中村と西土佐

 私はこのほど『中村と西土佐』を出版しました。この本には、私が四万十市長在職中、毎月、広報四万十に書いたコラムと、本ブログ2015.4.10~4.23に書いた「四万十市合併10年を考える」を収録しています。135ページ。以下は、その「はしがき」です。

 『中村と西土佐』 はしがき

 ふるさと四万十川は私の母であり、父です。

 私は二〇〇九年五月から二〇一三年五月まで四年間、四万十市長を務めさせてもらいました。私の大きな公約は次の五つでした。

一 対話を大切に市民の力を引き出す。
二 弱い立場の人を応援する。
三 「地元で出来るものは地元で」、地元を優先する。
四 四万十川を再生する環境・産業を育む。
五 幡多の歴史と文化を育む。

 公約の一番目にあげたのは、市民のみなさまとの「対話」です。就任一年目、市内二十四か所で「市政懇談会」を開きました。

 併せて、広報四万十に「市長談話室」を設けました。このコラム欄では毎月、私が考えていること、その時々の市政の課題など、届けたいメッセージを書かせてもらいました。それらに対して、市民のみなさまから多くのご意見等をいただきました。

 「市長談話室」は、市長と市民の間のキャッチボールの場となり、いただいた貴重な声は極力市政に反映をさせたつもりです。ここには、この間書いた四十二回のメッセージ(二〇〇九年十一月~二〇一三年四月)をそのまま載せています。私は広報のこの欄がずっと継続されることを願っています。

 私が長く離れていた地元に帰って来たのは、合併によりふるさと中村市がなくなったことがきっかけです。「中村」の輝きを取り戻したい。

 全国とのネットワークを拡げるため「四万十市ふるさと応援団」制度を設け、同時にインターネット交流サイトFB(フェイスブック)にも加入。市の情報発信を始めました。いまでは四万十市議会もFBを開いています。

 FBには私も個人として一緒に加入しましたが、市長退任後はさらにブログ「幡多と中村から」も始めました。ブログではまとまった意見、考え等を発することができます。

 二〇一五年四月十日、四万十市合併十周年にあたる日、私はブログに「四万十市合併十年を考える」を書きました。これを、この本の後半に載せています。

合併とは何だったのか。四年間のいわば「総括」として書いたのもですから、最初にこの後半ページを読んでくだされば、私の想いをご理解いただきやすいかもしれません。

 ふるさとは厳然としてここにあります。いまさら「創生」(つくりだす)の必要はありません。自立、自尊、自愛。現にあるふるさとを守りぬく。そして次世代に誇りをもって伝えていく。

 私はそんな取組みの輪に引き続き加わりたいと思っています。
 
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校庭のクスノキ

 私の母校、八束小学校の校庭のまん中に大きなクスノキ(楠)がデンと座っている。体育の授業をする時などに邪魔になっているだろうと心配するが、いまや八束小学校のシンボルになっている。

いまの小学生はもちろん、赴任をしてくる先生だって、みんな、なんで校庭のドまん中にクスノキを植えたのだろうと、不思議に思うことだろう。

私はこのクスノキがいつごろ植えられたのかは知らない。しかし、私が小学校のころには、このクスノキは学校正門横にあったことをはっきりおぼえている。当時は、それほど大きくはなかった。

木には足がないので歩くはずはない。だとすれば、植えかえられたのだろうか。誰もがそう思うかもしれないが、実際は校庭のほうが動いたのだ。

八束小学校前の国道321号は、いまは直線だけれど、当時は四万十川が湾曲した入江になっており、深い渕があった。私の頃には、道のカーブの出っ張った山を崩し、その土砂を投じて、渕を少しずつ埋め立てていた。

その後、渕は完全に埋め立てられ、その分、校庭が拡げられた。校庭の山側には私のころにはなかった体育館が建てられたので、結果として、クスノキが校庭のまん中に「移動」したわけだ。

いまでこそ四万十川は「最後の清流」などと言われ有名になっているが、川の様相は日々変わっている。当時は、実崎の中筋川合流点で本流と支流を分ける堤防(背割堤)はいまほど伸びていなかった。いまでは砂利が堆積し、干潮時には小学校前にまで中洲の河原が見える。四万十川で一番川幅が広いこのあたりが貧相になってしまった。

八束小学校の生徒数もそれ以上に少なくなった。私の同級生は56人(昭和39年度卒)で2クラスあった。いまは全校でも46人。3,4年生は複式だ。

校庭のクスノキはじっと見ている。
四万十川と八束小学校の歴史の生き証人は、堂々と居座り続けてほしい。

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高知憲法アクション 抗議声明

 「戦争させない! 戦争に行かない! 高知憲法アクション」(呼びかけ人49人、私もその1人)は、9月20日、「安全保障関連法(戦争法)強行可決に対する抗議声明」を、以下の通り、発表しました。

 安全保障関連法(戦争法)強行可決に対する抗議声明

 9月19日、安倍政権は、憲法違反の安全保障関連法(戦争法)を強行可決・成立させた。私たちは、この暴挙に満身の怒りをもって抗議する。
 国民の批判が高まると見るや、安倍政権は、急きょ「平和安全法制」という言葉によって、その批判をかわそうとしたが、その内実が、日本を「戦争をする国」に変えてしまう「戦争法」に他ならないことが明らかになるにつれ、国民の怒りは日に日に大きくなった。若者たちが、お母さんたちが、高齢者が、学者・文化人が、労働者が、一市民が次々と立ち上がり、抗議の声を上げていることに見向きもしない安倍首相に対し、私たちは、怒りをもって「民主主義って何だ」と問う。
 戦争法によって、日本は、「地球の裏側まで出かける」(石破前幹事長)ことを含め、世界中どこででもアメリカにつき従って戦争に参加できる国となる。いかに、安倍首相が、「平和を守るための法律だ」と強弁しようとも、この法律に定められる行為は戦争行為に他ならず、世界の常識の前には通用しない。
 この法律は、大多数の憲法学者や裁判官、元内閣法制局長官たちが指摘したように、これまでの内閣の憲法解釈すらもねじ曲げるものであり、明らかに憲法違反である。さらに、「権力者の独走を許さず、国民主権を守る」立憲主義という憲法の基本的性格と役割を一内閣の「解釈」による法制定によって変更可能だとすること自体が、憲法の成り立ちそのものを否定するものである。
加えて、安保法案が国会に上程もされていない中で、日米ガイドラインに法案の内容をほとんど盛り込み、今年4月には、安倍首相は、アメリカ上下両院総会で、「安保法案を夏までに成就させる」と約束した。その上に、国民の大多数が反対の中での強行採決である。この行為は、この国の民主主義を破壊する行為というほかはない。
 私たち憲法アクションが呼びかけた戦争法案反対集会には、県内の護憲団体・労働団体すべてが主催に名を連ねた。県内各地で「アベ政治を許さない」を冠にした様々な戦争法案反対集会がもたれた。市民たちが自発的に立ち上がり、自民党や公明党の事務所前等におけるサイレントデモにとりくんだ。
 全国的にも、主義・主張の壁を乗り越えた「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動」の運動は、市民一人ひとりの闘いと結びつき、確実に安倍政権を追い詰めている。国会では、5野党の共闘が実現した。この闘いは、法成立で終わりではない。この枠組みを維持して闘うことが必要だ。次の参議院選挙における与野党逆転、さらに衆議院選挙に勝利して安倍政権を打倒し、政権交代によって戦争法を廃止するため、私たちはたたかい続ける。
 この国の民主主義を守り、憲法を壊させない、戦争をする国にさせないという全国の人々と手を取り合って、さらに闘いを強めることを宣言する。

 2015年9月20日

 戦争させない!戦争に行かない!高知憲法アクション
 呼びかけ人一同(2015年9月現在 49名 五十音順 敬称略)

 井垣 政利(高知県生活協同組合連合会会長)、市川精香(元県会議員・農業)、岩佐和幸(高知大学教員)、岩田裕(元高知大学教員)、江渕征香(元県会議員)、大崎博澄(元高知県教育長)、岡崎徹(全日本水道労働組合元中央執行委員長)、岡田健一郎(高知大学教員)、岡村正弘(平和資料館・草の家館長)、小澤幸次郎(高知県宗教者平和協議会会長)、小幡尚(高知大学教員)、梶田典男(高知県医療生活協同組合理事長)、梶原守光(弁護士・元高知県会議員)、加藤誠之(高知大学教員)、川添義明(元高知県会議員)、川田雅敏(元NHK記者)、久保知章(元三原村長)、公文豪(高知近代史研究会会長)、外京ゆり(グリーン市民ネットワーク共同代表)、五島正規(元衆議院議員)、小林直三(高知県立大学教員)、近藤真一(きんろう病院院長)、島岡幹夫(元窪川町会議員・農業)、霜田博史(高知大学教員)、高瀬満伸(前四万十町長)、田口朝光(高知憲法会議代表委員)、竹村美也子(護憲連合高知県本部共同代表)、田中きよむ(高知県立大学教員)、田中全(前四万十市長)、土居篤男(高知県農民組合組合長)、徳弘嘉孝(高知県平和委員会理事長)、所谷孝夫(元高知県農協中央会会長)、中西法貴(弁護士)、成田信義(日本キリスト教団土佐教会牧師)、浜田嘉彦(高知県みどりの環境会議幹事)、藤戸せつ(藤戸病院理事長)、藤原充子(弁護士)、牧田寛(高知工科大学教員)、松尾禎之(松尾酒造代表取締役社長)、松尾美絵(特定秘密保護法をなくす市民の会共同代表)、丸井美恵子(グリーン市民ネットワーク共同代表)、溝渕勝(元裁判官)、南守(あじさい園園長)、明神応経(本山修験宗孝山寺住職)、明神照男(明神水産元会長)、山崎秀一(高知県平和運動センター議長)、横山金吉(四万十市遺族会会長)、吉門拓(元佐賀町長)、和田節(老人保健施設みずき元施設長)

民意と国会

 安保関連法案が今朝未明、成立した。私はこの法案に対して一貫して反対してきた。今後は、世論の力で法案の運用を許さないようにすることが重要である。違憲裁判等も続くことになろう。

世論とは民意のことである。今回ほど民意と国会が乖離してしまったことはないであろう。各種世論調査では、法案に反対が過半数であり、さらに、政府の説明が不十分、今国会で成立させるべきではない、は60~80%にのぼる。これだけの民意が示されながら、政府は強行した。

民意と国会がズレてしまうことほど、国民にとって不幸なことはない。国会議員の数が民意を反映していないから、こうなる。先の選挙で自民党や公明党を支持した人(多数派)でも、当選した議員に全権委任をした訳ではなく、今回の安保法案のような個別の政策では反対の意見をもつ人が多かった。そうした声も政府は無視をして突っ走った。

これは国会議員の数の横暴であり、決して民主主義ではない。民主主義の破壊である。こうなってしまったのは、小選挙区制という選挙制度に問題の根っこがあると思う。民意を反映しない制度だからだ。これとセットの政党交付金制度も問題だ。

先の衆議院選挙では、自民党の得票率は4割台であったが、議席数では7割を超えた。これらの制度では、党の公認をもらわないと、カネももらえないし、選挙も戦えない。だから、自民党内の権力は首相周辺に集中する。以前はいろんな派閥があり、いい意味での牽制やブレーキがきいていた。しかし、いまの派閥は名ばかりになってしまった。

国会議員は議員バッチがなくなれば、ただの人。民主党政権時代に、それが骨身に染みた。だから、いまではだれも首相には逆らわない。首相官邸が絶対権力をもつ。今回の法案に対して、自民党議員から批判めいた声はいっさい聞こえなかった。恐ろしいほどの統制だ。自民党が変質してしまった。

 今朝の高知新聞に山口二郎法政大学教授のインタビューが載っている。きのう講演会で高知市に来ていた。自分は1996年、小選挙区制導入を支持した。しかし、「見立てが甘かった」。この制度においては、当然ながら、指導者が民主主義や立憲主義、法の支配など政治の基本を理解していることが大前提だが、まさかこれほど基本を理解しないリーダーが現れ、政治主導で憲法原則を転換させるとは思わなかった、と。

ここまでくるといまの日本は安倍信三という一人の政治家の独裁国家になってしまったような感がある。

しかし、今回われわれは多くのことを学んだ。学ばせてもらった。民主主義とは、国民一人一人が声をあげることであることを。黙っていては独裁者の思うつぼであることを。

国会周辺には、政党や労働組合から動員されたのではない、多くの若者や女性など普通の市民が多くかけつけた。高知県、四万十市でも同じだった。

日本国民は成長した。
この貴重な経験はこれから生かされると確信している。

常総市

 今回の豪雨により関東から東北にかけて大きな被害が出た。茨城県常総市では利根川の支流鬼怒川の堤防決壊で広範囲にわたり浸水し、13日現在、死者2人、行方不明15人となっている。

報道によるとこの地域に避難指示が出たのは川の決壊後。川の水位が急激に上昇しているという情報が市に伝わらなかったためだ。市は監視体制をとっていなかったようだ。「川が氾濫するとは思ってなかった」と、市長がおわびの記者会見をしていた。

こんな対応は四万十市では考えられないことだ。四万十市では、川の洪水対策は徹底している。台風や大雨等で、四万十川が増水をしはじめると、ただちに各消防団が警戒態勢に入る。堤防の危険個所に立ち、刻々の水位を図り、市に報告する。市はその報告に応じて、災害対策本部を設置するなどして、避難勧告や指示を出す。

四万十川は暴れ川である。洪水は年中行事。市民も川の怖さを知り尽くしている。だから、川の表情には敏感である。市民はみんな自分の逃げ場所をもっている。だから、犠牲者が出ることはめったにない。

常総市では、市長の言葉にあるように、川が増水することは普段はないことだから、氾濫なんて考えられなかったのだろう。行政として、川に対する危機管理意識が薄かった。市民も逃げ方、逃げ場を知らなかった。

地域として災害の経験がなく、だから対策のノウハウもなかったことが、今回の大きな被害につながったように思う。

 ところで、今回、常総市と聞いて、茨城県にそんな市があったの? と思った。あとで、2006年、水海道市が隣町(石下町)と合併して名前を変えたのだということがわかった(人口6万2千人)。水海道市なら北海道と似た名前だなということで、知っていた。ミツカイドウ・・・ああ、あそこか。

今回、「水海道」の名前を調べてみた。昭和29年、市制施行前は水海道町であった。利根川と支流の鬼怒川の合流点に近いこの地域は、江戸時代になってから、江戸と水運で結ばれて栄えた、水の街道だった。

平安時代の武将、坂上田村麻呂がこの地で馬に水を飲ませた(水飼戸:ミツカヘト)という故事があることから、両者の掛け言葉としてつくられたのが「水海道」であったようだ。地域の歴史に由来する、キラリと光る、いい名前である。

ところが、平成の合併において、隣町を編入(吸収)したさい、市の名前を常総市に変えてしまった。

わが中村市も西土佐村との合併で市の名前を変えてしまったことは似ているが、四万十市の場合は新設合併(両市村を解散し新しい市をつくる)であったことが違う。

一般的には、編入合併のさいは、合併主体の自治体の名前はそのままなのに、なぜ水海道市は名前を変えてしまったのだろう。不思議である。どんな事情があったのか、知っている方は、教えてほしい。

「常総」とは、常陸と下総を重ねた地名であり、いまは茨城県南部地域の総称だそうだ。高校野球の常連に常総学院(土浦市)があるように、そこら周辺では使われる名前なのだろうが、エリアが広すぎて特定しにくい難がある。

平成の大合併では、全国いたるところで、伝統と由緒のある名前が消えてしまった。水海道の場合は、かつての水運は衰退してしまい、いまは陸運ばかりになってしまったからではないだろう。水海道が水害にあうというのも皮肉な話であるが、ここも合併の被害を受けた地域だったのだ。

いずれにしても、行方不明者の発見と、早い復旧を望みたい。

安保法案 首長アンケート

 9月6日付高知新聞に、安保法案への賛否を問う県下首長アンケート結果(35人)が載っている。質問項目は3つで、①法案成立の賛否、②違憲か合憲か、③国会審議をどう感じているか。

結果は、①反対11、賛成7、その他17、②違憲7、合憲3、その他25、④疑問膨らんだ8、納得点増えた8、その他19、である。

私なら躊躇なく、反対、違憲、疑問膨らんだ、と答える。だから、反対、違憲が多いのは当然であると思う。しかし、私がここで問題にしたいのは「その他」が多いことである。その大半は両論併記等で賛否を明らかにしないもの(無回答2)。これは国政問題、司法の判断に委ねるべき、今後の議論を見守りたい、などである。

今回の安保法案は、国民の生命、財産をどう守るかが問われている。戦後70年を経て、今後のこの国のあり方をどう考えるか。これほど重要な法案はかつてなかった。

首長の最大の責務は住民の生命と財産等を守ることである。住民の一人一人は国民である。国は自治体の集合体である。ならば、この問題は首長にとって最も重要な問題であり、首長の役割の原点である。だから、この問題に対して、はっきりとした自分の意見を持てない(言わない)というのは、首長失格である。そんな無責任な首長なら「撤退」を願いたい。

質問3項目のすべてに対して「どちらとも言えない」の回答をした一人に尾崎知事がいる。①法案の賛否については、安保法案は必要と考えるが、その合憲性について徹底審議を望みたい、②違憲かどうかについては、個別事例に照らして徹底審議を行っていく必要がある、としている。

尾崎知事は、これまで県議会や定例記者会見等のいろんな場で、安保法案については「理解」を示す発言をしてきている。そんな中、6月15日、高知市で開かれた衆議院憲法審査会地方公聴会においては、6人の意見陳述人の中では、ただ一人「賛成」と受け取れる発言をし、そう報道された。

ならば、今回のアンケートにおいても「賛成」と答えるべきであるが、なぜ「どちらとも言えない」なのであろうか。私はこう推測する。国民世論の半数以上はこの法案に反対である。県民も同じであり、地方公聴会での発言に対する反発が予想以上に大きかったことから、今年11月の知事選挙(3期目)を控えて、態度を曖昧にする作戦に転じた。

尾崎知事の本音は安保法案賛成である。ならば、そうはっきりと言って、選挙で堂々と信を問えばいい。知事の「戦略」は不変だが、選挙のための「戦術」を変えたのだろう。この変更は県民に対してきわめて無責任である。

「その他」と答えた市町村長の事情は知事とは違う。回答はそれぞれ異なるのは当然であるが、総じて、法案には反対であるが、国に対してそれを表明する勇気がないことから、判断を「逃げた」ものである。これも情けないと思うが、地方自治の原則がゆがめられ、中央の権限が肥大化し、市町村は独自権限が弱まり、国や県の下請け機関化されてきている現状を反映したものである。

ちなみに、質問3項目に対して、反対、違憲、疑問膨らんだ、と答えたのは、室戸市、土佐市、宿毛市、田野町、梼原町、四万十町。これらの6市町長には、見識、勇気、ともにある。

一方、3項目に対して、賛成、合憲、納得点増えた、と答えたのは、南国市と四万十市の2市である。四万十市民としてなげかわしい。

(参考) 本ブログ 2015.6.17 「憲法審査会と知事の立場」http://hatanakamura.blog.fc2.com/blog-entry-174.html

伊方原発3号機再稼働反対 高知県下首長の積極的表明を求めます


 脱原発をめざす首長会議高知県会員8名は、きょう、同会議世話人村上達也元茨城県東海村村長を高知市に迎えて記者会見を行い、9名連名による以下のアピールを発表しました。


  伊方原発3号機再稼働反対
  高知県下首長の積極的表明を求めます

 鹿児島県川内原発1号機が再稼働された。引き続いて、愛媛県伊方原発3号機の再稼働も計画されている。東京電力福島第1原発事故の十分な総括や反省がなされないまま、こうした事態が進んでいることは、決して容認できるものではなく、強く抗議する。

 その理由の大きなものは、周辺自治体では有効な避難計画を立てることができないことである。

 原子力規制委員会が定めた「原子力災害対策指針」では、従来、原子力災害対策重点区域として 「原子力施設から概ね半径5km」を目安として「予防的防護措置を準備する区域(PAZ)」を、「原子力施設から概ね30km」を目安として「緊急時防護措置を準備する区域(UPZ)」を定め、併せて「UPZの目安である30kmの範囲外であっても、その周辺を中心に防護措置が必要となる場合がある」「UPZ外においても防護措置の実施の準備が必要となる場合がある」と定めていたが、2015年4月22日に改定された同指針では、30kmの範囲外にかかる記述が削除された。

 これに対し、福井県に隣接する、京都府、滋賀県の5市町の首長は連名で、「UPZ圏外とされた自治体であっても、UPZ圏内の自治体に準じた環境を有すると自ら判断して、UPZ圏内の自治体と同様又は順次他防災計画を策定するなど積極的な対策を講じる自治体に対して、『原子力災害事前対策』をはじめ応急対策、中長期対策などについて国等の当該自治体への支援に係る記述をぜひ追加すべきである」との意見を、2015年6月19日付け文書で、原子力規制委員会の田中俊一委員長と原子力規制庁の池田克彦長官に提出している。

 今回の5市町の首長の意見は、原子力規制委員会をはじめとする政府関係機関が、原子力災害に対応しようとしている自治体の現状と課題をなお直視せず、正確に把握していないことに起因するものと言わざるを得ない。

 このことは伊方原発が立地する愛媛県に隣接する高知県においても全く同様である。高知県では、34市町村の議会のうち、すでに26議会において、伊方原発再稼働反対の決議がなされている。

 自治体の首長は災害時において住民の生命と財産を守る責務を有している。その重い責務を確実に果たすためには、原子力規制委員会がその発足の原点に立ち帰り、自治体の要望にこたえる原子力災害対策指針が策定されていることが大前提となる。

 よって、私たちは、高知県下首長においても、京都府・滋賀県の5市町首長と同趣旨の意見を述べるとともに、伊方原発第3号再稼働に対しても、県民の生命と財産を守る観点から、反対の意見を積極的に表明することを求めます。


 高知県 知事、市町村長 殿

 2015年9月5日

  脱原発をめざす首長会議

  村上達也(世話人 元東海村長) 
  岡本 淳(元中村市長)
  久保知章(元三原村長)
  下村正直(元黒潮町長)
  高瀬満伸(元四万十町長)
  田中 全(元四万十市長)
  西村正家(元中村市長)
  長谷川賀彦(元中村市長)
  吉門 拓(元佐賀町長)

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プロフィール

田中全(ぜん)

Author:田中全(ぜん)
四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃんです。

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