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文子を追っかけ韓国日記(5)

5日目、帰国後まとめ

最終日7月26日は8:25発高松行きなので、帰るだけ。まだ薄暗い5時半タクシーでホテルを出た。仁川空港まで、高速を使い1時間で料金は5900円だから、やっぱり安い。

来るときとは違い、あとは学習効果でスムーズ。10:05高松着。あっけない。外国から帰ってきたというような感じがしない。

これで旅は終わったので、まとめ、感想を書いておきたい。

大変中身の濃い充実した旅になった。ひとえに、金昌徳さんをはじめ韓国、国民文化研究所のみなさんの温かい心のこもった受け入れ体制のおかげである。東京の亀田博さんにも大変お世話になった。

最初にも書いたように、この旅が実現したのは、幸徳秋水と金子文子の導きによる。韓国独立3.1事件から100年の年、日韓関係が悪化の状態の渦中というのも、運命的なものを感じた。

秋水らが逮捕された大逆事件と同じ年(1910年)、日本は韓国を併合。それから100年以上たつというのに、日本政府は植民地支配への、心からの反省がいまだできていない、中途半端な形でしか、戦後処理をしこなかった、そのツケがいま来ている。

今回のことの発端は、徴用工への補償問題。日本側は1965年の日韓請求権協定で解決済みと主張している。しかし、この協定は国と国の締結であり、被害者個人からの請求権までは否定しているものではないということを、日本政府も過去の国会答弁で認めている。

しかも、今回は韓国最高裁判所の決定である。日本も韓国も三権分立。行政は司法に介入できない。なのに、日本政府は韓国行政になんとかしろと追及。法の秩序を破れと言っているのだ。逆の立場で、日本の最高裁判所の決定に外国から異を唱えられたら、日本政府はどうするだろうか。

こんな情勢下、初めての韓国訪問であったから、韓国の反日ムードも高まっているだろうと心配していた。

ところが、まったくそうではなかった。これは日本の報道の仕方に問題がある。もちろん一部には反日の人たちもいるだろうが、日本ではそうした部分だけを、さも国民全体がそうであるかのように、過剰に報道している。それによって反韓、嫌韓をあおる。日本政府がそれを望んでいるからである。対外的な危機をあおれば、国民は結束するから当該政権に有利に働く。

恥ずかしながら、私は最近まで、金子文子の墓が韓国にあり、毎年追悼式を韓国の人たちがおこなってくれていることを知らなかった。

今回、追悼式に初めて参加をして、私は韓国の人たちのこころの広さ、懐の深さを痛感した。日本人の文子を顕彰し、朴烈義士記念館の1Fフロアーいっぱいに詳しい展示をしてくれている。その詳細さは、朴烈以上であった。

今回、私らはソウルからチャーターバスに乗り、聞慶市での追悼式に参加してホテルに泊まり、翌日も同じバスで文子が暮らしていた芙江にも連れていってもらった。これらの費用はすべて韓国側持ちであり、私ら日本人10人は招待された形になっていた。

文子追悼式関連のイベントについては、国からの補助金が出ており、おみやげ(記念タオル、文子をデザインしたマグカップ、メモ帳)まで、持たせてもたった。

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2日目、芙江での歓迎式費用は、地元の一人の実業家がいっさいを出してくれていると聞いた。歓迎するとなれば、まるごと。それが韓国流なのだと同行の日本人から聞かされた。

聞慶は朴烈の生地ではあるが、文子は住んだことがない。しかし、芙江には7年間住んでいた。

文子は手記に書いているように、芙江では日本人が地元民を虐待し、差別してきたのをみている。普通に考えれば、いまも芙江に人たちは日本人がにくいはず、少なくとも良い思いはもっていないはずである。

なのに、われわれを歓迎してくれる。文子が暮らした足跡をいまも調べ続け、詳しく案内してくれる。芙江では、これまで地元出身の有名人がいないこともあり、文子をまちのシンボル、英雄として、広く知ってもらおうと力を入れているのだと聞いたが、日本ではありえないことだろう。

このことは、安重根義士記念館、西大門刑務所跡の展示を見ても感じた。日帝支配の歴史を忘れてならないと、生々しい展示に徹底している。学校でもこのことを教えているという。

なのに、われわれに対しては極めて友好的である。それは今回受け入れてくださった方々ばかりでなく、ホテルの人、レストランの人、おみやげ店の人、みなそのように思う。反日の人はいったいどこにいるの?

韓国人は国家として、日帝を憎んでいる。しかし、その場合の日帝とは為政者のことであり、日本国民一般ではない。そこをきちんと分けて考えている。なんと、心が広いことだろう。

逆の立場の日本人では、ありえないこと。日本が戦後アメリカに7年間軍事占領されていたこと(サンフランシスコ条約締結まで)とは、問題の深さが異なる。

日本は島国であった。しかし、韓国は、過去の歴史においても、周りの大国(中国)から干渉を受け続けた試練、苦難の歴史があり、いまも南北に分断されている。民族としての鍛えられ方が日本とは違うのだ。大人の対応だ。

私は韓国の人たち=反日、というイメージをずっともってきた。私には、過去の日本が与えた強制、迫害、差別への負い目がある。その裏返しと自己分析している。

しかし、今回の旅で、韓国の人たちの本当の心が幾分なりともわかったような気がする。だから、いま日本政府が仕掛けている対立の構図が許せない。

両国の歴史をきちんと学び、知り、真摯に向きあう。これが大事だと思う。知らないことは怖しい。

韓国の人たちは言っていた。いま、両国は対立しているが、私らの友好は深いし永遠であると。その通りだと思う。

いまの対立を早く克服できるよう、私も今回教えてもらった韓国の人たちに思いを、ひろく日本人に伝えていく努力をしたい。(終り)

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国民文化研究所 李鉉盆副会長


文子を追っかけ韓国日記(4)

4日目

金子文子関係のイベントは2日間で終わったので、この日はフリー。翌日の帰国は早朝便なので、残りは実質この日だけ。

私はかねてより、韓国に行くのならば、戦前、日本が支配した痕跡を訪ねたいと思っていた。韓国では、その時代の日本のことを日帝(日本帝国主義)と呼ぶ。

亀田さんと金昌徳さんが案内してくれるというので、最初に安重根義士記念館をお願いした。安重根(アン・ジュン・グン)は1909年10月、満州ハルピン駅頭で伊藤博文をピストルで銃殺した、韓国にとっての英雄である。だから「義士」とされている。(数年前、日本の菅官房長官は彼のことをテロリストと呼んだことは記憶にあたらしい。)

朝9:30、金さんがマイカーでホテルに迎えに来てくれた。記念館はソウルのシンボル南山タワーがある南山公園(丘)の一角にあり、20分で着いた。南山にはかつて日帝がつくった朝鮮神社もあった。

記念館入口には巨大な安重根の像がそびえている。安の書を刻んだ石もあちこちにある。館は2010年立て替えられ、4つの箱がつながったモダンな構造。

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入場無料に驚く。多くの国民が来やすいように。国の位置づけ。入口ホールにも白く大きな像。バックには、同志12人が指を切った血でかいた「大韓独立」の文字。

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安は名門の家に生まれた。教育家で軍人。抗日義兵闘争に参加。その生い立ちから、伊藤銃撃、裁判、31歳で死刑(殉国)にいたる過程が、写真、パネル、人形等で詳細に展示されている。

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一番衝撃的なのは、伊藤を銃殺する場面が再現されているところ。リアルである。

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幸徳秋水は安の「義挙」を讃える漢詩をつくり、安の絵葉書に書き添えた。絵葉書はサンフランシスコの日本人アナキスト(南繁樹ら)がつくったもの。秋水は最後に湯河原で拘束されたさい、カバンの中に、この絵葉書をもっていた。この漢詩を紹介した当時の韓国新聞(2010年)が展示されていた。

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この記念館に来たかったのは、こうした秋水とのつながりがあるからでもある。
秋水の思想は、その後、韓国独立運動家に影響を与えた。朴烈や金子文子にもつながっている。

高校生たちが課外研究で来ていた。私らが日本人であることに興味をもったらしく、なぜここに来たのかと聞かれた。安と秋水との関係を教えてやった。礼儀正しい高校生に感心した。

安は獄中でたくさんの書を残した。秋水が絶筆漢詩を遺したのと同じだ。また、自伝や「東洋平和論」も書いている。これも秋水に似ている。

旅順で行われた安の裁判には高知県人が多くかかわった。検事の溝渕孝雄、弁護士の水野吉太郎など。そうした関係から安の遺墨が高知県に残されていた。いまはこの記念館に寄贈されているときいている。秋水を含め、高知県とのつながりの重さを感ずる。そのあたりのことに詳しい学芸員は不在であった。

次に、西大門(ソデムン)刑務所跡に連れていってもらう。こちらは亀田さんの推薦。途中、車中からソウル駅の旧建物を見る。東京駅にそっくりであり、日帝建造とわかる。

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西大門刑務所は、1908年、日帝がつくった監獄。有料だが、65歳以上は無料。

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安重根は死して英雄になったので、まだ見やすいが、こちらのほうは日本人が見るには心がいたむ。一般囚人も入れられていたが、展示は、日本に弾圧迫害された韓国独立運動家たちのことが中心になっている。

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拷問が行われた部屋、処刑室(ギロチン)、犠牲者の生の写真、女性も多い。亀田さんによれば、政権が変わるごとに微妙に展示が変わるそうだが、もらったパンフにもあるように「韓民族の受難と苦痛を象徴した」、忘れてはいけない歴史として位置付けていることは不変であろう。

日本でいえば、広島の原爆資料館が同じような役割をもっているのだろうが、こちらのほうが、より陰湿であり、苦しい。

この建物は多くの映画やテレビでもロケに使われる。「金子文子と朴烈」の映画にも登場していた。朴烈の仲間が釈放されるシーンで。

このあと仁寺洞(インサドン)入り口で車を降ろしてもらい、金さんとお別れ。仁寺洞は東京の原宿のような通りで、いろんな店があり観光客に人気があるところとか。ここでお茶と軽い食事をする。土産物を買う。

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少女像(慰安婦像)は歩いてすぐ。斜め前が日本大使館。小雨が降ってきたので、少女はレインコートを着ていた。観光客らしきは私らだけで、みんな何も気にせずスイスイ通っていく。一般の韓国人にとっては日常風景なのだろう。

像の隣にテントが張ってあり、中に人がいるようだ。像を守っているのだそうだ。像には影も描かれていた。影のほうがインパクトがある。少女が生きているからだ。

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大きな通りを渡り、景福宮へ。京都の御所、東京の皇居と同じ。中に国立古宮博物館がある。

庭が広い。その中に、韓国伝統衣装をまとった女性が多い。みなレンタルだという。京都でもレンタルの着物を着てブラブラ歩いている若い女性をみかけるが、同じだ。

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博物館は無料。朝鮮王朝時代の展示が中心。日本は中国、朝鮮から文化が入ってきていることから、日本で見るものと、そんなに差はない。しかし、重厚、荘厳ではるかに深みがある。

雨が降ってきた。正面の大通りを歩く。世宗大王、李舜臣将軍(秀吉軍を撃退)の像は迫力がある。王宮を背景に、こんな見事なレイアウトの像は日本にはない。

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仁寺洞に戻り、夕食をとってから、ホテルにタクシーで戻った。(続く)

秋水、文子で日韓交流

7月23日、韓国聞慶市(ムンギョン)で開かれた金子文子追悼式に参加してきた。

きっかけは今年5月、韓国独立運動、アナキズム研究者の金昌徳(キムチャンドク)さんが幸徳秋水を訪ねて四万十市中村に見えたこと。秋水の自由平等思想は韓国独立運動家に影響を与えたという。

在日朝鮮人だった朴烈(パクヨル)とその妻文子は関東大震災の年、東京で弾圧逮捕され、大逆罪で死刑判決を受けた(無期懲役に減刑)。6月、四万十市と高知市で自主上映した韓国映画「金子文子と朴烈」で描かれた通りである。

文子の墓は朴烈の生地聞慶にあり、韓国独立のために闘った日本人として顕彰され、毎年命日、墓前で追悼式が開かれている。昨年、文子は韓国政府から独立有功叙勲も受けた。墓は朴烈義士記念館の敷地内にあり、2人の詳細な展示の中に秋水も紹介されていた。

いま日韓が対立しているように見えるが、それは為政者レベルでのことであり、しかも過剰に報道されている。

今回肌で感じたのは、韓国国民一般は日本に対して友好的であること。過去の歴史に関しても、為政者と国民を分けて考える冷静さと懐の深さをもっている。追悼式、交流会でも大変な歓迎を受けた。

韓国はかけがえのない隣国。日本国民としても冷静対応で、今後も継続的に友好交流を一層深めていくことが大切だと思う。


 高知新聞「声ひろば」投稿
 2019.8.2
高知新聞 日韓交流 2019.8.2

文子を追っかけ韓国日記(3)

3日目

聞慶のホテル9時発、バスで芙江(プガン)に向かう。いまの忠清南道世宗市(セジョン)芙江は、金子文子が幼少期暮らした地である。

母の実家山梨県牧丘町に暮らしていた文子は、1912年10月、父の妹が嫁いでいた岩下家の養女としてもらわれ芙江に渡る。10歳の時である。そして1919年4月まで約7年、ここで暮らす。

ここでの体験がのちに朴烈に接近し、一緒の活動に加わる原点になったとされる。日本による朝鮮支配や現地人差別の実態、3.1万歳事件も見ている。また、養女とはいえ下女のような扱いを受け、自殺までしようと追い詰められたことは、後に獄中手記「何が私をこうさせたか」にリアルに書いている。

当時も今も芙江地区の人口は約7千人で、当時日本人は約300人。300人で7千人をコントロールしていたのか。

バスで高速道路を1時間、最初に文子が通った小学校跡を訪ねた。いまの小学校と同じところに、日本人小学校と現地人小学校が隣り合わせてあった。

校長室に案内される。女性校長、村長、同窓会長、地元郷土史家らから丁寧な挨拶と説明を受ける。いまの学校建物裏にあったという昔の学校跡を案内される。広い校庭で全員写真。

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日本の憲兵隊がいたところへ歩く。いまは警察署になっている。文子はここで朝鮮人が憲兵隊にたたかれていた光景を見ている。警察署長が挨拶をしてくれた。

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芙江駅へ歩く。文子は釜山から列車に乗りこの駅に着いた。同居することになる父方祖母に連れられて。

駅舎は小さいが、ホームは広い。何本も線路がある。かつて芙江は京城への入口にあたり百済の時代からの交通、流通の要所であり、日本進出の拠点になったところ。大河錦江の水運、鉱山等で栄えた。広島出身の岩下家も一獲千金を狙って移住したのだ。

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錦江を見下ろす堤防に案内された。目の前に双頭の芙蓉峰そびえている。この山は、文子が住んでいた山梨県牧丘町から見える富士山とそっくりであるため、文子はこれを見て故郷を懐かしんだ。

山田昭次著「金子文子―自己・天皇制国家。朝鮮人」に当時のものとみられる古い錦江の写真が載っている。たっぷりと水をたたえ、湖か海の入り江ようだ。しかし、いまは上流にダム2つができ、水量は少なくなり、その面影はない。以前は、川の氾濫でたびたび芙江の町は水没したそうだ。

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ここから下流20キロのところに百済の都があった。また、下流100キロが白村江と呼ばれる河口であり、かつて日本軍が百済支援のため唐・新羅連合軍と戦い、大敗したところ(663年、白村江の戦い)。地元郷土史家から詳しい説明を受けた。

昼食は地元料理を出す食堂でいただいた。基本はビビンバだが、ソウルとは少し違う組み合わせ。野菜中心なので、昼でもドンドンお腹に入る。おいしい。

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案内役の李圭相さん(元村長、小学校同窓会長)が私財を提供して運営しているという三柳図書館も覗く。地元住民のコミュティーの場にもなっている。

日本でもそうだが、地元にこういうリーダーがいるところはまとまりがある。共生社会のモデル。すばらしい。

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午後は、文子が住んでいた岩下家の跡地へ。駅裏の少し小高い地点。いまも民家がある前の空き地がそこ。大木の根元には、家の土台に使われていたという石がころがっていた。ここからも芙蓉峰が遠くに見える。

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岩下家はこの地で高利貸しなどをしてかなりの蓄財をしたが、文子が日本に帰され、のちに逮捕されたあとは、ここにはいられなくなり、どこかへ引っ越したそうだ。

そのまま歩いて近くの古民家に案内される。土壁があり、かつての有力者の屋敷のよう。入口に近づくと、われわれツアーを歓迎する横断幕をもって人が立っている。驚いた。家のつくりは中庭に井戸があり、日本の屋敷に似ている。同じ文化だから当然か。

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スイカや饅頭のごちそうが並んだ座敷に案内されると、待っていた世宗市議会議長が歓迎のあいさつ。内容は、本市は人口31万人の行政都市であり、国の行政機関が移転、将来は国会議事堂も移されるだろうとPR。

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続いて軍人(近くに基地がある)、僧侶も。いま日韓関係がおかしいが、人の心は同じ。いま一緒にいることに意味がある。これを縁に両国の関係もよくなるだろう。よい思い出をもって帰ってほしい。広い、心だ。涙がでそう。

韓国伝統楽器の奏者2人の男女(有名な人とか)が紹介され、演奏を披露。日本でいえば、琴、笛、太鼓、胡弓。締めは、日韓でアリランを合唱。

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次に一人の男性が立ち上がり、民謡らしきを身振り手振りで歌い、披露。庶民が宴席で踊るもののようで、日本の「にわか」のよう。歓迎のしるしだ。

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この歓迎の席は地元の実業家がすべての費用を出し提供してくれたものという。
会場の古民家も実業家の所有。その人とも名刺交換をしたが、ハングル語で書かれているので、ここには紹介できない。はたしてこんな実業家が日本には、高知県にはいるであろうか。韓国実業家の太っ腹に驚いた。

日本人10人を代表して小澤さん(金子文子研究会)がお礼の挨拶。

帰りに、全員で写真。両手を頭の上にのせるのは韓国流。「金子文子、愛しているよ」の掛け声のあとで、このポーズ。横断幕に、実業家の会社名が書いてある。

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このあとは駅前のバスに戻り、16時ごろ、ソウルへと帰途につく。約1時間半で、前日の朝、出発した地点に戻り着いた。

ここで解散かと思ったら、最後に簡単な夕食をという。おもてなしが徹底している。韓国風中華料理店で、みなでテーブルを囲む。国民文化研究所の現会長巖東一さんもみえた。

隣席になった小澤さんから、前の日、聞慶文化院での交流会で観光政府から受けた文子への感謝牌を見せてもらった。

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このツアーの一番の長老で、国民文化研究所元会長の李文昌さんと二人で記念写真。李さんの自宅はわたしらのホテルと同じ方向だというので、4人で同じタクシーに乗り、ホテル前で、李さんとお別れをした。(続く)

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文子を追っかけ韓国日記(2)

2日目。
 
朝6時半曇り、聞慶行きのチャーターバスが出るという、郊外の集合場所に向かう。亀田さんと、タクシーで40分ほど。

あちらこちらから人が集まってくる。みなさん、や~久しぶりという感じで挨拶をしている。メインは国民文化研究所のメンバーのよう。

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金昌徳さんと2カ月ぶりに握手。元会長、かくしゃくとした93歳の李文昌(イブンチャン)さんほかとも名刺交換。総勢40人ほどか。女性も10人ほどいる。

うち日本人は、以前から交流を重ねている山梨県(牧丘町に母の生家があり、文子も幼いころ暮らす)の金子文子研究会4人+そのつながりで3人+われわれ3人=計10人(男女各5)だ。私ら夫婦以外は、それぞれ顔なじみの常連さんのよう。

バスに乗り込み8時ごろ出発。事務局らしき方がマイクをもってスケジュール等の説明をしているようだが、通訳がないのでわからない。そのうち、私も紹介されたので、頭を下げた。朝食用に、パンとペットボトルのお茶が配られる。

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通勤ラッシュで道が渋滞する中を割り込んでバスは進み、高速道路に入る。ガンガンスピードをあげる。

李文昌元会長がマイクをにぎり、文子の墓の歴史を話はじめる。文子の墓は山中の草に埋もれ、忘れられかけていたが、1973年、瀬戸内晴美が小説「余白の春」を書くため取材で墓を訪ねてきてから、これではいけないということになり、2003年、朴烈義士記念公園の造成に合わせて、現位置に移転をした。

ドキリとしたのは、通訳の高齢女性が何かを日本語で話している時、「天皇陛下」という言葉を繰り返した。すると突然、バス後方の男性がどなるような大声をあげた。

あとで聞くと、同行の男性新聞記者が「陛下」という表現は間違いだ指摘したのだそうだ。「陛下」とは「ぬかずく」という意味があり、韓国にとっては屈辱的な言葉なのだ。

通訳女性は20年間くらい日本で暮らしたことがあるというので、つい日本人感覚でそう言ってしまったのだ。言葉の意味も考えず、無感覚になっている私自身を指弾されたように思った。

所用時間2時間。慶尚北道、聞慶市は観光で有名な山の中の小さな市(人口7万人)。高速インターを降りて少し走ると追悼式会場に着いた。10時過ぎで約2時間。まわりはリンゴ畑がある山村だ。

朴烈が生まれたこの村に、朴烈義士記念館が2010年完成し、その敷地内の小高い丘に文子墓がある。朴烈生家跡も復元されている。

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墓前にはテントが張られ、100人ぐらい集まっていた。10時開式のところ、バスが少し遅れたので待ってくれていた。ただちに始まる。私も胸に黒い喪章をつけてもらい、2列目のイスを指定された。

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最初に、韓国国旗の前で国歌斉唱。主催団体の社団法人朴烈義士記念事業会・朴仁遠理事長(元市長)があいさつ。続いて、市長(代理・副市長)、議長、金子文子研究会代表(小澤隆一氏)。その後、順次菊の花を献花。私も紹介され、献花をした。

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墓所そのものは四角の石枠に土を盛り上げただけ。その前の祭壇はぬかずくように低い。果物が並べられている。韓国伝統様式で、無宗教のよう。僧侶のような人はいない。そばに墓石が建っているが、前に花輪が並んでいるため、よく見えない。

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式は30分ほどで終わり、われわれは記念館に歩いて移動。山のふもとに屹立する立派なものだ。途中に、朴烈記念碑もある(墓は北朝鮮)。

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記念館内の展示は、おおむね1F金子文子、2F朴烈。文子の位置づけの高さがわかる。

文子の展示は詳しい展示で、亀田さんも協力したという。これほどの展示は日本にはない。文子は日本よりも韓国で評価されている。監獄、裁判のもようの蝋細工もつくっている。

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展示の中に、幸徳秋水の写真と記述があったが、そう大きなスペースではなない。
時間がなく、昼食は急いでここでビビンバをいただく。ゆっくり展示を見れなかったことが心残り。

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市の中心部にバス移動。市立文化院(文化センター)ホールで、記念式に参加。
13時開会。冒頭、昨年11月、韓国政府から文子に贈られた独立有功メダルと証書を、文子遺族(母の兄の孫)が記念館に寄贈し、そのお礼に記念館から感謝牌を贈るという、交換セレモニー。日本側小澤代表と朴理事長が握手を交わしたところで、多くの報道陣のカメラが集中した。これがきょうの最大イベント。

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そのあと、突然美人が登場してマイクをもって話だした。唖然とした。映画で文子役を演じた女優チェヒソだ。途中目がウルウルになった。なんだろう。後で聞くと、映画に出た時は文子のことをあまり知らず、監督が言うがままに演じた。しかし、あとになって文子の偉大さがわかり、感動いているということだった。映画ではそう特別には思わなかったが、美人である。日本にはこんな美人女優はいない。

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チェヒソは、一般的な映画やテレビには出ないそうだ。インテリジェンスのある作品にしか。だから、だれもが知る女優ではないと。それがいいと思う。文子には、安っぽい演技はしてほしくない。

続いて、研究者4名による発表とシンポジウム。金進雄、金明燮、亀田博、金昌徳の各氏。亀田さんは日本語なのでわかったが、他3人は翻訳サポートが不十分だったので、ほとんど理解できず残念。

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報告の要旨は、映画だけでは文子はわからず、虚無主義ではない文子の真実に迫ってほしい。二人の活動は東京だけではなく、世界的視野で考えることが重要・・・などらしいが、発言資料が配られたので、これの日本語訳がほしいものだ。

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休憩後、小澤さんによる文子の歌(短歌)の朗読。

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次に、文子をたたえる市民コーラス。

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さらに、サンド(砂)アート。プロジェクターを使って、砂で人物や景色を描く。はじめてみたが、すばらしかった。日本でも、やる人はいるのだろうか。

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16時終了。

盛りだくさんの内容であったのに、一般市民らしき人の参加は少なかった。ホールも空席が目立った。聞くと、市としては特に動員はしていないので、よほど関心がないと足を運ばない。映画で急に有名になったとはいえ、田舎町の聞慶では、まだ知る人が少ない。ソウルからのバス参加者がいなければ、もっと寂しかっただろうとのこと。

しかし、翌日の新聞(韓国中央日報)には、記事が掲載されたとのこと。よかった。二人の名前がどんどん知られてほしい。

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ソウルのホテルのフロントの若い男性に、映画とチェヒソ、金子文子を知っているかと聞いたら、知らないとの返事。まだまだ、これが客観的な現実なのだろう。

またバスで移動。観光地のドライブインのようなレストランで、早い夕食。記念館の事務局長も参加してくれた。焼肉で乾杯交流。

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そのあとさらにバスで山の奥へ。リゾートホテルのような立派なホテル。チェックインしたあと、夕暮れ迫る中、みんなで緑とせせらぎに沿って散歩道を歩く。日本でいえば軽井沢か。

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古城跡があちこち。時代劇のロケをするスタジオも。日本で放送されている韓流時代劇でよく見るシーンもここで撮影されているとか。なるほど、そんな雰囲気だ。

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今朝も早かったので、クタクタに。2次会は遠慮をして、20時にはホテルに帰った。(続く)

プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
フェイスブック(FB)もしています。

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