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台風と選挙

台風24号が接近している。心配だ。

あす30日には高知県に向かって来るが、それよりも沖縄が気になる。あす投票の県知事選挙への影響だ。

今回の知事選挙では、政府が全面支援している佐喜真候補陣営は、期日前投票に異常なほどの力を入れおり、強大な権力と組織を総動員して有権者を囲い込んでいる。

1月の名護市長選挙では、当日投票では現職の稲嶺進さんに入れた人が多かったが、期日前投票分で逆転した。作戦大成功により、今回、同じ作戦をさらに強化している。こうした戦術の問題点は先に書いた。

知事選でも同じ構図。期日前では佐喜真、当日投票では玉城デニー、となるだろう。あわせてどうなるかだ。

沖縄は1日早い、きょう29日が大荒れであり、幸い、あすの投票日は台風が通過し、天気も良くなるという予報だ。

期日前投票は、投票日の前日が一番多くなるようだが、きょうは外出もでないくらい大荒れなので、事実上、ストップだろう。両陣営の街頭での運動も同じだ。

しかし、明日は天気になったとしても、台風の被害が大きければ、後片付け等で、投票どころではない、という人たちが多く出てくることも懸念される。

事前予想では、組織票では佐喜真が強い。玉城デニーは無党派層には広く浸透している。

無党派層の人たちが、あすどれだけ投票に行ってくれるかで、大勢が決まる。

沖縄の将来を決める選挙だから、多くの人が投票するよう、投票率が上がるよう、祈っている。

デニーさんには、ぜひとも勝利してほしい。
さもないと、沖縄の自治はなくなり、政府の出先機関になってしまう。

映画 あやに悲しき

このほど念願だった上林暁原作の映画「あやに悲しき」をみた。黒潮町あかつき館で再生DVD版がみられるようになったので、テレビ画面で。

原作は代表作「聖ヨハネ病院にて」など、いわゆる病妻もの。昭和31年、劇団民芸の制作で、俳優宇野重吉の第1回監督作品。脚本新藤兼人。上林がモデルの主人公役は信欣二、妻役は田中絹代。

噂に聞いていた通り、暗い内容だった。テーマがテーマで、またモノクロだけに、なお重い。

地味で売れない私小説作家小早川武吉の妻の徳子は日に日に言動がおかしくなる。病院に入れるが、医師から手に負えないと言われ、精神病院に移される。

幼い子供が二人いるので、小早川は高知の実家から妹に手伝いに来てもらい、小説を書き続けるが、イライラが募る。妻にもつらくあたる。作家仲間も心配してくれるが、酒でうさを晴らすしかない。先がみえない生活。

精神病院がキチガイ病院と言われた時代である。病人に対する見方もいまとは違う。いまはメンタルの問題は、ごく普通の病と見られているが、当時は偏見が大きかった。

そんな時代であったが、原作では、病院での夫婦のやりとりの中に、ユーモアをもたせたりして、人間への温かみや信頼、ヒューマニズムのようなものがにじみ出ていた。

そんなところを映像で表現するのがむずかしかったのか。それとも、昭和31年当時は、これが芸術性として評価されたのか。

最後のシーンに、木の枝の上で体を寄せ合う小鳥がアップで出てきたので、少しは救われたが、全体の暗い印象を拭うには程遠かった。

それよりも、宇野、新藤という制作スタッフだけでなく、俳優陣も、ほかに滝沢修、山田五十鈴、東野英次郎、奈良岡朋子、芥川比呂志、下元勉、内藤武敏、北林谷栄、フランキー堺、佐野浅夫など、いまからみれば、超豪華な顔ぶれが出ていた。名優の若いころを見られるということで、値打ちがある。

宇野重吉は上林ファンで、こだわった作品だとされているが、いまは忘れられた作品になっているのが残念だ。

なお、「あやに」は古語で、「言いようのないほど」「むしょうに」などの意味。

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期日前投票の 表と裏

沖縄知事選挙が最終盤を迎えている。

政府が全面的に支援する佐喜真候補陣営は必死で期日前投票を呼び掛け、組織をあげて投票所へ動員している。期日前投票を増やすことが勝利につながると、盛んに激をとばしている。

なぜか。ここに期日前投票の問題がある。

以前は、不在者投票と言っていた。それが、法律が変わって期日前投票と呼ばれるようになった。

選挙の投票率が年々低下してくる中で、少しでも選挙に関心をもってもらい、投票所に足を運んでもらう。そのためには、定められた投票日以外でも都合がいい日に毎倒しで投票がしやすいようにするというのが変更の大義名分である。

これだけなら、正しい。反対する人はいないだろう。私もそうだ。

以前の不在者投票では、事前に送られてくる投票券を持参する必要があったし、また投票所で当日に足を運べない理由を細かく書く必要があった。不在者投票期間も短かった。

しかし、いまでは、受付で名前を言って、出された用紙に名前と住所を書き、当日投票できない理由にチェックを入れるだけで、投票できてしまう。

投票期間も投票券が届く前から設定され、ずいぶんと投票がしやすくなった。これにより、いくぶんでも投票率アップ(低下の歯止め)に、つながっていることだろう。

これが表だ。

しかし、裏がある。

1. そもそも選挙というものは、告示されてからが本来の運動期間である。候補者の政見や公約をきいてから、最終的に判断をするものである。

告示と同時に投票できるようにするということは、そんなことはおかまいなしに投票する(させる)ことを誘導することになる。

2. 大きな組織をバックにもった候補者が有利になる。今年1月に行われた名護市長選挙が顕著であった。会社が車を手配し、社員を投票所に送り込む。最終的に誰に投票するかは自由であるが、人の心理として、車まで出してもらっては、社長の意向に逆らいづらい。不法な選挙干渉と同じだ。

同選挙では、期日前投票が全体の過半になったという異常。当日の出口調査では現職が有利だったが、全体では逆転された。

選挙法改正に一番熱心だったのは、公明党であっ た。創価学会と一心同体の公明党は選挙戦術として、期限前投票を最大限活用している。

3. 要は、選挙に行きやすくなったことを逆手にとって、組織で票を囲い込んでしまう。投票の自由、選挙の公平を奪う。数だけとればいいというふうに、選挙を劣化させる。

これら表と裏をしっかり理解していないと、大変なことになる。


安倍晋三と桂太郎

自民党総裁選挙で安倍首相が3選され、事実上、首相としても続投が決まった。

自民党総裁の任期は3年であるから、この間、首相を途中辞任しない限り、通算の首相在任期間は戦後最長の佐藤栄作だけでなく、歴代最長(2886日)の桂太郎も抜くことになる。

今更ながら、この顔ぶれをみると暗然としてしまう。3人とも、山口県、かつての長州出身だからだ。

その上、佐藤栄作の2代前の岸信介は安倍晋三の祖父であり、栄作はその弟(大叔父)であるから、血統の濃い一族である。

今年は明治改元から150年。いまも日本の政治は長州閥に牛じられていることを示している。

これらの顔ぶれの中で、桂太郎は一般的にはあまり知られていない。戦前の首相の中では印象が薄いので、この人が歴代1位の首相在任期間というと、驚く方が多いと思う。

しかしながら、桂太郎は、私には、強いインパクトを与えている。その名を聞くと血がさわぐ。

大逆事件をでっちあげ、幸徳秋水ら24人に死刑判決を出したからだ。(うち12人は無期懲役に減刑)19010年6月、秋水逮捕、1911年1月死刑執行。

桂は、3回組閣しているが、その中の、第2次桂内閣(1908年7月~1911年8月)の時だ。

この頃は、日本の政治史では、「桂園時代」と言われる。桂と西園寺公望が交互に組閣をしていた。

当時、秋水らの活動によって日本に社会主義思想が広まりはじめていた。これに対し、時の明治政府は言論出版を認めないなどの措置で封じ込めを図っていた。しかし、西園寺公望は一方で開明思想をもっていたこともあり、そのやり方が手ぬるいと、陰の黒幕、元老の山縣有朋は、不満であった。

そこで、裏から手をまわして西園寺を引きずり降ろし、桂を再登板させた。山縣も長州出身、桂は陸軍創設以来の子飼いであった。

桂は山縣の意を受けて、対外的には植民地支配を強化、1910年、韓国を併合した。

対内的には、社会主義運動に徹底的な弾圧を加えた。宮下太吉、管野須賀子ら4人による爆発物製造計画発覚を千載一遇の好機ととらえ、大々的にフレームアップ。計画にはかかわっていない秋水ら、その他の全国の運動家を根こそぎ逮捕した。

裁判は大審院の一審だけ、しかも傍聴禁止の暗黒裁判。事件のシナリオ(物語)は平沼騏一郎(のち首相)の指揮のもと、検察側がつくりあげた。

判決前に、山縣、桂はひそかに、その内容の報告を受けている。

海外からの批判が高まるのを恐れ、判決からわずか1週間後に死刑執行。戦後、平沼は、裁いたのは彼らの「思想」であったことを認めている。日本の裁判史上、類を見ない汚点を残した。

その桂を安倍が超えるという。

安倍の、この間の強権政治をみれば、それもうなづける。
今回の総裁選では、一人、憲法改正を叫び続けた。

アホ犬の遠吠えと、軽く見てはいけない。
安倍を次の3年、任期をまっとうさせては大変なことになる。

長州閥がまたも日本を奈落の底に引きずり込んでしまう。

四万十川 津賀ダム

四万十川にはダムがないと思っている人が多い。これは間違いではない。しかし、正確ではない。

確かに本流にはない。しかし、最大の支流梼原川にダムが二つあるからだ。津賀ダムと初瀬ダム。二つとも戦前(津賀=昭和19年、初瀬=昭和12年)につくられた発電専用ダムだ。

10月27日、「四万十川を守れるか」をテーマに学習会を開き(主催・脱原発をめざす首長会議)、濁水問題など最近の四万十川の環境変化についても議論をすることになっている。

そこで、梼原町と津野町役場に学習会のチラシを届けに行った足で、濁水でいつも問題になる津賀ダムの最近の様子を見てきた。

津野町内の梼原街道交差点から国道439号に沿って北川川(梼原川支流)を下る。初めての道。「酷道」と呼ばれるヨサク(439)だけあって、道は狭い。車はほとんど走っていない。たまに対向車が来ると離合に苦労する。

北川川の水は透明で、さらさらと流れている。黒尊川と似ている。途中に集落はほとんどない。

しかし、梼原川と合流する地点で水の流れが止まる。ダムの影響だ。下るに従って水の淀みがどんどん広がり、下津井集落あたりで、池から湖になる。しかし、湖面は林にさえぎられてよく見えない。

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さらに下ると、ダムが見えてきた。長さ145メートルのダムサイトの上に立って、初めて全容がわかった。湖面は長く伸びている。8月から雨が多かったからか、満水だ。45.5メートルの眼下に、少しずつ放流している。

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このダムは太平洋戦争下の昭和19年つくられた。朝鮮人労働者も動員して。幡多高校生ゼミナールが調査記録し、朝鮮人犠牲者の慰霊碑も建てた。

当初、電力はすべて新居浜の工場地帯に送られた。近隣の民需に回されるようになったのは戦後から。

ダム湖の底には年々ヘドロが蓄積される。大雨が降ると泥水の水ガメになる。それが、一斉放流されると、泥水が本流に注ぎ込む。

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私は、1週間前、大雨の翌日、少し下流の大正の町で、本流との合流点を見た。本流はそんなに濁っていなかったが、ダムからの濁流がそれを泥色に染めていた。「朱に交われば赤くなる」。合流前と後では本流の色の違いが歴然としていた。

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              合流点

津賀ダムは四国電力が運用している。その水利権(30年)が来年3月末で更新時期を迎える。

30年前の騒動を、私はよく覚えている。流域の住民たちが立ち上がり、ダム撤去の運動が盛り上がったのだ。

結局更新はされてしまったが、今回は驚くほど静かだ。問題提起の報道もない。30年前は何だったのかと思う。

水利権の更新を認めるかどうかは、最終的には国交大臣が判断をするのだが、国は県知事の意見を参考にする。県知事は地元流域の意見を参考にする。

きょう県の所管河川課に照会したところ、地元代表や学識経験者で構成する検討会(梼原川河川状況調査会)がこれまでに3回開かれ、このほど「問題ない」の答申が出たという。

地元とは、ダムがある四万十町と上流の津野町、梼原町の3町。なぜに、濁流の影響をもろに受ける下流の四万十市が入らないのか。3町には四国電力からの税金などの見返りがある。しかし、四万十市は濁流を垂れ流されるだけで、何の見返りもない。市長は声をあげるべきだ。

ダム湖に、この30年間のヘドロが上乗せされただけでも、濁水問題は深刻化している。

四万十川の漁獲量も激減。そのため、2年前から、ウナギ漁が10月から、今年からエビ漁が9月から禁止になった。資源保護のためだ。

更新まで、あと半年ある。
10月27日の学習会では、津賀ダム問題も議論をしたい。

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沖縄知事選挙

沖縄知事選挙が始まった。当初は11月予定だったが、翁長前知事死去により早まった。

この選挙は、政府が強引に米軍辺野古新基地をつくろうとしていることに対して、これを認めるかどうかが大きな争点である。

これは、沖縄県だけでの問題ではなく、憲法で明記されている日本の地方自治を守れるかどうかが問われる、きわめて重要な選挙である。

だから、今朝の高知新聞ではトップで選挙告示を報じている。しかし、NHKニュースでは、扱いがテニスの大坂なおみの後にまわされるなど、極力目立たないような「配慮」が露骨である。

政府としては、国民の目を沖縄に向けせたくない、沖縄で自分たちがやっていることを知られたくない。辺野古問題はすでに終わったと印象づけたい。NHKは、そんな政府の意向に忠実に、ソンタクしている。

この選挙に関心を向けること。沖縄の現状から目をそらさないことが、沖縄の人たちを応援することになる。

私はことし1月の名護市長選挙で稲嶺進市長(当時)の応援に行った。四万十市と名護市は友好交流をしていることもあって、稲嶺さんとお付き合いがあったからだ。

選挙の結果は大方の予想に反して稲嶺さんは敗れた。その選挙がどんなにひどいものであったか、その実態については、このブログでも2月に書いたとおりである。

相手候補は、辺野古の「へ」の字も言わない、争点隠し。企業・団体など、あらゆる利権組織を総動員。デマと中傷を垂れ流し、惑わす。

期日前投票に半強制的に動員し、当日投票より期日前投票数のほうが多かったという異常。政策なんてどうでもいい、数を多くとりさえすればいいという作戦を徹底した。

今回の知事選挙でも同じやり方だ。相手候補(佐喜真氏)は辺野古への態度は明らかにしていない。

相手は「対立と分断から協調へ」とさかんに言っているが、沖縄の総意はもとより辺野古新基地反対であるのに、これをあの手この手で、分断してきたのは、政府側ではないか。「協調」というのは、政府の言いなりになれ、ということと同じだ。

それと、相手候補は前宜野湾市長ということもあって、普天間基地移転ということを強調しているが、仮に辺野古に基地ができても、普天間基地はなくならないことは、稲田朋美元防衛大臣がポロリと言ったように、関係者はみんなわかっている。だから、辺野古は「移転」ではなく、「新基地」なのだ。

国家が総力をあげてつくウソは見破るのがむずかしい。昭和20年までの戦争などもそうだ。国民はだまされ続けてきた。

玉城デニーさんは素晴らしい候補者である。翁長前知事のこころをしっかりと受け継いでいる。名護でも心に響く演説をしているのを聞いた。

自身の父は元アメリカ兵であり、戦後沖縄を象徴している。「イデオロギーよりもアイデンティティー」・・・沖縄県民のこころ=アイデンティティーを自ら体現している人だ。

しかし、人柄だけ、政策だけでは、選挙は勝てない。名護市長選挙でも示されたとおりである。

全国民が沖縄に目を注ぎ、沖縄に熱い声を届けること。それが、沖縄の人たちに勇気を与え、内に秘めた沖縄のアイデンティティーを発露させる。そのマグマが動くときにこそ、デニーさんの勝利がある。



中か 中村か(続き)

前号を読んでくださった静岡県磐田市在住のFB友達から、隣の袋井市に「中」という地名があるということを教えていただいた。感謝。

その場所はこちらの中村と同じ、川に囲まれたエリアだという。ネットの地図でさがすと、両市の境界地点、太田川と原野谷川に挟まれた中州に「中」という住居表示があった。

袋井市役所に電話をし、そのあたりの歴史に詳しい職員さんに、いろいろ教えてもらった。それによると・・・

「中」のあるエリアは、2005年袋井市と合併するまでは、磐田郡浅羽町であった。

浅羽町は、1955年、東浅羽村、西浅羽村、上浅羽村、幸浦村の村が合併してできた。

さらに、このうち西浅羽村は、近代地方自治制度ができた1989年(明治22年)、中、長溝、富里、浅岡、浅羽一色、一ノ池新田という6つの「ムラ(邑)」が一緒になってできた。

江戸時代には、このあたりは「中ムラ」「長溝ムラ」などと呼ばれていたが、西浅羽村ができた以上は、重複を避けるため、「中ムラ」は「中」と地名(字名、住居表示)を定めたのだろうことは推測できる。

このような歴史をみれば、中村という地名の原点(ルーツ)がわかりやすい。もとは「中」だったのだ。

地図を詳しく見ると、中村交差点(信号)があるので、聞くと、このあたりは地名(住居表示)としては「中」と定められているが、住民のふだん使う言葉としては「中村」も残っている。だから、交差点の名前に使われているのだという。

なるほど、言葉の中には「中ムラ」が生きているのだ。「中」という言葉は「ナカ」と短く、語呂として「ナカムラ」のほうが座りがいい。だから、生き残っているのだと思う。

ちなみに、ここの「中」の由来は、川の中という意味であり、他の多くの中村のような、地域の中心地という意味ではないようだ。

その点、わが中村は、ここに比べて中州が広大であるため、両方の意味をもっていたものと思われる。

さらに、わが中村は明治22年、同じ名前の自治体に移行したため、中村という地名が広く深く浸透した。だから、明治38年、町制移行のさいは、本来なら「中町」にすべきところを、住民の抵抗があり、「中村町」という折衷的な名前に落ち着いたということだろう。

よかった、よかった。これで腹に落ちた。
FB友達のおかげだ。
こういう時こそFBをやっていてよかったと思う。

ところで、NHK番組「日本人のお名前」で「中村さん」についてやっているのを見た。中村さんは、佐藤、鈴木など・・・に続いて8番目に多い姓だ。

中村さんが多いように、中村という地名は全国に169あるという。

中村から派生したのが、北村、西村、武村、村上などであり、日本人の姓には「村」がやたらと多い。

「村」の語源は「群れ」であり、人のかたまりを意味するというから、いたるところに「村」がある(いる)のは、当然であろう。
プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
フェイスブック(FB)もしています。

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