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実崎水門の芝桜

芝桜シーズンが終わった。

実崎水門の芝桜は、今年一面に広がった。ダニエル(品種)は花びらが大きく、ピンクの色も濃いので、豪華に見える。

植え始めてから3年、芝桜は成長が早く、グングン広がっている。

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2014年初め、一人暮らしだった父が亡くなったので、その年の暮れに家に戻って来た。家の前には実崎水門がある。子どもころ、夏は水門から飛び込んだりして泳いだものだ。

その後、水門が改修されたさいは、自然石を積んだ工事が行われ、船着き場もつくられた。しかし、その後はほったらかしで草木がボウボウ。せっかく美観にも配慮してつくったのに、これでは台無しだ。毎日見るのがつらいし、堤防から見れば、自分の庭が荒れているように見え、みっともない。

水門管理者に言っても動いてくれる気配がないので、自分でやることにした。

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2015年春に開始。藪をかき分け、鍬で根っこから少しずつ取り除いていった。

そのままでは殺風景なので、近くにあったアジサイの枝を切ってきて、挿し木をした。
しかし、その年の夏の暑さで全滅。

それならと、繁殖力の強い芝桜を植えることにした。11月~12月にかけて。苗を買ってきたり、もらったりして。

寒くなる季節だったので、大丈夫かなと心配したが、芝桜は寒さにめっぽう強い。
2016年春には、かわいい花をつけてくれた。

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しかし、花よりも草のほうが強いので、新たな草がドンドン伸びてくる。草と根気くらべ。

2017年春は、芝桜はかなり広がった。

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そして今年である。
道行く遍路さんが足を止め、カメラに収めてくれていた。
学校に通う子どもたちもワイワイ言っている。

来年は、さらに広がるだろう。

水門側は観覧席であり、ピンクが水面に映える。

付近の道沿いにも植えたので、そのうち実崎が芝桜の名所になってほしいと思っている。

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ノンビリ行こうよ JR

2005年4月25日、兵庫県尼崎市のJR福地山線で106人が死亡するという脱線事故があってから、きょうで13年。

あの時、私は大阪にいた。その日も仕事。京都へ車で出かけることになっていた。朝10時ごろ、会社を出て、阪神高速に乗り走っていると、南の神戸方面の空に、へリコプターが何機も旋回している。異様な光景だった。

何だろうと思ってラジオを付けたら、事故の報道をしていた。アナウンサーは興奮していた。報道側も、詳しい状況がわかず、いらついていた。

京都でも、ラジオを聞くたびに、事故の大きさが伝えられた。犠牲者の数もどんどん増えてくる。仕事に集中できなかった。事故の実態がだんだんとわかってくる。

夜、家に帰り、映像で見ると、線路わきのマンションに車体が食い込んでいた。目をおおった。

それから、現場を電車で通る機会が何度もあった。事故がおこった魔のカーブのそばには、あのマンションが建っていた。(しばらくしてから解体された。)黙祷した。

事故の背景には、JRの焦りがあった。関西は旧国鉄時代から私鉄優位である。

JRになってから、私鉄に負けるな、追い越せ、と猛烈に突っ走った。それこそ電車のスピードを上げたのだ。速さを売りにすることによって客を奪う。「新快速」が登場した。安全への投資は二の次に置かれた。

JRは、それにも懲りず、いままた リニア新幹線にまっしぐら。国家プロジェクトだ。

なぜ、そんなに急ぐの。だれが、そんなに急いでいるの。

裏では大規模談合。
仕事をつくることが第一目的であることは明らかだ。

ゆっくり満喫鉄道旅。

ノンビリ行こうよ JR。

追悼 森岡邦廣さん

二〇一八年二月一七日、森岡邦廣さんが肺炎で亡くなられた。九十二歳。

森岡さんは大正十四年(一九二四)、幡多郡蕨岡村(元中村市)生。旧制中村中学卒業と同時に昭和二〇年二月十九歳で出征、満州へ。八月終戦は本土決戦に備えていた高知春野で迎えた。

戦後は地元営林署に入り、上司から「辞めらされんばあ~にしてくれ」と言われたほど労働運動一筋。秋水との出会いも組合活動からであった。

昭和三十四年(一九五九)六月、坂本清馬が再審請求準備のため最初に上京したさい、幡多全労協書記長として同行し、坂本昭参議院議員、森本靖衆議院議員や総評幹部らに支援要請。坂本議員は、翌年結成された裁判支援組織「大逆事件の真実をあきらかにする会」の初代事務局長に就いてくれた。

坂本議員秘書景平和平氏、全逓労組中央執行委員として専従派遣されていた長谷川賀彦氏(のち中村市長)は東京で精力的に動いてくれた。二人とも同じ蕨岡出身であり、「蕨岡組」が果たした役割は大きかった。

この裁判を機に、大逆事件犠牲者の名誉回復・顕彰運動が全国に拡がり、いまに至っているが、森岡さんはその火付け役の一人である。

中村地区労会長を経て、昭和四十三年からは中村市会議員(社会党)に。五期二十年、議長もつとめた。この間、秋水にぞっこんで、秋水と言えば森岡さんと誰もが認めるほどに全国の顔になった。

 二〇〇〇年三月、従来の労組中心から一般市民を含む幅広い組織へと、幸徳秋水を顕彰する会を結成したさいも当然森岡さんが初代会長に。

同年十二月、中村市議会が秋水顕彰決議をあげたさいは、すでに議員を引退しておられたが、森岡さんの「強引」な根回しがなかったなら、全会一致はなかったであろう。

〇七年、会長を北澤保さんにバトンタッチしてからも御意見番の顧問に就いてもらった。

小学生時代から剣道をずっと続けられ(市体育協会会長にも就任)、北澤保さん、久保知章さん(三代目会長)が昨年相次いで逝かれても、なおお元気であられたが、ついに後を追われてしまった。

いまは後輩二人と尊敬する秋水先生を囲んで熱い談義を交わしていることであろう。

森岡さん、長い間ありがとうございました。

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 瀬戸内寂聴さんと。左端森岡さん。
2001年、秋水刑死90年記念講演会。

かばた

少し前の4月2日、岐阜県関ケ原町今須にある妻両親の墓参りを済ませた帰り、琵琶湖北岸~西岸をぐるり回って大阪に戻って来た。

ちょうど桜が見ごろで、米原~長浜~賤ケ岳麓~海津大崎~今津と、どこでも湖面に白い花びらを写していた。琵琶湖周航の歌に出てくる竹生島が沖に浮かび、「今日は今津か長浜か~」の情景そのままであった。

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途中、高島市針江をナビでさがした。針江地区は、後背の比良山系から琵琶湖に注ぎ込む地下水が地上にしみ出る「かばた」(川端)があるところで、「生水(しょうず)の里」とも言われている。

この地区にも水道は引かれているが、普段の生活にはほとんど「かばた」の湧水を使っている。水とともに生きる、そんな人たちの生活が以前NHKドキュメントで放送されたことから、一度訪ねてみたいと思っていたところだ。

お寺の駐車場に車を停めて降りると、池があった。底からコンコンと水がわいていた。アスファルト道路の下からも水が噴き出し、小川に注いでいる。周りの小川はすべて湧水によってつくられている。

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岡部豆腐店があった。「昔ながらの手づくり」でつくられた豆腐はかばたに並べられていた。井戸にスイカをつるすように。

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琵琶湖の川魚や貝を佃煮にして売っている家もあった。漁は年々少なくなると嘆いていたが、それでもまだこれだけとれる。ドライブインなどよりも、はるかに安いので、たくさん買った。その家のかばたには大きな鯉が泳いでいた。

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ここらはいま観光の名所にもなっており、事前に申し込めばガイドが案内してくれるそうだ。小中学生の自然学習にもってこいのところだ。

かつて人々は水とともに暮らしてきた。豊かな暮らし。その原風景が残っている。

針江(ハリエ)の「江」は川や水の意味であるから、「針」は「張る」か、針のように水が突き出てくという意味なのではないかと思う。

四万十市もここに似ている。いま「川とともに生きるまち」をアピールしている。

四万十市の場合は湧水を使うというよりも、川そのものを生活の糧にしてきた。四季を通してとれる川魚やノリ。川漁師がいまでもいる。

私の祖母は、洗面器のことを「ちょうずばち」と呼んでいた。いま思うと、おそらく「ちょうず」とは「しょうず=生水」で、「生水鉢」のことであったのだろうと思う。

水なくして、人は生きられない。

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ロイロイ

このあたりには、「ロイロイ」という言葉がある。「ろいろい」でもよい。

例えば、友達同士で待ち合わせをしているのに、相手が時間を過ぎてもなかなか来ない。しばらくしてから、何食わぬ顔をして、ふらりと現れた。そんな時は、「どこをロイロイしよったがぞ~」とおこられる。

また、家族で急いで歩いているとき、子どもが周りに興味深そうに目をやったりして、ついて来るのが遅れたりすると、父親から「ロイロイするな」とおこられる。

ロイロイは否定的な意味合いに使われる。あまり名誉な言葉ではない。ウロウロするとか、キョロキョロするという言葉に近い。

しかし、それほどのきつい響きはなく、家族や親しい友人など身近な相手に対して、軽く からかう ぐらいのとき使う。言葉にやさしい余韻が残る。

四万十市では、市観光協会を窓口にして、近く観光ガイド(有料)を始める。市民から希望者を募集して、この1年間研修をしたりしてガイドを養成してきた。私も参加した。

ガイドの名前をどうするか、みんなで議論をした結果、「LOI LOI しまんと」と決定した。LOI LOIはロイロイだ。なかなかいい名前だと、みんな納得した。

当面は、中村のまち歩きから始めることとしている。そのコース下見を兼ね、ガイドリハーサルをこのほど行った。

一條神社をスタートし、教房墓、房基墓、玉姫墓など土佐一條家ゆかりの場所をまわるコースや、幸徳秋水墓からスタートし、幕末から明治にかけて活躍した地元の先人(ほかに樋口真吉、安岡良亮、木戸明など)の足跡を回るコース、これに商店街でのショッピングなどを加えたりすることを考えている。

どうぞ、お楽しみに。

四万十市議会議員に望む

四万十市議会議員選挙(4月8日告示、15日投票)が始まった。定数20を21人で争う、少数激戦だ。

市政運営にあたって執行部と議会は車の両輪。うまくかみ合わないと前に進まない。かといって、議会が適正なチェックをしないと、車はあらぬ方向に進んでしまう。議会の役割は重要である。

今回の選挙で私が期待するのは、活発な政策論争である。各候補が積極的に政策を出してほしい。

そのさい重要なのは、現中平市政に対する意見をはっきり言うことである。評価するにしても、しないにしても、具体的にその評価意見を述べること。

ちょうど1年前、市長選挙があったので、私は前市政を担わせてもらった立場から、中平市政を点検し、私の意見をこのブログに5回に分けて書かせてもらった。

 → http://hatanakamura.blog.fc2.com/blog-entry-336.html

私の見方は、いまも変わらないので、ここでは繰り返さない。

今回の選挙を迎えるにあたって強く感じるのは、私が市長を降りてからこの5年間、議会での議論が低調になっていることである。

私の時代は、議会は少数与党だったこともあってか、熱を帯びた議論が多かった。

野党議員からは大変手厳しい意見をもらった。私には納得ができない理由であったが、市長辞職勧告決議を受けたこともある。それだけ、執行部と議会がいい意味での緊張関係にあった。

しかし、現状は、与党圧倒多数になったこともあってか、まず議会質問をする議員が少なくなった。私のころ毎回厳しい質問をしていた何人かは、最近さっぱり質問しない。

議員が質問をしないということは、市民の負託を受けた自らの役割を放棄していることになる。これは与党であろうと、野党であろうと、同じである。

いまは議会のチェック機能が正常に働いていない、馴れ合い状態になっているといえる。

だから、どうみてもおかしい事業を執行部が提案をしても、その予算がそのまま通ってしまう。その代表例が昨年9月議会で予算承認されたワサビ栽培事業である。

ワサビと言えば、長野県や静岡県が産地であることからもわかるように、水量が豊富で、かつ夏場でも低い水温がキープされる場所でしか生育しないというのが常識になっている。

ところが、こともあろうに四万十川河口付近で栽培しよういう。地下水をくみ上げることによって。

しかし、四万十市は5年前、暑さ41度の日本新記録をつくったところ。いくら地下水といっても、河口付近では、水温はかなり高い。特に夏場は。こんな場所での成功例は全国にない。

リスク覚悟でやるというが、市の事業はギャンブルではない。個人の趣味、思い込みとは違う。こんな事業に約3千万円も市民の血税を導入するという。

仮に万が一つ、実験に成功したとしても、地下水を汲みあげるプラントには多大な投資費用がかかる。そんな高コストの事業に取り組む農家がいるとは思えない。

だから、議会でも反対意見が相次いだ。予算修正(カット)案まで出された。賛成意見を言うものはだれもいなかった。それなのに、予算は通ってしまった。「無言」の数の力によって。

いまの安倍政権の強引なやり方と同じである。

今回の市会議員選挙。前哨戦線をみるかぎり、政策論争は決して活発とはいえない。ただ、「よろしく」「お願します」だけでは困る。

自らの政策を具体的に述べること。特に、現市政への評価をはっきり言うこと。選挙本番では、これを望む。

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幸徳秋水を語る 神戸のつどい

4月1日、標記つどいが開かれ、参加してきた。

安倍政権のもと、特定秘密保護法、安保法、共謀罪法が強行され、次は憲法改悪(9条の無力化)が狙われているいま、非戦平和、自由平等の旗を掲げ、大逆事件で抹殺された幸徳秋水について、今日的視点で考えることを目的に開かれたもの。

昨年9月、神戸の「憲法を生かす会」のメンバー4人が秋水墓参のために中村にみえ、秋水顕彰会が生家跡、記念碑、資料室なども案内し、夜も交流を深めた。その中の津野公男さんは高知県出身で以前から顕彰会会員であった。

この4人が中心になって実行委員会をつくり、「つどい」を準備してくれた。神戸は高知市出身の小松丑治と岡林寅松が大逆事件に連座(無期懲役)した因縁の地である。

桜満開の晴天下、阪急六甲駅近くの会場神戸学生青年センター(灘区)には約80人集まった。

津野さんが主催者あいさつをしたあと4人が登壇。

最初に、私が「現代に生きる幸徳秋水」について。

秋水が刑死して107年たつ。中村では、戦後まもない1946年から、官民あげて秋水顕彰運動に取り組んでおり、戦後中村の平和民主運動のバックボーンになってきた。2000年には、当時の中村市議会が秋水顕彰決議もおこなった。

しかし、いまの日本の状況は当時に酷似してきた。国が戦争を始めようとすると、国論統一のために、まず言論、人権が弾圧される。

大逆事件では秘密裁判のもと死刑判決を受けた24人(うち12人は無期懲役に)、は実行犯としてではなく、検察がつくりあげたシナリオによる「謀議」「陰謀」をはたらいたとされた。非戦・自由・平等を求めた彼らの「思想」が裁かれた。共謀罪も同様の運用がされる余地大である。物言わぬ国民づくり。

大逆事件を忘れてはいけない。同種の事件を二度と起こさない運動の輪を広げていくことは、憲法を守り、人権を守り、日本の平和、自由を守ることにつながっている。

次に、今村稔さん(社会主義協会代表)が「秋水と平民新聞 そして堺利彦」について。

明治30年代、社会主義思想が萌芽し、日清日露戦争を経て、運動の形となった。秋水、利彦により平民新聞がつくられ、非戦を呼びかけた。ロシア労働者との連帯もあった。

政府はこれを徹底的に弾圧。赤旗事件に続き、大逆事件は日本の首を絞めた。社会主義運動は冬の時代に入る。

3人目は、飛田雄一さん(神戸学生青年センター館長)が「大逆事件と神戸多聞教会」について。

神戸で連座した小松丑治が入獄中、その妻ハルを援助したのが、キリスト教神戸多聞教会今泉牧師であった。飛田さんはいま同教会会員。偶然の縁から、今泉牧師の孫との個人的交流について報告。

最後は、戸崎曽太郎さん(治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟兵庫県本部会長)から「神戸と大逆事件(小松丑治、岡林寅松)」について。

高知市の小学校同級生で神戸海民病院に勤務していた2人は、秋水らの訴えに共鳴し、神戸平民倶楽部をつくり平民新聞の読書会を開いていただけで、警戒人物としてマークされ、大逆事件にひっかけられた。

戸崎さんは、2人が暮らし、活動していた場所を調査確認しており、私は3年前案内をしてもらった。(本ブログ2014.9.29)

2人は20年間入獄後、仮釈放されたが、世間からの迫害を受け続け、戦後まもなく不遇の死をとげた。

以上が「つどい」の内容である。

中村では1946年から、秋水墓前祭(最初は墓前供養)を始めて以降、秋水および坂本清馬ほか事件犠牲者の顕彰事業が継続しておこなわれている。また、全国でも「大逆事件の真実をあきらかにする会」をはじめ、各地で事件犠牲者の顕彰活動はおこなわれている。

こうした中、詳しく調べた訳ではないが、幸徳秋水だけの名を冠した集会等のイベントが高知県以外で開かれたのは初めてではないだろうか。

それだけ、いまの政治状況が秋水を求めているということであろう。

「つどい」を企画準備してくださった神戸の皆様に心からお礼を申し上げたい。当顕彰会にも多くの方が入会してくださったので、これからも交流を重ねていきたい。

 秋水神戸の集い 表   20180407175424198.jpg

プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
フェイスブック(FB)もしています。

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