夢と現実のはざまで― 「遅咲きのヒマワリ」から1年

去年のいまごろ、地元はみんな夢見心地だった。
テレビドラマ「遅咲きのヒマワリ」(10回シリーズ)の放送が始まったからだ。

 去年の5月、突然、四万十川を舞台にしたドラマをつくりたいという話が飛び込んできて、半信半疑の中、話がバタバタと進み、9月からロケ開始、10月末から放送が始まった。

 ドラマの影響、効果というものはすごいもので、放送中からここへの訪問者や観光客が増えはじめ、放送終了後の年末年始から5月のゴールデンウイークにかけては、佐田沈下橋は満員御礼という状態だった。

その後も余波は続いている。7月からスタートした観光キャンペーン「はた博」の入り込みは、ずっと好調である。四万十川の知名度は「最後の清流」としてこれまでも高かったが、ドラマを機にさらにグレイドをアップさせたといえるだろう。いまや、高知県を代表する観光スポットは、はりまや橋や桂浜ではなく、四万十川であると、自負をしている。

ところで、このドラマを通して、ロケの拠点になった「中村」の知名度はどれだけ高まったのだろうか。
地元や高知県、また以前から中村や中村市を知っている者は、このドラマの主な舞台が中村であることは、当然にわかる。しかし、大部分の視聴者は、四万十川のそばの町だと思うだけであろう。

現に、ドラマのセリフの中で「中村」が出てきたのは、たった1回である。それも、主役丈太郎(生田斗真)の友人、順一(桐谷健太)が高知市の公園で酔っぱらって歌った「中村音頭」の中の歌詞としてだ。こんなのは、普通はセリフとは言わないだろうが。また、映像としても、ドラマの最初と最後に中村駅が出てきて、中村の字が見えたぐらいだ。

テレビ局としては、この町の正確な名前はどうでもいいのである。天神橋商店街が「四万十の新宿」として紹介をされたように、この町は「四万十」なのだ。
そんな町はどこにも存在しないのに。

しかしながら、このドラマは中村という現実の町があったからこそできたドラマである。四万十川を舞台にしたドラマなら、川の上流や中流を舞台とすることもできたはずである。なのに、なぜ下流が選ばれたのか。それは、中村があったからである。

このドラマ制作を企画したフジテレビの成河広明プロデューサーから、直接聞いた話である。― 地方(田舎)を舞台に、ロスジェネ世代(30歳前後)の群像劇をつくろうと思ったが、舞台を四万十川に決めたのは、「最後の清流」とあわせて中村という、地方都市のイメージにぴったりの町があったからだ。大きくもなく、かといってそう小さくもない。しかも小京都としての歴史と風格がある、町らしい町。現代の若者にリアリティーをもたせるためには、「自然」だけでなく「町」が不可欠であった。
野球少年だった成河氏(現在43歳)が野球を始めたころ、甲子園で中村高校「二十四の瞳」が準優勝をした。中村とはどんな町だろうと、ずっと想像を巡らせていたという。

ドラマのテーマとしても、いまの幡多や中村にピッタリだった。過疎や高齢化が進む地方を応援するため、都会から青年が地域おこし協力隊としてやってくるというストーリー。実際、四万十市は、昨年度3名の地域おこし協力隊を採用したばかりであった。
また、四万十市民病院(ドラマでは四万十中央市民病院)は、ずっと医師不足で困っている。そこに地元出身の医師がUターンで帰ってくるという設定は、昨年その事実があった直後であった。
さらに、かつては「おまち」として栄えた中村の中心商店街は、いまは見る影もなくなっており、その復活に向けた取り組みにみんなが知恵と汗を絞っている。

四万十市が行政として取り組んでいること、そのままのドラマであった。

ドラマは、主人公がいよいよここに永住する決意を固め、耕作放棄地の復活に取り組むというところで終る。
フジテレビとしては、続編を視野に入れた企画のようであり、地元としても続編要望署名をたくさん集めたが、全国的には視聴率が期待をしたほどではなかったこともあり、いまのところ続編制作は不透明ときいている。

1年たったいまでも、私は夢見心地である。
現実と夢のはざまで揺れ動いている。
「中村」が現実なら、「四万十」は夢だ。
両者のギャップは、このまま無限大にひろがっていくのだろうか。

DSCN2314.jpg    きみに会いたいフェス       DSCN2324.jpg 

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「ウルトラ」 は祭り

四万十川ウルトラマラソンに、これまでの主催者から今回はじめてランナーとして参加した。
大会は年々人気が高まり、第19回目の今年は、定員2千人に対し応募者6267人になり、抽選の厳しさに悲鳴が聞こえている。
ランナーが異口同音に言うのが四万十川に沿ったコースの素晴らしさとあわせボランティアや沿道の皆さんの応援のあたたかさ。地元としてコースには自信をもっているが、応援のありがたさは走る者でしかわからない。
100キロ、60キロを走ることは体力の限界への挑戦であり、全身がしびれ膝もあがらず、もうやめようよという肉体からの誘惑に対し、沿道からのかけ声は足のバネをよみがえらせてくれるアイシングスプレーだ。黄色のスタッフジャンバーは地獄で仏様が着ているものなのだろう。
おばあちゃんたちは朝からイスをならべて、ニコニコ笑いながら手をたたいてくれる。給水所以外でも、あちこちでお盆に載せて果物やコーラ、チョコレートなどを差し出してくれるグループや家族。笛を吹く人、突然踊り出す人など、みんなが1年ぶりの再会を楽しんでいる。
制限時間ギリギリのころ、夜の中村高校ゴールの熱気は最高潮に達する。筋書きのないドラマにみんなが涙を流す。
ウルトラはランナーと地元のみんながつくりあげる感動の祭りである。

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高知新聞「声ひろば」への投稿
2013.10.25
田中 全

四万十川 ウルトラマラソン

10月20日、四万十川ウルトラマラソンに、去年までの主催者(大会会長)から、今回はじめてランナー(60キロの部)として参加をした。

この4年間、前夜祭、開会式、そして表彰式などを通して、全国からやってくるランナーたちと交流し、感動のドラマをこの目でつぶさに見てきた。
「踊る阿呆に見る阿呆」なら「走らなソンソン」と、いずれランナーとしてこのお祭りに加わりたいとの想いが高ぶっていたが、今年そのチャンスがやってきた。

5月に公職を離れてから、すぐに練習を始めた。
私は子供のころから足が遅く、運動会ではビリ競いばかりなので、秋になるといつも憂鬱になった。スポーツとしても、中学生の頃、軟式テニスをやったぐらいである。
それでも、なぜかマラソンは嫌いではなかった。小さな中学校であるが、全校で2位になったことがある。

その後しばらく、走ることには縁がなかったが、30歳代はじめのころ、職場で健康づくりのためのマイペースランニングが推奨されだした。そこで仕事のあと同僚と一緒に皇居一周や、休日には当時の社宅近くの玉川上水や飛鳥山公園を走ったりした。

転勤先でも走るコースには恵まれていた。住まいの近くに、岡山は運動公園、福岡は大濠公園、札幌は円山公園、大阪は大阪城公園などがあった。ただ走るだけでは続かないが、コースがいいと、いろんな出会いがあったり、オプションの楽しさが加わる。岡山では、20キロ、15キロの大会に出たこともある。
こうして30~40歳代は、ちょこちょこと走っていた。

しかし、50歳前後からは再び走らなくなってしまった。はっきりとした理由は特にないが、仕事でそれなりに責任のある立場になったりして、走ることを楽しむという気持ちの余裕がなくなったことが大きいと思う。

5年前、地元に帰ってきてからは、ますます余裕がなくなってしまった。土日も公務などで休みがなくなったというのは、理由にはならない。時間はつくるものであるから、その気さえあればいくらでもつくることはできたはずである。私は公式プロフィールの趣味の第一にジョギングをあげていたことを、みんな不思議に思っていたことだろう。 

アルコールとの付き合いは半分仕事であるから仕方がないこと。体脂肪やコレステロール値も必然的に高くなり、それをコントロールするためにも走りたいという気持ちはずっと持っていたが、一歩を踏み出せない自分をいつも歯がゆく思っていた。

結局、周りの環境変化に後押しをしてもらうしかなかった自分が情けない。健康のことを思えば、そういう環境を与えてくれた市民のみなさんに感謝をしなければならないのだろう。
それと今年で19回目になるウルトラマラソンを、ここまで素晴らしい大会に育てあげてくれた全国のランナーと市民ボランティアのみなさんにも。

いま全国各地でマラソン大会が盛んに開かれているが、ウルトラマラソン(42.195キロを超える距離をいう)で日本陸連公認コースとして認められているのは、ここと北海道のサロマ湖マラソンだけである。

人気もドンドン上がり、今年は定員2000人に対し、6267人の応募があり、抽選が年々厳しくなってきている。人気の理由は、四万十川に沿った変化に富んだ美しいコースと、ランナーと同数集まるボランティアや、沿線住民からのあたたかい声援である。
いまやこの大会は地元と全国を結ぶ一大交流イベントになり、毎年いろんなドラマが生まれている。
市が3年前から始めた「四万十市ふるさと応援団」への登録も増えている。
地元にこんなすごい大会がなければ、私も走る喜びを取り戻せたかどうかわからない。

私は今年が還暦。60歳から60キロの再スタートだ。
ウルトラマラソンには、来年以降も体力の続く限り、参加をさせてもらいたいと思っている。いずれ大会の本命100キロにも挑戦をしたいという夢をもちながら。

ちなみに、今回の60キロ、私のタイムは9時間15分12秒、制限時間(9時間30分)ギリギリでした。

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伊豆大島の底力

伊豆大島が台風による土石流災害で大変なことになっている。
私はこの島に行ったことはないが、島民の底力を知っている。
きっとこの難局を乗り越えてくれるものと信じている。

昭和61年11月のことだった。三原山が噴火をした。
最初はいつもの小噴火で観光客が見物に来ていたぐらいだったが、突然、地を裂くような大噴火(500年ぶり)になってから大混乱。溶岩流が今回被害にあった島の中心部の元町地区にものすごい勢いで迫ってきた。

そこで急遽、島民1万人全員が島を脱出することになった。
溶岩が迫る。時間がない。島全体がパニックの中で、役場の職員たちがバスや船を手配し、一人の犠牲者も出さず、たった一夜のうちに全島避難をやってのけたのだ。

しかし、その後も大変だった。東京に避難してからだ。竹芝桟橋に近い港区の体育館などに収容されたが、着の身着のまま脱出したので、身の回りの生活用品などもっていない人がほとんど。救援物資も届くが、どうしても必要なものは買わなければならない。
ところがおカネがない。当然、預金通帳や印鑑など持ち出せるはずがない。島の人たちの多くは農協や漁協に貯金をしていた。

私はその時、農林中央金庫の推進部にいた。推進部は、全国の農協や漁協の信用事業(金融事業)の企画・指導をおこなうところ。避難者の対策本部が東京都水産会館(港区)に置かれたこともあり、推進部をあげて応援体制をとった。もちろん土日も返上だった。

そこで、当座の生活資金をどのようにして貯金口座から引き出すかが問題になった。印鑑、通帳どころか、農協、漁協の貯金台帳すらない。本人確認だけでなく、貯金残高もわからないのに、どう対応するかである。
前代未聞の出来事で、こういう場合のマニュアルはなかった。金融機関は保守的で、常に悪い場合のことを考える。なりすましの者がカネを引き出しに来るかもしれない・・・などと、議論があった。

緊急対応として、払い出しを行なうこととした。1人10万円まで、サインだけで、本人確認は顔を見、話をきいて行なう。
案ずるより産むが易し。島民の顔は、みんなわかっていた。心配した不正引き出しのようなことは一件もなかった。共同体としての、島の生活のつながりの強さである。

約1か月後、島民は正月が明けてから全員島に戻った。その時、農協や漁協の貯金残高は逆に増えていた。当座は引き出しても、その後もらった見舞金などを預ける人が多かったからである。笑い話のような本当の話である。
災害時、緊急時の金融機関の預貯金引き出しのあり方として、この時の事例がその後、東日本大震災のさいなどにも適用されたときいている。

今回の災害は火山噴火でなく、慣れない豪雨だった。
しかも、深夜、気象庁特別警報なし、トップ不在など、不幸な条件が重なった。

しかし、あの「奇跡の脱出」をやってのけた伊豆大島だ。
きっと「奇跡の復興」を遂げてくれるものと、その底力を信じている。
負けるな、伊豆大島。

アンパンマンとウルトラマン

地域医療の話。
ウルトラマンよりアンパンマンを。

昨年1月、四万十市民病院を守る会主催、
高知大学医学部・阿波谷敏英先生(家庭医療学教室教授)の講演会でのお話
演題「地域とともに創る地域医療」

いま地方はどこも医師不足。大学医局も医師を派遣できなくなっている。
地域医療が崩壊しそうになっている。

これまでの地域医療の形は「ウルトラマン型」であった。

その特徴は、
 ・ウルトラマン=医者一人が圧倒的な力をもって地球(地域)にやってくる。
 ・科学特捜隊(住民)とは話をしない。
 ・任期は1年。
 ・M78星雲=医局 
 ・燃え尽きて帰っていく。
 ・なんとなく悲壮感がある。

しかし、これからの地域医療は「アンパンマン型」にならなければいけない。

その特徴は、
 ・地域住民とも等身大
 ・平和なときも、その辺をウロウロしている。
 ・大技(むずかしい手術)はないが、小技をたくさんもっている。
 ・強力なバックアップ=ジャムおじさん。
 ・悪者はそんなにいない。バイキンマン、どキンちゃん、かびルンルン、ホラーマン、くらい。
 ・あとは苦楽をともにするスタッフがどんどんふえてくる。食パンマン、カレーパンマン、メロンパンナちゃん、おむすびマン・・・など

ウルトラマンは何か重大事(重症)の時しかやってこないけれど、アンパンマンは用事がなくとも、いつもその辺にいてくれる。
お医者さんは消耗品ではない。
アンパンマンのように、ニコニコ幸せに働けるような地域であってほしい。

アンパンマンは、地域がつくりだすもの。

四万十市もそうした地域をめざしたい。

不破八幡宮 神様の結婚式

不破八幡宮は、地元では「不破(ふば)の八幡さん」と呼ばれ親しまれています。土佐一條家ゆかりの神社です。
応仁2年(1468年)、京都の名門公家(五摂家)一條教房は、応仁の乱を避け、自らの所領「幡多の荘」を守るため中村に下向しました。そして、文明年間(1469~87)、京都の石清水八幡宮を勧請し、幡多の総鎮守としたのです。

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毎年、10月には秋の大祭がおこなわれます。当時、幡多では、「嫁かつぎ」などと言って、略奪婚が横行していました。教房は、こういう野蛮な風習をやめさせるため、人間の結婚とは、かくも厳粛なものであるという見本を示すために、神様になぞらえて、結婚のありようを示したのが、この祭りの始まりです。

私が小学生のころは、友達と八束の実崎から「山路渡し」を舟で渡り、歩いて「八幡さん」行っていました。参道には、たくさんの屋台が出て、大変なにぎわいで、親からもらった小使いで、めずらしいものを買ったり食べたりするのに夢中でした。
ですから、神社の前の田んぼで行なわれていた「神様の結婚式」の儀式について、まったく記憶がありません。
5年前に、地元に帰って来てからは、公職の身として、宵祭りに招待をされたりして儀式の一部に参加をさせてもらいました。しかし、祭り当日の儀式の全貌、つまり本番の最初から最後までの流れについては、まだこの目で、通しでは見ていませんでした。

そこで今年こそはと思い、一日を追っかけてみました。
まず、朝早くから一宮神社(いっくさん)に向かいました。四万十川河口近くの八束の間崎にあります。十代地山(大文字山)の近く。ここには三体の女神様を祀っています。
 徳益御前・・・豊作と平和の神様
 椎名御前・・・雨を降らす神様
 鉾名御前・・・気性が荒く争いが好きな神様
毎年の結婚式の花嫁候補は、この中の一体が前夜の神事(神移しの儀)のくじで決まります。今年は、徳益御前が選ばれました。間崎部落の氏子総代たちは、祝言前の一晩、神輿と一緒に神殿に泊まり込みます。

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そして当日、神殿から神輿を出します。神輿は舟に乗せて不破八幡宮まで運びますが、舟は四万十川対岸の下田側が用意をします。これを「水師の役」と言います。下田側の4地区が交代で務めます。今年は水戸が当番でした。
以前は、一宮神社の目の前の川(津蔵渕川)に舟を寄せていましたが、いまは浅くなり、また水門もできたため、神輿は台車に乗せて、初崎・天理教前の本川(四万十川本流)まで運び、そこから舟に乗せます。この舟は「神舟(かんぶね)」と言って、色鮮やかな飾りを付けます。

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神舟にはお供の舟がつきます。「供舟(ともぶね)」といいます。この役割を「お供の役」といい、八束3、鍋島、竹島の計5組で務めます。今年は八束下組(名鹿、初崎、津蔵渕、間崎)が当番。「神舟(かんぶね)」が太鼓をたたき、舟団になって川を登って行きます。
そして八幡さん近くの不破の河原に着きます。しかし、神輿はすぐには陸揚げをしません。しばらく休憩し、舟の中で「お客(宴会)」をします。本番前の景気づけです。用意をしてきた寿司や肴を前に、酒やビールを飲みます。朝が早かったので、昼食を兼ねるようなものです。

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その頃、一方の男神輿はどうしているかというと、八幡さんの本殿から運び出されて、中村の街中(まちなか)を練り歩いています。男神輿をかつぐ役は、中村の街中を取り巻く7地区(不破角崎、右山、安並佐岡、具同、入田など)が交代で務めます。今年は入田が当番でした。

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さて、不破の河原には、そうこうしているうちに、八幡さんからの使者がやってきます。結婚式の仲人です。今年は、不破と右山の区長さんが務めました。
実は、この時点では、まだ結婚は正式には決まってはいないのです。あくまで、まだ花嫁候補です。そこで使者が舟に乗りこんで、嫁にもらうための交渉をするのです。相手は水師です。これを「茄(なすび)取りの儀」と言います。これがおもしろい。掛け合い漫才のようなものです。

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使者は酒と茄をもってきます。水師に酒をふるまい、茄を差し出します。そして交渉が始まります。しかし、水師は容易に了解しません。この茄は貧弱だ。こんな茄では嫁にはやれんと、ゴネます。ああだ、こうだ、と難癖をつけます。歌もうたえと言いだし、みんなの笑いを誘います。そして、やっとのことで嫁に出すことを承諾します。
なぜ茄なのか、ということですが、茄は花が咲けば必ず実が成る。夫婦円満、子だくさんのシンボルということのようです。毎年、形が曲がったおもしろい格好をした茄が選ばれます。

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この儀式が終わると、いよいよ女神輿を陸揚げして、八幡さんまでかついで運びます。これは「お供」の役です。
結婚式会場は八幡さん前、河川敷の田んぼの中につくられています。幟(のぼり)がたくさん、立てられています。
このころが、ちょうど正午。
八幡さんの階段を下りた延長線にある畔道では、「あげ馬」も行なわれていました。幡多農業高校馬術部の生徒が馬に乗って、この一本道を走るのです。この伝統行事は地元に馬がいなくなってから長く行なわれていませんでしたが、幡多農高の協力のおかげで、4年前から復活をしたのです。

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結婚式場から少し離れた、川べりの一角に花嫁の控室があります。「高屋の式場」と言います。女神輿は、まずこちらに運ばれ、中を練り歩いたあと台座にすわります。
そこで「灼(しゃく)とりの儀」が行なわれます。柄杓(ひしゃく)で樽の中から酒をくみ、竹筒の杯に注いで、花嫁側、花婿側の双方にふるまわれます。この儀式は一宮神社がつかさどるものです。

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そのあと、男神輿の登場です。街中を練り歩いたあと戻っていた男神輿は、再び八幡さん本殿から出てきます。そして、「高屋の式場」に控える女神輿のそばにやってきて、回りを一巡します。ここで顔を合わせるのです。
そして一緒に本式場のほうに向かいます。ここからがメインイベント。

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二つの神輿を正面に向かい合わせてすわらせます。そして、かつぎ棒の両端をゴツン、ゴツンと3度ぶつけます。これで結婚成立です。めでたく夫婦になりました。

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そのあとは披露宴です。新郎、新婦をひな壇に並べ、関係者一同でお祝いの玉ぐしをささげます。祝いのお神楽の舞いもあります。

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ひとしきりにぎわったあと、無事、婚礼と披露宴はお開きとなります。
そのあと、二つの神輿は、それぞれもとの神社に帰っていきます。
八幡さんでは、最後に餅投げが行なわれました。

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祭りの一部始終を見て思ったのは、これは不破八幡宮やその氏子だけで行なう祭りではない、ということです。近郷近在の村々の神々や人々が総がかりでつくりあげる祭りです。不破の八幡さんが、幡多の総鎮守といわれる所以です。

特に、川の役割が重要です。一宮神社は四万十川河口近くにあります。女神輿は舟で運ばれるように、川に沿った村々にはそれぞれの役割分担があります。この川なくして成り立たないのがこの祭りです。祭りが盛んなころには、人々は舟に乗ってやってきて、舟の上で一杯やりながら、祭りを見たそうです。

この祭りは幡多の郷(村、里)の祭りです。男神様をかつぐ役割の組には、街中の商店街などは入りません。入田、具同、右山、安並、佐岡などの、町の近郊(周辺)です。これが大事です。

商店街などは、別に一條大祭(いちじょこさん)をとりおこなうからです。八幡さんは郷の祭り、一條さんは町の祭りと分けられているのです。ちなみに、歴史から言えば、江戸幕末にできた一條神社にくらべ、不破の八幡さんのほうがはるかに古い。

「神様の結婚式」と呼ばれるこの祭りは、「奇祭」と言われています。たしかに人の結婚を神様になぞらえるのは珍しいかもしれませんが、これはいまにも続く真理を示しています。男女の風紀は、当時よりいまのほうが乱れているのでは?

ところで、祭りの人出が昔にくらべ少なくなっていることは寂しい限りです。宵宮には、まだ少しは人が集まるようですが、本番当日に屋台が10店も出ていないというのは、以前の賑わいを知るものにとっては、驚くばかりです。

最近は、祭り本番は、旧暦ではなく「体育の日」(10月第2月曜日)の前日の日曜日と決められています。3連休の中日です。しかし、逆に、この時期は、あとからいろんなイベントが行なわれるようになりました。いまでは毎年、お隣の「宿毛まつり」とぶつかります。

人出が少なくなっていること、これは「いちじょこさん」にも言えることです。地方の伝統行事はどこも同じでしょう。
理由は、地方にはそもそも住む人間が少なくなっていること。伝統行事が若い人に引き継がれていないこと。また、人々の趣味や楽しみが広がり、地味な行事には関心を示さなくなったこと。等々・・・

いま地域の活性化が声高に叫ばれています。いろんな新しいイベントも行なわれています。しかし、地域の歴史や伝統、文化に誇りをもつことが活力の源です。その上に立ってこそ、新しいイベントが根付き、新しい歴史、文化が築かれていくのだと思います。

不破八幡宮社殿は国の重要文化財に指定をされています。
また、一宮神社では「七星剣」といって、ほかには奈良の法隆寺、正倉院、大阪の四天王寺にしかない鉄剣が発見され、いまは幡多郷土資料館に保管されています。

まだ来られたことがない方は、本市においでのさいは、四万十川だけでなく、ぜひともこちらにもお出でください。この地域の本当の価値を発見することができるでしょう。

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孤島の太陽 荒木初子

9月19日、沖の島に初めて行って来た。
幡多は広い。香川県とほぼ同じ面積である。私は5年前、40年ぶりに中村に帰ってきたが、幡多にはまだ行ったことがないところ、知らないところがたくさんある。幡多を知らずして幡多を語る資格はない。そこで、以前から行ってみたいと思いながら、これまで行けなかった沖の島を訪ねた。
船の定期便は宿毛市片島港から1日2往復(片道1時間20分)。朝の便に乗り、夕方の便で帰るという日帰りだったが、島のあちこちを回ることができた

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どうしても行きたいところがあった。それは、荒木初子さんの生家だ。荒木さんは、高知県の島駐在保健師(当時は保健婦と呼んでいた)として1949~1967年、献身的な活動をされた方だ。
衛生指導、生活指導を地道に行ない、診療所の医師らと一緒になって、風土病であったフィラリアも撲滅した。助産婦の資格ももっていた。島では赤ちゃんの死亡もゼロになり、「日本のマザーテレサ」とも呼ばれた。漫才師・横山やすしのお母さんが島に里帰り出産したさい、取り上げたのも荒木さんだった。
その献身的な仕事が認められて、1967年、第1回吉川英治文化賞を受賞した。同賞は、讃えられるべき業績をあげながらも、目立たず報われない人・団体が対象。(今は、この夏の四万十市民大学の講師でみえた柳田邦男さんらが審査員になっている。)

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当時、作家・伊藤桂一が荒木さんを取材して『沖ノ島よ 私の愛と献身を』を書き、これをベースに映画「孤島の太陽」(1968年、日活)もつくられた。
映画の荒木さん役は、「おはなはん」で人気絶頂だった樫山文枝。ロケは、荒木さんの生家のある沖の島弘瀬集落を中心に行なわれた。島民もエキストラで大勢参加した。その頃、私は高校生だったが、原作を読み、映画もみた。
この映画は、四万十市が昨年の秋企画をした「映像の幡多上映会」でも幡多が舞台になった映画4本のうちの一つとして上映した。

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荒木さんは生涯独身で1998年、81歳で亡くなったが、親御さんと暮らした生家が弘瀬に残っている。いまは空家となっているが、「孤島の太陽記念館」として、表彰状や新聞記事などの関係資料が展示されている。隣人が管理し、昼間はだれでも入れる。
最近は訪ねる人も少なくなったが、先日は、鹿児島から若い女性が来ていましたと、管理の方が言われていた。いまでも、全国の保健師の間では伝説的な先人として知られているのだ。
四万十市役所にも、保健師は10人いる。市民の健康を守る重要な仕事だ。
四万十市は、いま保健・医療・福祉連携事業に力を入れている。昨年からは、「活き活き訪問健診」といって、市民病院の医師も一緒に地域を訪問し、健康診断と指導を行なっている。高齢化が進む中、このような取り組みはますます重要になってきている。

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沖の島弘瀬には、「あったかふれあいセンター」があり、高齢者が集い、支え合いの取り組みをおこなっていた。少し、おじゃましてみた。
こんな話も聞いた。戦争中、昭和20年8月には、全島民が宿毛の奥、橋上の野地に強制疎開させられた。船に木々の笹をかぶせ、敵に見つからないようにして渡ったが、1週間後終戦になり、すぐに帰ってきたという。中村で私が知っている方のお姉さんもおられた。
昭和30年代には、島の人口は3千人を超えていたが、いまは200人を切っている。高齢者が元気で暮らし続けられるように、どこも同じ課題をかかえている。

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島の集落は弘瀬と母島の二つに分かれているが、それぞれが江戸時代は別の国だった。弘瀬が土佐藩、母島が宇和島藩。国境紛争が絶えなかったが、明治になってから全島が高知県になった。その後も、両地区は長い間婚姻関係を結ばなかったなどの歴史もある。いまでも、お年寄りの話す言葉が微妙に違うという。
島は、昭和29年、合併で宿毛市になるまでは沖ノ島村であった。役場などの行政機関は母島におかれた。
私の祖父は明治39年から2年間、駐在巡査として島に赴任してきていた。日露戦争から生きて帰った直後のことである。その頃、祖母と結婚をし、新婚生活をここで送った。いま巡査はいなくなったが、当時は民間の家を借りて駐在所にしていたという。そんな祖父母の足跡をたどることも、今回島に来た目的の一つだった。祖父母が当時お世話になったとして名前を聞いていた方の消息も知ることができた。

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沖の島は近かった。島というから、どうしても遠く感しるが、来てみればアッと言う間の距離。何でもそうだが、無知(知らないこと、経験がないこと)であることほど、怖いものはない。
これからも、何度も来てみようと思う。

自治体病院をどう守るかー四万十市立市民病院 4年間の試みー

2013.10.5
田 中 全
高知県医労連 講演会(要旨)


            自治体病院をどう守るか
           四万市立市民病院 4年間の試み


1.市民病院の歩み

  ・昭和27年設立、幡多国保病院(幡多郡東部17町村立)
   8診療科、一般130床、伝染33床
  ・同39年、中村市民病院へ
  ・同51年、富山、大川筋診療所、直診から付属施設へ
  ・平成16年、新医師臨床研修制度スタート
  ・同17年、四万十市民病院へ改称
  ・同19年、救急告示医療機関 返上
        富山、大川筋診療所 廃止
        一般病床130→97、病棟3→2へ
  ・同21年、公立病院改革ガイドラインに沿って「改革プラン」策定
  ・同22年、「改革プラン」見直し(改訂)
  ・同23年、脳ドッグ健診開始

 (参考)
  ・昭和23年、県立宿毛病院設立(民間→日本医療団→県立)
   ・同26年、県立幡多結核療養所設立(中村)
   ・同32年、県立西南病院と改称(一般150床、結核150床)
   ・平成11年、幡多けんみん病院設立(宿毛・西南統合)
    現在、18診療科、医師48人、病床一般324、結核28、感染3

  主要民間病院
  ・四万十市  竹本、森下、木俵、中村、幡多、吉井
  ・宿毛市  筒井、大井田
  ・土佐清水市  謂南、松谷、足摺
  (その他)町立大月病院、西土佐診療所

2.病院経営の推移

  ・当初から、幡多における位置づけ・役割が不明確で、経営も不安定。
   県立病院、民間病院との分野調整等が不十分。

  ・県への経営移管要請が受け入れられず、昭和39年、中村市単独経営へ。
   当初の診療科8→ 現在5(内、外、整形、脳外、泌尿器)

  ・医師確保
   派遣は名古屋大→ 長崎大・熊本大(愛媛大)→ 徳島大(高知大)
   当初から安定せず、昭和52年ごろには常勤医師ゼロになったが、 同54年、徳島大から派遣を受けるよう になり、しばらく安定。

   昭和57年、脳外科設置(幡多で唯一)。
   平成9年、医師数ピーク18人。
   平成16年(新医師臨床研修制度)までは、16人以上で推移。
   以降、漸減、ボトムは平成21年6人。(泌尿器科休診)
   徳島大、平成21年度以降、派遣なし。

  ・経営収支
   終始不安定で推移をしているが、特に、平成10年度以降、累積赤字が解消されず、いまに至る。平成24   年度、累積赤字13億5千7百万円。

   資金繰りも悪化し、平成11年度以降は銀行からの短期借入が発生。短期借入は、年度中にいったん返済   (借入ゼロ)しなければならないことから、資金ショートを防ぐため、平成19年度以降、市一般会計から資金を投入(公営企業法基準外繰入)している。

  (市一般会計からの基準外繰入)
  19年度 300百円
  20年度 220百万円(ほぼ同額市職員全員給与カット)
  21年度 70百万円(別途、病院職員のみ給与カット63百万円)
  22年度  0
  23年度 77百万円 市議会が2度否決
  24年度(86百万円)市議会が長期貸付金に修正
  25年度 35百万円


3.病院改革への取り組み

 ・平成19年度、政府が公立病院改革ガイドライン策定を通達。
  同21年2月、四万十市立市民病院改革プランを策定。
  「公営企業としての独立採算の原則に立ち戻り、今後は経費節減等に努め基準外繰入は行なわない 」

 ・平成21年4月、市長選挙

 ・平成22年3月、病院改革プランを見直す(改訂)。
   改革プラン検討委員会(有識者3、地域代表2)
  「企業としての経済性の追求と公共目的の追及の均衡の上で経営」
  「最大限効率的運営を行なってもなお不足する、真にやむを得ない部分については、一般会計が基準外繰り出  しで負担する。」

 ・市民病院の果たすべき役割。
  幡多医療圏における地域医療の確保。
  幡多けんみん病院(地域中核病院)の24時間救急の下支え。
  高度な専門的医療の提供
   呼吸器内科(幡多唯一)、全身麻酔手術(市内唯一)、透析25床、生活習慣病(糖尿病セミナー)
  地域医療機関との連携(医療ソーシャルワーカー2名採用)

 ・経営改善委員会(院内)
  外部経営診断・コンサルタントの導入
  軽費節減、薬院外処方へ
  広報活動、広報誌「せせらぎ」発行、ホームページリニューアル
  病院フェア開催(一條大祭)

 ・医師招聘策(現在医師6→11人まで回復)
  医師情報の収集と機敏かつ粘り強いアプローチ
  大学との関係維持
  県、国保連、医師会との連携
  医師の待遇改善
  ホームページ活用(募集サイト)
  病院の特色の明確化

4.いのちと健康を守る市政へ

 ・保健・医療・福祉連携事業
  特命参事配置
  健康福祉委員会設立(地域単位)
  あったかふれあいセンター(3事業)
  口腔ケア事業
  こころの健康相談センター
  脳ドック健診(市民病院脳外科)
  活き活き訪問健診(市民病院医師派遣)

 ・市民病院のあり方検討委員会
  市民各層委員23名
  8回開催、意見とりまとめ

 ・市民病院を守る会
  市民病院存続署名活動、1万2千筆
  セミナー、勉強会

 ・テレビドラマ「遅咲きのヒマワリ」ロケ

 ・平成25年4月、市長選挙

5.今後の課題

 ・病院の役割・特徴の明確化
  経営形態の検討
   公営企業法全部適用など

 ・24時間救急の再開
  市立急患センターの設立(医師会委託)

 ・継続的医師確保

 ・市民意識の向上

              以上

四万十ご当地ラーメン

きょう、ラーメンの達人・佐野実氏を迎えて、「ご当地ラーメンの可能性を極める」と題したセミナーが開かれた。

主催は「四万十市雇用創造促進協議会」。
長たらしい名前だが、要は地域の雇用を生み出すために、市が主導して起業家の育成を図るための組織。国(厚生労働省)の事業の活用だ。前会長は私だった。

今回は、この協議会が商品開発を進めている、ご当地ラーメン「四万十美女と野獣ラーメン」の試食をはさんで、パネルデスカッションを行なったもの。

DSCN4952.jpg     DSCN4955.jpg

「美女と野獣ラーメン」??? 何だ、こりゃ。大仰な名前だ。
この開発は女性スタッフがおこなっているため、「美女」は勝手?な自称であり、本質は「野獣」のほうにある。つまり、イノシシ、シカを使っているのだ。

四万十川流域では、イノシシ、シカ、サルなどの獣害でほとほと困っており、その駆除対策に追われている。そこで、これらの肉を「ジビエ料理」に活用すれば、一挙両得になる。さすがサルの肉を使うわけにはいかないが、イノシシ、シカはたくさん採れる。

これらの肉や骨でスープをつくる。イノシシの肉はチャーシューに使う。さらに、山菜のイタドリをメンマに使う。ほかにも、四万十川のアオサ海苔、地元のネギ、醤油など、とにかく地元素材にこだわった、ラーメンだ。

DSCN4954.jpg     DSCN4958.jpg

そこで、ラーメンの達人・佐野実氏の感想は???
「イノシシ肉はチャーシューに、イタドリはメンマにおもしろい。特にイタドリは味付けを工夫すれば使える」
「スープは意外とクセがない。しかし、コクがない」
要は、素材はおもしろいが、味付け等はまだまだということ。
甘くはない。
本気なら、ウチに修行に来たら、指導してやると、ありがたいアドバイスも。

DSCN4965.jpg     DSCN4963.jpg

私もラーメン通を自称している。
その感想は・・・
期待以上の出来だ。
ただ、名前がどうも。
「四万十ラーメン」、「四万十清流ラーメン」などでいいのでは。

ちなみに、達人は、本市がいま売り出している「ぶっしゅかん」を以前から「つけ麺」のたれに使ってくれている。「タレをじゃましない」「タレがしなる」と絶賛。
10月から、新宿歌舞伎町で開く「つけ麺博」にも、使ってくれるとのこと。

達人は、明星食品の監修もしておられるが、11月に発売予定のカップラーメンの新商品には、四万十の素材も使ってくれることになっている。
中身は??? 楽しみだ。

ところで、須崎市の名物「鍋焼きラーメン」については、
「あれはラーメンではない」
味うんぬんよりも、ラーメンの範疇には入らない、ということらしい。

次はTPPがのしかかる

消費税8%へ、引き上げが決まった。生活への負担が増す。
しかし、もっと大きな問題がある。次は、TPPだ。

国民各層から反対の声が多い中(四万十市議会も反対を決議)で、政府は交渉開始を表明したが、まだ正式参加が決まったわけではない。しかし、オリンピック騒動などで浮かれている間に、今月8日、インドネシア・バリ島で開く12カ国首脳会議で「大筋合意」になるらしい。

この間の交渉期間はわずか、あっという間だ。しかも、内容はベールの中。どうなっているのか。政府からの詳しい説明もない。あれだけの国民的議論は何だったというのだろうか。

大詰めの中、TPPの問題点を、あらためて指摘する本が緊急出版された。日本農業新聞取材班編集『TPP いのちの瀬戸際―壊国協定のベールを剥ぐ―』(創森社)

    DSCN4951.jpg

日本農業新聞が、この間行なってきた「TPP反対 ふるさと危機キャンペーン」で寄せられた各界・各層からの幅広い意見(投稿、インタビューなど)を掲載したもの。
私も市長時代インタビューを受けた。
その内容を以下に紹介する。


                   暮らし映す清流失う

                                  四万十市長 田中 全
                                  日本農業新聞2012.8.24

 四万十川がなぜ「日本最後の清流」といわれるのか。それは水の美しさからだけではない。人々が川と共に暮らしてきた歴史と文化を、今もその清流に映すからだ。環太平洋連携協定(TPP)に参加をすれば、こうした豊かさは失われてしまう。

 四万十川は2009年、全国の河川で唯一、流域全体が重要文化的景観に指定された。文化的景観とは、自然に関わる暮らしの中で人がつくってきた風景だ。棚田や沈下橋、伝統漁法などがそれだ。

 四万十にはファンが多い。歴史や文化を持つ四万十の魅力に気付いてリピーター(再来訪者)となり、移住してくれている。市の情報提供や観光施設の優待が受けられる「四万十市ふるさと応援団」は2年半で1120人になり、ふるさと納税は1千万円を超えた。全国から人が集まり、自然体験や移住などに取り組む法人も立ち上がっている。
 市の人口は平成11年度、転居による増減が差し引き58人増となり、約10年ぶりにプラスに転じた。地域はこうした人々に支えられている。四万十の魅力が失われればどうなるのか。

川は放っておけば自然にきれいなまま残るものではない。流域に人が暮らし、山の木を切り、植え、田畑を耕し、水を管理することで保てる。四万十の魅力を形作り守っているのは第一次産業であり、暮らしている人々だ。
四万十にはこれといった特産がない。雨が降ると冠水しやすいため、水稲が中心だ。そんな中、生産者はユズなどを使った特産品づくりに取り組んだり、農家レストランを営んだりと、努力をしている。

 木炭が消え、1964年に木材輸入が自由化され、木を切らなくなった。TPPで農業が立ち行かなくなれば、追い打ちをかけることになる。市では、TPPに参加をした場合、米と畜産だけで12億3千万円ほど減ると試算している。ただ、農業は地域の暮らしや環境を守るものだ。数字では測れるものいではない。

 「里も栄えて街も栄える」。中村は、かつて四万十川流域の農林業の生産物が集まる典型的な商業の町として栄えた。それが戦後の国策で農林業が勢いを失うとともに衰退した。高齢化の進む地方が、農業が、PTTでとどめを刺されれば、次に寂れるのは都会だ。

 TPPはいろんなものを切り捨て、強いものがより強くなるだけのもの。政府には、自由競争で利益だけを追求するのではなく、地方の豊かさを認識してもらいたい。
                                               以上

プロフィール

田中全(ぜん)

Author:田中全(ぜん)
四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃんです。

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