秋水桜

 遅かった今年もやっぱり咲いてくれました。中村の正福寺にある幸徳秋水墓の上には、隣接する裁判所庭から塀越しに桜の大木が枝を伸ばしています。
 明治44年4月(旧暦)、秋水処刑から3か月後、盟友堺利彦は秋水墓を訪れ、次のような歌と句を残しています。

 行春の青葉の桜に鶯の啼きしきる処君が墓立つ

 行春の緑の底に生残る

 同じ桜の木だったかどうかはわかりませんが、いまでは非道な裁きを詫び悲しむように秋水を抱きかかえ、涙の花びらを散らしています。
 この恩讐を超えて咲く桜を、私どもはいつのころからか秋水桜と呼んでいます。
 今年4月6日には、まだ五分咲きでしたが、小雨降る中、この桜の下に有志で集い、即興の歌や句をつくり、語り合いました。
 俳句の世界で「秋水忌」(1月24日)が厳寒期の季語のようになっているのと同じように、「秋水桜」が世の中に平和と春を告げる象徴となり、多くの人たちに親しまれることを願っています。

 高知新聞「声ひろば」 2017.4.24

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四万十市長選挙 応援演説

 四万十市長選挙告示日(4月16日)、新人大西正祐候補出陣式でおこなった応援演説です。


 おはようございます。田中全です。
過去2回の市長選では皆様に大変お世話になり本当にありがとうございました。

前回4年前の選挙では皆様も私も大変くやしい思いをしました。そのくやしい思いを遂げてくれるために、大西さんが出馬してくれることを、私はうれしく思いますし、全力で応援したいと思います。

みなさん、この4年間の中平市政をどうみていますか。ぼや~として、非常にわかりにくいと思うのではないでしょうか。何をやっているのかわからない。

確かに、新しいことはほとんどやっていません。夢とビジョンと言いますが、抽象的な言葉だけです。独自の理念や具体的政策がないということです。

しかし、私にはよくわかります。目指している方向が。

具体的に言いましょう。

私は4年間で、3つの課をつくりました。
地震防災課、商工課、林業課です。独自の政策をやりたかったからです。

このうち南海地震対策を中心とする地震防災課、これはさすがにいまも残っています。

商工課は、以前は商工観光課であったものを、2つに分けて独立させたものです。
中村は、以前は「おまち」といわれ大変賑わいのあるまちでした。私は、この「おまち中村」を復活させたいと思いました。

その目玉に天神橋の真ん中にある土豫銀行跡地、これを地権者から市に、町の活性化のために役立ててほしいと、無償で寄付をしていただいたことから、私は、映画館、コンサートなどの多目的機能をもった施設をつくりたいとの構想を議会に示しました。

しかし、ごらんのように、いまも雨ざらしのまま放置され、今後の方向性すら決まっていません。中心市街地活性化策は、いま何もおこなわれていません。商工課はもとの課に戻されました。

林業課は、農林課から独立させました。本市第一次産業の最大資源は林業です。四万十川ヒノキのブランド化を目指そうとしました。そのため、地元木材を使って家を建てた場合は市が補助するという制度をつくりましたが、いまはその補助が削減されています。林業課も、もとの課に戻されました。

ほかにも、2つの課がなくなりました。水道課、社会体育課です。計4課なくなりました。

それに代わって始まったのが民間委託です。市が本来自分でやらなければならない、市民の生活や文化に密着した仕事を放棄し、民間企業に譲りわたしている。図書館運営、市民病院給食などです。

市民病院の問題でいえば、8年前、私の市長就任時には常勤医師は5名まで減りました。夜間救急も止まっていました。私はこれを在任中11名まで増やして、もうすこしで夜間救急復活できるというところまできていました。

だから、現市長も前回市長選挙では、さかんに夜間救急を復活すると言って公約にかかげていました。しかし、当選するやいなや、最初の議会で、夜間救急は当分むずかしいと努力を放棄したのです。

いま、医師は10人に、また1人減っています。西土佐診療所も2人から1人に。このままでは、西土佐は無医地区になるかもしれないという、大変なことになっている。

要は、市民の生活に密着したところの市の事業や仕事を縮小撤退している。

一方で、2人目の副市長を国土交通省から迎えています。

今の市は国や県の方針に沿った仕事しかしないようになっています。県は国の高知支店、本市は出張所のようになっています。市長に独自の理念や政策はなく、国の言うままにしていればいいということです。

本来市町村は国から独立しています。自治権というものがあり、地方自治法で保障されている。しかし、これでは自治権の放棄です。

今回の選挙は、誇りある中村、四万十市をとりもどす戦いです。地方自治を守る戦いです。

あと1週間、私もがんばります。みなさんも一緒にがんばりましょう。

点検 四万十市政(5-終)

7. 中平市政の評価(まとめ)

〇 行政改革 機構改変 副市長2人制

 現市政になってから始められた新しい施策等を考えるさいのポイントになるのが2015年4月、四万十市合併10年を迎えたことである。

小泉内閣のころ「平成の大合併」を推進するために、国は本来削減される地方交付税を合併すれば10年間は猶予するという特例措置「合併算定替」を設けていた。2015年4月以降、本市は毎年平均6億5千万円の交付税が削減されるとされていた。本市のような合併自治体にとっては、その対応策が大きな課題であった。

収入が減るならば支出も減らさなければならないのは当然である。そこで考えたのが強力な行政改革、一言でいえば市役所内の人員削減である。

合併そのものが大きな行政改革であり、私の代も含めて継続的に人員削減と抑制を進めてきていたが、さらに強力に進めようというものであった。

しかし、ここで重要なのは、私のころは毎年6億5千万円といわれていた交付金削減額は、全国からの強い要望等もあり、実際は約3割削減(約2億円)にとどまっていることである。

にもかかわらず、人員削減はこの4年間、それを盾に強力に進められ、機構改変=課の合併が進められた。

私の代には、地震防災課、林業課、商工課と3つの課を増やしたが、その後、先にも述べたように、林業課、商工課はもとの課に戻され、さらに加えて、建設課と水道課、生涯学習課と社会体育課が合併され、いまに至っている。(税務課は収納対策課を分離された。)

人員削減のもう一つの方法は、市の事業の一部の民間委託(民営化)である。図書館管理運営業務と市民病院給食業務がその対象となった。次は、保育園だと思われる。

しかし、そうした人員削減と矛盾するのが副市長を2人制にしたことである。選挙公約にもないままに突然に。人件費コストは副市長1人で4年間4700万円。若い職員を3~4人採用できる額である。

人口3万5千弱の本市程度の規模の市で、副市長を2人おいているところは全国でもまれである。国交省から迎える副市長の効果はそれ以上のものがあると「具体的」に説明できれば別だが、これまでそんな説明はない。

〇  総合計画、産業振興計画

全国市町村は、ほぼ10年単位で将来見通しである「総合計画」を策定している。本市では、四万十市合併の際「新市建設計画」の名で作成していたが、2015年には合併10年を迎えることから、私は2013年から新たな「総合計画」の策定作業に着手することを表明していた。(2013年3月議会市長説明要旨)

市長交代により、新たな総合計画は現市長の下で作成されたが、その特徴は、高知県がすでに策定し全県的に取り組んでいる「高知県産業振興計画」の四万十市版産業計画とセットで策定したことである。

国、県との連携が必要なことは当然のことではあるが、重要なのは、そんな中で、策定の手法を含めて、いかに地元の特色、独自性とオリジナリティ―を出していくかである。

現安倍政権になってからの地方対策は、「地方創生事業」にみられるように、政府内に「ひと、まち、しごと創生本部」がつくられ、その企画、要綱に沿った地方の計画に限って補助金を交付するというやり方である。カネがほしければ、政府の言う通りの計画をつくりなさい、と言うことである。

国内にはいろんな地域がある。自然、風土、文化、歴史、生活等が異なる。だから、国がすべてを画一的に決めてしまうのではなく、それぞれの地域には自治権といって、自分たちの裁量で決める権利が、憲法で認められ、地方自治法に定められている。人権と地方自治は民主主義の両輪である。

にもかかわらず、最近、地方自治体はますます国の出先機関化してきている。
あたかも、県は国の支店、市町村は県の出張所のようである。

こうした状態が続けば、市町村は、国や県の顔色ばかりを見て仕事をするようになる。国や県の企画に合った仕事しかしなくなる。

大切なのは上(国、県)ばかりでなく、足下(地域住民)に目を向けることである。地元の施策は地元で創意工夫する。でないと、市としての独自の企画力や創造力も退化し、自治体としての存在意義が失われてしまう。

〇 中学校給食

中学校給食は前回市長選挙において現市長の公約にあげられていたものであり、2016年度からスタートした。

私も次のステップの事業として考えていたが、それを前倒しで実施することとなったものであり、私も賛成である。

〇 コールセンター誘致

四万十市は、地元雇用確保策として、、現市長になったから東京からコールセンターを誘致し、2014年3月、旧田野川小学跡地において事業開始した。

誘致は高知県の紹介によるものであり、同年1月には、誘致企業(DIO)、四万十市、高知県の三者間で基本協定書が締結され、新聞でも大きくとりあげられた。

しかし、実際事業を開始した企業は別の企業(エボラブルアジア)の子会社(E.A.高知コンタクトセンター)であった。協定書を交わしたDIOは同年8月倒産(破産処理)した。

誘致にあたっては、市から多額の補助金を出しており、その補助金審査段階から不可解な手続き(審査したのは倒産企業)がおこなわれたことは、先に指摘した通りである。

  詳しくは →http://hatanakamura.blog.fc2.com/blog-entry-115.html

E.A.コンタクトセンターは、1年半後の2015年9月、社長交代し、社名もHTC四万十センターに変更された。(親会社は同じだが、新社長は親会社役員ではなく、不可解な体制である)

同社向けには、いまも市からの補助が続けられているが、2015年3月決算書によれば、相当な額の資金が大分県佐伯市にある別の子会社に貸付金として流用されている。

雇用が少ない本市にとって、貴重な雇用の場であるだけに、将来にわたる事業継続と安定的雇用確保のためにも、誘致当初からの不可解な経緯について、市は説明責任があると思われるが、いまだなされないままである。
 
〇 2つの成人式

本市では合併12年を経ていながら、いまだに成人式が2カ所(中村、西土佐)に分かれて行われている。県下にはこんな自治体はなく、全国にもないもとの思われる。

このため、私は合併10年を前に、2014年1月から一本化すべく手続きを進め、その方向でほぼ決まっていたし、西土佐地域(区長会)からも合意を得ていた。

ところが、その後、一本化は突然に先送りとなり、いまに至っている。

成人式は、将来の四万十市を担う青年に心一つになってもらい、市民が期待を託す場である。その青年が同じ場に集まれないということは、ゆゆしきことである。

   詳しくは →http://hatanakamura.blog.fc2.com/blog-entry-226.html

〇 市長メッセージ

 四万十市の発展を願い、いろいろ書かせていただいたが、以下でまとめとしたい。

4月23日の市長選挙で選ばれる、新しい市長に期待することは、「市長メッセージ」をどんどん発信してほしいということ。

市長は会社で言えば社長である。社の内外に向かって、常に社の方針や課題等について、メッセージを発しなければならない。自分の言葉で言わなければならない。社長が何を考えているのかわからないのでは、社員は不安になる。

この4年間、残念ながら市長のメッセージはほとんどなかった。市広報誌でも、市ホームぺージでも。それ以外でも。

市長は何を考え、四万十市をどういう方向にもっていこうとしているのか。

「夢とビジョンのある四万十市」をキャッチフレーズにしている以上、その夢とビジョンを大いに語ってもらいた。抽象的な言葉だけだはむなしく響く。大切なのは具体的中味である。

市民はそれを期待している。
 
  詳しくは →http://hatanakamura.blog.fc2.com/blog-entry-74.html

(終り)

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点検 四万十市政(4)

5. 絆を結ぶまちづくり ― 対話と協調

〇 地域づくり支援員制度

過疎高齢化が進む中で、住み慣れた地域で生活が続けられるよう、保健・医療・福祉連携事業とも照準をあわせ、市内16地区に市の若手職員を「地域づくり支援職員」として任命配置した。

地区の将来をともに考え悩む中で、自らも「地域のために役立つ公務員」としての使命を自覚し、成長してもらいたいとの期待もあった。

2011年に、16地区、36名を配置し、さらに2地区4名を増員した。支援職員は、各所属部署で本来業務をかかえた中での兼務であり、かなりきついものであったが、それぞれがその使命を自覚し、自主性をもって、生き生きと取り組んでいた。各地域からも歓迎、期待されていた。

しかし、現在は休止状態になっているようである。

〇 地域おこし協力隊

2012年8月、本市の中山間地域の活性化に意欲がある人材を都市地域から募集し、地域おこし協力隊として3名採用(期間3年)し、西土佐地域に配置した。

当時は全国的にもまだ採用が少なかったことから、同年10月から始まった連続ドラマ「遅咲きのヒマワリ」のモデルにされ、話題になった。

3名のがんばりもあって、地域でも歓迎されたことから、現在は6名(西土佐4、中村2)に増員されている。

〇 ふるさと応援団

地元出身者や四万十大好き人間を登録して、ネットなどで情報発信交流をおこない、四万十市の宣伝やふるさと納税につなげようと、四万十市ふるさと応援制度を2010年度から始めた。在任中に登録1300名を超え、現在は1700名程度になっているようである。

しかし、相互交流については、当初は本市からのネット発信は毎月2~4件行っていたものが最近は毎月1件になっているほか、当初は団員から届く情報を「団員からの便り」として市広報に毎月掲載し市民にも公開していたが、最近は掲載されなくなっている。双方の情報交換があってこその交流であり、より工夫改善が必要と思われる。

また、関東と関西在住の団員とは、こちらから直接出向いて交流の場を設け、その中で、関東については、地元出身者の会である「関東幡多四万十会」が誕生し、合同交流会がいまでも続いているが(計5回)、関西については2012年の1回きりで、その後は行われていないことは気になるところである。

一方で、市は2016年度から、新しく「四万十市観光大使」制度を設けた。主旨は「ふるさと応援団」と同じであるので、両者の整合性と役割分担をどうしていくのかが今後の運用課題になると思う。

〇 FB交流(フェイスブック)

ネット社会の進展とともに、SNSによる情報発信は近年きわめて需要になってきていることから、市として2012年10月からインターネット交流サイトFB(フェイスブック)に登録した。

同月から、テレビドラマ「遅咲きのヒマワリ」が始まったこともあって、「いいね」(友達)はすぐに1000名を突破、現在は2300名に達しており、県下市町村の同じサイトでは断トツのトップである。

私個人も同時にサイト登録し、いまでも毎日発信につとめている。
四万十市議会も昨年から同サイトに登録している。


4. 誇りをもったまちづくり ― 歴史・文化・教育

〇 文化センター建設
 
 昭和44年に建設され、老朽化したままの文化センターの建て替えは、中村市時代からの課題であるが、財政面、用地面の問題等から永年棚上げ状態に置かれてきた。

私はこの課題に着手するために、本市にふさわしい文化施設はどういうものかについて市民各層に議論をしてもらうため2012年度に「文化の入れもの研究会」を立ち上げ、答申をえた。

そのうえで、まず建設資金の確保が必要なことから、2013年度に文化センター建設基金を設け、初年度1億円を積み立てた。しかし、翌年度(現市政)からは積み立てが止まっている。

一方で、建て替え用地(現位置を含め)については、私の代では選定までにはいたらなかったが、その後市内右山の市立公民館に隣接するJA高知はた中村支所との合築構想が浮上しており、昨年から両者協議が進んでいるようである。

この案には私も賛成であり、ぜひ実現をしてほしいと期待しているが、昨年のうちには協議結果がまとまると議会でも公表していたのに、いまだに発表をされていないことから気になるところである。

最近、高知県下JA合併一本化が決まり、JA高知はたも参加することになったことから、その影響を受けるのではないか心配をしている。

〇 武道館建設

為松公園への登り坂中腹にあった木造の旧武道館が老朽化し使用に堪えなくなったことから、市内武道団体などから新たな武道館建設の強い要望が出ていた。

一方で、安並運動公園内の屋外プールは長年閉鎖されたまま、あとの利活用(プール新設も含め)が決まっていなかった。

そこで、プールを撤去し、その跡地に新たな武道館を建設することにし、2012年度事業着手。現市政になってからも計画通り工事が進み、2014年度完成した。

点検 四万十市政(3)

4. 健康長寿のまちづくり ― 保健・医療・福祉

〇 市民病院 医師確保

市民病院にはかつてはピーク16名の常勤医師がいたが、近年急速に減少し、夜間救急も休止に追い込まれ、私の就任時には医師6名、直後には5名までなっていた。市民の不安は大きく、医師増員による医療体制回復と夜間救急の復活が強く求められていた。

私は各方面にかけまわり医師11名までは回復させたが、夜間救急復活までには至らず、医師確保は引き続き市政の最重要課題であった。このため、前回選挙では現市長もこれを公約の一つに掲げていた。

ところが、現市長は就任直後の最初の議会(2013年6月)で「夜間救急の復活はすぐにはむずかしい」と発言、早々に努力を放棄してしまった。現在は医師数10名とまた1名減り、夜間救急復活は見通せないまま。

さらに深刻なのが西土佐診療所。この間、地域で唯一の医療機関として、医師2名体制を維持してきたが、1年前から1名になり、診療に大きな支障が出ている。隣の愛媛県松野町診療所に通院をきりかえる住民もでてきている。定年を1年延長してもらった現医師も来年3月までの期限であるため、早急な医師確保が求められている。

 詳しくは →http://hatanakamura.blog.fc2.com/blog-entry-242.html

〇 活き活き訪問検診・健康相談事業

2012年8月から、市民病院と市保健介護課が連携して、各集落に医師と保健師が訪問し、問診や健康相談を行う「活き活き訪問検診・健康相談事業」を開始した。それまでは保健師だけの対応であったが、医師が同行することによって、住民の信頼感、安心感が高まり、受診者が大幅に増加した。

しかしながら、担当医師の退職もあって(後任なし)、2014年10月以降は、再び医師の同行はなくなっている。

〇 健康福祉地域推進事業

子どもから高齢者、障害者などすべての市民がともに助け合いながら生き生きと暮らせるよう、それまで地域活動に携わってきた3つの組織(ふれあい談話室、地区社会福祉協議会、保健推進委員会)を再編統合し、健康づくり、生きがい交流、支えあい、に取り組む新しい組織として、集落単位に「健康福祉委員会」をつくることとし、2012年度からスタートした。

この事業は、現市政でも引き継がれ、参加集落も順調にふえ、現在ほぼ全地域に広がり定着してきている。

〇 脳ドッグ検診事業

2011年度から、市の保健・医療・福祉連携事業の一環として、市民病院(脳外科)と連携して、脳ドッグ検診事業を開始した。受診費用の8割を市が助成することもあって、定数200名の申し込みはすぐにあふれ、抽選で対応せざるをえない状況であり、いまも続けられている。

〇 口腔ケア

2011年度から、高齢者の在宅生活を支援していくための対策として、現行の介護保険制度の中で非常に大切な分野でありながら十分な利用が図られていない口腔ケア事業について、市独自の新たな制度を設け、歯科医師会、歯科衛生士と介護事業者が連携して取り組んだ。

市単独によるこのような事業は全国でもめずらしいものであった。この事業は、その後青年壮年層への対象を拡げ、現市政でも引き継がれている。

〇 心の健康相談センター

2012年度から、福祉事務所内に「心の健康」対応の総合的な窓口を置き、うつ、ひきこもり、精神障害の方や保護者の方などに対する総合相談支援を始めた。

さらに、2013年からは、臨床心理士、精神障害福祉士などの専門的資格をもった職員を配置し「心の健康相談センター」として拡充させた。

しかしながら、2015年度以降は、専門職員の配置換え、退職(補充なし)などにより、同センターの機能は大きく後退、縮小している。

〇 少子化対策、子育て支援事業 

子どもの医療費助成については、私が就任時は3歳未満までと県下市町村の中で最も遅れていたが、これを、5歳未満まで、就学時まで、小学校卒業までと、3回に分けて段階的に引き上げた。さらに、現市政になってから、中学校卒業までに引き上げられた。

また、子どもがほしくても、なかなか妊娠しない夫婦の不妊治療にかかる負担を軽減するための助成を2010年度から始めた。この制度も、いまさらに拡充されている。

 (続く)

点検 四万十市政(2)

3. 活力あるまちづくり ― 雇用・産業振興
 
〇 中心市街地活性化 ― 土豫銀行跡地再開発

中村の町はかつては「おまち」と言われ、大変な賑わいであった。しかし、近年は、天神橋商店街など中心市街地はシャッター通りのような状態になり、閑散としている。

そうした中、2011年、天神橋商店街の真ん中にある旧土豫銀行の土地と建物を所有者から市に無償で寄付してもらった。

私はこの土地と隣接する遊休地を合わせた一角を再開発し、「おまち中村」の復活につながるような新しい街並みをつくり、その中核にミニシアター、小ホール、展示スペースなどの機能をもつ施設をつくることを2013年度事業の一つとしたいと、議会に提起した。(2013年3月議会「市長説明要旨」)

しかし、私のこの構想は、現市政には引き継がれず(地震対策上の問題もあり建物は解体されたものの)、跡地は放置されたままであり、あれから4年もたつのに、今後の方向性すら示されていない。

私としては、まちの活性化に役立ててほしいという条件で土地を寄付してくださった元所有者に申し訳ない気持ちでいっぱいである。

 詳しくは → http://hatanakamura.blog.fc2.com/blog-entry-105.html
http://hatanakamura.blog.fc2.com/blog-entry-147.html


〇 四万十市雇用創造促進協議会

2012年、国(厚労省)の実践型地域雇用創造事業を活用して四万十市雇用創造促進協議会(会長四万十市長)を設立した。

全国に誇る「四万十川」を始めとする豊富な資源を産業に結び付け、6次産業化を推進し、交流人口の増大や産業振興、地域振興を図り、市全体を活性化するとともに、雇用機会の創出につなげることを目的とした。

同協議会はその前の2期6年の取り組みを、さらに拡充発展させたものであり、各種セミナー開催のほか、自ら特産品商品開発にも取り組み、具体的成果もあがりつつあったが、3年間(通算9年間)で打ち切られた。

この事業は全額国費でまかなえる(市の負担ゼロ)という、地方自治体にとってはきわめて有利な事業であったにもかかわらず、十分な説明もないままであり、理解に苦しむ。

しかしながら、この取り組みで着手し、その後事業化に成功した「地元資源を活用したペットフードの製造販売」(WanLife)などの成功例も出ており、またほかにも起業家が育ってきており、成果は残せたものと思っている。

〇 ぶしゅかん 産地化と商品開発

 2009年、市長就任直後に始めたのが「農商工連携事業」。プロポーザル方式で市民から商品開発案を募集し、4つの事業を採択した。その中の一つが「ぶしゅかん」であった。(ほかには、地元農産物を利用した、かりんとう製造、ゆず加工品、栗加工品)

ぶしゅかん は本市周辺だけでつくられている酢ミカンであり、独特の酸味と風味がある。ポン酢のように使うだけでなく、青玉をそのまま刻んでも使える。また、ドリンクやジャムなどとしても普及できる。

この事業への支援は、植栽拡大のための苗の補助など、現市政でも引き継がれ、順調に拡大している。

〇 四万十ヒノキブランド化 市産材利用促進事業 

ヒノキ資源の蓄積量において本市は日本一。赤みをおび、香もゆたかであり、品質が優れている。このヒノキにあらたに「四万十ヒノキ」というブランド名をつけ、積極的に売り出していこうとした。

周辺の四万十町、中土佐町、三原村にも呼びかけ「四万十ヒノキブランド化推進協議会」も立ち上げ、本市が事務局となった。

ブランドを普及するためには、まず地元で活用を進めることが前提になることから、四万十ヒノキをふんだんに使ったモデルハウスを田出ノ川に建てるとともに、地元産木材を使用して家を建てた場合は最高150万円まで市が補助をするという市産材利用促進事業を開始した。市内の仕事を増やすため、施工は市内の大工さんに発注することを条件とした。

この事業は好評で、申し込みも多く、順調に普及していた。しかし、現市政になって、2015年度からは補助額が100万円までに削減された。

ヒノキは、本市農林水産物の中で最大の資源でありながら、せっかく順調に進んでいたのに、ブレーキがかかっている。ブランド化推進協議会事務局も隣の四万十町に移されている。

〇 西土佐道の駅

先に「災害に強いまちづくり」でも書いたように、西土佐総合支所および消防分署の建て替え移転とあわせた3点セットの事業として、2012年事業着手し、2015年度に完了した。

道の駅は「よって西土佐」と名前がつけられ、同年4月オープン、今月で1周年を迎えた。地域の情報発信拠点として知名度も浸透、利用者も順調に増えており、今後のさらなる充実が期待される。

〇 商工課、林業課の新設

上記諸施策に取り組み、雇用・産業振興をリードする市役所内の体制を強化するため、商工課を商工観光課から、林業課を農林課から、それぞれ分離独立させ、人員も増員した。

しかし、現市政に変わってから、両課は廃止され、ふたたび元の課に戻された。
「商工観光課」については「観光商工課」に名称が変えられた。

本市においては、観光が目玉であることは論を待たないとろであるが、観光産業という言葉があるように、観光は広い意味の商工に包摂される概念であり、この名称には違和感がある。

観光だけではない独自の商工業を育成していくのが本市には求められているにもかかわれず、この名称では「観光しかない」とういことを自ら表明しているようなものである。

 (続く)

点検 四万十市政(1)

私が四万十市長を退任し、中平正宏現市長にバトンタッチしてから4年を迎える。4月23日には、次の市長選挙がおこなわれる。

私は再出馬することを視野に入れ、現市政のこの4年間を外からじっくりとみてきた。私は、今回は出馬を最終的に断念したが、私の4年間に着手していた事業や政策が、次のこの4年間でどう引き継がれたのか、引き継がれなかったのか、またこの4年間ではどのような新しい施策等が始められたのかを点検することによって、現市政の評価を行ってみたい。そのうえで、ふるさと四万十市を守り、発展をさせるための提言を、次の市長に対しておこないたい。

点検は、私が市長時代に取り組んだ政策の6本柱に従って行いたい。

1. 災害に強いまちづくり ― 地域防災
2. 住みよいまちづくり ― 環境・基盤整備
3. 活力あるまちづくり ― 雇用・産業振興
4. 健康長寿のまちづくり ― 保健・医療・福祉
5. 絆を結ぶまちづくり ― 対話と協調
6. 誇りをもったまちづくり ― 歴史・文化・教育

・・・・・・・・・・・・・・

最初に、
1.災害に強いまちづくり ― 地域防災  から

〇 地震津波対策

 私が市長2年目、2011年3月に東日本大震災が発生した。約100年に一度必ずおこる南海地震対策については、それまでも取り組んでおり、前市長時代には下田に津波避難タワーができていた。

私は震災直後に東北被災地を視察しその惨状をみて、本市の対策を根本から見直し強化、加速化しなければならないと思った。総務課内にあった防災係を、体制強化して地震防災課として独立させ、1.津波から市民の命を守る対策、2.建物の倒壊から市民の命を守る対策、3.地震災害に強い組織をつくる対策、を柱とする「地域防災計画」を策定した。

津波対策については、「揺れたら逃げる」を最優先に、高台への避難道の整備、避難タワーの増設(下田、初崎)、防災拠点整備などに取り組んだ。

現市政も、この「防災計画」を継承して取り組んでいる。この結果、避難道整備は基本的に完了し、八束保育園の移転を含む八束地区防災拠点施設整備(1年遅れているが)のみを残すところまできている。また、建物倒壊対策も耐震補助が拡充され、自主防災組織も着実にふえている。

〇 西土佐総合支所と消防分署の移転建て替え

 私が市長就任時は市役所本庁舎の建て替え工事が行われており、ほどなく完成した。しかし、同年代に建てられ耐震上同じ問題があるにもかかわらず、西土佐総合支所(旧西土佐村役場)については、建て替え計画はなかった。

また、国道に面してあった消防分署は、四万十川出水のさい、たびたび浸水し、問題になっていた。

さらに、四万十市合併のさいの村長公約になっていた道の駅構想も、場所が決まらず暗礁に乗り上げていた。

そこで、支所庁舎の裏山を一部削りとって庁舎を後方に移動させ、その跡地に消防分署を上げ(移転)、さらにその消防跡地に隣接する民有地(西土佐商工会館、個人住宅)を買収して加え、道の駅をつくるという、3点セットの計画をつくり、2012年度から事業着手した。

この事業は、現市政によってそのまま引き継がれ、支所庁舎、消防分署は2014年度に、道の駅は2015年度中に完了した。


2、住みよいまちづくり ― 環境・基盤整備

〇 デマンド交通

1. 過疎地域の高齢者等の交通弱者対策として始めた。従来の定時運行路線
バスを予約制ボックスカーとタクシーに切り替え、「ふれ愛号」と名付け、運行は西南交通、西土佐バス、タクシー組合に委託した。富山、蕨岡、後川、西土佐等の山間部の路線を切り替えた。八束地区については、路線バスが走らない道を、新たに走らせている。

スタート当初は、議会の一部から「コストがかかりすぎる」という批判もでたが、
実際のコストはそれまで路線バス会社へ補助していた額と変わらない。

過疎地の足を確保することは、周辺地域を守ることであり、私の公約「里も栄えて街も栄える」にもとづくものである。

「ふれ愛号」はスタート当初から地域を守る足として好評であったことから、現市政でも継承されている。最近は、議会からの批判はないようであり、逆に便数をふやすなど拡充すべきとの声が強い。

(続く)
プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

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