小屋レストランで)岩内町まで誘導してもらった。

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岩内では、「後志・原発とエネルギーを考える会」役員で町会議員をされている佐藤英行さんにバトンタッチ、岩内町→泊村→神恵内村へと、誘導してもらった。

途中、泊原発を遠望できる、山の中腹にある展望台に連れていってもらった。岩内の町並みから積丹半島まで見通せた。泊原発(北海道電力)の位置関係もわかった。風光明媚の中に異物が一つ混在している。

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泊原発、寿都、神恵内と、後志地方に集中しているのは偶然ではないだろう。後志が原発に狙われているのだ。

神恵内村は積丹半島の一角。人口約800人。海に岩場が迫り、ほとんど平地がない。漁業中心だが、泊原発関連の雇用や交付金に頼っている部分も大きい。

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佐藤さんから話を聞いた。

高橋昌幸村長(5期目、すべて無投票)が核のゴミの受け入れに前向きな態度を示したのは2020年9月。寿都町の1か月後であり、またも激震。

神恵内村の場合は、村の商工会からの要請という形をとっていた。しかし、今回調査をした限りでは、事前に国、NUMOから村長への働きかけがあり、村長が商工会を動かした、とみられる。泊原発は隣なので、日頃から国との接触が多いように思えた。

10月、村議会は商工会からの請願を採択、村長は文献調査を受け入れることを表明した。体裁としては、住民や議会の要請を受けたという形をとってはいるが、国による周到な根回しのうえに準備されたことがうかがえた。

この間、村主催で勉強会と称して、住民説明会が複数回開かれたが、反対の声はあげられない雰囲気だった。一方的な国側の説明に終始した。

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このような経過から、神恵内村では寿都町のような反対運動はいっさいない。村民みなが沈黙させられている。鈴木北海道知事はここにも反対の意思を伝えに来ているのだが・・・。

問題なのは、本当に神恵内村が最終処分場として適地なのかということ。国が示している全国マップ(適地かどうかの色分け)においても、この村には適地のポイントはわずかしかない。なのに、なぜ国は。寿都町と2つを使って、全国のほかの自治体から手をあげやすくするための「撒き餌」なのか。後志地区町村会の会長は寿都町、副会長は神恵内村なのだそうだ。

夕方近くなったので、バスは引き返し、岩内経由で小樽に向かい、メンバーは夕方6時半、小樽駅近くで解散した。

2日間、北の大地で考えたのは、自治体の本来の在り方。脱原発をめざす首長会議は、自治体の首長の使命は住民の命と暮らしを守ることにあるということで一致している。だから、それを脅かす原発には反対をしている。

函館市長は、まさに「地方自治体の存立維持権・財産権」をかけて国と戦っている。地方自治の本来の姿である。

しかし、寿都町長と神恵内村長は、憲法で認められている地方自治を放棄し、国へ従属することを志向しているとしか思えない。自ら国の出先機関に身を落とそうとしている。しかも、独断専行、住民の意思を無視して。そんなのは自治体としてのモラルハザードであり、自殺行為である。

私は2007年、町長がリコールされた地元高知県の東洋町の混乱を知っているので、さぞかし北海道の2町村も大きな騒動になっているだろうと思っていた。

しかし、来てみるとびっくりするほどに静かであった。寿都町の場合は反対の第1ラウンドが終わり、第2、第3ラウンドにむけてのしばしの静けさともいえるかもしれないが、神恵内村は沈黙の底にあった。

そんな中で、いま2町村とも「文献調査」が粛々とおこなわれている。しかし、東京でおこなわれているので、何も見えない不気味さ。これから国はどんな手を打ってくるのか。

カネがすべて。この国の原発政策は、札束で住民自治を奪い、黙らせていくという毒薬である。

函館市 原発訴訟

少し前になるが、7月20日~26日、北海道に行ってきた。目的は私が所属している脱原発をめざす首長会議による視察で、函館市、寿都町、神恵内村をたずねた。

3カ所とも原発をめぐる問題で国とたたかっているところ。函館市は国を相手に大間原発(青森県)建設差し止めを提訴中であり、また寿都町と神恵内村は首長が核のゴミ(高レベル放射能廃棄物)の最終処分場候補地に手を挙げ住民が反発している。

視察に参加した会員は7人。
三上元・元静岡県湖西市長(会の世話人)、桜井勝延・元福島県南相馬市長(会の世話人、同行は函館市のみ)、佐藤和雄・元東京都小金井市長(会の事務局長)、大蔵律子・元神奈川県平塚市長、笹口孝明・元新潟県巻町長、石井俊雄・元千葉県長生村長、そして私。

最初に訪ねたのは函館市役所。21日午後2時、工藤壽樹市長はわれわれを歓迎してくれ、市長室で約1時間半、意見交換に応じてくれた。大きな声で、ざっくばらんに話してくれた。かっぷくのいい市長だ。

まず、なぜ函館市が青森県の大間原発建設に反対をしているのか。それは、大間と函館市は津軽海峡を挟んではいるが直線で最短23キロという至近距離だから。

大間から函館はフェリーで1時間半だが、青森市に出るには車で3時間かかる。大間の人は買い物も病院も函館に来る。よその人間からみれば、海をはさんでいるため遠いように思うが、実際はお隣さんなのだ。

大間原発は国の認可を受け電源開発(Jパワー)が2008年から建設を進めている。2011年の東日本大震災を受け、現在工事は実質休止中だが、いつ再開されるかわからない状態にあるため、函館周辺住民からはずっと反対の声があがっている。

工藤氏が市長に当選したのは2011年4月。東日本大震災(3月11日)の直後ではあったが、特に選挙で脱原発を公約に掲げていたわけではない。

しかし、工藤市長は就任してから青森県や、また福島県の原発被災地を訪ね、いろんな人の話を聞き、現地の実情を知る中で、これはヤバイと腹を固めるようになる。特に、南相馬市の桜井市長(当時)の話のインパクトが大きかった。この日の函館訪問も桜井さんによるセッチングによるものだ。

国に反対の要望書を出してもまともに対応してくれない。いよいよ提訴しかない。市議会にも諮り全会一致(2人退席)で承認を得た。2014年4月提訴。

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函館市が裁判で訴えている大間原発の問題点は大きく次の5点。

1. 毒性が強く危険性が指摘されているMOX(プルトニウムとウランの混合燃料だけを使用)で世界初の原子炉であること。

2. 大間原発の北方海域や西側海域に巨大な活断層がある可能性が高いこと。

3. 大間原発が面している津軽海峡は国際海峡であり、領海が通常の20海里(22キロ)ではなく、3海里(5.5キロ)しかないことから、テロ対策をはじめ安全保障上の大きな問題があること。

4. 既存原発の再稼働とは異なり、電力供給の問題が生じるものではないこと。

5. 大間原発では使用済核燃料は20年分しか保管できなく、その処分の方法や最終処分地などが決まっていないこと。

函館市の主張の法的根拠は「地方公共団体の存立維持権・財産権」。つまり、市の所有する公有資産に対する所有権に基づく物質的妨害予防請求と、市民の安全を守り、生活支援の役割を担っている有機的な組織体である「地方公共団体の存立を維持する権利」である。

これに対し、国は、自治体は原告適格が認められている住民には当たらない、つまり裁判の入り口で排除する論法を持ち出してきた。しかし、裁判長(東京地裁)は、これへの判断を留保して、審理に向かうことになった。第一の関門はクリアー。

函館市は原発から30キロ圏内にあるため、いざという時の避難計画を作成することが義務付けられているにもかかわらず、原発設置許可の同意権がない(立地自治体のみ)ことや、設置許可申請の手続きにおいて関与する権限がないことは憲法92条(地方自治)に違反する、ことも主張している。これに対する国の反論はまだない。

口頭弁論は続いているが、その間隔は長くなっており、膠着状態。いつ結審になるかわからないそうだ。

一方で、大間原発の工事は止まったままである(進捗率37%)。国側も基本になる将来的な原発政策を示せない現状では、本当に大間原発を仕上げる気があるのか、裁判へのヤル気を打ち出せないのだ。

工藤市長はこちらから急ぐことはないと、どっしりかまえている。裁判費用は市民の税金からではなく、募金やふるさと納税でまかなっている。毎年全国から約3千万円入ってくる。現在1億8千万円の残高があるので、何十年でも戦える。

こんな大物市長にはぜひとも脱原発をめざす首長会議のメンバーになってほしいところだが、工藤市長の考え方は、函館市はただ一つ大間原発の建設に反対をしているだけであり、反原発とか脱原発とか、原発全体に対する判断や主張はしないというもの。

これについては、市議会にも市民にもいろんな考え方の人がいるので、ただ一点、大間原発に反対ということだけで結束を図りたい。なるほど、いい戦い方だと思う。

気になることは一つ、工藤市長は現在3期目(72歳)だということ。裁判は長引きそうで、いずれ1審判決が出るとしても、2審、3審となると、さらに先が見通せない。

次の市長選挙は来年4月。市職員の中から最近有力者が出馬表明をしたようだが、工藤氏はまだ態度表明していない。このことを聞くと、いまはコロナ対策等があり、自分のことを言うと市民にしかられると、かわされた。

出馬、不出馬、選挙次第によっては、裁判がどうなるのか。仮に市長が代わっても、議会の承認を受けている裁判は続くものと思うのだが、そこが気になるところである。

こんな市長はめったにいない。ぜひとも4選出馬して、市政継続を果たしてほしいと思う。みんなでエールを送った。

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真ん中 工藤市長











国政選挙と地方自治

今回の参議院選挙、高知県においては34市町村の大半の首長が自民党現職候補の応援マイクを握ったときいて驚いた。以前からも一部にはそんな動きはあったが、昨年の衆議院選挙から一気に広がったように思う。

市町村が国や県と良好なパイプをもつことは大切なことである。自主財源が先細りとなり、交付金や補助金に頼らざるをえない厳しい地方財政下では、なおさらである。そのプレッシャーから予算を握る自民党から応援を頼まれれば断りにくい事情もあるだろう。

しかし、首長はたとえ特定の党派の応援を受けたとしても、当選すれば全住民の代表である。住民にはいろんな党派の支持者がいるのだ。そこが特定党派公認の国会議員とは違うところ。首長は党派の壁を超えて全方位的、公平平等な行政運営に心がけねばならない。

市町村は憲法や地方自治法より自治権が認められており、自分のことは自分で決めることができる。決して国や県の出先機関ではない。原則対等の関係だ。市町村が国や県と連携、協調することは当然であるが、連携、協調は決して従属ではない。

首長は今回のように自分の選挙以外の選挙に介入することには、自制的、抑制的であらねばならないと思う。


高知新聞投稿原稿
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コロナ 県議会の常識

全国以上に高知県のコロナ感染は終りがみえない。毎日の県発表を聞くのも食傷気味で、コロナ疲れというか、いまはどこで誰が感染してもさほど驚かないし、明日はわが身と同情のほうが先になってしまう。

そんな中であるから、県議会議員12人がクラスターにかかったと聞いてもつい聞き流してしまいそうだが、これは重大な事態である。言わずもがなであるが、県議会議員は選挙で県民の負託を受けた「公人」である。しかも普段と違い、今は6月定例会の開催中なので、議員の責務である県民の声を代弁する場に穴を空けたことになる。

さらに驚くのが12人全員が自民党会派で議長、副議長も含まれていること。報道によれば同会派は開会直前、飲食を伴なう懇談会を開いた事実もあるという。

県議会では自民党が最大会派で絶対多数を占めている。国会も同じではあるが、国会は衆議院、参議院とも副議長は第2会派から出ているのに、県議会では独占している。

県議会は県政史上初の仮議長を選ぶという異常事態となった。自民党は反省の気持ちがあるのなら、ごく短期のことでもあり、仮議長は第2会派に讓るのが筋であり、けじめであろう。しかし、またも自民党。県議会の常識は県民の非常識であるということか。


高知新聞へ投稿
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無理筋な大学誘致計画

無理筋な大学誘致計画

四万十市有岡にある四万十看護学院(運営は京都の学校法人育英館)を同系列の京都看護大学四万十看護学部として改組・移転する計画が進められている。これが大学単独の事業ならばあえて言うことはないのだが、市のかかわりかたに問題があると思う。

1、移転先に現に存続している下田中学校校舎を明け渡したこと。校舎は高台にあり、地区の防災拠点、津波避難場所になっており、ほかに代替施設がないので、いざという時長期避難等に使えなくなる。中学生はこの4月から津波浸水地域にある下田小学校に下り、同居を余儀なくされている。

2、市が大学に支援金として10億円の公金を出すことを約束。校舎等の提供も無償。別に国庫補助約5億円もつけ、大学側の実質負担は約2億円だけ。

3、そもそも幡多には学費の安い県立幡多看護専門学校があり、県内にも看護系大学が国立、県立、私立短大と3つあるので、市内にさらに私立看護系大学がほしいという話はこれまで聞いたことがない。

なのに、市はこんな重大な計画を市民全体に十分な説明もしないまま昨年3月決定し、来年4月には開校するという。なぜそんなに急ぐのか。なんのため、誰のための大学なのか。ことは下田地域だけの問題ではない。市は、ここはいったん足をとめ、時間をかけて市民全体との合意形成をはかるべきである。

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高知新聞 6月10日

私のFB 6月10日 を転載

4つの八束村

今年3月をもって、わが母校、八束中学校は統合でなくなった。

高知県幡多郡八束村は1989(明治22)年、近代地方自治制度のはじまりとともに、発足している。名前の由来は8つの邑(むら)があったこと。四万十川に沿って、上流から、坂本、山路、実崎(私の家)、深木、間崎、津蔵渕、初崎、名鹿。これら8つの邑が「結束」したということだ。記録によると、山路村、トロ村(池の名に由来)という名前の案もあったらしい。

八束村は1954(昭和29)年、周辺11市町が合併して中村市になった。さらに、中村市は2005年(平成17)年、西土佐村と合併して四万十市になった。

八束村はなくなったとはいえ、それは独立した自治体としてはであり、いまでも地域の区割りとしては、八束は生き続けている。八束区長会、八束消防団、八束郵便局など。八束小学校もあるが、こちらのほうは、中学校がなくなったことで、いつまで続くのか心配だ。

私は1953(昭和28)年、滑り込みセーフで八束村に生まれたこともあり、八束という名前にはこだわりをもっている。

八束村は岡山県、島根県にもあることは、以前から知っていた。今回、さらに調べたところ、千葉県にもあったことがわかった。八束村は全国に4つあったのだ。しかし、さみしいことだが、いまはすべて合併で消えてしまった。

私は以前、転勤で岡山市に住んだことがあるので、岡山県と島根県の八束村には行ったことがある。しかし、当時は、八束を意識していなかったので、今回、八束を意識しながら、その痕跡をさがしに、もう一度訪ねてみることにした。

私は山陰が好きである。何より海の色が違う。いつも見る太平洋は、淡い、ぼや~とした「青」であるが、山陰の日本海は濃く、深い「碧」である。色がキリっと引き締まっている。厳しさがある。

それとシンボルの大山がいい。見る角度から七変化。とらえどころがないところが、いい。大山には、何度か行ったことがあるが、秋の紅葉時期であったことから、一度、新緑の大山も訪ねてみたかった。今回の目的の一番は大山であり、ついでに八束を訪ねた、というのが正しい。

新緑のピークは少し過ぎていたが、5月19~21日(2泊3日)、訪ねた。朝、家を出たが、高知市内で用があり、午後4時半ごろ高知ICから高速に入ると7時に岡山県高梁市に着いた。岡山県では一番好きなまちであり、ここに1泊。

翌朝一番で頼久寺庭園を訪ねた。小堀遠州がつくった庭で、こぢんまりとした、詫び、さびの世界。3年半ぶり。ここに来ると心が落ち着く。季節によって違う世界。今回はツツジの花が口紅の色気のように見えた。

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有漢ICから高速に乗り、一路松江へ。蒜山高原を過ぎたところから、林の間、右手に大山が見えて来た。南壁なので、のこぎりのような、ぎざぎざの岩肌だ。しかし、遠くなので、すぐに消えた。

米子を通過し、昼頃松江着。お目当ての山陰民芸陶器を扱っているお店OBJECTさんへ。民芸企画展をやっていた島根歴史館へも。出雲そばを食べ、中海に浮かぶ大根島へ。

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島は防波堤のような埋め立てたてた一本道でつながっている。大根島は牡丹の島として有名。花が見られる由志園に閉館ぎりぎりに入ったが、牡丹の花は終わり、しゃくやくに移っていた。

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ここは31年振りだが、今回の目的は花ではなく八束。この島は全体が旧八束村。

松江の周辺、このあたりは、もともと八束郡。大根島は波入村と二子村に分かれていたが、1954(昭和29)年合併して八束村になり、その後八束町に。2005年、松江市になった。

八束村の語源については八束郡からとったものと思われる。ネットで検索したところ、八束郡は、出雲風土記に八束水臣津野守(やつかみずおみつののみこと)が出てきて、この守は出雲版の須佐之男命(すさのおのみこと)だと思われると書いている。八束郡はこの八束・・・守からとった名前であろう。わが幡多郡八束村のように8つの邑があったということではないらしい。

島の中心部を車でウロウロすると、八束学園(市立小中一貫校)、八束支所(旧役場)、八束体育館などがあった。図書館で八束町史を読みたかったが、薄暗くなりかけ、そんな時間はなかった。

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境港市側にそびえたつ橋を渡り鳥取県へ戻る。水木ロードは見ずに、そのまま米子市内のホテルへ。

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ホテルは城山の下にあり、翌朝一番でその城山に登った。米子城の名前は聞いたことがなかったが、今年の正月、NHKテレビの「最強の城」で1位になったので知った。視界はぐるり360度、中海、日本海、大山の山並みが見通せる絶景のそのTV映像が印象に残っていた。

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城山は意外に低く、麓から歩いて15分程度登るだけ。高さ90メートル。天守閣はなく石崖だけだが、そのほうがいい。イメージを自分でつくれるから。

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2年前、兵庫県の天空の城竹田城にも登った。そこも360度のパノラマだった。しかし、山ばかり。ここは、湖、海、町、山・・・すべてがある。TV映像よりすばらしい。これまで米子はパスしてきたが、この城があるのなら、また何度も来よう。

一路、大山へ。上り道をまっすぐに。途中車を止め、伯耆富士といわれる、まろやまな姿を写真に。あっという間に、大山寺下の駐車場へ。新緑と山を眺めるのが目的だから、すぐに南まわりの蒜山スカイラインの方向へ。

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枡水高原、ブナの原生林、鍵掛峠、鬼女台・・・少し色が濃くなっていたが新緑が目にまぶしい。やはり一番は鍵掛峠。新緑、ガリガリの岩山はトリック写真のようだ。摩訶不思議な絵。

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蒜山高原へ下り、八束村へ。旭川の源流の一つ、塩釜の冷泉のあるこのあたりは何度も来ているが、八束の痕跡を探しに、旧八束村立(現真庭市立)蒜山郷土博物館へ。八束村史を見つけ、パラパラ読んでみた。

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ここ真庭郡八束村は明治36年、旧縣(あがた)村と旧茅部村の一部が合併して生まれていることがわかった。しかし、八束の名前の由来については何も書いていない。荘園史の研究をされているという前原茂雄館長にきいてみたが、館長もずっと調べているのだが、資料、記録がなにものこっておらず、謎だという。古い邑は7つだったとのこと。横溝正史の八墓村のような痕跡もないという。2005(平成17)年、合併で真庭市に。

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館長に八束小学校と旧役場跡((保健センター)を教えてもらい行ってみた。中学校は蒜山中学になっているとのこと。役場の庭には、根本近くから箒状に枝を張っためずらしい形の銀杏の木があった。蒜山特有の霧のように、もやもや、すっきりしないまま、国道をのれんの町勝山へ下った。

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勝山では、いつもの御前酒辻本店に入った。シンボルの古い煙突が解体されていたのは残念だった。のれん通りの中ほどで、コーヒーを飲んでから、夕方5時ごろ落合ICへ、中村へ戻ったのは9時だった。

なお、もう一つの千葉県の八束村について。ネットで調べた範囲。

安房郡八束村は1989(明治22)年誕生。わが八束と同じく、8つの邑が一緒になったもの。1955(昭和30)年、隣の富浦町と合併し富浦町に。

驚いた。富浦と言えば、一橋大学の富浦合宿所(海の家)があったところであり、私は在学中、2度行ったことがある。東京湾の入り口で、きれいな砂浜が前に広がっていた。大学に問い合わせたところ、合宿所は利用が少なくなったということで、だいぶ前に売却されたとのこと。残念。

合宿所は富浦駅の西側(海側)にあったが、旧八束村は駅には近いが駅の北側(山側)のエリアだそうだ。富浦町は2006(平成18)年、合併で南房総市になった。市役所(旧富浦町役場)は八束村のエリアにあるという。

今度上京する機会に、安房郡八束村も訪ねてみたいものだ。

4つの八束村で、一番古いのは、1889年発足のわが高知県八束村と千葉県の八束村。一番最後まで残ったのは、2005年まで続いた、島根県と岡山県の八束村(島根は八束町として)

これも縁。いまの行政同士ではとても無理であろうが、いつか、民間有志で、4つの八束村の交流ができないものだろうか。夢ならいいだろう。そんな夢をもちたい。

四万十市議会議員選挙の異常

4月17日投開票の四万十市議会議員選挙では中平市長の異常な行動がきわだっていた。特定の候補者に肩入れをし、少なくとも5人(もっと多かったかも)の出陣式に出るか車に同乗し、マイクを握った。

市政運営において執行部(市長)と議会は「車の両輪」であり、連携がうまくいかないと機能しない。「連携」とはべったりの関係ということではなく、適度な緊張関係が前提であり、議会は市長の行動をチェック、牽制する重要な役割をもっている。

議員は市長選挙においては、政策等いろんな判断、思惑から特定の候補者を担いだり応援したりすることで、与党系と野党系に分かれることは一般的である。しかし、市長は就任した以上は市民全体への奉仕者であり、公平平等な市政運営に努めなければならない。議会においても同様であり、どの議員の質問にも真摯に答え、耳を傾けなければならない。

だから、議員選挙においては、中立のスタンスを守り、動かないのが常識であり、地方自治における「不文律」「禁じ手」のようなものである。だから、私を含め歴代の市長は議員選挙には介入しなかったし、県下の他の市町村や県知事においても同様である。今回のような例は聞いたことがない。

今回の中平市長の行動は、議会の中に自ら敵と味方をつくることであり、議会ひいては市民を分断することである。3期目になった中平市長は、自分の支援者やお友達を優遇するような政策決定や行政運営が目立ってきているが、今回の選挙を通して、ますますそれが顕著になることを心配している。


FB(同日)から転載

九条の出番 ウクライナ戦争

ロシアからの攻撃で始まったウクライナ戦争は、ロシア対NATOの戦争という様相になってきた。ウクライナへの後方からの軍事支援は、この機に乗じてロシアを封じ込め、軍事同盟の盟主としてステータスを誇示したいアメリカの思惑もあり、停戦交渉は長引きそうである。

日本は世界最高の平和理念の憲法をもつ国である。ウクライナ大統領もこのことはわかっており、日本の国会議員向けの演説においても他国向けとは違い、憲法に配慮した穏当な内容であった。いまこそ日本が仲裁、停戦交渉に積極的に乗り出し、世界平和へのリーダーシップをとるチャンスである。

しかしながら、岸田首相はいっこうに動こうとしない。それどころか、武器輸出三原則に反する防弾チョッキを自衛隊機で輸送。防弾チョッキも武器であろう。日米安保条約も軍事同盟であるから、アメリカを介して日本もNATO陣営として堂々の役割を果たしていることになる。結果、長年積み上げてきた日露平和交渉が振り出しにもどった。

今回の事態をみて、中国、北朝鮮を念頭に九条では日本を守れないという議論が出てきている。しかし、将来仮に台湾有事という事態になれば、日本は安保条約ゆえに、戦争に巻き込まれるというよりも「参戦」することになるだろう。現に自衛隊は米軍の指揮下にあり一体である。日本海に面してズラリ並んでいる原発を狙われれば終りである。

軍事同盟では国を守れない。日米安保条約を対等平等、非軍事の日米平和友好条約に変え、現にあるASEAN(東アジア諸国連合)のような中立・非同盟の平和の枠組みをつくること。九条をもつ日本だからこそ、それができる。いまこそ九条の出番である。


全国首長九条の会ニュース 35号
2022.4.7

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秋水、トルストイの非戦論

 ロシアからの攻撃で始まったウクライナとの戦争だが、日露戦争は1904年2月8日、日本陸軍の朝鮮半島・仁川上陸作戦(先制攻撃)で口火が切られた。戦場は主に中国で、大陸の領土利権の争奪戦であった。

日本の世論はロシア撃つべしと沸騰し、2月24日付本欄「こわーいお手玉の歌」のように、子供にまでロシア憎しと歌わせた。

国と国との戦争で一番犠牲になるのは国民。私の祖父は歩兵第四四連隊の一兵卒として旅順・盤龍山への総突撃で左腕に銃弾を受けたが、運よく生還。しかし、1年7か月にわたる戦争で兵士の死者数は日本約11万人、ロシア約4万人に及んだ。国民は戦費調達のための重税にも苦しんだ。

幸徳秋水は平民新聞で社会主義の立場から非戦論を展開、戦争は罪悪、害毒、損失であり、ロシアの兵士にも家族がいると説いた。ロシアでもトルストイがキリスト教信仰の立場から兵役拒否を呼びかけ、秋水はそれを平民新聞に載せた。

秋水、トルストイは孤立無援の叫びであったが、いまは世界各国で「戦争やめろ」の声があがっている。ロシアでも勇気ある人たちが立ち上がっている。世界最高の平和理念の憲法をもつ日本こそ大声をあげなければならないと思う。

なお、「こわーいお手玉の歌」に登場するロシアの将軍クロバトキン(クロパトキン)は秋水と親交のあったロシアの思想家クロポトキンとはまったくの別人です。


高知新聞「声ひろば」投稿
2022.3.27

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香美市長選挙

香美市長選挙がいま行われている(27日投票)。現職に新人2人が挑む形。新聞報道によると、20日の出陣式に、現職陣営には南国市長が、新人(元県議)陣営には香南市長が、それぞれ応援にかけつけたという。

3市は互いに隣接、同じ経済圏で、常に連携が求められているところなのに、これではどちらが勝ってもシコリが残り、互いの行政運営にとってマイナスでしかない。一番迷惑するのは住民である。

首長も政治家であるから選挙応援は自由である。しかし、他の首長選挙(特に近隣)への介入は自重すべきであるし、候補者本人も断るべきである。

首長は住民の代表であり強力な執行権まで委ねられているのだから、自分の政治的主張などよりも住民の私益を最優先すべきである。

最近、高知県内では、自分の自治体に関係する争点もないのに、単なるお仲間、お友達意識からとしか思えない、このような例がよくみられる。前知事も同じであった。自立自尊であるべき地方自治の将来が心配である。


3月22日FBアップ記事を転載
プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
フェイスブック(FB)もしています。

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