名護市稲嶺進市長の訴え

11月29日、「名護市と連帯・交流する集い」を開いた。

前日、四万十市で「友好都市サミット」が開かれ、大阪府枚方市(事務局)、沖縄県名護市、北海道別海町からそれぞれの首長と議長が参加した。せっかく名護市稲嶺市長がみえるのだから、公式行事のあと、一般市民との交流の場もつくってほしいと、私から申し入れたところ、稲嶺市長から快諾をいただいた。沖縄に帰られる直前、朝9時からの開会であったが、会場の四万十市社会福祉センターにはホールいっぱいの約150人の市民があつまった。

私が歓迎挨拶をし、稲嶺進市長と屋比久稔議長から、辺野古への米軍基地移設をめぐる現状等について報告してもらい、意見交換。これからも一緒にがんばろうと、市民からの応援メッセージもあり、友好的な雰囲気で進められた。閉会挨拶は岡本淳・元中村市長がおこなった。

沖縄全島が燃えている。これまでとはステージが大きく変わった、政府は窮地に追い込まれている、という強いインパクトを受けた。

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以下は、稲嶺市長と屋比久議長の話の要旨です。


( 稲嶺進市長の話 )

みなさん おはようございます。

今回、「友好都市サミット」で四万十市におじゃましていましたが、このような交流の場をつくってくだるというので、喜んで引き受けました。というのも、いま大混乱の中にある沖縄の問題が、どこか遠い国の話だと思われているのではないかと心配しており、多くの人たちに沖縄の現状(国土面積0.6%に米軍基地74%が集中)を知ってもらい、問題意識を共有したと願っているからです。

沖縄の新聞2紙は、沖縄の基地にかかる事件・事故について詳しく書いていますが、全国紙などではあまり取り上げない。取り上げても、わずかなスペースであり、中身を伝えてくれない。情報格差を覚えます。

先に沖縄の全41市町村の首長と議長が「名護市辺野古への米軍基地移設反対」の「建白書」を政府に提出し、ことあるごとに要請をしてきたが、完全に無視され、一顧だにされない。大変な危機感をもっている。

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そこで、アメリカ政府や市民に対しても、直接訴えねばならないと思い、2012年に続き、今年5月にも、ニューヨーク、ワシントンに行って来た。1週間でマスコミ12社、47人の国会議員・団体に会ってきた。

国会(上下院)の軍事委員会委員の1人は、沖縄の人口は2千人ぐらいなの? と言っていた。コロンビア大学では、沖縄の名前も場所も知らない学生がいた。日本と言えば、富士山、京都、東京ぐらいしか知らない。

9月には、琉球大学の学生の前で講演した。いまの学生たちは、生まれた時から米軍基地があり、それが当たり前になっている。現状を説明するだけでは理解できない。そこで、きょうみなさんにもお配りしている戦後の沖縄の歴史年表をレジメとしてつくった。安倍首相がなぜ集団的自衛権にこだわるのか、なぜ日本が韓国・中国から名指しで非難されているのか等は、戦後沖縄の歴史を知らないとわからない。アメリカの歴史家、オリバーストーンは「歴史を学べば、今と未来が変えられる」と言っている。

 いま、沖縄には2万5千人~3万人のアメリカ兵がいる。そのうちの70%が海兵隊です。海兵隊が一番事件や事故をおこす。この海兵隊が沖縄に来たのは1956年です。岐阜と山梨から来ました。その頃は、日本全体で反米反基地闘争が盛んな時で、そこにいられなくなった。

当時、沖縄の施政権はアメリカにあり、銃剣とブルドーザーで基地をつくり、「基地の中に沖縄がある」状態となったため、沖縄なら大丈夫ということで送りこまれてきた。

日本は7年間の植民地時代を経て、1952年、サンフランシスコ条約で「独立」を果たした。しかし、その舞台裏では、日米安保条約と日米地位協定が結ばれた。戦争が終わったら、勝った国は自国へ引き揚げるのが国際法の原則だが、「アメリカが望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利」を保障させるため、安保条約と地位協定を結んだ。当時、天皇もこれをすすめた。アメリカの重点は、サ条約→安保→地位協定ではなく、その逆にあったと、寺崎太郎外務省アメリカ局長はのちに書いている。

名護市では、最近市民向けのパンフ(「米軍基地のこと 辺野古移設のこと」)をつくった。きょうみなさんにもお配りしている。国は県の意見を求め、県は市の意見を求める。市は市民の意見を求めるので、現状をわかりやすいよう、中学生にもわかるようまとめた。英語版もつくった。

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最初に、豊かな恵み、辺野古・大浦湾について書いている。ここの生物多様性は世界遺産クラス。ここに基地ができる。この基地は普天間からの「平行移動」ではない。滑走路はv字の2つになる。弾薬搭載施設、軍港、燃料桟橋、水陸両用車上陸斜面等は、普天間にない施設。また、また滑走路は長さ1800メートル、海面上高さ10メートルであり、海上にコンクリートの固まりがドカンとできる。

なのに、環境アセスメントは穴だらけ。3,4年かけなくてはならないのに、急いで1,2年でやろうとするからだ。われわれは、着工に間に「合わせる」ための「アワセメント」ではないかと言っている。オスプレイ配置も最初は隠して、あと出しジャンケンで出てきた。

政府は沖縄県知事(仲井真)から埋め立て承認を得たので、法治国家として「粛々」と進めると言っている。海上ゲート前は、海上保安庁の船60隻が反対運動のカヌーや漁船を囲んでいる。けが人も出ているが、意に介さない。しかし、それこそ法治国家としては名護市を無視できない。名護市長がもつ、埋め立ての6つの権限について許可申請をしてきている。権力を持つ大きな国が姑息なやり方で。

申請書が入った封筒を夕方5時の閉庁直前に黙って入口の机の上に置いていく。また、市が審査しないうちに、どうせだめだろうと、はや3件を取り下げた。市長の権限をすりぬけて県に申請を出したり、この国はどうなっているのか。

時間をかけたアセスをやっていないので、質問をしても答えられない。政府は「粛々」と言っているが、埋め立て工事は進んでいない。ヤードを置くこともできない。2つの漁協は許可をだしていない。政府は強がりを言っているが、内実は進んでいない。あせっている。アメリカからは、辺野古はダメではないか、第2、第3のプランが必要ではないかという声が出ている。

これからは知事もダメと言う。これで粛々と進むことはありえない。日本の民主主義は成熟していないが、アメリカはそれをリードしてきた国。市長、知事がダメと言っているのに、日本政府は非人道的、非民主主義的なやり方をしていると、アメリカから「待った」がかかると思う。

日本は宗主国のアメリカ、親方にきらわれたくない、ほめられたいのだ。先の防衛大臣の森本さんは言っていた。「軍事戦略的には沖縄でなくていいが、政治的には沖縄がベストだ」。沖縄は国土面積の0.6%、人口の1%であり、力でねじまげることができる範囲。アメリカに対して、いいことを言える、やっているというメッセージを送れる。

アメリカは財政的にきびしい。海外負担軍事費は10年間で10兆円になる。いま戦略のグローバルな世界再編をしている。沖縄の兵士9千人をグアムやオーストラリアに移したいのだが、日本が沖縄に居てくれと言っている。アメリカにとっては兵士が本国に帰ることが最大の雇用につながるのに。(雇用の大将)

アメリカに、1兆円をかけて新基地(辺野古)をつくりますかと聞いたら、NOと答えた。日本が出て行ってくれるな、基地をつくってくれるというから居るのだと。そもそも、辺野古への普天間の移設というのは、国民の目をそらす問題のすり替え。直接関係のない話。日本は普天間を5年以内返還と言っているが、アメリカは早くて2022年と言っているように。

アメリカの基地はヨーロッパにもある。日本の地元負担は、ヨーロッパ各国負担合計の2倍を超える。日本はありがたい存在。なのに、新基地(辺野古)ができても、その運用について日本は何も言えない。野田前首相は、オスプレイについては、日本がとやかく言えることではないと言っていた。日本政府は誰のことを思っているのか。

翁長新知事もアメリカに行きたい、今までとは状況が違うと伝えたいと言っている。私も同行したい。「ひらみかち うまんちゅの会」(がんばろう みんなという意味。知事選の応援協力組織)からも集団でアメリカへ乗り込もうと言っている。

戦後69年間、沖縄は基地被害にあってきた。差別的扱いを受けてきた。これ以上はガマンできない。保革を乗り越えて一つにまとまろうというのが、「建白書」の精神だ。社民党とか、共産党とかの政治的イデオロギーではなく、基地問題では一つにまとまるべきだ。

私が市の教育長をやめて、市長選挙に出馬をしたのも、市議会の保守の人たちの半分がわたしのところへ来て、あんたが出ないとダメだといわれたから。そのあとに革新の人たちが来た。結果、3分の2の市会議員にかつぎだされた。その名護版が今回沖縄版になった。

われわれは全国の新聞の社説などを見て比較している。その中で、高知新聞は沖縄の問題に関心をもってくれている。うれしい。今朝もインタビューを受けた。高知県には親しみをもっている。

今後ともよろしくお願いいたします。


(屋比久稔・名護市議会議長の話)

私は市会議員6期目。議会は稲嶺市長を支える与党が多数であり、私も与党です。

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稲嶺市長にはわたしら保守の議員が出馬を要請し、あとから革新も参加をしたもの。この名護方式が今回の知事選で沖縄方式となった。

知事選と同時に県会議員補欠選挙があった。名護市では前回市長選で敗れた元県会議員が返り咲きをはかろうとしたので、われわれの側は、最初から白旗をあげてはいけない、無投票ではいけないということで、共産党市会議員を10期やった具志堅さんに立候補をすすめた。本人はもう引退したのだからと言われたが、われわれ14人の与党議員がみんなで応援をするからということで立候補してもらい、1千票差をつけて勝った。本人が一番驚いていたが、われわれには勝つ自信があった。これで名護市の県会議員は2人とも稲嶺与党側になった。

沖縄の自民党衆議院議員4人は、辺野古基地反対で当選したのに途中で公約を破った。首相官邸の前で、首がダレ、さらし者になった。今度の総選挙では誰も当選しないだろう。

知事選と同様、「ひらみかち うまんちゅの会」から統一候補を出すことになった。
10万票差をつけた「建白書」がモノを言うだろう。

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ブログ「名護市長 稲嶺進さん」http://hatanakamura.blog.fc2.com/blog-entry-119.html

 


椎の実

 今年のいちじょこさん(一條神社大祭、11月22~24日)は天気にも恵まれ、最近の中では、人出も多かったように思う。

しかし、私が子どものころの混みようは、こんなものではなかった。今年は人が出ているといっても一條神社周辺と、天神橋アーケードから一條通りまで並んでいる屋台だけであるが、昔は町全体が人であふれ、歩くのに苦労をした。

いろんな興業があった。毎年サーカスが来ていた。場所は、いまの市役所西側の竹葉のたこ焼き屋の一帯。アクロバットショーなどをドキドキして見た。また、市役所庭では相撲大会(高校、中学)をやっていた。太陽館や中劇の映画も満員だった。

 一條神社の参道階段下では、いつも傷痍軍人らしき人たちが、顔や手足に包帯を巻き、松葉づえに肩をかけ、哀愁をおびたアコーデオンを流し、援助を乞うていた。私は子どもごころに、その姿を見るのが気の毒というよりも怖くてたまらず、顔をそらして、早く前へ進みたいとあせるのだが、階段を登る人と降りる人が押し合いへしあいで、身動きがとれず、どうにもならなかった。

そんな時、いつも椎の実を炒った、あの香ばしいにおいがぷ~んと、鼻をついた。参道入り口や道端のあちこちで、椎の実を売っていた。

私は親からもらった小遣いで、いつも小さな袋を買った。10円か20円ぐらい。あつあつの椎の実を歯でパチッと噛んで、割れ目を大きくしてから、指で皮をはいで食べる。大人も子どもも、サーカスや相撲を見ながら、みんな食べていた。中村のまちじゅうに、椎の実のにおいが充満していた。

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太陽館や中劇では、みんな入口の売店で椎の実を買ってから入り、映画を観ながらパチッ、パチッとやっていた。満員で、立って食べている人も。席の下や通路の隅には、皮がたくさん落ちており、踏むとバリバリと音がしていた。

 椎の実そのものは、めずらしいものではなかった。八束小学校の裏山は天満宮になっており、大きな椎の木がたくさん生えていて、学校の帰りには木に登って、恐る恐る先端の枝を折ってから取る、そのスリルを楽しんでいた。実を包んでいるぶつぶつの袋(袴)から取り出し、少々青い実でも、そのまま食べた。

しかし、いちじょこさんで食べる椎の実は、いつもの椎の実ではない、特別なものだった。生ではなく、火で炒められていたこともあるが、何と言っても粒が大きかった。その椎の実は鹿児島県の奄美大島産だったと、その後聞いた。南の島の椎の実はとびきり大きかった。

今年のいちじょこさんでも、椎の実を売っていないかと探してみたがどこにもなかった。今年だけでなく、しばらく椎の実を見たことがない。 

 私にとって、椎の実を炒った、あのぷ~んと香ばしいにおいは、なつかしい「おまち中村」のにおいです。

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県政シンポジウム

 県政シンポジウムが、11月15日、高知県立大学で開かれ、参加した。
主催は高知県革新懇、革新県民連合。いま2期目の尾崎県政は来年12月が改選。次期選挙をにらんで、現在の県政の課題を明らかにし、その取組み状況を評価しようというもの。

パネラー
産業振興  福田善乙 高知短大名誉教授
医療福祉  近森正幸 医療法人近森会理事長
教育    加藤誠之 高知大教育学部准教授
コーディネーター(司会)  田口朝光 高知県労連委員長

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最初に、パネラーがそれぞれ自分の専門分野について発言。そのあと、会場参加者も含めて意見交換した。

産業振興と医療福祉分野については、県政課題は、過疎、高齢化、人口減少等の問題に収斂されていることは、誰の目にも明らかであり、いま取り組んでいる移住促進策等に対して、大きな異論もなく、また目新たらしい提案等もなく、もの足りない内容であった。

県の産業振興計画については、福田氏が策定にかかわっていることもあり、現状の課題等については詳しい説明があったが、県の取り組みを客観的にどう評価するかの、よくやっているのか、不十分なのか、切り込みがなかった。

これに対して、教育分野については、加藤氏から、県の教育行政への厳しい批判があった。私自身、教育問題については、これまで勉強不足であったこともあり、得るものが多かった。

1. エリート主義が蔓延。これは尾崎知事の考えが強く反映している。エリートを育て引き上げることに熱心で、底辺に目がいかず、全体を底上げするという視点がない。

学力テスト結果は、全国比、小学、高校(大学センター試験)はいずれも平均的だが、中学だけが極端に悪い。この要因の一つは、高知県は私学上位である中で有力私学がテストに参加していないから。問題なのは、全体として、上位グループと下位グループに二極化し、中抜き状態になっていること。つまり、下位が切り捨てられている。

また、高知短大は廃止になってしまったが、これまで大きな役割を果たしてきた。高校不登校の受け皿、高知大への編入学、社会人教育、等々。廃止の声はどこからも上がっていないのに、県が強引に廃止。その代償に、県立大に社会科学系大学院を新設するというのも、現場感覚からずれた、エリート主義のあらわれ。

2. 文部科学省行政に忠実に追随。
尾崎知事は国の教育再生実行会議委員であるためであろう。

道徳教育に熱心。現役教員を高知大大学院が受け容れているが、毎年、道徳教育の分野ばかりであり、偏っている。

文科省が最近進めている「バカロニア構想」(国際共通教育プログラム)をいち早く導入しようとしており、混乱している。これもエリート養成が目的。


 シンポジウム全体を通して、尾崎知事は、財務省出身だけあって、国からカネをとってくるのは得意であるが、その使い方がヘタという発言が多かった。つまり、国に対しては、常に目配り、気配り、発言等をしているけれども、県内の実情には目がいき届いていない。要は「上を見て、下を見ない」ということ。エリート主義は、教育分野だけでなく、県政全般に共通することだ。

 会場からも、たくさんの発言があった。私からも、市長を経験した立場から、地方自治のあり方について、以下の発言を行なった。

地方自治の基礎単位は市町村であり、基礎自治体といわれる。県民は県民である前に、市町村民であり、市町村が最も身近な存在。県民の幸せのためには、まず市町村が強くならなければならない。しかし、県と市町村の力関係でいえば、尾崎県政になってから、相対的に県の力が強くなり、市町村の自立性が失われてきている。高知県の愛媛県化(県の力が強い)が進んでいる。

産業振興計画や健康長寿県構想など、いまの県政が取り組んでいる内容そのものには大きな問題はないが、その進め方がトップダウン的。市町村と一体となってやるというよりも、県が強引に主導するやり方。市町村が独自なことをやろうとすると圧力をかけてくる。また、本来、県と市町村の役割分担があるに、県が何でもやろうとする。(例、集落活動センター)

・・・・

シンポジウムの参加者は約70人と少なかったが、県政のあり方について、県民、市民が参加した、こうした意見交換の場はこれまでなかったことから、開催の意義大きかったと思う。

意外だったのは、地元高知新聞の取材がなかったこと。
このような場の報道をすることこそ、地方紙の使命だと思うのに残念である。

小松丑治と岡林寅松

 10月12日、第2回大逆事件サミットが福岡県・みやこ町(旧豊津町)で開かれ、参加してきた。

第1回は3年前、私が市長をしていた時、「幸徳秋水刑死百周年記念事業」として四万十市(旧中村市)で開いた。2回目は秋水の盟友、堺利彦の生誕地である

大逆事件(1910年)の犠牲者は死刑12人、無期懲役12人を含む26人に及ぶ。サミットでは、事件犠牲者の名誉回復と顕彰運動に取り組んでいる全国12の団体が各活動を報告し、人権弾圧のない世界を目指すことを確認した

私は市長を退任したが、サミットの初志を忘れないため、和歌山・新宮、岡山・井原、大阪へでかけ、当地の団体と交流を深めた。そうした中、ハッと気づいた。肝心の地元高知の秋水以外の犠牲者を忘れているではないかと。それは秋水以外に4人。奥宮健之が死刑、坂本清馬、小松丑治、岡林寅松が無期懲役であった。

秋水は事件の頭目にされ、「幸徳事件」とも呼ばれたぐらい。日本を代表する思想家、ジャーナリストとして名を残している。また、健之は植木枝盛らとも行動を共にした自由民権運動家として、清馬は事件最後の生き残りとして再審裁判を行ったことなどから、名前を聞いた人もいるだろう。健之墓は東京に、清馬墓は秋水と同じ中村にある。

 しかし、高知市内に墓がある残る2人、小松丑治、岡林寅松の名前はほとんどが埋もれた状況のようだ。そこで、2人のことを調べてみた。

ともに1876年、高知市生まれで、高知師範付属小学校の同級生だった。 丑治が先に高知を出て、神戸の海民病院の仕事(事務)につき、医師になるため独学中の寅松を呼び寄せた。神戸港湾は労働者の町。2人は秋水らが創刊した
平民新聞を読み始め、読書会を始める。神戸平民倶楽部と称した。

ただ、それだけの活動なのに全国の社会主義運動家を一網打尽にする大逆事件の罠(わな)にはめられ、ともに長崎・諫早監獄に送られた。20年後の1931年、仮出獄した。

その後の記録は少ないが、たどってみると、丑治は神戸で1人待つ妻のもとに戻っていた。しかし、世間からの迫害、差別、貧困の中で太平洋戦争敗戦2カ月後、栄養失調で没した。

寅松は事件直後に妻と離縁。出獄後は大阪で独り暮らしたが、戦災で焼き出され、高知に帰郷。春野の妹夫婦宅に身を寄せていたが48年、病死した。

 私はこの7月、2人の墓をようやく探し、手を合わせた。丑治は高知市の筆山、寅松は同じく小高坂山。参る人も少ないような状態であった。9月には、2人の足跡を神戸市兵庫区に訪ねてきた。
 
遺族関係者によると、丑治は失明寸前だった40年、目が見えるうちに先祖の墓を参りたいと、在所村(現香美市香北町)へ帰省した。部屋の奥にじっと座り、「聖人」のようだったという。

寅松も帰郷後はいつも静かに本を読んでいたそうだ。自分の運命を口にすることは微塵もなかったという。

晩年の2人には、俗世間から超越した人間の気高さを覚える。丑治は「天愚」、寅松は「野花」「真冬」の雅号を持っていた。

 県出身の大逆事件犠牲者の活動舞台はいずれも県外。それゆえ総じて県民にはなじみが薄く、また罪人のぬれぎぬを着せられたための無理解も残っている。 しかし、丑治と寅松も、秋水同様に多感な少年時代、自由民権運動の息吹を
吸って育った、まぎれもない土佐の民権運動の申し子であった。

 自由は土佐の山間より。自由、平等、博愛を掲げ、斃(たお)れた先人がここにもいることを、記憶にとどめてほしい。


 高知新聞「所感雑感」投稿
 2014.11.17

ブログ 2人の墓 http://hatanakamura.blog.fc2.com/blog-entry-92.html
ブログ 丑治の足跡 http://hatanakamura.blog.fc2.com/blog-entry-110.html

明神丸と三陸沖

 NHKテレビ「プロフェッショナル 仕事の流儀」(11月10日放送)で佐賀明神丸が紹介されていた。「開拓せよ、最強の一本釣り ― カツオ漁師 明神学武」

佐賀明神丸の母港は高知県佐賀港(旧佐賀町、現黒潮町)。明神水産はカツオ船8艘もち、その中の第83佐賀明神丸(149t)は近海カツオ一本釣り漁獲高日本一を誇っている。その敏腕の漁労長明神学武さん(40歳)の紹介番組だった。

佐賀明神丸は1年のうち300日、黒潮に乗ってカツオを追う。1月下旬、佐賀港を出て、九州沖から四国、和歌山沖をのぼり、6~11月は三陸沖が主な漁場となる。三陸沖だけで年間の約半分を、気仙沼港に水揚げする。

カツオ漁は、いかにカツオの群れを発見するかにかかっている。番組は、明神学武さんの、その優れた探知能力を解明することがテーマ。だから、学武さんのプライベート生活などに密着した取材だった。

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 それはそれで見応えのある内容であったが、明神丸がいま岐路に立たされている近海カツオ漁の現状の問題についての掘り下げはなかった。

その問題の一つは、カツオ資源の問題。今年の春先は極端な不漁であった。地球温暖化や乱獲の影響が考えられる。

もう一つが、主要漁場である三陸沖が福島原発事故の影響で海洋汚染が進んでいるとみられる問題。これにどう対応するか、いつまでここで漁が続けられるのか。この問題については、このところ明神照男・明神水産会長(前社長)が将来への懸念発言をしている。

 私もメンバーになっている脱原発をめざす首長会議では、9月6,7日、脱原発講演会&対談を、四万十市と高知市で開いた。明神会長は両日とも参加され、会場から問題提起の形で、以下のような発言をされた。

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今年7月、福島県相馬市の松川浦漁港に行って来た。原発による海洋汚染の影響について調査するため。福島沖の漁は、まだ全面解禁にはなっていない。獲った魚の放射能汚染調査をしながら、少しずつ解禁されてきてははいるが、将来本当に復活するのか心配になった。

福島原発からは、いまでも汚染水が海に垂れ流されている。放射性物質は海底に沈殿する。巻き網漁船は、それを巻き上げて操業。まず、海底のプランクトンや小魚が汚染される。その小魚などを中型、大型の魚が食べる。カツオ、マグロなどは広く回遊する。福島発の食物連鎖により世界の海が汚染されつつある。

明神会長の先輩たちは、ビキニ水爆実験の最中、南太平洋でマグロ操業をしていた。その後、先輩たちは、40~60歳代で、ガンで死ぬ者が多かった。放射能で汚染されたのは第五福竜丸だけではなかった。高知県の多くの船も汚染されていたことがわかったのは最近のこと。明神会長には、その悪夢がある。
<ビキニの海は忘れない>http://hatanakamura.blog.fc2.com/blog-entry-108.html

 三陸沖は、黒潮と親潮がぶつかるところ。世界の三大漁場の一つ。
一番心配なのは、船員の家族から「父ちゃん、もうあんな海には行かないで」と言われるのではないかということ。

福島原発については、東京電力は信用できない。
別のNHKテレビで、漁民が震災ガレキ拾いの日雇い仕事をしており、その子どもが「お父さんの仕事はガレキ拾い」というシーンがあった。それを見て、心が痛んだ。福島の漁民は本当に気の毒だと思う。なんで、こんなことになってしまったのか。

 ・・・・・・

漫画「美味しんぼ」の鼻血記事騒動もそうだったが、こんな発言をすると、すぐに「風評被害」だといってタタかれる。しかし、「風評」とは、根拠がないデマのこと。事実や真実を伝えることを、風評のレッテルを貼って口封じをすることで喜ぶのは、いま復活してきている「原子力ムラ」の人々である。原発被害を隠す。マスコミもそれに利用されている。

「東北復興」の報道は続けられているが、その大半が津波被害地域の紹介であり、いまなお故郷に帰れない12万人の原発避難者の報道は最近ほとんどされない。海に出られない漁民の現状についてもそうだ。
彼らは「復興」の展望が開けないままだ。

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原発における「地元」とは

 鹿児島県知事が川内原発再稼働に同意した。原発のある薩摩川内市長に続くものだ。これで地元の「お墨付き」がもらえたということで、政府は年明けにも、原発再稼働に踏み切ることが確実になった。

鹿児島県知事と薩摩川内市長は、これまでも再稼働に積極的な発言をしていたことから、今回の手続きは「出来レース」なのだが、こうなると一番問題なのは「地元」とは、どの範囲なのかということである。

いまの国の「手続き」では、「地元」は原発立地市町村と、その都道府県だけになっている。しかし、これはおかしい。福島原発事故を受けて、原発から半径30キロ圏内を「避難区域」とする新たな基準が定められ、当該市町村では「避難計画」の策定が求められることになったからだ。

原発事故が起これば放射能は無限に広がっていく。被害は立地市町村だけにとどまらない。これは福島をみれば明らかなこと。ならば、最低限でも、半径30キロ圏内の市町村の「同意」をとることが必要なことは「常識」に属すると思う。

川内原発では9市町が30キロ圏内である。現に隣接する、いちき串木野市、日置市は、自分たちの意見も聞くようにと要求している。

 これに対し、きのうの伊藤祐一郎鹿児島県知事の発言がふるっている。
「原発に対する知識の少ないところの意見を聞くと、議論が錯綜する」ので、現状のままでいいと。
このほど、宮沢経済産業大臣が鹿児島県に来たさいも、訪ねたのは薩摩川内市と県庁だけで、近隣市町は素通りした。

政府の狙いははっきりしている。
とにかく原発を再稼働させたい。そのためには、同意の範囲を広げて、いろんな意見を聞くことで、時間をかけたくないということだ。

しかし、これは矛盾である。一方では、原発の安全性について広く国民の理解を求めると言い、「避難計画」も広くたてさせると言いながら、それは口先だけで、本音は、最初から再稼働ありきで、なるべく早く動かしたい。だから、そこを突かれると、鹿児島県知事のような、トンチンカンな言い訳をしなければならなくなる。

周辺自治体も「原発知識が少ない」とは、バカにされたものだ。
要は、政府など「原子力ムラ」の人たちにとって、住民の安全は二の次であるということである。

 ところが、ややこしいのは、原発の隣接自治体でも意見を言いたがらないところが多いという現実。理由は、政府の意向を忖度し、さからいたくない。政府ににらまれると、あとがこわいというもの。例えば、伊方原発(愛媛県伊方町)に隣接する八幡浜市や大洲市は、いまだにダンマリである。

わが高知県の尾﨑知事も同じ。以前このブログにも書いたが、今年2月の記者会見で、「地元同意」については、「高知県の同意を条件とすることは求めない」、その理由として、「距離の近いところの発言力が強いことは合理的な姿だ」と言っている。http://hatanakamura.blog.fc2.com/blog-entry-45.html

つまり、高知県は「距離」が遠いから、発言を遠慮するということ。伊方から高知県への距離は四万十市と梼原町が最も近く50キロである。この距離は遠いから安心というのだろう。

高知県にとっては、冬には北風が吹くので、この距離はあってないようなものである。また、四万十川の愛媛県側の支流広見川の源流点は30キロ地点であり、そこに降った放射能で四万十川は死の川になってしまう。

原発事故においては、従来の距離の概念を根本から変えなければならないことは、高知県知事もわかっているのに、あえて目をつむっているのだ。

これは知事としての責任放棄である。
知事をはじめ地方自治体の首長の責務の最大のものは、住民の生命と財産を守ること。現に、京都府知事や滋賀県知事は、福井県の原発に対して、自分たちにもモノを言わせろと国に要求している。

 原発における「地元」であることから、逃げ回っている首長には、そもそも首長の資格はない。

名護市長 稲嶺進さん

 沖縄県名護市長の稲嶺進さんが、今月27~29日、四万十市にやって来る。

以前にもこのブログに書いたことがあるが、名護市と四万十市は「友好都市サミット」のメンバーとして交流している。同サミットは、大阪府枚方市を軸(事務局)として、同市と友好都市縁組を行なっている、四万十市、名護市、北海道別海町で構成している。 http://hatanakamura.blog.fc2.com/blog-entry-37.html

四万十市は旧中村市時代の1974年、枚方市と縁組をした。今年で40年になる。枚方市は、その後、名護市、別海町とも縁組をした。そうした縁で、4市町は3~4年毎に持ち回りでサミットを開き、交流をしているのだ。

そのサミットが28日、四万十市で開かれる。今回は、それぞれの産業振興策をテーマに、意見交換をすることになっているが、これは、いわば行政トップ同士の公式行事である。一般市民は参加できないし、公式日程の中に、市民が参加できる交流の場はない。

 そこで、これまで友好都市交流をしてきた経験をもつ、私と元中村市長の岡本淳さんで、稲嶺市長に一般市民との交流の場をもってほしい、と申し入れたところ、快諾をいただいた。

公式行事終了後の11月29日(土)、沖縄に帰られる日の午前中に、「名護市と連帯・交流する集い」を開くことになった。名護市議会屋比久稔議長も参加してもらえる。

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    稲嶺進市長

いま沖縄知事選挙の最中である(11月16日投票)。
最大の争点は、名護市辺野古への米軍基地建設の是非である。現職の仲井真知事は前回知事選の公約(辺野古に基地はつくらせない)を反故にし、いま政府と一体になって、強引に建設を進めようとしている。

これに対し、地元の稲嶺市長および名護市議会は建設を絶対に認めないと頑張っている。沖縄県の全市町村長も一致して建設反対の建白書を提出している。

辺野古の問題は、沖縄だけの問題ではない。憲法9条の解釈変更で、集団的自衛権の行使を認める閣議決定がなされたばかりだが、その象徴が辺野古である。辺野古へ新たな米軍基地をつくらせないということと、平和憲法を守ることは同じである。平和日本を守れるかどうかが今回の選挙にかかっている。

「集い」では、その先頭になって闘っている稲嶺さんを激励し、四万十市民も一緒になって闘おうという意思統一をしたい。稲嶺さん、屋比久議長から、現地情勢について報告してもらうことになっている。

そのためにも、11月16日投票の沖縄知事選挙では、辺野古への米軍基地建設阻止を公約に掲げる統一候補、翁長雄志候補(おながたけし、前・那覇市長)に、ぜひとも勝利してもらいたい。

「集い」がその勝利報告会になることを、祈っている。
「集い」には、市民だけでなく、だれでも参加できます。
多くの方の参加を呼びかけます。

沖縄知事選挙。
沖縄のみなさんは、ぜひ翁長さんに投票してほしい。
全国からも、翁長さんへ熱いエールを送ろう。

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  翁長雄志候補
プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

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