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高知新聞の知事選報道

尾﨑知事が12月6日退任した。きょう7日付高知新聞は、第1面に「新たな道切り開いて」「尾﨑知事 県庁に別れ」の見出しで、花束を持って手を振る写真を載せている。

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8月21日、尾﨑知事が記者会見をし、4選不出馬、国政転身を表明してからの「狂騒」も、これでひとまず終った。

この間の動きの主役は一貫して尾﨑知事であり、「尾﨑の乱」と言われるように、名実ともに自作自演のひとり舞台であった。

高知新聞はさまざまな角度から記事にした。地元新聞にとって4年の一度の知事選挙は最大イベントであるから、これは当然のことであり、しかも過去2回の知事選は無投票であったことから、なおさらのことであると思う。

いま改めて、この間の高知新聞の知事選挙関連記事を振り返ってみると、これでもかというほどに、何度も連載が繰り返されるなど、記事の量は膨大である。私は、これは異常なほどであったと思う。

通常の記事と異なり、各種選挙関連記事となると、記事の内容は「公平」でなければならないのは当然である。記事の中で有権者が投票するさいの判断材料を提供するのはいいとしても、特定候補に肩入れをし、投票を誘導するようなことがあってはならない。

今回の知事選挙を振りかえってみれば、主役はもう1人いた。それが高知新聞である。

高知新聞はそれを意図していたかどうかはわからないが、結果として、尾﨑ひとり舞台を見る客を集めるための動員に大きな役割を果たしたことは間違いがない。高知新聞が「尾﨑正直物語」をクローズアップする「流れ」「世論」をつくった。選挙争点においても知事側が言うのと同じ、「継続か転換(混乱)か」、を拡散した。

以下に、この間の高知新聞主要連記事をのせるのでごらんいただきたい(これ以外にも、たくさんあるが省略)。最後(末尾)の11月5日記事は「評価 時代が求めた役割果たす」とあるように、尾﨑礼賛でしめくくっているのが、象徴的である。


10.5~10.18
検証・尾崎県政 第1部 浮揚へのイムズ

1. 転換 理念から実利追及へ
2. 政治基盤 相乗りと「武大清桑」
3. 対県議会 総与党化で「1強」に
4. 計画づくり 凡事徹底 仕事の「型」に
5. 牽引 率先垂範で堅調に疲弊も
6. 怒れる知事 周囲突き動かす
7. 地震対策 想定との闘い 妥協なく
8. 学力重視 教育現場に成果求め
9. 政策提言 県益獲得へ現実主義
10. 対市町村 積極関与し戦線拡大
11. 懸案処理 県民への説明 主眼に
12. 人口減 地方の底上げ 道半ば


10.22~11.2
検証・尾崎県政 第2部 産振レガシー 計画10年

1、 地産外渉 上 「どぶ板」と「飛ぶ営業」
2、  同   下 問われ続けるコスパ
3、 人材育成 学ぶ機会全国一目指し
4、 輸出 「YUZU」で手法確立
5、 高知家 県民性の本質突く
6、 観光 「博」重ねノウハウ蓄積
7、 進取性 強味発揮へ独自の挑戦
8、 移住促進 人生の決断に数値目標
9、 ものづくり マッチング苦戦でも・・・
10、 地域ビジネス 上 ヒトもカネも出す
11、   同    下 「県主導」の功と罪
12、 庁内 政策作りの「型」根付く

11.3~11.5
‘19高知県知事選 12年ぶりの「選」

1、 上  ポスト尾崎 路線継承か、転換か
2、 中  浜田陣営 与党が支える「後継者」
3、 下  松本陣営 広田氏軸に野党共闘


11.14~11.21
‘19高知県知事選  高知県の「現在地」 県政課題ポイント解説 

1. 財政 国の支援受け積極型
2. 地震対策 「犠牲者ゼロ」へ課題多く
3. 人口 「社寄増減ゼロ」難しく
4. 高齢者医療 「2025」へ対策急務
5. 少子化 産み育てられる環境を
6. 不登校 特効薬なく模索続く
7. 県内総生産 人口減下の拡大続くか


11.22
‘19高知県知事選
集活センター58カ所に 交流、活力創出に一定効果 補助金頼み、自立へ人材難

橋本大二郎前知事に聞く


11.27~11.30
継 ダブル選総括 2019知事選・高知市長選

1. 令和決戦 新時代のリーダー像は
2. 後継者 尾崎氏前のめりで信任
3. 野党勢 共闘の限界超えられず
4. 5氏乱立 現職多選批判かわす(高知市長選挙)

12.1~12.5
検証・尾崎県政 第3部 あの日あの時 記者座談会

1. 静寂からの船出 1期目 追い風逃さず好発進、学力で「成果」急ぐ
2. 懸案対応 「積年の課題」で手腕
3. 素顔 職員動かした「熱」、「情」優先した判断も
4. 尾﨑流 「弱みを強みに」の論法
5. 評価 時代が求めた役割果たす、4選不出馬は賢明?


尾﨑県政は県民の評価が高かった。県政満足度は選挙期間中89%であったことに示されているように、これも異常な数値である。一連の記事は、その背景、理由を解析するような形で編集されている。産業振興計画、観光、高知家・・・など。

しかし、私からみれば、確かに数字でみれば、成果が表れているように見えるものも多いが、しかし、全国的な水準、位置からみる限界等については、堀下げが甘く、県が発表している資料、データを書き直したようなものがほとんどであり、もの足りない。

私はこの間、四万十市長を経験した。地方自治の基本単位は市町村、地域住民を最終的に守るのは市町村であり、県ではない。この間の尾﨑県政により、市町村の自主性は弱体化、県の出先機関化し、「県庁栄えて市町村枯れる」を実感したことから、10月7日、高知新聞「所感雑感」欄に、「尾﨑県政12年を問う」を投稿した。

この記事は掲載されるか不安であったが、そのまま載せてくれた。しかし、私の主張は、「尾﨑正直物語」の洪水に呑み込まれてしまった。

私は尾﨑県政の功罪のうち「功」は、すでに「物語」とされ、さんざん書かれているような数値(過剰表現はあるが)であったと思う。これは率直に認めなければならない。

しかし、「罪」も多い。私はその最大のものは、国→県→市町村→個人という、中央主権的なヒエラルキーをつくる立役者になったということであると思う。

国の方針に従い、市町村や個人をコントロールする体制をつくったということである。高知家キャンペーンがそれを象徴している。「高知県は一つの大家族ながやき」ということは、家長(知事)のもとに、みんなまとまれということ。市町村や個人の個性や自主性は抑圧され、県の意向に従えということ。そこには「個」を育てるという視点はない。

私はそれを自分の選挙で体験している。再選をめざす2013年四万十市長選挙に尾﨑知事が突然介入、牙をむいてきたからだ。大義名分を示さないままに。

同じようなことが2016年香南市長選挙でもあり、こちらは知事が「個人的に」親しかった現職が劣勢なのをみて、参戦した。

香南市長選挙については、高知新聞の記者座談会(12月3日)では、理(大義名分)ではなく「情」を優先した判断であったと、美談風、免罪的に書いている。

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しかし、こうした「理」のない介入こそ、尾﨑県政の狂暴、独裁的な体質を示しているのであり、高知新聞が堀り下げるべきであった。

選挙後の「検証第3部記者座談会」は、まるでお仲間同士が勝利の余韻にふけっているようである。

また、投票日の2日前(11月22日)の記事もひどかった。2日前といえば、無党派層など、どちらに入れようかと迷っている人たちが最後に意思を決める時である。

そんな日の社会面に、「集活センター58カ所に」「交流、活力創出に一定効果」と58カ所の一覧表までのせた記事を書いた。集落活動センターは尾﨑県政の目玉政策の一つであり(私は投稿でその問題点を指摘している)、その実績をわざわざ紹介してやった。最終盤で浜田陣営に有利に働き、ダメ押しになったと思う。

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私は第2次安倍政権誕生以降、特に全国紙劣化が目をおおう状況の中で、地方紙、特にわが高知新聞は健闘をしていると評価し、誇りに思ってきた。

しかし、今回知事選の一連の報道は、社会の公器(木鐸)としてのジャーナリズムの役割を逸脱したものであり、高新どうした、これから大丈夫か、と大いなる不安を覚えた。

尾﨑知事の異常

高知県知事選挙が終わった。勝ったのは、自公と尾崎知事が支援をした前総務省官僚浜田省司氏だった。

選挙結果の分析、評価は、新聞等でいろいろ書かれている。その中で、勝敗を分けた大きなポイントになったのは、尾崎知事が全面的に浜田候補を応援したこと、という見方では共通している。私もそう思う。この点に絞って書きたい。

私はこの選挙の主役は尾崎知事であったと思う。さながら自作自演のひとり舞台であった。

今年8月、自らは4選不出馬と衆議院高知2区に自民党から出馬を目指すことを表明。併せて、後継候補に浜田氏を指名した(自分一人で決めた)。

尾崎知事は、過去2回無投票で続投してきたように、「県民党」的な、幅広い支持があった。しかし、今回は、自民党にひた走り、選挙本番では公務を放り出した形で浜田候補を応援した。録音テープも各戸に電話で流した。おそらく、過去の全国の知事選挙でも、これほどまでに現職が後継のために「矩(のり)を踰(こ)え」、動いた例はないのではないだろうか。

選挙結果を受けた26日の記者会見では、11月7日告示から24日の投票日まで、土日を除く平日12日のうち10日は公務をしたと開き直っているが、高知新聞の知事動静欄を見ればわかるように、その10日の記載はわずかで、少しだけ県庁に顔を出してから、内部協議だけすませ、応援に駆け付けたことが明らかである。

公務の合間に応援をしたのではなく、応援の合間に少しだけ公務をした、というのが実態である。

応援スタイルも、屋内の集会でマイクをもつだけでなく、腕に運動員の腕章をまいて、歩道から街頭宣伝も行っている。知事がそこまでやるのか、と誰もが思うような、異常、異様な光景であった。

尾崎知事のこうした行動をみて、「本性が現れた」という見方が多かった。

しかし、私にはそんなことはわかっていた。尾崎知事はそんな人物であるということが。みんなが抱いているような幻想はもっていなかった。私は、6年前、「本性」を目の当たりにしているからだ。

というのも、尾崎知事は私が再選をかけた2013年4月の四万十市長選挙に乗り込んで来て、相手候補(現中平市長)を応援したのだ。

相手チラシには、両者肩を組んだ写真を載せた。(今回も浜田候補もそっくりの写真を使っていた)。

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相手が市立中央公民館で総決起集会を開いた日、知事は午前中、私も出ていた幡多の首長らが集まった観光振興のための会議に出たあと、宿毛市方面で他の公務をこなしてから、夜の集会に臨み、壇上からマイクで「現市政とは連携が十分とはいえない」と言って、ガンバローとこぶしを挙げた。

尾崎知事 中平写真

この日は、昼は公務であっても夜は明らかな政務。なのに、公民館に公用車で乗り付け、公用車で帰っていった。政務に公用車を使ったのだ。

こうした知事の行動は、本来公平であるべき市町村の選挙に介入したものとして、「やりすぎ」という批判が出た(新聞投書も)ことから、知事は記者会見で「今後は原則としてかかわりません」と弁解、約束した。県議会答弁でも同じように答えた。

しかし、尾崎知事は、3年後の香南市長選挙でこの約束を破った。この時は、自分の最初の選挙で世話になった(後援会事務局長)元県議の現職を応援したのだ。劣勢の中、「知事効果」で勝った、と高知新聞に書かれた。

この二つの選挙については、すでにこのブログで書いているので、詳しくはこちらを読んでいただきたい。
→ http://hatanakamura.blog.fc2.com/blog-entry-264.html

私は負けたから書くのではない。私が言いたいのは、知事が市町村長選挙に介入した大義名分は何だったのかということだ。

知事も26日の記者会見で言っているように、知事も政治家であるから、自分の政治主張をすることはかまわないし、選挙の応援をすることも許される。それはいい。

しかし、議員とは違い、首長となると、地域住民の生活を左右するような強大な権限(執行権)をもっている。だから、大義名分がない限りは、他の選挙に介入することには、抑制的であるべきである。

大義名分がある場合は別である。例えば、沖縄において、知事が市町村長選挙にかかわる場合である。辺野古基地問題のように、県政(国政)の争点と密接につながる争点がある場合である。県の問題と、市町村の問題が密接につながっているからだ。

では、四万十市、香南市の市長選挙にそんな争点あったのかというと、なかった。

四万十市では、現職市長(私のこと)とは連携がとれていないといわれたが、私には何のことかわからなかった。知事も具体的なことは、何も言わなかった(言えなかった)。

香南市の場合もそうだ。県が絡む争点はなかった。

要は、四万十市の場合は、漠然と私のことが気に入らなかった、香南市では、現職市長が「お友達」だったから、ということ。個人的な「好き嫌い」のレベルだったのだ。

今回の知事選もそうだ。浜田候補は自分が頼んだ候補であり、自分の政策を引きついでもらえるから、つまりは親しい「お友達」だから、懸命に応援したのだ。

しかし、これが大義名分だろうか。

松本けんじ候補にしても、尾崎県政のいいところは引き継ぐと公約で言っていた。尾崎知事は「継続」か「中断」を争点にしたかったようだが(マスコミもかなりそれに引っ張られたことは問題)、本当の争点は「国とのかかわり方」であった。

自分の後継を決める選挙だから公務を事実上放棄してまで応援をしていいのか、それが大義名分になるのかというと、ならないと思う。

自らが4選をめざし、自ら動くのは当たり前だが、自分がやめたあとの選挙はもはや「自分の選挙」ではない。ましてや、今回は、事実上、自分の12年間の評価を問われる選挙であったのであるから、厳粛に県民の審判を受ければいいのである。

なのに、候補者顔負けのようにマイクをにぎり、自分はこんなに実績をあげたなどと、自慢ばかりをしていた。自分の評価は他人(有権者)がするものであり、自分で自慢ばかりするのは、ひんしゅくである。

それでも、自分の後継を決める選挙だから、ある程度のかかわりをもつことは心情的にやむをえない、許される面はあるだろう。

しかし、「矩(のり)を踰(こ)え」てはならない。

背景には、今回の選挙結果は、次の自分の選挙(衆議院高知2区)につながることがある。半分以上は自分の選挙として動いていたのだと思う。自分の選挙の事前運動的位置づけだったのだろう。

人間だれしも自分がかわいい。
しかし、知事のような公人は、「自分のため」「お友達だから」は抑制しなければならない。今回の場合、自分が知事をやめてから存分に動けばいいのである。

今回は、どっしり構えていればよかったのに、余計に動いたことで、中立的な立場の県民にも失望、失笑を与え、自分の選挙にもマイナスになったと思う。これまでの相対的に高い評価を自ら貶めしまった。

人間、我欲に走ると自分を見失う。
もって銘すべき。

小沢一郎 秋水墓参

11月20日、小沢一郎(現・国民民主党総合選挙対策本部長相談役)が幸徳秋水墓参をした。

小沢さんはいま行われている高知県知事選挙の野党統一候補松本けんじの応援のために高知県に入ったのだが、午後1時高知空港に着くと車で宿毛に直行。同じく政治家だった父佐重喜と縁の深かった林譲治(吉田内閣で副総理、衆議院議長)の墓参をした。高知市にUターンする途中で幸徳秋水墓に立ち寄った。

小沢さんには盟友の平野貞夫さん(元自民党参議院議員、土佐清水市出身)が同行。平野さんは秋水顕彰会会員であることから、小沢さんに秋水墓参を勧めてくれたのだ。

私はこのスケジュールを事前に平野さんからの電話で聞いていたから、宿毛で待ち合わせ。私の車で先導し、日も落ち、薄暗くなりかけた夕方5時、正福寺に着いた。顕彰会宮本会長ら6人が出迎えた。

私は小沢さんに大逆事件と秋水について簡単に説明。隣の坂本清馬墓や地元顕彰活動についても加えた。

小沢さんは、ふむふむといった感じで黙って聞いていた。秘書がもってきた花を墓前に差し、じっと墓に手を合わせた。

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小沢さんは、大逆事件や秋水についてはこれまで特に関心をもっていたわけではないようで、「不義や不正に対し闘った人なんだよな~」と言われた。

さらに、同行記者との政局についてのやりとりの中で、平野さんから秋水について教えらたことを話題にした。秋水は皇室を尊敬しており仁徳天皇の政治は社会主義と同じだと言っていたそうで驚いたよ、と満足そうに笑われた。

このことは、秋水の書「社会主義神髄」に書いてあり、秋水の若き頃の天皇観を示すものである(その後変わっていく)。

小沢さんは岩手の人。石川啄木が秋水思想の影響を受けたこと、原敬が首相時代、所属する政友会の高知支部が秋水を憲政功労者として表彰したことも、平野さんから聞かされたようだ。

小沢さんはテレビで見る通り、大物政治家ということがうなづける、近寄りがたいようなオーラを発しているが、語り口はひょうひょうとして人を引き付けるものが感じられる。顕彰会メンバーとの記念写真を頼むと気安く応じてくれた。

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小沢さんは30分ほどで、また車に乗り、高知市に向かった。顕彰会でまとめた秋水読本や秋水通信を資料として提供した。

大逆事件は桂太郎内閣が仕組んだもの。歴代首相の中で在任期間最長記録はこれまで桂太郎であったが、20日に安倍晋三が超えたその日に、小沢一郎が秋水を墓参したというのも政治の舞台裏の因縁というか、歴史的なものを感じた。

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小沢さんは東京から4人の同行記者を引き連れていた。宿毛では2人の地元記者(高知、朝日)も加わった。

平野さんによれば、選挙応援でマイクを使わないのが小沢流だそうだ。同行記者の取材に答える形で政局や選挙についてコメントをし、新聞に書かせる。それが応援になる。

宿毛の林譲治墓参は、1996年以来23年ぶり。父佐重喜は戦後第1回衆議院選挙で代議士になり、自由党で要職に。吉田内閣の大臣など。林譲治は副総理、衆議院議長などをつとめた人。吉田、林の宿毛人は政治の師であった。親の恩を忘れない政治家の義というものか。

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林譲治の父は自由民権家林有造で、秋水は16歳の時、家を飛び出し東京の有造の書生にころがりこんだ。有造は「立志社の獄」で弾圧、囚われ、盛岡で入獄したことも。そんな秋水、有造、岩手のつながりもある。

小沢さんは、林家墓、有造墓、譲治墓と三つ並ぶ墓の前で、記者からの「ぶらさがり取材」に応じた。

「 安倍内閣は桜の会のように権力を私物化、腐敗しきっており、瀕死の状態。内政、外交すべてに実績をあげていない。知事選では共産党候補でまとまったが問題はない。県民の抵抗は一部にはあるだろうが、乗り越えなければならない。年内に野党がまとまり、政権の受け皿を示せば、次の選挙では必ず勝ち、政権交代ができる。安倍内閣は吉田、林さんがつくった保守本流ではない。亜流だ。野党は保守本流の支持も得なければならない。」

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翌日の高知新聞には選挙情勢欄に、この記事が載った。さすが読み通り。

小沢さんは、翌日朝、松本けんじ事務所を激励訪問し、午前中の便で東京に帰って行った。

独特のオーラを残して。

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松本けんじに期待する

2019.11.10  しんぶん赤旗 インタビューを受けた記事です。

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秋水を生んだ風土と人々(12)日韓連帯

 12.日韓連帯

 話は今年に飛ぶ。

 五月、韓国ソウルの幸徳秋水研究者、金(キム)昌(チャン)徳(ドック)さんが中村にみえた。東京の初期社会主義研究会会員で金子文子研究者の亀田博さんと一緒に。亀田さんには会ったことがあったが、金さんは初めて。秋水顕彰会メンバーで二人を秋水墓、生家跡、絶筆碑、図書館資料室などに案内した。

金さんは、韓国アナキズム運動を受け継ぐ社団法人国民文化研究所の総務理事で、かつ韓国アナキスト独立運動家記念事業会の事務局長。秋水の思想は死後、韓国アナキズム運動、対日独立運動に影響を与えたという。(二人は、今回高知市草の家の案内で槇村浩も訪ねた。)

秋水が大逆事件で拘束された明治四三(一九一〇)年は日本が韓国を併合した年。秋水は韓国、朝鮮の独立運動に関心を寄せていた。その前年、安重根(アンジュングン)がハルピン駅頭で伊藤博文をピストルで撃った「義挙」を讃える漢詩をつくったことは有名である。

秋水はクロポトキン「麺麭の略取」を翻訳出版、日本で最初のアナキストとされているが、大杉栄、伊藤野枝が関東大震災で虐殺されたように、弾圧で日本ではアナキズムは広がらなかった。しかし、韓国では浸透した。

今年は韓国三一独立運動から百年。「第三の大逆事件」を描いた映画「金子文子と朴烈(パクヨル)」(六月、中村、高知で上映成功)の通りである。

金子文子の墓が朴烈の生地、韓国慶聞(ㇺンギョン)市にあり、毎年命日に追悼式が行われていると、金さんからお誘いを受けたので、七月二三日参加した。ソウルから貸し切り高速バスで二時間の山の中。文子墓は朴烈義士記念館の敷地内にあり、展示では秋水も紹介されていた。

韓国政府は昨年文子に日本人二人目の独立有功メダルを授与したこともあって(一人目は弁護士布施辰治)、式典は例年より多数の地元市長など約百人参列。私も「幸徳秋水地元の元市長」と紹介され、献花した。イベント会場では、女優チェ・ヒソ(映画の文子役)の挨拶、研究発表、シンポジウム、文子を讃える市民コーラスなどがあった。

二日目は芙(プ)江(ガン)に移動。文子が養女とされ少女時代暮らした家や小学校、警察署跡などの案内を受けた。

日本からの参加は山梨県(文子故郷)の金子文子研究会会員や亀田さんなど十名であったが、ソウルから往復一泊二日の費用は全額主催者持ちの招待であり、心温まる歓迎を受けた。日本人でありながら、韓国で愛され大切にされている文子。韓国の人たちは「反日帝」ではあっても「反日本人」ではない。その懐の深さ、広さに涙が出た。

安重根裁判の弁護士は旧野市町出身の水野吉太郎で無罪を主張している(最終死刑)。高知県と韓国の縁(えにし)。

秋水を知ることは日韓の歴史を知ること。いまの日韓問題の背景、真実につながる。元凶は日帝(大日本帝国)さながらの安倍政権。秋水が日韓連帯を呼びかけている。(終り)

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 右端 金昌徳さん    金子文子墓に献花

週間 高知民報連載(全12回) 終り 2019.10.6
プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
フェイスブック(FB)もしています。

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