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相撲部屋の力

終戦直後の昭和21年正月、大相撲の横綱双葉山一行が中村に来て「幸徳秋水35年忌追善興行」を行ったことは、12月7日付記事に書いた。

この相撲を見た地元の生き証人を探していたところ、見つかった。その男性は昭和11年生まれというから、9歳の小学生の時である。家族に連れられて見たという。

場所は新聞予告記事にあった一條神社ではなく、天神下(いまの市役所西)であった。そこには常設の土俵があった。

双葉山以外に、大関佐賀ノ花、力道山、神風なども見たというから、間違いないであろう。

「幸徳秋水・・・」については、わからないということだが、これは子どもには当然であろう。

今回いろいろと調べてわかったのは、当時相撲巡業は部屋別に行なっていたということ。

双葉山は立浪部屋。高知県に入る前の月の11月場所をもって横綱を引退していた。佐賀ノ花以下は二所ノ関部屋。こんな組み合わせで、終戦直後の混乱期になぜ高知県に巡業に来たのか?

考えられるのは、二所ノ関部屋再興の功労者が高知市出身の横綱玉錦であったということ。玉錦はすでに横綱現役中の昭和13年急病で亡くなっていたが、高知は二所ノ関部屋にとって縁深い地であった。スポンサーも多かったことだろう。

終戦直後の東京は食糧難。しかし、地方は食い物がある。

引退したとはいえ大横綱双葉山の看板は大きかった。立浪部屋の双葉山を借りて、二所ノ関部屋の力士たちが食糧を求めて高知県(8か所)にやって来たのではないか。

「幸徳秋水・・・」は、勧進元の高知県労働組合協議会が客寄せのためにつけたものであろう。

東京にある相撲博物館(相撲協会運営)に問い合わせたところ、当時の細かい記録はないが、昭和20年11月場所終了後、双葉山は四国巡業に出たあと、翌年1月京都で土俵入りをしたという雑誌記事があるとのことであった。

いま相撲協会が揺れており、きのうの理事会で貴乃花親方の理事解任という方向が決まった。(最終的には評議会で決定)

貴乃花がこの間強気を押し通してきた背景には、相撲部屋のほうに力があるからだと言われてきた。相撲協会は各部屋の寄せ集めにすぎず、事実上部屋は協会から独立をしていると。

協会に統率力(ガバナンス)がないということが、この問題をここまでこじらせている。

昭和21年、中村に来た巡業は二所ノ関部屋が主導(主催)したものだった。
今回の騒動の根深い背景がわかった。


プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
フェイスブック(FB)もしています。

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