タカクラ テル

タカクラテル(高倉輝1891~1986)という人物を、一言では紹介しにくい。文学者、作家、言語学者、農民運動指導者、政治家、と多彩な顔をもつ。

20170924211409955.jpg

両親は幡多郡大方町(現黒潮町)の人で、本人も小学校までここで過ごし、宇和島中学、三高(京都)、京都帝大文学部に進む。上田敏、新村出らの指導を受け、大学に残るが、その後、信州上田の自由大学に共鳴し、農民や労働者の中へ。小説は「箱根用水」「大原幽学」が代表作、戯曲も多い。戦中、投獄経験をもつ。

戦後は、長野県から国会議員にもなった。その後は、東京都昭島市で文筆生活を送った。

こんな経歴であるから、知る人ぞ知る、であるが、地元では意外に知られておらず、なじみが薄い。主な活動舞台は、京都、長野、東京だからだ。

地元でももっとテルのことを知ってもらおうと、2年前、大方あかつき館(上林暁文学館)が、企画展をおこなった。

黒潮町浮鞭に「タカクラ」と刻んだ高倉家墓があり、テルもここに入っている。

今年3月、長男の太郎氏が91歳で亡くなった。太郎氏はロシア語学者で翻訳も多い。

9月23日、太郎氏の納骨に節夫人がみえられた。地元には親族の者はいないので、あかつき館関係者がお世話をするというので、私も立ち会わせていただいた。

20170924211445256.jpg    20170924211450edb.jpg
  
墓の扉を開き、花を差し、線香をあげ手を合わせ、納骨はつつがなく終わった。
その後、墓の下の国道脇に10年前建てられた顕彰碑(文学碑)にも案内した。碑には「あらしはつよい木をつくる」と刻まれている。

 201709242114435cf.jpg

節夫人には大勢の同行者があった。総勢18人。高知空港からレンタカー3台で見えられた。節夫人が活動されている「三多摩車人形を育てる会」のメンバーが大半で、ほかにご近所づきあいの方々も。

車人形とは三多摩地方に伝わる郷土芸能で、人間が車に腰を載せてすべるように動き、手で人形を操作するというもの。夜、中村のロイヤルホテルで開かれた地元との交流会で、ご披露くださった。

題目は「新曲まんざい」というタカクラテルが書いた人形芝居。三味や箏をバックに謡もつくという、大掛かりな仕掛けで、驚いた。人形劇ときいていたので手先か指先だけでおこなうものとばかり思い込んでいたが、人形浄瑠璃と似たものだった。こんなの本格的な人形舞台は、はじめて見た。

 20170924211449817.jpg    201709242252545ab.jpg

テルのふるさとのわれわれに、テルの作品を見てもらいたいという、一行の熱い心遣い、ご厚意に、ただただ恐れ入るばかりであった。

ホテル裏にある幸徳秋水墓にご案内した。そこで、こんな話をきき、これも驚いた。タカクラテルと幸徳秋水は互いの母同士に行き来があり、遠い親戚関係にあったらしいというのだ。

このことについてふれたテルの文章も教えてもらった。また、秋水母多治の葬儀のさいにはテルの母が悔やみに来たと、幸徳富治(秋水の甥)が書いたものがあることも。文章は両方とも、すぐに確認できた。

大逆事件再審請求裁判を1960年、坂本清馬がおこしたさい、その支援組織としてつくられ、いまに続いている「大逆事件の真実をあきらかにする会」の結成呼びかけ人にテルの名前があり、また翌年、中村で「幸徳秋水刑死50周年記念大演説会」が開かれたさいも、弁士として来ている。

こうした行動の背景には、遠い親戚同士であったという思い入れがあったのかもしれない。

ただし、親戚といっても具体的にどういう関係であったのかということははっきりしていないという。

興味あるテーマであり、両家の家系等をこれから詳しく調べてみることにしたい。
いろんなことを教えてもらった一行には、心から感謝したい。

大義と打算

衆議院は選挙で負託を受けた議員によって構成され、任期中その役割を果たすことが義務付けられている。しかし、やむを得ない事情があれば、その解散権は首相にある。

これまでも、いろんなタイミングで解散が行われてきたが、今回ほど、打算に満ちた党利党略の解散はなかった。

先の通常国会では森友・加計問題がとりあげられ、アベ首相は十分な答弁ができなかった。真相不透明のままだ。世論調査でも、国民の大半は納得できないと答えている。だから、首相は、これを詫び、今後丁寧に説明していくと表明した。

ところが、この約束に反し、野党側が早期の開催を求めてきた臨時国会は開催を先送りし、やっと9月28日開会となったとたん、解散だ。

このところの、民進党の混乱に加え、北朝鮮情勢から、いまなら勝てそうだと、起死回生(のつもりで)の策に出たのだろう。

ところが何を争点にするにか、いまだ自民党ははっきりしない。解散当日の首相演説もしないという。

こんな無責任な解散はない。
国民をバカにしている。
選挙を愚弄している。
どんな手段でも勝てばいいという。

選挙の真の目的は勝敗ではない。
争点を示し、国民の声を聞くことが第一だ。
それが選挙の大義というものだ。
勝敗はあとからついて来る。

アベ首相は、いまなら勝てると読んでいるのだろう。
しかし、今回は自分が仕掛けたように見えるけれど、森友・加計問題で追い詰められ窮地に陥ったことが背景にある。

今回の選挙は与党、野党の対決ではない。
与党と国民(民意)の対決だ。

国民の総意で追いこみ、アベ政治に終止符を打とうではないか。

四万十川と舟

台風18号による四万十川出水はここら下流域ではたいしたことがなく、被害もほとんどなかったことから、ホットしていたが、上中流域では死者行方不明が3名でているということで、驚いている。

いずれも川に流されたようだ。上流のほうでは、かなり集中的に降ったようだ。

うち1名(西土佐)は、所有の川舟が気になるからと、川に見にいってから、そのままになっている。捜索が続けられている。

川舟が絡んだ、このような事故は以前から繰り返されており、四万十川特有といえる。2年前も同じ西土佐で1名が行方不明になり、いまだ発見されていない。

なぜ、たびたび事故がおこるのか。それは、川舟が多いからだ。四万十川流域に生活する者にとって、昔から川舟は切っても切り離せない生活用具である。

アユやウナギ、エビをとる川漁のために。
さらに、ここら下流域では、冬場の青ノリをとるために。私の実家にも一艘ある。

いまはほとんどイグサはつくっていないが、かつては対岸の河原にイグサを運び天日で乾燥させるためにも、舟は欠かせなかった。

川が生活の一部になり、川がわれわれの生活を支えてくれていた。
だから、舟はいまでいえばマイカーと同じであり、台風などで出水する時は、あらかじめ適当な場所に避難させ、縄でしっかりと岸につなぎ留めなければならない。

それでも、舟のことが気になり、ちょこちょこ川に見に行く。そんな気持ちはよくわかる。

四万十川ほど、流域の人々の生活と密着した川は全国にもないだろう。
しかし、母なる川でも突然牙をむく。

川とのつきあい、折り合いはうまくしないと。
悲しい事故である。

幡多の昭和 記憶から歴史へ

このほど「写真アルバム 幡多の昭和」が発刊された。昭和の写真がふんだんに掲載され、A4版263ページ。写真提供、執筆もほとんど地元であるが、出版社は名古屋の樹林舎で、かつ税込み9990円は高価なことが、ひっかかったが、1冊購入した。

ちょうど10年前にも、「目で見る 幡多の百年」(B4版148ページ、11550円、長野県松本市 郷土出版社)も出版されている。

二つの写真集は、ふるさとの歴史と生活を振り返るという編集目的は同じであり、実際、執筆陣もかなり重複している。しかし、異なるのは、前回は明治、大正時代をも対象にしているのに対し、今回は昭和に絞ったこと。それと、当然ながら、あれから読者が10歳、年をとったということ。

その読者の一人である私は、今回、深く考えさせられた。身につまされる思いである。

というのは、前回掲載された写真のほとんどは、昭和28年生まれの私の体験、記憶がない時代のものである。

過去の写真の中には、これはいまのあの場所だなとわかるものあるが、その時代自分はいなかったのだから、過去の記録としての意味しかない。

だから、それらの写真を見ることは、自分が知らない新しい知識を得ることと同じである。ああ~あんな風景だったのだ、と。

しかし、今回は、私が自ら体験した写真がたくさん載っている。昭和38年台風9号、昭和39年東京オリンピック、昭和52年中村高校24の瞳、昭和30~40年代の中村の町、県交通バス・・・などなど。

自分の記憶に刻まれた風景であるから、ジンと懐かしさを覚える。あの時、自分は何歳で、何をしていたか、鮮明である。

しかし、いやだからこそ、あれから何年たち、いろんなことがあり、自分も年をとったな~、と、感慨というか、複雑な気持ちになる。この間、自分はどれだけ成長したのだろうか、社会の役に立つようなことでもできただろうか、と反省と懺悔を迫られるような気持にもなる。

記憶から歴史へ。
自分が体験した写真が本になるということは、個人的な記憶や体験が客観的な歴史になるということである。
平成生まれの若者たちにとっては、これらの写真は過去の記録=歴史なのだ。

今回の写真集を見ると心が重くなる。
いま自分が生き、していることが記録や歴史になる。自分はあと何年生きられるか、その間、何ができるのかというプレッシャーを感ずる。

201709141530480d4.jpg    20170914153102c49.jpg

 20170914153106437.jpg    20170914153105ea1.jpg

 20170914153105ca6.jpg    201709141531542ec.jpg
        


 

 
  


 

 
        

神様の結婚式

「神様の結婚式」といわれる不破八幡宮秋の大祭が来週9月16、17日開かれる。

去年までは、10月第2土日に開かれていたが、他の地域行事と重なるのを避け、今後は9月の敬老の日の前日の土日とした。

不破の八幡さんの祭り、といえば私が子供のころは、たくさんの人出で賑わっていた。しかし、近年は、めっきり少なくなった。その人出を少しでも、呼び戻そうというのだ。

同神社は一條家が京都の岩清水八幡宮から勧請したもので、祭りは当時幡多地方で横行していた略奪婚などの蛮習を戒めるために、人の結婚式の厳粛さを示したものとされている。詳しくは、このブログ 2013.10.14 に書いている。

県内神社では最古で、国重要文化財に指定されている社殿の一部が去年から今年にかけて、20年ぶりに保存修理がおこなわれた。

また、地元の今の子供たちにも不破の八幡さんのことを知ってもらおうと、中村商工会議所が中心になって、マンガを使った紹介冊子を作成した。

いま県下で開かれている幕末維新博では、本市は「四万十川と土佐一條家からはじまる小京都物語」をテーマにした展示を公民館にしている。

ぜひ、多くの方に祭りに来てほしい。

20170909110959268.jpg
プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR