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吹屋 高梁

家を出るまでは吹屋のことを忘れていたが、途中でハッと思い出したので、寄ることにした。

勝山を正午(11月4日)で離れ、落合から中国道に乗り、ぶっとばして30分、新見インターで降りた。高梁に下る国道の途中から右、県道に入る。

なだらかな台地の畑の中、初めての道をしばし走る。やっと「吹屋ふるさと村」の標識が見えた。そこから山道を少し上がると着いた。

吹屋に30年前来た時の印象は強烈だった。高梁から成羽を通り、くねくねの山道を登れど、登れど着かない。こんな山の中に人が住んでいるのかと思うところに、突然赤い色の集落が現れた。これは村ではない。町だ。今流でいえば、天空の赤い町。

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そこでベンガラ(弁柄)を知った。硫化鉄からとれる顔料で、陶磁器、漆器、ペンキなど、いろんな用途に使われているという。

吹屋は江戸時代から硫化鉄と銅山で栄えた。いまの感覚では、山の村は住む人も少なく、過疎で寂しい、貧しい、というイメージが強い。

しかし、そんなのは、せいぜいこの50年ほどのことであり、日本の歴史の大半では、山村は豊かであった。木材、木炭、紙の原料(こうぞ、みつまた)、狩猟・・・富に溢れていた。時に金銀銅などの鉱脈もあった。宝の山だ。

その典型が吹屋だった。私は頭をガツンとやられた。赤というよりは朱色。その違いの色彩感覚をここで覚えた。

朱色に塗られた家々は、国の伝統的建造物群保存地区指定を生かし、観光用に色を強調したものであるとはいえ、富の象徴である。

しかし、今回はそれほどの興奮はなかった。2回目であるためだ。また、前回とは来た道も違う。山を登ってきたという感覚はない。道も広くなっていた。

ベンガラも落ち着いた色になっている。聞くと、確かにドぎつさを抑え、黒を混ぜ、江戸時代の色に近づけたそうだ。その分、インパクトは減るが、まわりに溶け込んでいる。

ベンガラ精製場跡をさっと見たあと、名所ポイントの広兼邸(庄屋)に寄った。横溝正史の映画「八つ墓村」のロケに使われ、一躍有名になったところ。

横に長い城壁に囲まれた邸。鉱山で築いた富の象徴。そこらへんの城よりも品格があり、勇壮かつ端正。造形美あふれる芸術作品のよう。映画の印象があるだけに不気味であったが、ここも2度目だけに、冷静に見れた。

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月曜日ということもあってか、静か。管理人だけ。庭の柿をとっていたので、声をかけたら、みやげにもたせてくれた。まわりの紅葉をゆっくり眺めた。四国のような尖った山がない。丘だ。

陽も傾いてきたので、高梁に向かう。バイパスになる広域農道ができており、直線的に下ると、すぐに成羽に着いた。そこから国道なので、以前見えた木口小平(軍神とされたラッパ兵)の生家跡はショートカットしたようだ。

高梁では、もちろん頼久寺に向かった。2年ぶり。心落ち着く小堀遠州の庭園。紅葉の見ごろには10日ほど早かったが、かなり色づいており、満足。

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備中松山城には登る元気も時間もない。その代わり、いつも行きたいと思ってはパスしてきた薬王院を捜し出した。

寅さん映画のロケに使われた寺。急な長い階段で、寅さんが一目ぼれした竹下景子は、あのころが一番きれいだった。その階段を登ってみた。なるほど、転げ落ちそう。

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寅さんで知って来たというのに、階段下にロケ記念碑が建っていたのは気に入らなかった。俗化しているようで。勝手なものだ。

2年前と同じく、暗くなってきた夕方5時に高梁を離れ、賀陽インターから高速に乗り、10時前に家に戻った。

車中泊を除けば、実質1泊2日の旅のまとめ。
1番感激したのは大山、2番は神庭の滝、3番は湯原温泉。どこも30年ぶりだからだろう。

湯原 勝山

その日(11月4日)のうちに家に帰ることにしていたので、倉吉のホテルは朝8時に出た。

まっすぐ蒜山に戻ることにし、南に国道(美作街道)を走る。すぐに右手に大山が見えてきた。朝日を浴びた青空にくっきりと。きのうはあの麓をほぼ一周したのだ。

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大山が消えると、入れ替わるように蒜山が目の前に迫ってきた。きのう見た裏側だ。大山と違い、蒜山はどの方向からみても、丸くてなだらか。同じ形だ。

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山道をまっすぐに登っていくと峠に長い犬挟トンネルがあり、これを抜けると岡山県の蒜山高原に入るのだが、トンネルを出たとたん霧の中に突っ込んだ。前が見えない。ライトをつけ、ゆっくり進む。

きょうがきのうなら、すごい雲海が見えたことだろうにと残念に思ったが、逆に朝の高原の紅葉は見ることができなかっただろうから、よかったのかも。

蒜山は30年ほど前、岡山に勤務していたころは、真庭郡八束村といって、私の地元と同じ名前(私の母校は八束小、八束中)だったのに、いまは郡全体が合併して真庭市になっている。

きのうは蒜山インターで降りたが、きょうはここからは高速には乗らず、特産の蒜山ダイコンを道端で勝ってから、国道を下った。すぐに湯原温泉に着いた。

湯原温泉は、その頃いまは亡き両方の父を連れてきたことがある。ダムの真下の露天風呂に入ったことがなつかしい。いまと同じ紅葉の季節だった。

温泉街に入る手前で、その湯原ダムサイトに行ってみたが、ダム湖は霧に覆われていた。まわりの山と放水口はなんとか見えた。

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記憶にあるのはダムと、宿の玄関横に大きなサンショウウオがいたことぐらいだが、こじんまりとした温泉街で、なかなかいい。こんな風情があるところだったのか。川のせせらぎも聞こえる。年をとったので、味わいがわかるようになったのかも。

普通、ダムはまわりの景色を台無しにするものだが、ここはダムがシンボルになっているぐらいだから、うまく融合した景観をつくりだしている。露天風呂人気ランキングで、西の横綱になっているのもうなづける。

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いまはオオサンショウウオは旧湯原町役場前のハンザキセンターの水槽にいるときいたので寄ってみると、いたいた。どず黒い斑点が、ウツボにも似ているが、ゴジラを横にしたみたい。

オオサンショウウオのことを、ここらではハンザキという。生命力が強い(生きた化石)ので、「半割き」にしても生きているという意味らしいが、残酷な言葉だ。

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隣の旧役場建物は、いまは真庭市の湯原支所(振興局)として使われているというが、びっくりしたのは、古い木造建物で昭和初期にタイムスリップしたよう。もとは小学校だったらしい。すばらしい。映画ロケにも使えそう。歴史的建造物としてぜひ保存活用してほしいと思った。がんばれ、湯原。

国道に戻ると、旧勝山町に入る。神庭(かんば)の滝入口の標識がみえる。谷を右に5分ほど入る。前に3,4回来ただろうか。ずいぶん久しぶり。

紅葉の絶頂で、青い空と白い水のコントラストに息を呑んだ。山も水も空も光り輝いている。1年間で一番美しいであろう瞬間に来られた幸運に感謝。風格と品格。日本の滝100選の中でも一番いい。一層好きになった。新緑の季節にまた来たい。

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勝山のまちは木材の集積地として有名だが、小さな城下町でもある。ここに本社がある銘建工業が高知県にも進出している(おおとよ製材)。最近では、暖簾(のれん)のまちとして売り出していることをテレビで知った。なるほど、通りのどの店、家も暖簾をぶらさげている。

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ここに来ると「御前酒の辻本店」に寄ることにしている。最近は酒だけでなく、酒蔵の天井桟敷を西蔵という名前のレストランにして人気を呼んでいる。ちょうどランチを食べたが、美作の味にこだわっており、なるほどと思った。

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いまの岡山県は、江戸時代は、備前、備中、美作に国が別れていた。作州浪人宮本武蔵の作州が美作だ。吉井川、旭川の上流、中国山地の山国だが、山陽道と山陰道の間に位置するので、両地の往来があり、独自の文化がつくられている。中国山地は山というより、なだらかな丘という感じであり、四国や九州の山地とは違う、豊かさを感じる。

辻本店の前の旭川には、かつては高瀬舟の発着場があったそうだ。
勝山は出雲街道だけでなく、舟運でも栄えたまちなのだ。

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大山 蒜山

大山の紅葉が見たくなった。

今年7月、松江に出かけたさい、米子の海岸線から丸く膨らんだ別名伯耆富士を遠くから眺め、懐かしさを覚えた。

大山は見る角度で姿が違う。30年ほど前、岡山に勤務していたころ、蒜山からスカイラインを通り、まぶしく光る紅葉の先に、ノコギリのように岩肌をむき出しにした頂を見た。その印象が強く残っている。

ネットで調べていたら、大山と蒜山を同時に見られる絶景ポイントがあることを知った。この季節、雲海と日の出が同時に見られるというので、11月3日、夕方車で家を出た。

岡山から北に入り、中国道、米子道を通り、夜11時ごろ蒜山サービスエリアに着いた。多くの車が止まっていた。みんなと一緒に車中泊。

日の出が6時半ということで、5時をまわったところで起き、車のエンジンをかける。すぐの蒜山インターを降り、蒜山大山スカイラインに入る。真っ暗な中、くねくねの山道を登ると30分ほどで、鬼女展望台(標高900m)に着いた。

先に何台も来ている。車の中で待っていると、東側の空がだんだん赤くなってくる。外へ出る。雲海は墨絵のようだ。蒜山三座(上・中・下)のまるい尾根の稜線が少しずつはっきりしてくる。いよいよ日の出だ。光線の矢が放たれた。

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ふと、北に振り向くと、おおっ、二つの山がにょきっと首を出していた。手前の尖ったのが烏ヶ山、向こうのゴリゴリしたのが大山だ。とても富士には見えない。別の山が朝日を浴び、白く光っている。感動で寒さはない。

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蒜山は女性のふくらみなら、大山は男のガリガリ頭。

1時間ほど、幻想世界に没入したあとは、霧が晴れてきた蒜山麓へUターン。牧場や高原野菜畑のなだらかな丘をぐるり一周。朝霜が光り、しっとり濡れた高原。紅葉はピークをほんの少し過ぎているが、見ごろという感じ。紅葉が朝日に輝き、一段と映える。

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スカイラインに戻り、再び大山方面へと進む。鬼女台、鏡ヶ成を過ぎると、山の斜面を降りたり昇ったり。黄色で埋まった樹海の中を進むと、各所でガリガリの山頂が迫ってくる。鍵掛峠では、色鮮やかな衣を着て首を出す。息をのむ気高さ。

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枡水高原では双子の富士山になった。
ここで動悸を鎮めるため、一息入れる。米子、弓ヶ浜を眺めながら熱いコーヒーを求め、飲む。

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大山寺は紅葉の絶頂だった。駐車場からの長い坂道と階段は大勢の人であった。
神仏混合の山だが、大神山神社奥宮までは足が動かなかった。

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大山寺が観光の中心軸とすれば、後半のスタートは豪円山のろし台からの眺め。噴火口なのか山肌崩落跡なのか。大きな口を開いている。

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ここから先の東側麓までは足を延ばす人は少ないようで、車の数もぐっと減る。道も対面一車線で狭くなり、わが地元の「酷道」439、441号のよう。

香取展望台以降、大山は遠く離れていき、頂上が見えない。代わって、船上山という耶馬渓を思わせるような岩場がそそり立つ。割れ目から小さな滝が落ちていた。

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道はますます狭くなり、対向車もない。紅葉もない樹林ばかり。急カーブが連続の暗い道。人家もない。この道で大丈夫かと不安になってきたが、進むしかない。

やっと開けた。家も畑もある。ほっとした。
しかし、めざす最後のポイント地蔵峠には、なかなか着かない。まだか、まだかと繰り返して、やっとこさ。

ここは枡水高原の真裏になる。ごぶさた、遠くに山頂がくっきりと見えた。大山が連山の中心に座っていることがわかるポイント。来た甲斐があった。

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さらに先を進めば、もう少しで朝通った鏡ヶ成に至り、大山を一周することになるが、ここまででもう満足、満喫。

ぐるり山を背に倉吉に向かった。この道がよかった。なだらかに下る直線道路で、柿の実が熟れるのどかな里の秋。ピリッと冷え、引き締まった空気は、四国にはない、山陰特有のものだと感じた。

途中に関金温泉。車中泊で体がもぞもぞしていたので、日帰り入浴の市営施設に入った。これがまたよかった。ゆっくり、たっぷり温泉に入るのは久しぶり。明るい時間に入るのは、また格別。

倉吉には7月も来て、いい雰囲気だったので、今回も泊まりは倉吉と決めていた。前回見逃した市立美術館に入り、白壁土蔵群の通りの気になっていた店などを覗いた。

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秋の日は短いもので、夕方5時には薄暗くなるが、きょうは朝5時から動いているので、長い一日となった。しかも、たっぷり中身が濃かった。

大山のおかげである。一日中、雲に隠れることなく、全身をさらけ出してくれた。
ありがとう、大山。

学習会「四万十川を守れるか」

10月27日、脱原発をめざす首長会議主催の学習会「四万十川を守れるか~河川における原発放射能汚染を考える」を四万十市立中央公民館で開いた。

首長会議学習会は、これまでも全国各地で開いてきたが、会員相互の学習会に一般の人たちも参加を呼びかけるという位置づけであることから、定員100名の会議室で十分だろうと思っていたが、うれしい誤算で約160名の人たち(うち会員9名)が参加をしてくれた。補助イスを追加して、なんとか入ってもらえた。

最初に、首長会議の三上元世話人(前静岡県湖西市長)が挨拶。会設立(2012年、現在会員97名)の目的は、住民の生命と財産を守る責任をもつ首長として、原発のない社会をめざしていくこと。四国での学習会は初めてだが、きょうは伊方原発再稼働という重大な日に重なった。

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第1講演は、グリーンピース・ドイツの核問題スペシャリスト、ショーンバーニさんによる「水に沈む放射能~福島原発周辺の水域への放射能調査」。

→ 資料 http://mayors.npfree.jp/wp-content/uploads/2018/10/GreenPeace_20181027-compressed.pdf

政府は原発周辺の除染を行ったというが、福島県の70%を占める森林は手付かず。放射能の一部は河川、海へと移動するが、残りは森林に貯えられ、長期間再循環または下流に向けてゆっくり移動する。一方、森林、湖、河川は巨大な放射能貯蔵庫になる。

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河川の水は農業や生活に使われるため、河川に住む生物だけでなく、人間もセシウム汚染の影響を受ける。福島沿岸地方の14水系の流域に降ったセシウム総量の30%は阿武隈川水系に。

放射能は広範囲に降下し、陸地と淡水系に貯えられ、生態系内に数十年から数百年とどまる。放射能汚染は、社会・経済にも深刻な影響をもたらす。福島の湖の放射能ベクレルは琵琶湖の数千倍。

仮に、伊方原発で過酷事故がおこった場合、福島を上回る深刻な環境影響をもたらす可能性がある。

原発は、電気を「安定供給」できない。社会にも環境にも影響が少なく、かつ地域の雇用をもたらす省エネルギーと自然エネルギーに舵をとるべきである。

なお、グリーンピース調査報告書はネット公開されているので、詳しくはこちらを。

→ https://www.greenpeace.org/japan/Global/japan/pdf/20160721_AtomicDepths_JPN.pdf#search=%27%E6%B5%B7%E3%81%AB%E6%B2%88%E3%82%80%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%27

第2講演は、地元川漁師黒澤雄一郎氏(四万十川中央漁協アオノリ組合代表)による現地報告「四万十川生態系の現状」

黒澤氏は、福島原発事故の年、埼玉県から家族3人で避難移住。日本にこんな川がまだ残っているのかと感激し、川漁師を始めた。ウナギ、アオノリ漁などで、四万十川の恵みを日々実感している。

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しかし、一方で、この7年間の経験からだけでも、川の環境変化に驚いている。川底に砂が堆積し、漁がむずかしくなってきており、危機感をおぼえる。

先輩川漁師にきくと、以前より水量が減った、川底の伏流水も少なくなり、川の水をためこむ力、活動力が弱まっている。

さらに、伊方で事故がおこれば、生活の場の四万十川までも失われてしまう。

続いて、質疑討論。

質問1 四万十川にも外来種のブラックバスやブルーグルはいるか。→いる。

質問2 安倍首相は、「フクシマはアンダーコントロールされている」とウソを言ったが、どこの国のトップもそうなのか。→権力者は真実を隠したがるものだが、日本のウソは特にひどい。

質問3、四万十川の名前の由来は何か(会員村西俊雄・元滋賀県愛荘町長) →いろんな説があるが、定説はない。3説紹介。

質問4、原発から海に捨てられる温排水について(明神照男・元明神水産会長)。 →海水温に影響大。

発言1 島岡幹夫さん(農業・元窪川原発反対町民会議代表)、川を守るためいま林業にも従事。

発言2 平井政志さん(NPOいきいきみはら会)、三原村での小水力発電事業への取り組みについて

発言3 岩城泰基・宇和島市議会議員、宇和島での伊方原発反対への取り組みについて。

発言4 梶正治・香川県丸亀市長(会員)、自己紹介

発言5、西村和平・兵庫県加西市長(会員)、自己紹介

脱原発をめざす首長会議から、「四国電力による伊方原発3号機の再稼働に反対する緊急アピール」を発表(佐藤和雄事務局長・元東京都小金井市長)

内容 →http://hatanakamura.blog.fc2.com/blog-entry-471.html

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閉会挨拶 高瀨満伸・元四万十町長(会員)

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学習会のテーマを「四万十川を守れるか」にしたことで、いわゆる脱原発集会とは異なる多彩な人々が参加し、会場は熱気がみなぎっていた。四万十川はみんなの生活に密着しているからだ。

例えば、四万十川対策担当の行政職員(四万十市2、四万十町2)、四万十川財団、四万十川自然再生協議会、漁業者(川、海)、農業者、林業者なども参加。

議員は高知県から四万十市6、四万十町2、愛媛県から宇和島市1、愛南町1、松野町1。

会員では、上記紹介した以外2名(沖本年男・元宿毛市長、吉門拓・元佐賀町長)参加。

以上のように、充実した学習会となった。
原発は四万十川にはふさわしくない。これを機に、地域にとっての生活の源である四万十川の将来を、みんなで考える輪が広がっていくことを期待するとともに、原発から自然再生エネルギーへ転換を促す声が一層広がることを願いたい。

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              高知新聞2018.10.28

共同通信配信記事 https://this.kiji.is/428854467741992033?c=39546741839462401

「伊方原発3号機の再稼働に反対する」緊急アピール

10月27日、脱原発をめざす首長会議が四万十市で開いた学習会「四万十川を守れるか~河川における原発放射能汚染を考える」において、発表したアピールです。


「四国電力による伊方原発3号機の再稼働に反対する」緊急アピール

2018年10月27日
於:四万十市立中央公民館

脱原発をめざす首長会議は、住民の生命・財産を守る首長の責務を自覚し、安全な社会を実現するため原子力発電所をなくすことを目的としている。今回の四国電力による伊方原発3号機の拙速な再稼働は、以下の理由から強く反対を表明するとともに、早急な運転停止を求める。

1.「社会通念」は3.11以降大きく変わっている
2018年9月25日の広島高裁、9月28日の大分地裁は、伊方原発3号機の再稼働を容認する決定を出した。この決定では、阿蘇山の破局的噴火について「自然災害として想定しなくても安全性に欠けるところはないとするのが、現時点での我が国の社会通念である」と述べ、稼働を許容する理由に挙げている。
しかし、現実を見ると3.11を期に日本社会での「社会通念」は、原発の過酷事故については「絶対にゼロでない限り、その稼働は認めるべきではない」という方向に大きく変わっているのではないか。広島高裁、大分地裁の決定は、現実の社会通念から大きく乖離したものと言わざるを得ない。

2.複合災害では機能しない避難計画
伊方原発からの避難経路となっている国道197号線は、土砂災害危険個所が全面的にかかっており、原発事故を含む複合災害が起きた場合、現在の避難計画は機能しないことが専門家から指摘されている。孤立する恐れがある半島先端の住民約5千人の命を守るためには、複合災害においても有効に機能する避難計画が立案され、訓練などで検証されるまでは再稼働を認めるべきではない。

3.危険区域内にある放射線防護施設
内閣府によれば、原発で過酷事故が起きた場合に、避難弱者が一時的に屋内退避できるよう防護を施した施設は、伊方原発から30キロ圏内では伊方町10件、八幡浜市3件、宇和島市1件、計14施設ある。しかし、このうち12施設が「土砂災害警戒区域」、「土砂災害特別警戒区域」、「津波浸水想定区域」のいずれかまたは両方に立地している。つまり避難弱者は放射線防護施設に入ることによって別の危険にさらされることになる。このような状況が改善されるまでは再稼働を認めるべきではない。

4.生態系の破壊
原発事故による放射性物質の汚染が発生した場合、四国だけでなく九州、中国地方など、広範囲で海産物、動植物、経済活動への被害が考えられる。海ばかりでなく、最後の清流と呼ばれる高知県の四万十川もその影響を受ける恐れがある。福島での原発事故は、事故が一度起これば、多大な被害を与えることを全世界の人々に教えた。自然が汚染されるとともに、これまで数百年以上にもわたり続けてきた人の営み、歴史、文化、つながりも壊され、とり戻すことできなくなる。そのようなリスクがありながら、原発を動かす理由は全くない。

脱原発をめざす首長会議

44902234_2204983176202700_9034788552692465664_n.jpg   高知新聞 2018 10 28


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Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
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