近況報告

拝啓 いま四万十川河口付近では、寒風の中、青ノリ採りとシラスウナギ漁が行なわれており、この季節の風物詩となっています。
 その後、ご無沙汰しておりますが、ますますご健勝のことと存じます。
 さて、私は四万十市長を退任してから、今年5月で丸2年を迎えます。ちょうど還暦に合わせて、完全フリーになりましたので、生活にリズムを失ってはいけないと思い、以前から少し経験のあるランニングを再開しました。地元の四万十川ウルトラマラソンをはじめ、いくつかの大会に出場しています。
 私は残りの人生はふるさとのために役立ちたいと思い、生まれ故郷に帰ってきました。その気持ちは、いまも微塵も変わってはいません。
 そんな中、最近喧伝されている「地方創生」には、強い違和感と怒りを覚えます。経済原理至上主義のアベノミクスで、地方を切り捨て見殺しにしている張本人が唱えるとは、滑稽この上ありません。自らの経済政策の矛盾の目くらましのために、飴をばらまく。それの露払いをするマスコミ・・・
 「地方創生」は、都市が地方を救ってやるという、都市の傲慢さを表しています。都市が上、地方は下。
 とんでもありません。地方はいまさら創ってもらわなくとも、デンと存在しています。人間が人間らしく生きられる。地方にこそ真の豊かさがあります。
 にもかかわらず、中央集権政治システムの中で、地方自治は息を止められようとしています。本来なら市町村(基礎自治体)の代表であるべき県が国の出先機関となり、市町村に圧力をかけてくる。市町村は、自律性を骨抜きにされ、国・県のコントロール下にすすんで身を沈めて行く。
 そのシンボルが原発であり、「原子力ムラ」のシステムです。
 私はいま「脱原発をめざす首長会議」に入っています。昨年9月には、四万十市と高知市で、講演会と対談を企画しました。その報告書を、このほどブックレット『フクシマそしてクボカワ』として出版をしましたので、お送りいたします。この本は書店のほか、ネット販売もしています。
 原発再稼働に向けた動きが本格化していますが、私はこの問題は、地方が都市への隷属から脱却できるかどうかの問題だと位置付けていますので、今後も重点的に取り組んでいきたいと思っています。
 もう一つ重点的に取り組んでいるのが大逆事件犠牲者の顕彰活動を通した人権問題の提起です。事件の中心人物とされた幸徳秋水はわが中村生まれです。私が市長在職中の2011年は、秋水らが処刑されてから100年目にあたったことから、市ではこれの記念事業を大々的に行ないました。事件犠牲者は全国にいます。そのネットワークをつなぎ、事件を風化させないことは、秋水の地元市長の使命だと思っています。
 安倍政権のもとで、特定秘密保護法、集団的自衛権が強行され、憲法9条改正が脅かされている現状では、この取組みは特に重要だと思っています。
 かつて、日露戦争前夜、幸徳秋水は「愛国心」を論じています。「自家愛すべし、他家憎むべし・・・この主義や常に専制政治家が自家の名誉と野心を達するの利器と手段に供せらる」(『二十世紀の怪物帝国主義』)。いま、政府があおっている排外主義は、100年前と同じです。
 先の総選挙では安倍政権が勝利したようにみえますが、本当の勝利者は沖縄です。昨年11月、沖縄県知事選挙直後、四万十市に稲嶺進名護市長を迎え連帯集会を開いたさい、稲嶺さんは自信満々に「沖縄総選挙では自民党は誰も当選しないでしょう」と言っていましたが、本当にその通りになりました。驚きです。辺野古で追い込まれているのは安倍政権です。
 自公政権は盤石のようにみえても、決して安定はしていません。砂上の楼閣のような危うさをもっています。「オール沖縄」が「オール日本」になれば、簡単に崩れます。しかし、決して甘くみてはいけない。ワイマール体制がいつのまにかヒットラー政権になったドイツの二の舞になってはいけません。
 私は昨年暮れ、こちらに帰ってから住んでいた中村の街なかから、四万十川河口近くの実家に戻りました。高校時代に出てから、46年ぶりです。「終の棲家」として、ここに根を下ろしました。
 私は2年前から、FB(フェイスブック)とブログ「幡多と中村から」を始めています。いまはこれを書くのが日課になっています。ネットをされている方は、ご覧いただければ幸いです。
 これからも、どういう形であれ、ふるさとのためにを軸として、いろんな地域課題に取り組み、発信していきたいと思っています。
 以上、近況ご報告に替え、日頃からのご無沙汰のお詫びを申し上げます。
 今後とも、ご交誼と、情報交換をよろしくお願い申し上げます。
 寒い時節柄、どうぞご自愛ください。              
                                        敬具
 
  各位
                                 2015年1月

                                 田 中 全

                

名鹿

 「名鹿」 と書いて 「なしし」 と読みます。

私は実家に戻って来てから、いろんなランニングコースをさがしている。きょうは、家から四万十川河口に向かって走り、海岸沿いに、名鹿、立石、布、下ノ加江から伊豆田トンネルを抜けて、ぐるっと一周して来た。はじめてのコースで32キロ。

名鹿には四万十川河口から続く砂浜がある。名鹿の浜という。私の八束小中学校時代は、遠足といえば、この名鹿の浜に決まっていた。学校から歩くと、2時間ぐらいだっただろうか。当時は、いまのような車が通れる道路がなかったため、河口の初崎からは、人とせいぜい自転車が通れるぐらいの狭い山道を越えた。山を越えると、ザーザーという波の音が聞こえてきた。海のにおいがすると、みんな走った。今ではすぐ近い海なのだが、当時は遠かった。

 名鹿には小学校の分校があった。4年生までは分校に通い、5年生から本校に来ていた。私らの学年では分校の子は5人だった。分校の子は、冬場には、朝暗いうちに家を出ていた。だから、みんな足腰が強く、運動会でも早かった。

その後、初崎にトンネルができ、海岸沿いに車が通れる道ができた。分校もなくなった。いまでは、スイスイだ。名鹿の浜は、隠れ里のように、あまりよその人が知らない浜であったが、だんだんと来る人が多くなり、最近ではサーファーに人気が高い。おしゃれなペンションもできている。移住者も多く、人口も増えている。専業農家が多く、温州ミカンとポンカンがつくられている。「名鹿みかん」のブランドで。最もへき地だった名鹿が、いま一番豊かで元気がある。

3年前、フジテレビのドラマ「遅咲きのヒマワリ」のロケにも使われたことから、知る人ぞ知るスポットになった。同じ年から、漁港広場で「名鹿まつり」も始まった。イセエビとカツオの新子が人気を呼んでいる。四万十市では、川のエビと海のエビの両方が食べられるのが売りである。

 
名鹿をもっと多くの人に知ってほしいと思う反面、地元の者だけの隠れ里として、そっとしておきたいとも思う。
昔のことを思い出し、そんなことを考えながら走った。

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  写真は9月


幸徳秋水・坂本清馬 合同墓前祭

 1月24日は、104年前、幸徳秋水が大逆事件で処刑された日。この日にあわせて、幸徳秋水を顕彰する会では、毎年、墓前祭を行なっているが、今年は同事件で無期懲役とされた坂本清馬の没後40年にあたることから、はじめて2人の合同墓前祭という形をとった。

暖かく快晴。例年、小雪が舞うなど、凍えるのに、めずらしい。この日にあわせて、まわりに生い茂っていた雑木を伐採したので、さらに空が明るくなった。2人の墓がある中村の正福寺には、約80人が集まった。

 
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最初に顕彰会の谷口平八郎副会長があいさつ。(北澤保会長は体調不良で欠席)秋水のことは皆が詳しいので、主に坂本清馬についての話があった。清馬については、前回のこのブログで書いたとおり。24年間獄中にいても一貫して無実を主張。戦後は、再審請求裁判も行なった。没40年にして、はじめて秋水と対等に扱うことになったが、もっと早くこうすべきではなかったかと思う。

今年も秋水の縁者3人が参加。東京から幸徳正夫さん、姫路から稲村知さん、地元から田中和夫さん。それぞれ献花をした。ほかに、地元行政、市民団体、政党(社民党、共産党)代表等も献花。

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そのあと2人がスピーチ。
幸徳正夫さん(秋水の義兄駒太郎の玄孫)が幸徳家を代表して。地元には幸徳を名乗る者が残っていないことから、墓の管理等、地元にはお世話になっているというお礼の言葉があった。

毎年参加してくれている高知市立自由民権記念館友の会の岡林登志郎会長からも。高知県下には、ほかに3人の事件犠牲者がいる(高知市出身、小松丑治、岡林寅松、奥宮健之)ので、ともに連携して、顕彰活動の輪をひろげていきたいと。

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閉会あいさつは私(顕彰会顧問)が行なった。
今年、合同墓前祭としたことで、秋水顕彰活動は新たなステージに入った。4年前の刑死100年を機に、ここ中村で開いた大逆事件サミットは、昨年2回目を福岡県豊津(堺利彦生地)で、来年は大阪(管野須賀子生地)で3回目を行なう。安倍政権が特定秘密保護法、集団的自衛権を強行し、対外排除の「愛国心」をあおっているいまは、100年前、秋水が非戦論を唱えた時と酷似している。こういう時だからこそ、大逆事件を忘れず、犠牲者たちの顕彰活動をひろげていくことが大切であると。

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墓前祭終了後は、会場を近くの市立文化センター会議室に移し、記念講演会を行なった。講師は作家山岡千枝子さん。演題は「秋水と地元ゆかりの人々」。
山岡さんは高知市在住だが、中村育ち。幸徳家縁者が近くにいたことから、秋水の家族について関心をもつ。「一粒の砂―小説・幸徳秋水の母多治子の生涯」「永い冬―大逆事件最後の証人坂本清馬の生涯」などの作品を書く。

幸徳家のまわりには、兼松、富田、木村などの親戚がいたが、知識階級の人が多く、みんな秋水のことを心配してくれる、心温かい人ばかりだった。秋水のことで、お互いにののしりあうようなことはなかった。

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このことは、中村の町全体でもいえる。幸徳家が迫害をされたり、のけものにされたという記録もない。いま、幸徳を名乗る家は中村にはないが、これは別の事情でそれぞれ地元を離れたためである。3人の秋水縁者も講演会に参加されたので、意見交換の中で、身内にしかわからない、そのあたりの雰囲気を知ることができた。みんな秋水のことを誇りに思って生きている。

今年の墓前祭は、墓地周辺山林の伐採と並行して、私も準備の段階から深くかかわってきたので、無事終わり、ほっとしている。

これからも、人権弾圧のない社会をめざし、全国各団体とのネットワークを拡げていきたい。

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坂本清馬

 1月15日、坂本清馬没40周年だった。幸徳秋水と一緒に眠っている正福寺の墓を、有志(秋水を顕彰する会)で墓参した。坂本清馬は大逆事件(1910年)の犠牲者の1人。死刑判決を受けたが、翌日無期懲役に減刑。

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父は中村出身だが、室戸で生まれた。旧制高知二中を中途退学し、上京。小石川砲兵工廠で働く中で、幸徳秋水の思想に共鳴。自ら秋水に近づき、秋水の書生となったり、啖呵を切ったり。秋水に「坂本君は豪傑だからね」と言わしめたように、土佐のいごっそう、直情径行の行動派だった。

大逆事件のころは秋水と喧嘩別れして東北にいたので、明治政府がでっちあげた事件とのかかわりは何もなかったが、秋水一派として逮捕された。

清馬は獄中でも一貫して無実を訴え続けた。だから、獄中でも問題囚とされ、仮出獄が許されたのは、無期懲役12人(死刑も12人)の中では最も遅い、24年後(昭和9年、1934)だった。

戦後は秋水のふるさと(自分の父のふるさとでもある)中村に住む。昭和36年(1961)、大逆事件再審請求の訴えを東京高裁におこす。裁判支援の全国組織として、「大逆事件の真実を明らかにする会」が東京に結成される。再審は認められなかったが、これをきっかけにして、それまで闇に葬られようとしていた事件の真相が広く知られ、犠牲者の名誉回復、顕彰運動が広がっていく。大逆事件サミット等、今につながる運動の起点は清馬による再審請求である。

清馬は大逆事件最後の生き残りであったが、昭和50年(1975)死去。89歳。
清馬なかりせば、大逆事件は忘れ去られていたかもしれない。清馬の果たした役割はきわめて大きい。にもかかわらず、清馬の顕彰活動はこれまでキチンとは行なわれてこなかった。ひとり秋水だけが取り上げられてきた。秋水の墓前祭は戦後まもないころから行なわれ、秋水顕彰会もできているのに。

清馬は秋水の陰に隠れたからなのか。それもあるが、その傲慢で独りよがりと誤解を招く性格や行動が、中村市民一般には受け容れられにくかったことがあるようだ。

清馬が亡くなったのは私が大学生時代。当時、清馬の名前は知っていたので、帰省中に会おうとおもえば会えたかもしれない。しかし、当時の私はそこまでの関心はなかった。いま思うと、一度会っておけばよかったと悔やまれる。
秋水顕彰会メンバーでも、清馬の果たした役割の大きさは理解していても、その強烈な個性から距離を置いていた者が多い。

24年間の獄中生活が清馬の性格をそうさせたのであろう。しかし、そんな清馬だからこそ、24年間を耐え、さらに再審請求を起こすことができた。執念を燃やし続けられたのだと思う。

没40年。すでに歴史の人である。
考えてみれば、秋水のように処刑されたほうが楽だったかもしれない。無期懲役で生きながらえ、法的には罪人の汚名を着せられたままの生き地獄。清馬こそ顕彰されるべきである。

幸徳秋水を顕彰する会では、秋水刑死日の1月24日、毎年行なっている秋水墓前祭を、今年はじめて清馬との合同墓前祭とする。清馬の墓は秋水一族と並んで右隅の裁判所壁際(秋水から右5つ目)にある。

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<ご案内>
幸徳秋水刑死104周年・坂本清馬没後40回忌 合同墓前祭
1月24日(土)12時半~
正福寺墓地(中村小姓町、裁判所裏)

引き続き14時から記念講演会。
作家 山岡千枝子
「秋水と地元ゆかりの人々」
市立文化センター1階会議室

主催 幸徳秋水を顕彰する会
  (連絡先 088039-2017 渡辺)
後援 四万十市教育委員会

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ブックレット「フクシマ そして クボカワ」

 私もメンバーの「脱原発をめざす高知県首長会議」では、このほど、ブックレット「フクシマ そして クボカワ」を出版しました。(高知新聞総合印刷)

 内容は、昨年9月、四万十市と高知市で開いた「脱原発講演会&対談」の記録をまとめたものです。講演と対談は、村上達也さん(前・茨城県東海村長)と島岡幹夫さん(元・窪川町原発反対町民会議代表)がおこないました。

講演1 村上達也 「原発事故からみえた この国のかたち」
  同2 島岡幹夫 「なぜ原発を止めることができたのか」

 司会は私がつとめました。昨年9月10日付、本ブログでも書いています。
 この本(全82ページ)は、高知県内主要書店のほか、アマゾンなどでインターネット販売(定価・税込540円)もしていますので、ぜひお読みください。 

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  ご参考までに、「はしがき」は、以下の通りです。

       ふるさとを守る ~ 四万十川は伊方原発から30㌔圏 ~

                              脱原発をめざす高知県首長会議
                                田 中 全(前・四万十市長) 

 安倍政権がまたぞろ不可解な言葉を使いだした。「地方創生」・・・「地方を創りだす」とは地方をバカにした話である。いまさら創ってもらわなくとも、地方はすでに存在している。
アベノミクスは強い者をより強く、弱い者を切り捨てていく経済原理至上主義。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)はセットの仕掛けである。地方見殺しの張本人がよくぞ言えたものと思う。
 いま大切なことは、「地方=ふるさと」を守ること、「ふるさとの価値」に気付くことである。
 わがふるさとのシンボルは四万十川。この川は時には洪水や氾濫で牙をむくけれども、流域のわれわれはその気性や性格のすべてを受け容れ、一体となった暮らしを営んできた。豊饒の恵みを受けてきた。
 四万十川の愛媛県側の支流、広見川の源流域は伊方原発から30キロ圏内。いったん原発事故が起これば、四万十川は放射能を運ぶ川、死の川にされてしまう。さらに、流域は核廃棄物処分場候補地として常に狙われている。
 3・11フクシマを受けて、高知県側の流域5市町の首長は、ふるさと四万十川を守るため、原発に頼らない自然エネルギーへの転換をめざす「四万十川アピール」を発した。原発依存からの脱却、原発をなくしていく取り組みは、ふるさとを守る闘いである。
 高知県では、1980年代、窪川原発立地を阻止した貴重な経験をもっている。窪川の人たちは草の根の反原発組織として地域単位の「郷土(ふるさと)をよくする会」〈略・ふるさと会〉を町のすみずみにつくっていった。
反原発運動のリーダー島岡幹夫さんの言葉が胸に残っている。
「窪川町は、農畜産80億円、林業30億円、縫製工場などの加工産業を合わせると150億円近い収入がある、四国有数の食糧生産地。たかだか20億円や30億円の税収に目がくらみ、耐用年数30年程度の原発のために、2000年続いてきた農業を犠牲にするのは、愚の骨頂」
 もし、窪川に原発ができていればと思うとぞっとする。立地予定地は南海トラフ巨大地震で最大想定31㍍の高さの津波が直撃する海岸。「よくぞ原発を止めてくれた」と、高知県民全員が胸をなで下ろしている。
 窪川町は2006年、町村合併で四万十町になった。しかし、血みどろの反原発闘争を展開した窪川の出来事は決して過去の出来事ではない。窪川を忘れてはいけない。いまこそ窪川の歴史に学ぶことが大切と考える。
3・11後、福島がフクシマになったように、窪川はクボカワとして反原発闘争のシンボルになり、全国の闘いを励まし、リードしなければならない。
国の原子力規制委員会は、2014年7月16日、九州電力川内原子力発電所について、安全基準に「合格」を与え、これを受けて11月、地元の薩摩川内市長と鹿児島県知事が再稼働に同意した。愛媛県伊方原発の再稼働についても、次の日程に上がってくるのは時間の問題だろう。
 「脱原発をめざす首長会議」は、2012年4月、茨城県東海村の村上達也村長(当時)らの呼び掛けにより、原発のない社会をめざし、すみやかに再生可能エネルギーを地域政策として実現していくために結成された。もとより、首長の責務の第一は「住民の生命・財産を守る」ことにある。基礎自治体は防災の拠点、最前線の砦である。
 この呼び掛けに応じた全国の首長(現職、元職)は、2014年11月現在100人。うち高知県は9人である。
 「脱原発をめざす首長会議」では、9月6日(四万十市)、7日(高知市)、村上達也氏(脱原発をめざす首長会議世話人)と島岡幹夫氏(元窪川町会議員)に講演と対談をお願いした。
東海村は「原子力の村」「原発発祥の地」である。そこの村長だった村上氏(2013年9月から元職)は、いま脱原発を訴える先頭に立っている。島岡氏も窪川原発闘争の一応の終焉の後も、国内、さらにアジア各国で反原発を唱え続けている。
両日とも会場は満員となり(四万十市320人、高知市250人)、参加者は二人の話に脱原発への大きな勇気と確信をもらった。会場からの貴重な発言もあった。原発廃止をめざす、われわれの取り組みは間違っていないことを、だれもがあらためて確認した。
 「脱原発をめざす首長会議」主催の「 講演会&対談 in四万十・高知―フクシマそしてクボカワ」開催にあたっては、「原発をなくす高知県民連絡会議」および「脱原発四万十行動」の皆さんに、共催というかたちでご協力をいただいた。
本書は、村上さん、島岡さんの講演と対談、会場発言を再録したものである。高知県内だけでなく、全国の多くの皆さんに読んでいただくことを願っている。
「脱原発をめざす高知県首長会議」は、全国組織である「脱原発をめざす首長会議」に参加している高知県会員有志で構成するグループであり、脱原発への取り組みを高知県内で広げるとともに、全国に発信することを目的にしている。
これまでの歩みを絶やさず、さらに力強いものとすることを誓いたい。

 2014年11月

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まる と 伝次郎

 新年早々、家族が増えた。伝次郎である。わが家の2代目パグ犬として、1月6日、迎えた。

伝次郎は去年の11月11日、以前からお付き合いのある市内のパグ愛犬家のもとで6頭一緒に生まれた。そのお宅には、すでに両親と半年先に生まれた兄姉4頭がいる。さすがに、12頭は面倒を見れないため、今回の6頭は手放されるというので、1頭を譲り受けた。生後56日。

伝次郎はにぎやか大家族で育ったため、最初の日は周りをキョロキョロして戸惑っているようであった。しかし、すぐにお山の大将に。まだ離乳食だが、食欲も旺盛。独壇場になったわが家の中を走りまわっている。

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 パグは顔がぺちゃんこ、短足で格好が悪い。愛犬家の間でも人気は高くない。しかし、強情で頑固な分、プライドも高く、唯我独尊的な気高さをもっている。だから、わが家は犬を飼うならパグと決めていた。

そんなわが家に初代パグ犬「まる」を迎えたのは、13年前であった。まるは大阪生まれの大阪育ちだが、6年前、私は単身ふるさとに戻ってきた。3年後、まるも合流してくれた。

まるはすでに10歳の老犬であり、静かに老後を送っている大阪から、私の都合で環境を変えさせるのは気の毒であった。しかし、まるはたぶん渋々であったであろうが、付いて来てくれた。

まるは以前にように走り回るような体力はなく、ヘコヘコ歩きだったが、それでも四万十川の土手の散歩は喜んでくれていた。しかし、1年もたたないうちに、食事を食べなくなり、どうもおかしいと思って病院に連れていったら、末期の肝臓がんとの診断で、3日後、あっけなく逝ってしまった。動物的本能というのだろうか。それとも、家族に心配をかけたくなかったのだろうか。まるは最後まで病気を隠していたのだ。11歳であった。

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まるの存在が大きかっただけに、しばらくは次を迎える気にはならなかった。あんなに家族思いだったまるに、申し訳ないと思った。

この年末、私らは同じ市内の実家に戻った。ここを「終の棲家」に決めた。その直後のタイミングで今回の話をもらった。

もういいよと、まるも許してくれたのであろう。

もちろん、2代目も、まると同じ男の子にした。
名前は幸徳秋水の本名からもらった。

100年前、自由、平等、博愛の旗を掲げ、時代の先覚者のなった郷土の先輩に負けないよう、誇り高く、生きてほしいと願っている。

まる、ありがとう。

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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

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