斑唐津
私はやきものに興味をもっている。趣味と言えるかどうかわからないが、結構いろんなやきものを集めている。
以前、転勤や出張の多い仕事をしていたので、全国各地をまわったさい、休日や時間の合間をみて、その土地の窯場や陶芸作家を訪ねた。
全国のちょっと名の知れた窯場はたいてい歩いた。
伝統的窯場は西に多い。六古窯(備前、丹波、信楽、越前、常滑、瀬戸)のほか、九州沖縄では、壷屋、薩摩、小代、小鹿田、小石原、上野、有田、伊万里、唐津、中四国では、萩、島根、鳥取、砥部、大谷、内原野、関西では、京都、伊賀、赤膚、出石などだ。
関東は、笠間、益子など。
北海道にも転勤でいたので、結構徘徊した。
東京、大阪にいた時は、全国の作家たちが、個展を開くので、見に出かける。都会にはこだわりの専門店も多い。いつしか、かさばらないものとして、ぐい吞み、徳利などの酒器をメインに買うようになった。
いまは地元に引っ込んだので、そうした出会いも少なくなった。もっぱら以前に買ったものを眺めたり、触ったりして楽しんでいる。それぞれに出会った時の思い出が埋め込まれているので、古い日記をめくるような、楽しさや恥じらいがある。
好みもいろいろに変わったが、いま気に入っているのは斑(まだら)唐津である。斑唐津とは、藁灰釉をかけて焼くと器の表面に釉薬が流れて斑模様になる、唐津焼の手法の一つ。
この独特の斑模様は、唐津の土でないと出ない。砂が混じった、唐津でしか取れない粘土。
唐津とは唐(中国)につながる津(港)という意味であるように、唐津の焼き物は中国、朝鮮から伝わったもの。瀬戸焼がセトモノになったように、唐津焼もカラツと呼ばれ、焼き物全般をさす言葉にもなっているくらいだから、ともに日本を代表する焼き物産地であるということだ。
20数年前、福岡に転勤していたころ、唐津にはたびたび出かけた。そうした中で、ご縁ができた作家の一人に府川和泉さんがいる。
彼女は当時30代前半で、修行から独立をして間もないころだった。山の中に窯をつくり、こんな寂しいところに若い女性が大丈夫なのだろうかと、余計な心配をしたものだった。「空(そら)」という陶房名をつけていた。
彼女の作品は、唐津の伝統にのっとったもの。奇をてらわず、コツコツと焼く。地味な中にも、女性らしい柔らさや温かみのあるものだった。
私が福岡を離れてからは、会う機会はなくなったが、作品はいろんな縁で求めてきた。
6年前、はじめて高知市で個展(3人展)を開くという案内をもらい、びっくり。久しぶりに本人に再会した。
そして、今度は、いの町の土佐和紙工芸村で個展(2人展)という葉書をもらったので、5月30日、またお会いした。
前回は斑唐津が少なかったので、今回は多めにとあらかじめ頼んでいたところ、約束どおり、たくさんもってきてくれた。
どれも素晴らしい作品ばかりだった。垂涎とはこのことを言うのだろう。この間の彼女の「進化」というよりも「深化」がにじみ出ている。
日々、黙々と土と対話をしていると、土のほうから、こういう形にしてほしいというようなリクエストが伝わり、勝手に指先が動くという。自然体のフォルム。
人間がつくるのではなく、土が人間をつくる。何事も極めるということは、日々の地味な作業の積み重ねなのだろうが、彼女の作品には、それだけではない、唐津という風土、歴史が大きなバックにある。
唐津には6年前に久しぶりに訪ねたが、また行きたくなった。大陸につながる玄界灘の濃いブルー。土と海が呼んでいる。

以前の唐津の記事
http://hatanakamura.blog.fc2.com/blog-entry-30.html
http://hatanakamura.blog.fc2.com/blog-entry-24.html
以前、転勤や出張の多い仕事をしていたので、全国各地をまわったさい、休日や時間の合間をみて、その土地の窯場や陶芸作家を訪ねた。
全国のちょっと名の知れた窯場はたいてい歩いた。
伝統的窯場は西に多い。六古窯(備前、丹波、信楽、越前、常滑、瀬戸)のほか、九州沖縄では、壷屋、薩摩、小代、小鹿田、小石原、上野、有田、伊万里、唐津、中四国では、萩、島根、鳥取、砥部、大谷、内原野、関西では、京都、伊賀、赤膚、出石などだ。
関東は、笠間、益子など。
北海道にも転勤でいたので、結構徘徊した。
東京、大阪にいた時は、全国の作家たちが、個展を開くので、見に出かける。都会にはこだわりの専門店も多い。いつしか、かさばらないものとして、ぐい吞み、徳利などの酒器をメインに買うようになった。
いまは地元に引っ込んだので、そうした出会いも少なくなった。もっぱら以前に買ったものを眺めたり、触ったりして楽しんでいる。それぞれに出会った時の思い出が埋め込まれているので、古い日記をめくるような、楽しさや恥じらいがある。
好みもいろいろに変わったが、いま気に入っているのは斑(まだら)唐津である。斑唐津とは、藁灰釉をかけて焼くと器の表面に釉薬が流れて斑模様になる、唐津焼の手法の一つ。
この独特の斑模様は、唐津の土でないと出ない。砂が混じった、唐津でしか取れない粘土。
唐津とは唐(中国)につながる津(港)という意味であるように、唐津の焼き物は中国、朝鮮から伝わったもの。瀬戸焼がセトモノになったように、唐津焼もカラツと呼ばれ、焼き物全般をさす言葉にもなっているくらいだから、ともに日本を代表する焼き物産地であるということだ。
20数年前、福岡に転勤していたころ、唐津にはたびたび出かけた。そうした中で、ご縁ができた作家の一人に府川和泉さんがいる。
彼女は当時30代前半で、修行から独立をして間もないころだった。山の中に窯をつくり、こんな寂しいところに若い女性が大丈夫なのだろうかと、余計な心配をしたものだった。「空(そら)」という陶房名をつけていた。
彼女の作品は、唐津の伝統にのっとったもの。奇をてらわず、コツコツと焼く。地味な中にも、女性らしい柔らさや温かみのあるものだった。
私が福岡を離れてからは、会う機会はなくなったが、作品はいろんな縁で求めてきた。
6年前、はじめて高知市で個展(3人展)を開くという案内をもらい、びっくり。久しぶりに本人に再会した。
そして、今度は、いの町の土佐和紙工芸村で個展(2人展)という葉書をもらったので、5月30日、またお会いした。
前回は斑唐津が少なかったので、今回は多めにとあらかじめ頼んでいたところ、約束どおり、たくさんもってきてくれた。
どれも素晴らしい作品ばかりだった。垂涎とはこのことを言うのだろう。この間の彼女の「進化」というよりも「深化」がにじみ出ている。
日々、黙々と土と対話をしていると、土のほうから、こういう形にしてほしいというようなリクエストが伝わり、勝手に指先が動くという。自然体のフォルム。
人間がつくるのではなく、土が人間をつくる。何事も極めるということは、日々の地味な作業の積み重ねなのだろうが、彼女の作品には、それだけではない、唐津という風土、歴史が大きなバックにある。
唐津には6年前に久しぶりに訪ねたが、また行きたくなった。大陸につながる玄界灘の濃いブルー。土と海が呼んでいる。


以前の唐津の記事
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