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鳥帰る

このほど山陰を旅したさい、訪ねたいところがあった。鳥取県倉吉市。

かつてNHKドラマ「鳥帰る」の舞台になったことから、どんな町なのか、一度立ち寄ってみたいと思っていた。

「鳥帰る」は1996年に放送された単発の山田太一作品。もう22年たつ。

私は人間の心の機微をていねいに描く山田作品のファンである。以前は、NHK、民放を問わず、たくさんつくられていたが、高齢のためか、さすが最近は少なくなったのがさみしい。

山田作品の中の最高傑作が「鳥帰る」だと思う。書き下ろしの脚本がいいうえに、伊豫田静弘の演出もいい。

主演は田中好子。キャンデーズのスーちゃんとしてアイドルであったが、女優になり、この年は40歳となっていた。

田中好子は2011年、多くのファンに惜しまれて55歳で亡くなった。その年、追悼番組として、NHKがこのドラマを再放送したのだから、彼女の代表作品として位置付けられているということだ。

山田太一がインタビューで田中好子は女優としても素晴らしかった、この作品では円熟していたと評していた。

主人公の麻美は母と子1人であったが、母(香川京子)の反対を押し切って、男を追っかけ家を出た。しかし、結婚生活は4年で破綻。東京に捨てられた。

他に頼るところもなく、傷心の思いでふるさと倉吉に帰ってくる。しかし、母の前では正直になれない。うそと強がりを言う。

母のほうも心が開けない。すぐにぶつかり、また飛び出す。…「孤独」と「家族」のはざまで揺れる人間のこころ。

倉吉は赤瓦と白壁土蔵群のコントラストが映える、しっとりとしたまちであった。蔵の裏には玉川が流れ、そこにかかる石橋。ドラマでは、ここで母子が雪かきするシーンがあった。

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戦火にあわなかったこのまちには、江戸~明治~大正~昭和の歴史がそのまま残っている。国の重要伝統的建造物群保存地区指定。酒蔵、醤油蔵、はこた人形、倉吉絣、因州和紙、やきもの、横綱琴桜記念館・・・ドラマに出てきた商店街のアーケードはすでに取り払われていた。

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意外だったのは、観光案内所やお店の人たちに「鳥帰る」の話をしても、誰も知らなかったこと。観光パンフなどにも紹介がない。

パンフは、もっぱら寅さん映画のことを紹介していた。第44作(1991年)「寅次郎の告白」(相手役・吉田日出子)のロケに使われた。

私はこの作品を見たことがあるが、倉吉が登場していたとは気づかなかったので、家に戻ってから見直した。確かに倉吉ではあったが、鳥取のとある町という設定になっていたのでわからなかったのだ。

また、韓国ドラマ「IRISーアイリス-」のことも紹介されていたが、このドラマのことはまったく知らない。

私は不思議に思った。
なぜ、これだけの名作「鳥帰る」であるのに、地元の人が知らず、まちの紹介にも活用していないのか。もったいない話である。

寅さんの映画では、旅の途中でふら~と立ち寄るという設定である。しかし、「鳥帰る」では主人公が生まれ、愛憎がしみついたまちという設定であり、作品の中での位置づけの重さが違う。

はやり、山陰の人たちは遠慮深いのか。地元の代議士石破茂は慶應学生時代、キャンディーズの追っかけをしていたことは有名であり、話題のネタにもなるのに。

そんなモヤモヤな気もちでまちを歩いていたら、2カ所にドラマの痕跡を発見した。倉吉いか工房と森田醤油屋さん。ご主人2人は知っていた。

「いか」とは凧のこと。もともと空に揚げる凧は、関西ではいかと呼ばれていた。関東ではこれに対抗してたこ(凧)と呼んだとか。ドラマに出たという「いか」が展示してあった。

醤油屋さんには、主役のもう一人、杉浦直樹のサイン色紙があった(渥美清も)。ロケ宿舎からおみやげに醤油を買いに来たという。杉浦直樹もすでに故人だ(田中好子と同年、追うように逝った)。

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証拠物件2つを見つけ、ホットした。

前の日、松江から倉吉に向かう途中には、米子水鳥公園にも立ち寄った。中海湿地帯に飛来するたくさんの鳥たちを観察できるところだ。正面には大山がそびえ立つ。

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この公園はドラマのラストシーンに出てくる。季節は冬。4年ぶり母との再会も居づらく再び飛び出した麻美。どこにも行くところがなく、この公園にやってくる。

しかし、昼間なので肝心の白鳥はいない。シーンとしている。さみしさがこみあげてくる。絶望の底に落とされ、じっとうつむいたまま。

すると、夕暮れ迫るころ、周囲のたんぼなどにエサを探しに行っていた白鳥の群れが一斉にねぐらに帰って来る。けたたましい鳴声をあげて。 

ビックリして、鳥を追いかけると、そこに母が立っていた。帰省の列車で偶然一緒になった木崎(杉浦直樹)が仲立ちして、母を連れてきたのだ。

唖然とする麻美。みるみる目から涙が。そして母に抱き着く。

     鳥帰る いずこの空もさびしからむに

安住敦の俳句が字幕で紹介される。作品はこの句からイメージを膨らませてつくられたそうだ。(「鳥帰る」は春の季語)

いろんなところに行っても、鳥は必ず巣に帰ってくる。

念願のドラマの舞台をこの足で踏めて、いい旅の締めになった。

島根原発

7月18日~23日、山陰の島根、鳥取を訪ねた。主な目的は、私も会員になっている脱原発をめざす首長会議主催の学習会が21日松江で開かれたから、これに参加するため。

松江で開かれた理由は、いま島根原発3号機(中国電力)の稼働に向けた動きが山場を迎えているから。

島根原発とは

1号機は1974年稼働(電力会社の原発として3番目)したが、廃炉決定している。
2号機は1989稼動。運転停止中。
3号機は2005年建設開始し、ほぼ完成。中国電力はこれから稼働に向けた手続きを進めようとしている。

その特徴は、

1. 全国の原発の中で唯一県庁所在地(松江市)にある。市中心部までわずか10キロ。30キロ圏内(鳥取県も入る)に47万人住む。
2. 3号機は全国の原発で最大発電能力(137.3KW)をもつ。
3. 福島原発事故以降はじめての新規稼働(再稼働ではない)となる。

学習会には、地元で反対運動に取組んでいる島根原発・エネルギー問題県民連絡会のメンバーも多く参加した。(約120人)

挨拶 三上元・前静岡県湖西市長(首長会世話人)
現地報告 保母武彦・県民連絡会代表(島根大学名誉教授)
講演 安田陽・京都大学特任教授「再生可能エネルギーの最大導入とその障害」
報告 村上達也・前茨城県東海村長(首長会世話人)「日本電源が事前了解権を認めるまで」

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安田教授は、再生エネルギーは世界の主流になっており、日本でも拡大しているものの一気に増えないのは、電力会社が送電線利用を「行列ができるガラガラの蕎麦屋さん」のように、余裕があるのに使いにくくしているため、と説明。

村上前東海村長は、今年3月、東海第2原発の再稼働にさいしては、立地の同村だけでなく30キロ圏内の4市(水戸、日立、那珂、ひたちなか)の同意が必要とする画期的な協定(安全協定)を日本電源と結んだ経過について報告した。

東海第2原発をめぐるこうした新たな動きを受けて、いま島根原発で問題になっているのは、中国電力は、立地の松江市(および島根県)だけでなく、30キロ圏内の他の5市(島根県=出雲、雲南、安来、鳥取県=境港、米子)とも同様の安全協定を結ぶべきだとする声が高まっていること。

原発事故がおこれば、立地市町村もその他も関係ない、同じ被害を受けることは、福島事故で証明をされている。

首長会議は、当日、このことを要求する声明を発した。

学習会終了後は、県民連絡会の集会に参加。上記5市の行政および議会の状況報告等が議員中心にそれぞれの地元からなされた。松江駅周辺をデモした。

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そのあと交流会にも参加したが、うれしかったのは北川泉先生(元島根大学学長)の名前が出たこと。北川先生は、県民連絡会結成時の会代表であられたそうだ。最近は体調を崩されているとのことで、当日も参加はされていなかった。

北川先生は、四万十町(旧大正町)出身であり、以前里帰りされたさい、私も2度お会いしている。四万十市富山地区が地元産米から地酒「とみやま」をつくったのは、同様の地酒を島根県でつくり、地域おこしにつなげたことを、紹介されたことに始まる。酒を通して両地の交流をおこなっている。

翌22日は、鳥取市米子市で緊急集会が開かれ、三上元首長会議世人が話をされるというので、これにも急遽参加をした。

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宍道湖と中海は、島根、鳥取をつないでいる。両県の結びつきは、地理的、歴史文化的にも深い。特に鳥取県西部の米子周辺は、松江と同じ経済圏を形成している。

全国の原発反対運動において、二つの県の住民が同じ地元として、手をとりあって取り組んでいるのは、ここだけではないだろうか。心強い・

いまさら新しい原発を動かすとは時代錯誤。
宍道湖、中海を守ろう。

愛媛県と高知県だって手を組まなければならない。
大きな勇気をもらった。

http://mayors.npfree.jp/?p=5930



暑さ日本一返上

毎日暑い。死にそうだ。

そんな中、7月23日、埼玉県熊谷市で国内最高気温41.1度を観測した。これで、5年前に四万十市で出た記録41.0度が更新された。

ああ、よかった。正直、私はホットしている。熊谷市には悪いが、こんな記録は自慢にはならない。

人は、日本一暑いところと聞いて、どう思うだろうか。それはすごい、ぜひ行ってみたい、住んでみたいと思うだろうか。普通の人は思わない。

逆に、住みにくいところというレッテルを貼られたようなもので、迷惑な話である。

ところが、5年前、2013年8月12日、四万十市西土佐江川崎の観測ポイントで41.0度が出た時は、今回と同じように、マスコミで大きく報道されたものだから、知名度が上がるラッキーチャンスとして、地元では歓迎し、はしゃいだ。

地元全体が浮ついていたので、私はすぐに高知新聞に以下の投書を書いた。


     環境保全でも日本一を

 四万十市は国内最高気温41度を記録し、にわかに注目を浴びた。これを歓迎し、「日本一暑いまち」を観光や地域おこしなどにつなげようという声がある。それも大事なことだが、一方で重い責任をかかえたことにもなる。
 近年の異常気象は、人間の産業活動に伴う温室効果ガスや環境破壊による地球温暖化が原因であることは明らかだ。この夏の猛暑では、高齢化社会が進む中での熱中症患者の増大や、渇水による給水制限、農作物への被害などにより、人間の生活が脅かされている。
 四万十川は日本最後の清流と呼ばれて有名になった。最後という意味は、自然環境や人と川の文化がいまも残っているということだ。この四万十川が異常気象においてもシンボルになったことの意味は重い。
 昨年7月、流域5市町共同で原発に頼らない自然エネルギーへの転換をめざす「四万十川アピール」を発表したように、四万十川の自然や環境を守ることなど、温暖化対策等地球環境を守っていく取り組みにおいても日本一になることにより世論をリードし、注目されなければならない。
流域に住むわれわれとしてはその責任がある。
 
    高知新聞「声ひろば」2013.8.23


それなのに、今回熊谷市に抜かれたことを残念がる声も、なお聞かれる。すぐ抜き返してやる・・・などと。

しかし、よく考えてほしい。この夏の異常な暑さにより、熱中症で何人もの人が亡くなっている。最近は「危険な暑さ」という表現が使われるようになった。まさに、命が危険なのである。

人だけなく、農作物などにも悪影響大である。だから、この暑さを喜ぶ人などいない。

暑さを武器にまちおこしを行うことは、逆転の発想、またはブラックジョークとしては面白いかもしれない。マスコミも取り上げるので、地域の知名度は上がるかもしれない。しかし、それは悪いイメージの知名度である。

四万十市には誇れるものがたくさんある。第一に、「最後の清流」四万十川だ。

清流にはひんやり涼しいイメージがある。市は、これを看板に、住みやすさを売りにして、移住促進にも力を入れているのではないか。

暑さを競うことは、これを否定することになるではないか。地獄へのレースのようなもの。他に自慢できるものがないとPRしているのと同じ。市のスタンスが問われる。

今回暑さ日本一を譲った西土佐地区(旧西土佐村)は市内で過疎高齢化が一番進んでいるところである。

地域で唯一の医療機関である市立西土佐診療所はずっと常勤医師2名体制を維持してきたが、3年前から1名になり、小児診療や夜間診療に制約が出ている。募集しても医師が来てくれない。地域の人々の命が守れない状況で、いま市政の最重要課題になっている。

なのに、暑さをPRすれば、医師はますます行きたくなくなると思うだろう。自分で自分の首を絞めている。

地域を守るために、まず地に足をつけること。
浮ついた発想はいけない。

大水と中村

今回の豪雨により、岡山県真備町で大きな犠牲者を出した背景には、地域として川の怖さを知らなかった、過去に大きな被害を受けた経験がなかった、ということがあったと思う。

その点、中村は過去から何度も被害を受けており、川の怖さを知り尽くしている。
今回、中村周辺の四万十川流域では人的被害を出さずにすんだ。

高知県全体では3人の死者(大月町2、香南市1)が出たが、それでも今回の雨が降り始めてからの累積降雨量は高知県が一番多かったのに、広島、岡山、愛媛などに比べるとはるかに犠牲者が少なかった。

高知県は台風の常襲地帯であり、大雨は毎度のこと。県民のだれもが、危険なポイント、逃げ方など、大水対策を心得ている。

四万十川は暴れ川。
中村の町は、その氾濫により、過去から何度も水に浸かっている。年中行事のように。中村の歴史は水害の歴史と言ってもいいくらいだ。

明治44年、昭和3年の写真を見てほしい。町がすっぽり水没している。今回の真備町と同じだ。

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昭和4年、四万十川は国の直轄河川に指定され、治水事業が始まる。いま、中村の町は堤防に囲まれているが、この堤防はその年からつくられ始めた。

過去最大の浸水は昭和10年8月。堤防はほとんどできていなかった。航空写真が残っている。町は湖に中の小島のようだ。水位は、赤鉄橋の橋げたを越えた。しかし、この時、死者はゼロであった。

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中村の町の家々は、当時もいまもほとんどが二階建て。いざ、水が出たさいに上に逃げるためだ。

また、周囲の山など少しでも高いところを逃げ場として、みんな知っている。ああ、危ないなと思ったら、ただちに逃げることが身についている。

また、四万十川には川漁師など舟をもっている者が多いので、すぐに舟で救出に向かう。

昭和29年、11町村の合併で中村市が誕生し、新しい市役所を建てることになった。天神山を切り取って建てることになった。

山の頂上には天神社(お宮さん)があった。氏子たちは、天神山を市に提供する条件として、昭和10年の出水の水位よりも高い位置に立てるこを申し入れた。

それがいまの四万十市役所の位地である。それだけ、みんな水を恐れていたというととだ。

昭和38年8月の9号台風も大きかった。この時私は小学5年だったので、はっきり覚えている。堤防が切れるかもしれないということで、夜ろくに眠れなかった。翌朝、対岸古津賀の堤防が切れていた。この台風では死者が1人出た。

最近では、平成17年(2005)8月の出水。私がいま住んでいる家にも、庭先まで水が来た。当時は父が一人で住んでいたが、畳を上げ、荷物を2階に移したが、ことなきをえた。

そんなこんな経験から、市内では台風等で水が出るさいは、いちはやく消防団員が堤防の見回りに出るシステムになっている。

四万十市は、大水対策においては、全国で一番の体制ができていると思う。

真備町

岡山県倉敷市真備町が豪雨浸水で大変なことになった。

最初に報道された時、久しぶりに聞く、なつかしい名前だが、あそこには大きな川はないはずなだから、たいした被害には、ならないだろうと思った。

真備町は、私が岡山転勤時代(1989~92)、仕事でよく車で通ったところだ。岡山市から井原市方面に出かける際に。

真備と言う名前は、奈良時代8世紀に活躍した学者・政治家の吉備真備(きびのまきび)に由来する名前ときいた。生誕記念碑が建っていた。

また、作家の横溝正史が戦中疎開をしており、「八ツ墓村」など、岡山を舞台にした推理小説が多いのは、そのためだとも。

岡山県は、昔からほとんど自然災害のないところで、真備町もおだやかな平野の中にあった。当時は、倉敷市と合併前で、独立した吉備郡真備町であった。

ところが、テレビの映像を見て驚いた。町全体が水没していた。小田川が決壊したという。

そういえば、井原に向かう道に沿って小さな川が流れていた。あの川か。しかし、あんな川から、大量の水が流れ込むとは、信じられなかった。

それだけ大量の雨が流域に降ったということだが、それ以外にも理由があることがわかり、納得した。

小田川は真備町で一級河川高梁川と合流しているのだ。普段の雨なら、本流にあたる高梁川に注ぎ込む。

しかし、高梁川上流でも大量の雨が降ったため、本流の水位が先に上がったため、小田川からの流れは合流点でせき止められてしまい逆流(バックウオーター現象と言うらしい)。行き場を失った水は、一気に溢れ、堤防を決壊させたのだ。

川の合流点は怖い。四万十川でも被害が出る警戒ポイントは合流点だ。愛媛県から流れてくる広見川、目黒川の合流点にあたる西土佐江川崎、津野川はいつも危険水位になる。

また、私の家の前で合流する中筋川。この川は高低差が少ないため水はけが悪く、以前は、不破の前で合流し、中村や具同をいつも水没させていた。

この川の水はけをよくするためには、合流点をもっと下流に下げなければならない。そのため、坂本~山路間に、本流の中に堤防(背割り堤)をつくり分水、さらに甲ヶ峯の山を削り、山路川につなげた。

この工事は昭和12年に始まり、延々昭和39年まで続いた。その工事のもようは、私の記憶にもある。

川の合流点の怖さを改めて示したのが、今回の真備町だ。

3年前、茨城県常総市で利根川支流の鬼怒川が氾濫し、中心部がすっぽり水没した。しかし、その際は、一人の死者も出なかった。水位が低かったため、2階に逃げたりしたからだ。

だから、外に逃げるとかえって危ない。家にいて救助を待つ、そのほうが安全とされてきた。

今回、NHKの中継でも、当初、家に留まるようさかんに呼びかけていた。

しかし、それは間違いだった。家にとどまったことにより、平屋建ての住人や、2階があっても上がれない高齢者などが、相当数水死した。過去の経験があだになったということだ。(かといって、外に逃げる手段もなかったのだが。)

毎年、この季節繰り返される豪雨災害。

地震、大雨・・・日本は災害列島であることを常に忘れてはならない。

いのちの仕舞い

映画「四万十 いのちの仕舞い」(溝渕雅幸監督)をみた。

四万十市(中村)で診療所を営む小笠原望医師の医療活動をもようを紹介するドキュメンタリーで、昨年市内で全国先行上映され、その後2月にも上映されたが、他の予定とぶつかり、見逃していた。

そんな中、7月7日、四万十町(窪川)で自主上映会があったので、でかけた。小笠原先生の舞台挨拶もあるということもあってか、大雨の中であったが、たくさんの人が集まっていた。

小笠原先生は地元では誰もが知る人気医師である。「人気」というのは、当然ながら丁寧で親身のある診療から絶大な信頼を得ているという意味がメインであるが、それだけでなく、話(講演)がうまい、時にはギターでうたう(高校のころ<私の1年上>から作詞作曲をしていた)、泣かせ笑わす、川柳の会を主宰、エッセイも書く(朝日新聞販促冊子に9年間連載中)という、マルチタレント並の活動をされているからだ。

そんな超多忙な体にもかかわらず、四万十市民病院が医師不足で困っていた時には、短期間ではあったが、応援してもらったこともある。

私の両親もかかりつけ医として大変お世話になった。(最期は病院、施設で送った)

そんなことから、私は他の多くの人よりは、医師小笠原望については、知っているつもりである。

映画の中ではどう描かれていたのか。

監督スタッフは往診に同行。患者に向き合う姿を追う。やさしく声をかける先生。カメラが密着する。

一番多く登場した患者は、私の近所でよく知っているおばさんだったので、身につまされた。先生を信頼し、自宅で家族に見守られ、満足そうな「いのちの仕舞い」だった。

施設で「仕舞い」を迎えた患者も紹介された。家族の涙。

先生が患者と向き合うシーンの合間合間に、四万十川の四季折々の風景が描き出される。菜の花、桜、アユ漁、シラスウナギ漁、ホタル舟。

うちの川はこんなに美しかったのか。
普段の川とは違う川がスクリーンにある。

患者の姿と四万十川。

小笠原医師の言葉が紹介される。
「人のいのちも自然の中のもの」

映画の主役は二人いる。
小笠原医師と四万十川

どちらを欠いても、この映画は成立しない。

小笠原先生のように訪問診療を行なう医師は少なくなったとはいえ、全国にまだ多くいるだろう。都会には、訪問診療だけを専門に行っている医師もいると聞く。

医療だけをテーマにした映画なら、どこでだってつくれる。
むしろそうのほうが医療問題の核心を突くことができるかもしれない。

しかし、この映画は四万十川でしかつくれなかったのだろう。
少なくとも、溝渕監督にとっては。

それは、四万十川が「最後の清流」として有名になったから。多くの人(特に都会の人)に、美しいイメージをもたれているから。

映画のタイトルは「四万十」。

語りでは「四万十川」と「四万十」が使い分けられていた。前者は川の名前、後者はこの周辺地域の地名として。

しかし、ここらには四万十という地名(固有名詞)は存在しない。ここに住む者のだれも、四万十というという言葉を発することはない。

使うのは、例えば、中村であり、窪川である。これが地に根を張った名前、馴染んだ名前、生活そのものである。

四万十とは、県外の人など、よその人が使う言葉。

四万十市のことを指す場合、四万十町のことを指す場合、また漠然と四万十川流域全体(本支流)を指す場合、いろいろある。しかし、はっきりした定義は誰もできない。霞のように、朦朧としている。綿毛のように、ふわふわ飛んでいる。

映画では、肌触りのある地名は出てこなかった。(四万十市=旧中村市という字幕はあったが・・・)

小笠原医師はいつもと同じ先生なのに。
ここはどこなのだろう。

きっとメルヘンなのだ。

http://hatanakamura.blog.fc2.com/blog-entry-252.html

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オウム裁判と大逆事件

7月6日、オウム真理教事件の死刑囚7人の死刑が執行された。

1980年代末から90年代半ばにかけて、世間を驚愕させた事件(坂本堤弁護士一家殺害、松本サリン、地下鉄サリンなど)であり、犠牲者は死者29人、負傷者6千人超にのぼるというから、いずれ死刑執行があるものと思っていたが、いざその日を迎えると、動揺をおぼえた。突然のことであったから。

最初に思ったのは、なぜこのタイミングなのか、ということ。政局などを踏まえた高度な政治的判断があったものと考えられ、いろいろ勘ぐられているが、ここでは深入りしない。

次に思ったのは、大逆事件のこと。同事件では幸徳秋水ら12人が同時(管野須賀子だけは翌日)に処刑された。

今回、上川法務大臣は記者会見で、7人同時処刑は最近ではなかったことと言っていた。おそらく大逆事件以来のことではないかと思う。

そこで、私が強く思ったのは、改めて、大逆事件がいかにひどい裁判であったかということ。

まず、二つの事件を比較すると、逮捕から死刑執行に至るまでの経過、手続きが大きく異なっている。

オウム事件から。

主犯の麻原彰晃(松本智津夫)が上九一色村で逮捕されたのは1995(平成7)年6月。ただちに起訴され、一審、二審を経て、最高裁で死刑確定したのが06年9月。この間、11年3カ月かかっている。

今回処刑された者など他の被告らも合わせると、189人が起訴され、2011年12月までに、13人死刑、5人無期懲役が確定。

事件はこれで事実上終結したが、その後も一部逃亡者などの逮捕、出頭、その裁判などがあり、これらの追加裁判が終結(再審請求などを除く)したのが今年2018年1月。

そして、7月6日、死刑囚13人のうち6人の刑が執行された。

主犯とされる麻原彰晃でいえば、逮捕されてから、死刑執行まで23年1カ月の期間を要している。(死刑確定からは11年10カ月)

一方、大逆事件(別名幸徳事件ともいわれる)

「首魁」とされた幸徳秋水が「天皇暗殺謀議」を理由に、湯河原温泉で逮捕されたのは1910年(明治43)6月。

刑法73条(大逆罪)で起訴され、いきなり大審院(いまの最高裁)で公判が始まったのが同年12月。

翌年1月18日死刑判決(確定)。死刑24人、有期刑2人。(ただし、12人は翌日「恩赦」で無期懲役に)

1月24日、秋水ら11人、翌25日、管野須賀子死刑執行。

秋水逮捕から死刑判決まで、8カ月。
判決から秋水死刑執行まではわずか、6日。

23年1カ月と 8カ月の差。
11年10カ月と 6日の差。

さらに、大逆事件裁判は大審院の一審だけ(大逆罪規定による)、非公開(根拠なし)であった。経過と形式だけをみても、大逆事件裁判の異常さが表れている。

さらに、裁判の中身はひどいものであった。

オウム事件では、複雑怪奇な事件の背景、犯罪経過の解明が綿密に行われたものと思う。だから、これだけの時間を要した。事実関係について、(被告側弁護士は別にして)各方面からの有力な反論や疑問が出たとは聞いていない。

さらに、死刑確定後も、世論の動向(納得感)等、もろもろの状況等を勘案。死刑囚とはいえ一人の人間である。人権は最大限保障されなければならない。そうした、もろもろの配慮があったからこそ、刑の執行までに時間を要したのであろう。

一方、大逆事件では、そんな配慮は微塵もなかった。最初から結論ありきであった。

国家にとって都合が悪い人間は抹殺しなければならない。天皇暗殺、皇太子暗殺、決死の士を募る、等の事件のシナリオを検察がつくりあげた。

誰も人を殺していない。その行為も行なっていないので、未遂でもない。あえてこじつければ、計画・相談。

裁かれたのは「行為」ではなく、彼らの「思想」であった。

当時、秋水は世界的にも名前が知られていたので、裁判に対して、海外からの批判が寄せられ、その波はごうごうと高まっていた。

だから、死刑執行を急いだ。

今回、死刑執行の場所(拘置所)は、東京3人、大阪2人、広島1人、福岡1人に分かれた。

報道によれば、一つの拘置所で死刑執行できるのは、一日3人まで。理由は、教戒師面会等、最期の時間を与える手続きがあるからだという。これも人権への配慮であろう。

大逆事件の処刑の場は、12人全員東京監獄。同じ日に(管野須賀子だけ翌日)絞首台へ送った。

大逆事件は国家犯罪であった。

日本は事件の同年、韓国を併合。
以後、戦争への道を突き進み、昭和20年8月15日の敗戦を迎えた。

「平成」は来年で終わる。(今回の死刑執行の理由の一つと報道されている。)

秋水らは処刑も明治43年(1911)であり、やはり翌年、明治が終わった。

私は元号に反対であるが、次の元号の時代がかつてのような戦争の時代の再来にならないことを願う。
プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
フェイスブック(FB)もしています。

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