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東北被災地視察報告

 「広報四万十」2011年8月 より

 東北被災地視察報告
 川をのみ込む大津波
 北上川 堤内12キロ浸水


 7月9,10日、東北被災地を視察してきました。(総務課防災係山崎係長、正岡職員同行)

 < 気仙沼、陸前高田、南三陸 >
最初に仙台空港から宮城県気仙沼市へ。レンタカーで東北自動車道一関インター経由、2時間半。四万十市ふるさと応援団員、小野寺太一さん(四万十川ウルトラマラソン、2007年優勝者)と合流。お父さんも一緒の案内を受ける。
 小野寺さんの住宅は高台にあったが、港のそばのお父さんの事務所は流失。家族は全員無事だったが、漁業の伯父さんが船ごと犠牲になられた。
 港近くに集中する市街地は、石油タンクから流出した油による火災で、空襲を受けた跡のような黒焦げ残骸の山。船も打ち上げられたまま残されていた。

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 半島の一山を北に越えると、隣の岩手県陸前高田市。町並がそっくり消えていた。景勝高田松原で一本だけ残った松も枯れかけていた。町そのものを高台移転させるか、基本的なことが決まらないと手がつけられないのでは。

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 翌日は、単独で海岸沿いの国道45号を南下。沿岸の集落は大小問わず全滅。JR気仙沼線のレール、橋も跡かたなく、目を覆う光景が続く。大谷、歌津を経て南三陸町の中心部志津川へ。陸前高田と同じく、町がなくなっていた。 

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 志津川高校の避難所を訪問。仮設住宅もできていたが、入居をめぐってのむずかしい実情などを聞いた。
 急ぎ、視察の最大の目的地、石巻市旧北上町、旧河北町の新北上川下流域へ向かう。

 < 北上川下流域 ― 四万十川にそっくり >
北上川は全長249kmで全国4位。昭和9年、治水工事で旧北上川と分流させ、両岸に山が迫りながらのゆったりとした流れは、四万十川の下流域にそっくりだが、復旧中の河口防波堤に立つと、四万十川よりも河口部はずいぶんと広い。

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 河口部左岸の吉浜地区(下田と同じ位置)は津波の直撃を受け、市支所兼公民館、吉浜小学校は跡かたもなし。
 津波の遡上は上流50km、堤防決壊による堤内浸水は12kmまで。四万十川でいえば、それぞれ江川崎、入田桜堤、岩田(後川)あたりだからものすごい。北上川には、両岸に竹島川、深木川と同じような支流があり、ともに水門付近から堤防が1km、4kmにわたって決壊。山の張り出しが少し違うので、四万十川でいえば下田側は河口から竹島、井沢、八束側は実崎、山路あたりまで、堤防のない不破、角崎も浸水したことになる。
 上流4kmの位置に新北上川大橋(全長566m)があるが、橋げた3分の1が流され、橋の上流500mのところに残骸をさらしていた。橋は四万十川大橋と同じ位置であり、右岸たもとには全校生徒の7割、84人(教職員含む)が犠牲となった大川小学校があったが、そこは八束小学校、保育園の位置そのものであった。

 画像 174     石巻市 大川小学校

 大川小学校前で両親を失った男性(56歳)の話を聞いたが、過去の地震はこのあたりまで津波が来たことがなく、市のハザードマップでも浸水地域に入っていなかった。すぐ山がありながら避難場所も決まってなく、避難訓練もしたことがなかった。津波が川を遡ってくるのを見てから逃げたが、大半の人は間に合わなかったという。
 今回の視察は、地震後4か月たっていたので、堤防や防波堤の修復はかなり進んでいた。しかし、流域では約1m地盤沈下したこともあり、堤内に越流した水はポンプ車を総動員して排水をしたものの、河口付近の水田はいまでも冠水したまま。住宅の復旧はまだこれからというところであった。
 

<過去の経験は禍(わざわい)となる>
 今回の地震に共通をしているのは、経験が禍をしたこと。過去の三陸沖地震やチリ地震では来なかったという高さにまで、津波が押し寄せた。北上川と四万十川の下流の地形はよく似ている。1946年の南海地震では大きな津波は来なかったが、今回まざまざと見せつけられたように、大地震では津波は川を押し上げて来るものである。これを肝に銘じておく必要がある。
 事実、1707年の宝永地震では、「下田、亡所、潮は山迄、山際に屋具ばかり残る。初崎、潮は山迄、一木一草残ナシ」(「谷陵記」)と記録されている。
 いまの堤防や橋は洪水を想定して設計されているため、津波には弱い。新北上川大橋は、下から持ち上げられるように浮きあがってから、ねじれるように流されていた。
 四万十川の堤防は、北上川の堤防と比較すると高く設計はされているが、川管理者の国土交通省によると、現地調達の河床土等を多く用いているほか、 かさ上げ、拡幅が繰り返されていることから、堤防の土質構成は複雑、不均質であり、強度、安全性において問題を抱えている。
 また、地震で堤防にひびが入るだけでなく、地盤沈下や液状化により、堤防が沈下するなどして、繰り返し押し寄せる津波で押し上げられた水が堤内に侵入するという二次被害の危険性は十分にある。中村、具同、古津賀あたりがそうした箇所である。
 次の南海地震では、本市からは一人の犠牲者も出してはならない。そためにも、海岸部の下田、名鹿、初崎はもちろんのこと、これまでの経験から油断があるとみられる四万十川沿いの津波対策も、しっかりと取り組んでいきます。
 川をのみ込むのが津波です。




3.11 映画「日本と原発」

 きょうは3.11。あの日から4年。
 四万十市では、去る3月8日、「3.11 メモリアル 高知・四万十集会」を開いた。主催は、市民グループ「脱原発四万十行動」。映画「日本と原発」上映、市内デモ行進、討論会(スピーカー4人、木村俊雄、島岡幹夫、山崎秀一、山下正寿)があった。この中で、私が最も刺激を受けたのが、映画「日本と原発」。副題は「私たちは原発で幸せですか?」

この記録映画は、河合弘之ら弁護士グループが製作(監督も河合弁護士)。弁護士が映画をつくることはめずらしいが、それだけに見応えがある。2時間15分があっという間であった。

河合弁護士は、大飯原発再稼働差し止め裁判の担当弁護士。この裁判では、昨年5月、福井地裁が原告の主張を全面的に認めた判決を出した。原発は事故が起きたさいのリスクを考えれば、再稼働をすべきではないという、きわめてまっとうな判決であった。この判決を導いたのが河合さんら。裁判は論理と実証で争う。弁護士がつくる映画には、原発の再稼働を認めてはならないことの「論理と実証」が明快に示されている。

1953年、国連総会で「原子力の平和利用」が発信されて以降、国をあげて原子力開発に取り組んできた日本。「夢のエネルギーが明るい未来をつくる」と信じて疑わなかった。しかし、3.11で、その夢は無残に砕かれた。

 フクシマからの避難は、地震津波でガレキに埋まりながらも生きていた人々の救出作業を放棄して行なわれた。その無念、無慈悲を浪江町長が涙ながらに語っている。故郷を追われても、帰るあてもない人たち・・・「国破れて山河なし」

いま、国内の原発54基はすべて止まっている。電気は足りている。なのに、なぜ再稼働の必要があるのか。そこには「原子力ムラ」の事情がある。このムラの目的は電気をつくることではない。原発をめぐる利権構造が、そのまま国の支配構造につながっている。その図式をチャート図でわかりやすく解説。

 
世界では、アメリカ、フランスなどにも原発がある。しかし、両国は地震がない国。かたや、世界地図で真っ赤に塗られた地震の巣の日本列島。

原発廃棄物(核のゴミ)の処分方法も決まっていない。「トイレのないマンション」と同じ。原子力規制委員会は「原発を再稼働させるための委員会」。

最近も明らかになったフクシマからの汚染水の、海への垂れ流し。なのに、安倍首相はオリンピック誘致のためには「完全にコントロールされている」という大ウソをつく。

何万年という核の生命力に比べれば、たった4年など、ほんの「まばたき」に過ぎない。しかし、日本人は、はや3.11を忘れようとしている。いや、忘れさせられようとしている。巨大な再稼働キャンペーンの流れに易々と乗せられている。

この映画は「脱原発を学ぶ」映画。
きわめてわかりやすい。ぜひ多くの方に見てほしい。
映画の貸出大歓迎だそうです。
全国での自主上映をお勧めします。

まず、この映画ホームページをごらんください。
http://www.nihontogenpatsu.com/


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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
フェイスブック(FB)もしています。

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