木崎湖

NHKBS「火野正平こころの旅 とうちゃこ」へ出した手紙です。採用はされませんでしたが、以下掲載させてもらいます。


 正平さん、スタッフのみなさん、今年の春の旅のスタートでは、わが高知県四万十市においでくださり、ありがとうございました。以来、この放送を見させていただいております。 

さて、私の心の風景は、長野県大町市にある木崎湖です。もう43年前の昭和49年のこと。私は東京の大学の3年生で、日本史研究会という小さなサークルに入っていました。  

学校が夏休みに入った7月、大町市新行の名前は忘れましたがある民宿で夏合宿をすることになりました。新行は標高900mで夏も涼しく、勉強にも最適ということで、当時受験生や大学ゼミなどに人気がありました。 

私たち7名は、「日本資本主義分析」という本をテキストに使い、2日間外にも出ず、熱心に議論をし、意見をたたかわせました。

3日目の午後にやっと区切りをつけ、せっかく信州に来たのだからと、近くのお店に貸自転車があるというので、それを借りて、木崎湖まで行ってみようということになりました。  

軽快に坂を下って10分ほど走ると、目の中に青く澄み切った湖が飛び込んできました。あまりにきれいなので、湖を一周することにしました。  

ところが、途中から急に雲行きが怪しくなり、土砂降りの雨に。私たちはずぶぬれになりました。帰りの坂は自転車を押して、やっとの思いで民宿に帰り着きました。  

しかし、その夜の打ち上げは、合宿の達成感から、大いに盛り上がりました。いろんな歌をうたいました。ちょうどそのころ発表された、山本コウタローの「湖めぐり」ならぬ「岬めぐり」もその一つでした。  

私は早期退職後ふるさとにUターンしてから9年。ほかの6人もいまは全国にバラバラでなかなか会う機会もありません。 
 
しかし、一生懸命歴史の勉強をし、必死で議論を交わしたあの情熱、あの若いころの思い出が木崎湖で降られた土砂降りの雨とともに、よみがえってきます。私にとって大切な「こころの風景」になっています。

その後木崎湖には行ったことがないので、いつかもう一度行ってみたいと思っていますが、どうぞ正平さん、新行から下る道を通って、いまの木崎湖を訪ねてもらえないでしょうか。よろしくお願いいたします。 

 2017年8月13日
 高知県四万十市 田中全

タカクラ テル

タカクラテル(高倉輝1891~1986)という人物を、一言では紹介しにくい。文学者、作家、言語学者、農民運動指導者、政治家、と多彩な顔をもつ。

20170924211409955.jpg

両親は幡多郡大方町(現黒潮町)の人で、本人も小学校までここで過ごし、宇和島中学、三高(京都)、京都帝大文学部に進む。上田敏、新村出らの指導を受け、大学に残るが、その後、信州上田の自由大学に共鳴し、農民や労働者の中へ。小説は「箱根用水」「大原幽学」が代表作、戯曲も多い。戦中、投獄経験をもつ。

戦後は、長野県から国会議員にもなった。その後は、東京都昭島市で文筆生活を送った。

こんな経歴であるから、知る人ぞ知る、であるが、地元では意外に知られておらず、なじみが薄い。主な活動舞台は、京都、長野、東京だからだ。

地元でももっとテルのことを知ってもらおうと、2年前、大方あかつき館(上林暁文学館)が、企画展をおこなった。

黒潮町浮鞭に「タカクラ」と刻んだ高倉家墓があり、テルもここに入っている。

今年3月、長男の太郎氏が91歳で亡くなった。太郎氏はロシア語学者で翻訳も多い。

9月23日、太郎氏の納骨に節夫人がみえられた。地元には親族の者はいないので、あかつき館関係者がお世話をするというので、私も立ち会わせていただいた。

20170924211445256.jpg    20170924211450edb.jpg
  
墓の扉を開き、花を差し、線香をあげ手を合わせ、納骨はつつがなく終わった。
その後、墓の下の国道脇に10年前建てられた顕彰碑(文学碑)にも案内した。碑には「あらしはつよい木をつくる」と刻まれている。

 201709242114435cf.jpg

節夫人には大勢の同行者があった。総勢18人。高知空港からレンタカー3台で見えられた。節夫人が活動されている「三多摩車人形を育てる会」のメンバーが大半で、ほかにご近所づきあいの方々も。

車人形とは三多摩地方に伝わる郷土芸能で、人間が車に腰を載せてすべるように動き、手で人形を操作するというもの。夜、中村のロイヤルホテルで開かれた地元との交流会で、ご披露くださった。

題目は「新曲まんざい」というタカクラテルが書いた人形芝居。三味や箏をバックに謡もつくという、大掛かりな仕掛けで、驚いた。人形劇ときいていたので手先か指先だけでおこなうものとばかり思い込んでいたが、人形浄瑠璃と似たものだった。こんなの本格的な人形舞台は、はじめて見た。

 20170924211449817.jpg    201709242252545ab.jpg

テルのふるさとのわれわれに、テルの作品を見てもらいたいという、一行の熱い心遣い、ご厚意に、ただただ恐れ入るばかりであった。

ホテル裏にある幸徳秋水墓にご案内した。そこで、こんな話をきき、これも驚いた。タカクラテルと幸徳秋水は互いの母同士に行き来があり、遠い親戚関係にあったらしいというのだ。

このことについてふれたテルの文章も教えてもらった。また、秋水母多治の葬儀のさいにはテルの母が悔やみに来たと、幸徳富治(秋水の甥)が書いたものがあることも。文章は両方とも、すぐに確認できた。

大逆事件再審請求裁判を1960年、坂本清馬がおこしたさい、その支援組織としてつくられ、いまに続いている「大逆事件の真実をあきらかにする会」の結成呼びかけ人にテルの名前があり、また翌年、中村で「幸徳秋水刑死50周年記念大演説会」が開かれたさいも、弁士として来ている。

こうした行動の背景には、遠い親戚同士であったという思い入れがあったのかもしれない。

ただし、親戚といっても具体的にどういう関係であったのかということははっきりしていないという。

興味あるテーマであり、両家の家系等をこれから詳しく調べてみることにしたい。
いろんなことを教えてもらった一行には、心から感謝したい。

大義と打算

衆議院は選挙で負託を受けた議員によって構成され、任期中その役割を果たすことが義務付けられている。しかし、やむを得ない事情があれば、その解散権は首相にある。

これまでも、いろんなタイミングで解散が行われてきたが、今回ほど、打算に満ちた党利党略の解散はなかった。

先の通常国会では森友・加計問題がとりあげられ、アベ首相は十分な答弁ができなかった。真相不透明のままだ。世論調査でも、国民の大半は納得できないと答えている。だから、首相は、これを詫び、今後丁寧に説明していくと表明した。

ところが、この約束に反し、野党側が早期の開催を求めてきた臨時国会は開催を先送りし、やっと9月28日開会となったとたん、解散だ。

このところの、民進党の混乱に加え、北朝鮮情勢から、いまなら勝てそうだと、起死回生(のつもりで)の策に出たのだろう。

ところが何を争点にするにか、いまだ自民党ははっきりしない。解散当日の首相演説もしないという。

こんな無責任な解散はない。
国民をバカにしている。
選挙を愚弄している。
どんな手段でも勝てばいいという。

選挙の真の目的は勝敗ではない。
争点を示し、国民の声を聞くことが第一だ。
それが選挙の大義というものだ。
勝敗はあとからついて来る。

アベ首相は、いまなら勝てると読んでいるのだろう。
しかし、今回は自分が仕掛けたように見えるけれど、森友・加計問題で追い詰められ窮地に陥ったことが背景にある。

今回の選挙は与党、野党の対決ではない。
与党と国民(民意)の対決だ。

国民の総意で追いこみ、アベ政治に終止符を打とうではないか。

四万十川と舟

台風18号による四万十川出水はここら下流域ではたいしたことがなく、被害もほとんどなかったことから、ホットしていたが、上中流域では死者行方不明が3名でているということで、驚いている。

いずれも川に流されたようだ。上流のほうでは、かなり集中的に降ったようだ。

うち1名(西土佐)は、所有の川舟が気になるからと、川に見にいってから、そのままになっている。捜索が続けられている。

川舟が絡んだ、このような事故は以前から繰り返されており、四万十川特有といえる。2年前も同じ西土佐で1名が行方不明になり、いまだ発見されていない。

なぜ、たびたび事故がおこるのか。それは、川舟が多いからだ。四万十川流域に生活する者にとって、昔から川舟は切っても切り離せない生活用具である。

アユやウナギ、エビをとる川漁のために。
さらに、ここら下流域では、冬場の青ノリをとるために。私の実家にも一艘ある。

いまはほとんどイグサはつくっていないが、かつては対岸の河原にイグサを運び天日で乾燥させるためにも、舟は欠かせなかった。

川が生活の一部になり、川がわれわれの生活を支えてくれていた。
だから、舟はいまでいえばマイカーと同じであり、台風などで出水する時は、あらかじめ適当な場所に避難させ、縄でしっかりと岸につなぎ留めなければならない。

それでも、舟のことが気になり、ちょこちょこ川に見に行く。そんな気持ちはよくわかる。

四万十川ほど、流域の人々の生活と密着した川は全国にもないだろう。
しかし、母なる川でも突然牙をむく。

川とのつきあい、折り合いはうまくしないと。
悲しい事故である。

幡多の昭和 記憶から歴史へ

このほど「写真アルバム 幡多の昭和」が発刊された。昭和の写真がふんだんに掲載され、A4版263ページ。写真提供、執筆もほとんど地元であるが、出版社は名古屋の樹林舎で、かつ税込み9990円は高価なことが、ひっかかったが、1冊購入した。

ちょうど10年前にも、「目で見る 幡多の百年」(B4版148ページ、11550円、長野県松本市 郷土出版社)も出版されている。

二つの写真集は、ふるさとの歴史と生活を振り返るという編集目的は同じであり、実際、執筆陣もかなり重複している。しかし、異なるのは、前回は明治、大正時代をも対象にしているのに対し、今回は昭和に絞ったこと。それと、当然ながら、あれから読者が10歳、年をとったということ。

その読者の一人である私は、今回、深く考えさせられた。身につまされる思いである。

というのは、前回掲載された写真のほとんどは、昭和28年生まれの私の体験、記憶がない時代のものである。

過去の写真の中には、これはいまのあの場所だなとわかるものあるが、その時代自分はいなかったのだから、過去の記録としての意味しかない。

だから、それらの写真を見ることは、自分が知らない新しい知識を得ることと同じである。ああ~あんな風景だったのだ、と。

しかし、今回は、私が自ら体験した写真がたくさん載っている。昭和38年台風9号、昭和39年東京オリンピック、昭和52年中村高校24の瞳、昭和30~40年代の中村の町、県交通バス・・・などなど。

自分の記憶に刻まれた風景であるから、ジンと懐かしさを覚える。あの時、自分は何歳で、何をしていたか、鮮明である。

しかし、いやだからこそ、あれから何年たち、いろんなことがあり、自分も年をとったな~、と、感慨というか、複雑な気持ちになる。この間、自分はどれだけ成長したのだろうか、社会の役に立つようなことでもできただろうか、と反省と懺悔を迫られるような気持にもなる。

記憶から歴史へ。
自分が体験した写真が本になるということは、個人的な記憶や体験が客観的な歴史になるということである。
平成生まれの若者たちにとっては、これらの写真は過去の記録=歴史なのだ。

今回の写真集を見ると心が重くなる。
いま自分が生き、していることが記録や歴史になる。自分はあと何年生きられるか、その間、何ができるのかというプレッシャーを感ずる。

201709141530480d4.jpg    20170914153102c49.jpg

 20170914153106437.jpg    20170914153105ea1.jpg

 20170914153105ca6.jpg    201709141531542ec.jpg
        


 

 
  


 

 
        

神様の結婚式

「神様の結婚式」といわれる不破八幡宮秋の大祭が来週9月16、17日開かれる。

去年までは、10月第2土日に開かれていたが、他の地域行事と重なるのを避け、今後は9月の敬老の日の前日の土日とした。

不破の八幡さんの祭り、といえば私が子供のころは、たくさんの人出で賑わっていた。しかし、近年は、めっきり少なくなった。その人出を少しでも、呼び戻そうというのだ。

同神社は一條家が京都の岩清水八幡宮から勧請したもので、祭りは当時幡多地方で横行していた略奪婚などの蛮習を戒めるために、人の結婚式の厳粛さを示したものとされている。詳しくは、このブログ 2013.10.14 に書いている。

県内神社では最古で、国重要文化財に指定されている社殿の一部が去年から今年にかけて、20年ぶりに保存修理がおこなわれた。

また、地元の今の子供たちにも不破の八幡さんのことを知ってもらおうと、中村商工会議所が中心になって、マンガを使った紹介冊子を作成した。

いま県下で開かれている幕末維新博では、本市は「四万十川と土佐一條家からはじまる小京都物語」をテーマにした展示を公民館にしている。

ぜひ、多くの方に祭りに来てほしい。

20170909110959268.jpg

関東大震災

きょうから9月。昼間は暑さが続いているが、朝晩はめっきり秋らしくなった。

9月1日は、大正12年(1923)、関東大震災がおこった日であり、「防災の日」とされており、こちらでも午前10時にサイレンが鳴り、地震防災訓練が行われた。

関東大震災では、約10万人の死者を出した。直下型地震の典型であり、南海トラフ地震と違い、今後いつどこで起こるか予想しづらいが、94年前を教訓にした万全の対策が必要である。

教訓には、流言飛語に惑わされないことがある。最初の揺れのあとも余震が続くので、みんな恐怖と不安に陥る。そのさい、根拠のない噂やデマがどこからともなく流れる。普段は相手にしないようなたわいもないことでも、みんな動揺してしまう。

関東大震災では、政府が戒厳令を出した。政府に対する不満が高まっていた時期であったことから、地震に乗じて、社会混乱がおこるのではないかと、過剰反応したのである。

不満の矛先が政府に向けられることを恐れた政府は、警察を動かし、住民に自警団をつくらせたうえで、朝鮮人が暴動、井戸に毒を入れている、などのデマを流した。

これを信じた自警団は多くの朝鮮人を襲撃、虐殺した。警察は、そのことによる罪を問わず、その後もうやむやにしてきたことから、犠牲者の実数ははっきりしないが、いろんな証言から事実であることは間違いない。

当時、作家の徳富蘆花は東京郊外の千歳村粕谷(現世田谷区)で「美的百姓」をしていた。最近読んだ蘆花「みみずのたはごと」の中に、こんなことを書いていた。

「 私共の村でもやはり騒ぎました。けたたましく警鐘が鳴り、「来たぞゥ」と壮長の呼ぶ声も胸を轟かします。隣字の烏山では到頭労働に行く途中の鮮人を三名殺してしまいました。済まぬ事羞かしい事です。 」

東京都墨田区の公園では、毎年9月1日、朝鮮人犠牲者追悼式が行われており、去年までは都知事(石原慎太郎知事も)から追悼文が届けられていた。小池百合子現知事も昨年は届けた。しかし、今年からこれをとりやめた。

理由は、「国籍を問わず、震災で犠牲になった方々への追悼は別に行っているから」(9月1日付高知新聞)、だという。自然災害で犠牲になった者と、人の手で殺された者も同じだという考え方である。

小池知事は安倍首相と同じく日本会議のメンバーである。知事の本質を表している。

人間の不安に乗じたやり方は、北朝鮮ミサイル対応でも共通している。北朝鮮の蛮行は早くやめさせなければならないのは当然であるが、過度に反応し、国民を余計な不安に陥れることによって、国内政治に利用しようという魂胆は現に戒めなければならない。

ミサイルが日本の「上空」を飛び超えたといっても、国際宇宙ステーションの軌道よりも高い高度である。これに対しサイレンを鳴らして、避難行動をとれというのは、地球を回るロケットが落ちてくるかもしれないので、隠れろというのと同じようなものである。冷静に考えれば、だれでもわかることである。

北朝鮮の蛮行を早くやめさせることと、現にいまアメリカをけん制するために飛ばしていることが明らかなミサイルへの個別対応は別のものであるべきである。

関東大震災の日に、思う。
プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR