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スポーツの公平性

平昌オリンピックが終わった。

冬のオリンピックは夏に比べて、ほとんどがなじみのない競技ばかりなので、あまり期待をしていなかったが、日本人選手の予想以上の活躍もあり、結構楽しませてもらった。

そうした中で感じたのは、スポーツ競技は本来公平な条件・ルールのもとで行われるべきものであるのに、冬の競技には、そうでないものが多いということ。

例1 スキージャンプは、飛ぶ瞬間の風に左右される。以前に比べて、風の強弱、向き、などでだいぶポイント調整されてきたが、完全には無理。女子の高梨はよかったが、伊藤は気の毒だった。

例2 スケートは、インコース、アウトコースで差がある。小平奈緒は1000mでインコースだったら、金メダルを2個とっていたであろう。

例3 ショートトラックスケートは、巻き添えによる転倒が多い。本人の責任でないものは、救済措置がほしい。スケート・マススタートの佐藤綾乃の転倒はかわいそうだった。

例4 スキーとスノーボードのパラレル大回転は、赤コースと青コースで差がある。竹内智香は不利な青コースで負けた(準々決勝)。

例5 複合ラージヒルの後半クロスカントリーで、渡部暁斗はトップでスタートしたが単独走は風をもろに受ける。後のドイツ3人組の共同作戦(互いに風よけになる)に敗れた。


冬以外のスポーツにおいても、屋外で行われるものは、多かれ少なかれ自然現象等の影響を受けることはあるだろう。しかし、冬の場合はそれが極端に現れる。

だから、冬のオリンピック観戦は、単に結果としてのメダル争いを楽しむということだけでなく、人間というものは、自然には最終的には勝てない生き物であり、また人生において運・不運はつきものである、という教訓を学ぶ場でもあると思った次第。

名護市長選挙の真実(5)

太平洋戦争下、唯一の本土戦の舞台とされた沖縄。その最後の決戦地を訪ねた。沖縄に上陸した米軍が日本軍を追い詰めたとろ。いまは糸満市。沖縄平和祈念公園になっている。公園の中心に摩文仁の丘がある。

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「平和の礎(いしじ)」には、沖縄戦で命を落とした人々の名前が全員、都道府県、国別に刻まれている。沖縄県14万9456人、県外7万7425人、外国1万4587人(うちアメリカ1万4009人)、計24万1468人。

圧倒的に沖縄県が多い。しかも、ほかが全員軍人であるのに、沖縄県だけはほとんどが民間人である。戦闘に巻き込まれたのだ。

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ガマ(洞窟)などに逃げ込んだ民間人は、日本軍から渡された青酸カリや手りゅう弾で自決した者も多い。断崖から海へ身を投げた者も。太平洋と東シナ海の境、本島最南端の喜屋武岬にも「平和の塔」が建っていた。

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ひめゆり部隊が命を落としたガマには慰霊塔(ひめゆりの塔)と資料館があった。沖縄がなぜ日本の盾にされたのか、沖縄戦の実態をリアルに示す展示であった。

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琉球王朝は、もともとヤマト(日本)とは別の国であった。東南アジア、中国、日本との交易で栄えた。戦を好まず、友好的な民族であった。

日本の江戸時代になって島津(薩摩藩)の侵攻を受けたが、ずっと独立は維持していた。しかし、明治10年、「琉球処分」で強権的に日本に併合され、沖縄県とされたのだ。

日本は太平洋戦争に敗れ、全土がアメリカに占領された。沖縄を除く部分は1951年サンフランシスコ平和条約で独立を果たしたが、沖縄は見捨てられ、アメリカの占領が続き、基地の島にされてしまった。

同条約の裏側でアメリカによる沖縄支配を温存させる日米安保条約と日米地位協定がこっそり結ばれたからだ。いま、わずか日本国土面積のわずか0.6%沖縄に米軍基地の74%が集中しており、基地内は治外法権である原点はここにある。

沖縄米軍のほとんどが海兵隊である。しかし、最初からこうではなく、本土で問題を起こす海兵隊は地元からいやがられるため、1950年代から60年代にかけて岐阜や山梨から、移駐させたのだ。

海兵隊を沖縄に封じ込めるという日米両政府の合意。日本の犠牲を沖縄に押し付ける。沖縄は捨て石にされたのだ。

「核抜き本土並み」を訴えた本土復帰(1972年)も、そうはならなかった。

そしていまの辺野古である。

今月の国会で安倍首相は、普天間の本土移転は「理解が得られないから」と堂々と答弁をした。沖縄の理解が得られないのは、かまわない。本土のほうの意向が優先されるというのだ。

これほど、あからさまに沖縄をバカにした話はない。ヤマトによる琉球差別はいまも続いているということだ。

今回の名護市長選挙は琉球対ヤマト政府の戦いであった。稲嶺さんは敗れたが、しかし、沖縄の民意が敗れた訳ではない。有権者アンケートでも67%は辺野古基地反対であった。

相手候補は基地問題は語らなかったし、語れなかった。公約にもできなかった。

辺野古反対の沖縄の民意は不動である。
たたかいは、まだこれから。
たたかいは続く。

沖縄の現実から目をそらさないこと。まなざしを注ぐこと。
日本の民主主義が問われている。

(終り)

稲嶺進さんを称える

 名護市と四万十市は友好交流をしており、2010年、名護市誕生40周年記念式典には招待され、翌年災害時相互支援協定を締結し、2014年友好都市サミットでは稲嶺進名護市長を四万十市にお招きしている。

この時は、私は四万十市長を降りていたので、市民に呼びかけ、公式行事終了後「名護市と連帯・交流する集い」を開き、稲嶺市長と屋比久議長(今回選対本部長)を激励させてもらった。

そんなおつきあいを通して、私は市民を大切にする市政をすすめる稲嶺さんの姿勢とその誠実な人柄にひかれたことから、今回市長選挙出陣式の前日妻と名護に入り、選挙事務所を激励し、3泊4日応援に動いた。

稲嶺さんは政治家から最も遠いタイプ。真面目、実直な市職員から、収入役、教育長をつとめた、もともと保守の人。訥々とした話し方で、とても演説向きではない。しかし、だからこそ堅い意志と信頼がにじみ出ている。

8年前、市議会保守系議員から、「辺野古を止めるにはアンタしかいない」と担ぎだされ、革新系はあとから加わった。いまのオール沖縄の原点だ。

今回相手候補は、経済活性化を叫んだが、経済は平和と安心があってこそ成り立つ。また、米軍基地は経済振興の最大の障害になっている。

稲嶺さんが市長になったことで、基地再編交付金はストップされた。しかし、この8年間で名護市の財政規模(予算)は287億円から382億円に増加。市の貯金にあたる基金積立金も38億円から72億円に。

県内11市の中で経済成長2位、中学卒業までの医療費無料化に最初に取り組み、国保税も一番安い。基地再編交付金に頼らなくとも、安心、安全、住みよいまちづくりを見事に進めてきた。

さらに50年先を見越したデザインを描き、「未来へ進む」「子どもの夢未来紡ぐ名護のまち」へ堅い決意に燃えていた。

しかし、選挙は票取り合戦。実績をあげ立派な政策のほうが強いとは限らない。どんな方法、手段でも票を多く集めたほう、奪ったほうが勝ちである。

相手はそこが巧妙だった。基地問題を一言も語らず、争点をぼかす。公開討論を逃げ、誹謗中傷、デマをたれ流す。さらに、権力、金力で組織団体を締め付け、囲い込み、期日前投票に送り込む。

勝ちさえすればいい軍隊は強い。政策はないほうが動きやすい。ポスターは顔と名前だけ。その場その場で、なんとでも言える。権謀術数、あらゆる手を使えるからだ。

両候補の人柄・資質の違いは歴然。まともには勝てないと相手は必死になる。こちらは「あんなヤツに負けるはずがない」というスキもあり、本当の敵(安倍政権)の終盤の総攻撃に耐えられなかった。

それでも稲嶺さんには自信があった。市民を信頼していた。

「辺野古はもうだめだというが、埋め立ては1%だけで、まだ止められる」
「争点をはぐらかされてしまった・・・」
目はうるみ、無念の言葉を絞り出し、崩れるように消えた姿を見て、私は心配になった。

しかし、翌朝、黄色ジャンバーに黄色旗をもって、子どもの見守りのために笑顔で交差点に立つ、いつもの稲嶺さんの姿があった。

稲嶺さん、ありがとう。たたかいはここから、たたかいはいまから。あなたの後ろには全国の仲間がいます。ともにがんばりましょう。

 高知民報 2018.2.18


 高知民報 稲嶺進2018.2.18



名護市長選挙の真実(4)

ゴーゴー、パタパタというオスプレイの異様な音が聞こえるだけ。米軍普天間飛行場は、その全貌を隠していた。

那覇に戻る途中、夕闇迫るころ、車が渋滞する時間。カーナビが宜野湾市のど真ん中を示している。

国道幹線道路に沿って左側は金網が続く。しかし、金網の向こうは林になっており、中が見えない。戦闘機、ヘリも見えない。

基地の周りは市街地で住宅が密集している。基地の端の信号を左折し、過去に米軍機が墜落した沖縄国際大学方面に向かう。金網は続くがやはり中は見えない。

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やっと国際大学近くに基地ゲートを見つけたので、車を降りて使づいてみた。そこからだけは中を覗くことができた。しかし、ヘリの翼の一部がかすかに見えるだけ。するとゴーという音とともに、オスプレイが戻ってきて、着陸態勢に入った。ゲート横は申し訳の程度の児童公園になっていた。

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車に戻り、さらに先に進み、先に米軍ヘリの窓枠が落下した普天間第二小学校を捜した。普天間第二幼稚園も隣にあった。下校時間をとうにすぎているので子供はいない。グランドも閑散としていた。隣は基地。林に覆われている。さらに車を走らせると、元の国道に戻った。

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ぐるり一周した住宅地の中に緑はほとんどなかった。あるのは広大な基地の緑だけ。この緑によって基地の中は覆いかくせても、音だけは隠せない。ゴーゴー、パタパタ。

航空写真では市街地のど真ん中を占領している基地は裸同然。しかし、市民の日常生活の目線からは、基地はすっぽり隠されているというのが実感だ。

鉄道線路のそばで暮らしている人がそうであるように、ゴーゴー、パタパタという、はじめての人間には耳障りにきこえる音も、長年暮らしていると普通の生活音に聞こえるのかもしれない。

航空写真と日常生活の落差。慣らされるという死角を利用して、米軍はここに居座り続けている。

普天間は、戦後、アメリカ占領軍が銃剣とブルドーザーで強奪したもの。日本が独立したいま、なぜ日本政府は普天間即時全面返還を求めないのか。求めることができないのか。

1996年、日米間で普天間飛行場が条件付きで返還合意した。普天間から辺野古への「移設」問題はここに始まる。

しかし、前回(3)書いたように、返還8条件の中に、辺野古の滑走路は短いことから、必要な時には米軍による那覇空港利用という項目がある。そんなことを翁長知事が認めるはずがない。

また、普天間は飛行場だけであるが、辺野古には巨大軍港も併設される。

辺野古は普天間の「移設」」ではなく、「新基地建設」なのである。

続く





名護市長選挙の真実(3)

辺野古は「普天間移設」ではなく「新基地建設」である。普天間は返還されない。
選挙応援中、辺野古にも足を運び、その現実を見てきた。

名護市は広い。市役所がある市中心部は東海岸にあるが、辺野古は西海岸(太平洋)である。山(丘)を越え、車で30分ほどかかった。

国道から海へ入るところで迷った。埋め立て予定地は、米軍キャンプシュワブの前であるので金網に囲まれ、入れない。遠くから見るしかないということで、なんとか隣接する辺野古漁港にたどりついた。

防波堤に立つと、渚の先に工事用クレーンが見えた。しかし、水平目線のため、その先が見えない。工事がどれでだけ進んでいるのかよくわからない。その日は日曜日であったためか、人影も見えず、静か。

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反対運動テント小屋で、航空写真地図により説明を受けた。これまで埋め立てが強行された箇所は、全体からすれば1%程度にすぎない。工事はかなり進んでいるように思われているが、まだわずか。大々的に工事の模様を報道するのは、反対派を諦めさせようという政府の意図を受けたものなのだ。

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知事や市長の許可制限はまだたくさんあるので、工事は簡単には進まない。さらに、「ジュゴン訴訟」と言われる国際裁判も有利に進んでいる。

辺野古には滑走路が二つ(V字)をつくる計画だが、あまり知られていないのが巨大軍港もできること。予定地は半島を境に浅い砂浜と深い海に分かれている。

その深い側に長さ272メートルの護岸ができる。普通の軍艦だけでなく、強襲揚陸艇(LCAC)も接岸できる。弾薬庫もできる。これらは普天間にはない機能だ。

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日米で交わした普天間返還8条件というものもある。その中の1つに、緊急時の民間空港米軍利用がある。辺野古の滑走路は短いので、那覇空港を使わせてほしいというのも。

しかし、これは翁長知事が許可するはずがない。だから、稲田防衛大臣(当時)が「普天間が返還されない可能性がある」とポロリ発言したとき、政府があわてたのだ。

また、米軍そのものも辺野古はどうしても必要な基地ではない。日本がつくってくれるというのなら使おうか、という程度のもの。

というのも、米軍再編成計画の中で米海兵隊は漸次グアム、ハワイ、オーストラリアなどに移すことになっているからだ。辺野古ができても早晩必要なくなる。そのあとは日本の自衛隊が使いたいのだ。

また、新基地建設という巨大プロジェクトは日本のゼネコンにとってもおいしい話である。現在の工事は、大成建設、五洋建設、東洋建設が受注している。大成建設には菅官房長官の息子も入っている。

ほかのゼネコンも群がってくることは明らかである。当然、政治献金としてその一部が自民党に還流する。

自衛隊が将来使うには、日本の防衛上の危機をあおらなければならない。北朝鮮の脅威をことさらに強調するのはこのためである。北朝鮮がミサイルを打ち上げるたびに、一番よろこんでいるのはアベ首相である。

アメリカは財政的に、軍事費予算は限界にきている。日本に期待するのは、自衛隊によるその補完。自衛隊をアメリカ軍の完全コントロールのもとに、世界中で使うこと。日本政府もそれを望んでいる。

集団的自衛権を認めた安保法制、さらには憲法9条に3項を加えることを狙っているのはそのためである。

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名護市長選挙の真実(2)

敗戦が決まった瞬間の稲嶺さんの表情がこの選挙のすべてを示していた。

私はネット動画を見ていた。支援者の拍手に迎えられ、選挙事務所前広場に設けられた最前列イスに座った瞬間であった。NHKが相手候補「当確」のテロップを流したのだ。

みんな一瞬ザワザワと、何がおこったのかとお互いの顔を見合う。稲嶺さんの顔がだんだん紅潮し、うなだれるように目線を下に。隣のイスの翁長知事は顔をこわばらせ、じっと前を見る。呆然自失。沈黙が続く。二人とも現実がのどにつかえ、なかなか呑み込めない。稲嶺さんがメガネの下に手を当てる。

沈黙がさらに続く。しびれをきらした取材記者たちが、稲嶺さんを立ち上がらせマイクを向ける。しかし、稲嶺さんは、なかなか声が出ない。

「結果は真摯に受け止めなければならない・・・」

敗因を聞かれても声が出ない。時間をかけて言葉の一つ一つを絞り出すように、

「10年、20年、30年先を見越して取り組んできたが、目先のことにみんな目が行ってしまった。」

「辺野古はもうだめだというが、埋め立てられたのは1%だけであり、まだ止められる」

「争点をはぐらかされてしまった・・・」

立っているのもやっとで、見かねた支援者がマイクに割って入り、稲嶺さんを抱きかかえるようにして事務所に導いた。

こんな光景をはじめて見た。開票のさいは、普通、候補者は別の場所で待機し、結果が出てから支援者のところに顔を出し、敗戦の弁あるいは勝利の弁のあいさつをする。だから、どんな結果になったにせよ、心を鎮めてからマイクを握るものである。インタビューはそのあとだ。

支援者と一緒に開票を見守るというのは、今回相手候補も同様であったので、一族のきずなを大切にする、沖縄特有のものなのだろう。

選挙終盤戦、相手側からのなりふり構わぬ総攻撃にさらされことから、私はこの選挙きびしい結果になることを覚悟していた。おそらく選対幹部なども同様であったと思う。

しかし、稲嶺さんは、自分は必ず勝てると信じていた。市民は自分を選んでくれるという自信があったのだ。

まわりは稲嶺さんの気持ちを気遣い、配慮して、稲嶺さんに「覚悟」を耳打ちしていなかったのだろう。

とりまきは選挙情勢を客観的にみることができるし、そうでないといけない。しかし、候補者本人は、特別の思い入れがあることから、まわりが見えないものである。特に独自の権限をもつ首長の場合は。だから「お山の大将」とか「裸の王様」といわれるのだが、これは自分の経験からもわかる。

自分に自信がある場合特にそうなる。稲嶺さんは、市民のためを思い全身全霊をかけて市政に取り組んできたのだ。そんな自分を市民が選んでくれないはずはない。市民を信頼していた。

稲嶺さんは、いわゆる政治家タイプではない。最も遠い人だ。真面目、実直な市役所職員から、収入役、教育長をつとめた人だ。訥々とした話しかたで、とても演説向きではない。しかし、だからこそ信頼、誠実がにじみ出ている。

もともと保守の人で、8年前、議会保守系議員から、辺野古を止めるにはアンタしかいないと懇願され、かつぎ出された。革新系はあとから加わったのだ。いまの「オール沖縄」の原点はここにある。

今回相手候補は、経済活性化を叫んだが、経済は平和と安心があってこそ成り立つ。また、米軍基地は経済振興の最大の障害になっている。

稲嶺さんが市長になったことで、基地再編交付金はストップされた。しかし、この8年間で名護市の財政規模(予算)は287億円から382億円に増加。市の貯金にあたる基金積立金も38億円から72億円に。

県内11市の中で経済成長2位、中学卒業までの医療費無料化に最初に取り組み、国保税も一番安い。

基地再編交付金に頼らなくとも、見事に安心で安全、住みよいまちづくりを進めてきて、その実績をあげてきた。

さらに、50年先を見越したデザインを描き、次の4年間に取り組むことも決めていた。「子どもの夢未来紡ぐ名護のまち」へ、堅い決意で燃えていた。

それが稲嶺さんの強い自信と確信になっていたのだ。自分が負けるはずがないと。

しかし、選挙は残酷である。いくら見事な実績をあげ、立派な政策をつくっても、有権者がそれをみて、きちんと選択をしてくれるわけではない。

選挙は票取りゲーム。結果は数で決まる。どの票も1票は1票。どんな方法、手段でも多く集めたほう、奪ったほうが勝ちである。

相手はそこが巧妙だった。基地問題を避け、はぐらかす。堂々の論戦を逃げ、誹謗中層、デマをたれ流す。さらに、政府の権力、金力で組織団体を締め付け、囲い込み、期日前投票に送り込む。小さな城に大軍勢が総攻撃をかけたのだ。

勝ちさえすればいい軍隊は強い。大義名分はどうでもいい。政策はないほうが動きやすい。その場その場で、なんでも言える。権謀術数、あらゆる手を使えるからだ。相手にはそのノウハウにたけていた。

それでも稲嶺さんは自信があった。自分は絶対勝てると。
市民を信頼しきっていた。稲嶺さんは言葉を用意していなかったのだ。

それが、あの敗戦の弁になったのだ。

そんな選挙だった。

(続く)

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名護市長選挙の真実(1)

稲嶺進市長が敗れた。残念である。

結果は結果として厳粛に受け止めなければならないが、この選挙がどんな選挙戦であったのか、応援に駆け付けた一人として、この目で見た実態を書き留めておきたい。

名護市と四万十市は友好交流をしている。2010年、名護市誕生40周年記念式典には招待され、翌年災害時相互支援協定を締結、2014年友好都市サミットでは本市にお招きしている。

この時は、公式行事終了後、市民有志で「名護市と連帯・交流する集い」を開き、稲嶺市長と屋比久議長(今回選対本部長)を激励させてもらった。

そんな交流を通して、私は市民本位の市政をすすめる稲嶺さんの姿勢とその誠実な人柄にひかれたことから、今回出陣式の前日(1月27日)名護入り、選挙事務所で激励し、3泊4日、応援に動いた。

まず、最初に、辺野古新基地をめぐる全国注目の選挙であり、市民世論調査でも最大関心事は基地問題であるという結果がでていたことから、市民も熱く燃えているだろうと思っていた。

確かに、出陣式は大勢詰めかけ盛り上がったが、街頭などの一般市民の反応は静かで、意外というよりも異様さ、不気味さが感じられた。

道路交差点で幟をもち、手を振ってもドライバーの反応はわずか。地域をまわっても、稲嶺さん支持者とみられる人でも多くを語らない。

稲嶺さんは、基地を認めないことを公約の前面に出していた。しかし、新人の渡具知候補の政策には基地問題はまったくなし。

渡具知候補や応援市議の演説もたびたび耳にしたが、辺野古の「へ」の字が出たことはなかった。長々とした演説のほとんどは、稲嶺さんの悪口ばかり。

1.ゴミ分別が16区分になっていているのは面倒だ。(しかし、これは稲嶺さんの前の市長のころから続いているやり方)

2.プロ野球日ハムがキャンプをやめたのはおかしい。(老朽化した市民球場の改修のためであり、新装後は戻ってくる約束がある)

3.市の借金が増えた。(数字のごまかし。実質的にはほとんど増えていない。)

併せて、子どもの保育料や給食費を「無料」にしますなどと、財源根拠もなく、耳障りのいい、ことを連呼していた。

基地問題の争点かくし(はずし)は徹底していた。

市民の最大関心事に対して自分の意見・考えを言わないことほど、不誠実なことはない。堂々として政策論争を行うのが選挙本来の姿なのに。

市民各層が呼びかけ公開討論会には、「忙しい」という理由で逃げ続けた。プレスインタビューも拒否。ボロを出したくない。まともな論戦ができないからだ。

本音(基地推進)を隠し、どんな方法でも、勝ちさえすればいいという作戦は徹底していた。政策なんかどうでもいい。公設掲示板のポスターは、顔と名前だけで、メッセージはなし。のっぺらぼうだ。

稲嶺陣営は法廷ビラのほかにも細かい政策を書いたビラを何種類もつくっていた。しかし、相手はペラペラの中傷ビラだけ。「小泉進次郎来る」だけは大きく作り全戸に入れていた。

選挙前から地元2紙の情勢予想は稲嶺有利であった。告示直後でも、大接戦だが稲嶺先行と出ていた。無党派層でも稲嶺支持が多いと。

まともな戦いでは勝てないとみた渡具知陣営は、どんな手を使ってでもいいから、票を奪い取る作戦にでたのだ。

稲嶺さんの本当の相手はバックにいる安倍政権。菅官房長官、二階堂幹事長が事前に何度も入り、各種経済団体などを徹底的に根回し。利権につながる、たっぷり甘い飴をふんだんにばらまいたことだろう。

名護を崩し、秋の知事選挙にも勝たない限り、辺野古に新基地はつくれない。追いこまれた政府がなりふりかまわず、名護市民の票を奪い取りに来たのだ。

前回自主投票だった公明党、維新を抱き込み、特に創価学会をフル回転させたことも大きかった。おそらく、これほど政府まるがかえで介入した地方選挙は過去にないであろう。

それは、期日前投票に有権者の44・4%が行ったことでわかる。最終投票率が76.9%だから、投票者のなんと半数以上の57%が先に投票を済ませたことになる。

当日投票の出口調査では稲嶺有利という数字がでていたことから、期日前投票では相手票がかなり多くを占めていたということになる。会社、団体ぐるみで、根こそぎ動員をかけたのだ。マイクロバスなどを手配して。どの名前を書くかは自由でも車に乗せてもらうと、なかなかそうはいかないものだ。

これは選挙干渉にあたり、公職選挙法違反であるが、そんなことおかまいなし。勝ちさえすればいい。それだけ、政府が無茶苦茶な選挙にしたということだ。裏では、相当なカネも動いたことだろう。

私が名護を離れた翌日、投票3日前、自民党小泉進次郎が入り、あの巧妙なアジテートで市民をさらに混乱、惑わせた。進次郎は最終日にも来た。最後の3日間で、流れが大きく変わった。

では、稲嶺陣営の作戦、体制はどうだったのか。
負けてからではもはや遅いが、反省点はいくつもあるように思う。

1. 相手候補を軽く見ていたこと。相手の元市会議員はいち早く手を上げたが、自民党県本部はギリギリまで公認を渋った。しかし、他にすべて断られたことからやむなく公認したぐらい、評判が良くなかったようだ。そんなことから、あんなヤツに負けるはずがないという楽観意識を最後までぬぐいきれなかった。

本当の敵は相手個人ではなく、バックの安倍政権だったのに。権力をもつ者が局地戦で総がかりで攻めてきた時の怖さを実感できていなかった。

2. 告示直前の南城市長選挙で「オール沖縄」候補が現職に競り勝った。当選した瑞慶覧長敏さんが何度も応援に来て威勢のいい発言をしていたが、これが楽観論に輪をかけた。全国から私のような応援団もたくさん来ていていたが、全体としてピリピリした緊張感のようなものは伝わってこなかった。逆に相手陣営は、危機感をもち、必死になった。

翁長知事はこの雰囲気に気づいていたようで、出陣式で「こんなに威勢よく集まっても、1票1票積み上げないと勝てない」と警告していた。

3. 辺野古が最大争点ではあるが、辺野古がすべてでない。私も辺野古に行ってきた。名護市は広い。辺野古は東海岸(太平洋)にあるが、市の中心市街地は西海岸(東シナ海)にある。だから、普天間などと違い、多くの市民にとっては、われわれが思うほどに基地を身近な問題として感じていなかった。

このことは稲嶺陣営でもわかっており、他の多くの政策チラシもつくっていた。しかし、目玉になる、市民に響くものがなかった。観光用にパンダを誘致するということもPRしていたが、これは逆に相手側から「パンダより給食費、保育料を」と斬り返しにあっていた。


こんご辺野古はどうなるのか。大いに心配である。
しかし、新市長は、辺野古問題は公約に掲げていなかった。国と県の裁判の推移を見守るとだけ。だから、市民は白紙委任をした訳ではない。

市民の過半数は辺野古反対であることは、はっきりしている。給食費、保育料無料に惑わされたお母さんも多いだろう。

ジュゴン国際裁判なども続いている。
まだまだ、諦めてはいけない。
われわれは沖縄へのまなざしを閉ざしてはけない。
それは、沖縄を見捨てることにつながるのだから。

(続く)

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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
フェイスブック(FB)もしています。

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