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文子を追っかけ韓国日記(5)

5日目、帰国後まとめ

最終日7月26日は8:25発高松行きなので、帰るだけ。まだ薄暗い5時半タクシーでホテルを出た。仁川空港まで、高速を使い1時間で料金は5900円だから、やっぱり安い。

来るときとは違い、あとは学習効果でスムーズ。10:05高松着。あっけない。外国から帰ってきたというような感じがしない。

これで旅は終わったので、まとめ、感想を書いておきたい。

大変中身の濃い充実した旅になった。ひとえに、金昌徳さんをはじめ韓国、国民文化研究所のみなさんの温かい心のこもった受け入れ体制のおかげである。東京の亀田博さんにも大変お世話になった。

最初にも書いたように、この旅が実現したのは、幸徳秋水と金子文子の導きによる。韓国独立3.1事件から100年の年、日韓関係が悪化の状態の渦中というのも、運命的なものを感じた。

秋水らが逮捕された大逆事件と同じ年(1910年)、日本は韓国を併合。それから100年以上たつというのに、日本政府は植民地支配への、心からの反省がいまだできていない、中途半端な形でしか、戦後処理をしこなかった、そのツケがいま来ている。

今回のことの発端は、徴用工への補償問題。日本側は1965年の日韓請求権協定で解決済みと主張している。しかし、この協定は国と国の締結であり、被害者個人からの請求権までは否定しているものではないということを、日本政府も過去の国会答弁で認めている。

しかも、今回は韓国最高裁判所の決定である。日本も韓国も三権分立。行政は司法に介入できない。なのに、日本政府は韓国行政になんとかしろと追及。法の秩序を破れと言っているのだ。逆の立場で、日本の最高裁判所の決定に外国から異を唱えられたら、日本政府はどうするだろうか。

こんな情勢下、初めての韓国訪問であったから、韓国の反日ムードも高まっているだろうと心配していた。

ところが、まったくそうではなかった。これは日本の報道の仕方に問題がある。もちろん一部には反日の人たちもいるだろうが、日本ではそうした部分だけを、さも国民全体がそうであるかのように、過剰に報道している。それによって反韓、嫌韓をあおる。日本政府がそれを望んでいるからである。対外的な危機をあおれば、国民は結束するから当該政権に有利に働く。

恥ずかしながら、私は最近まで、金子文子の墓が韓国にあり、毎年追悼式を韓国の人たちがおこなってくれていることを知らなかった。

今回、追悼式に初めて参加をして、私は韓国の人たちのこころの広さ、懐の深さを痛感した。日本人の文子を顕彰し、朴烈義士記念館の1Fフロアーいっぱいに詳しい展示をしてくれている。その詳細さは、朴烈以上であった。

今回、私らはソウルからチャーターバスに乗り、聞慶市での追悼式に参加してホテルに泊まり、翌日も同じバスで文子が暮らしていた芙江にも連れていってもらった。これらの費用はすべて韓国側持ちであり、私ら日本人10人は招待された形になっていた。

文子追悼式関連のイベントについては、国からの補助金が出ており、おみやげ(記念タオル、文子をデザインしたマグカップ、メモ帳)まで、持たせてもたった。

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2日目、芙江での歓迎式費用は、地元の一人の実業家がいっさいを出してくれていると聞いた。歓迎するとなれば、まるごと。それが韓国流なのだと同行の日本人から聞かされた。

聞慶は朴烈の生地ではあるが、文子は住んだことがない。しかし、芙江には7年間住んでいた。

文子は手記に書いているように、芙江では日本人が地元民を虐待し、差別してきたのをみている。普通に考えれば、いまも芙江に人たちは日本人がにくいはず、少なくとも良い思いはもっていないはずである。

なのに、われわれを歓迎してくれる。文子が暮らした足跡をいまも調べ続け、詳しく案内してくれる。芙江では、これまで地元出身の有名人がいないこともあり、文子をまちのシンボル、英雄として、広く知ってもらおうと力を入れているのだと聞いたが、日本ではありえないことだろう。

このことは、安重根義士記念館、西大門刑務所跡の展示を見ても感じた。日帝支配の歴史を忘れてならないと、生々しい展示に徹底している。学校でもこのことを教えているという。

なのに、われわれに対しては極めて友好的である。それは今回受け入れてくださった方々ばかりでなく、ホテルの人、レストランの人、おみやげ店の人、みなそのように思う。反日の人はいったいどこにいるの?

韓国人は国家として、日帝を憎んでいる。しかし、その場合の日帝とは為政者のことであり、日本国民一般ではない。そこをきちんと分けて考えている。なんと、心が広いことだろう。

逆の立場の日本人では、ありえないこと。日本が戦後アメリカに7年間軍事占領されていたこと(サンフランシスコ条約締結まで)とは、問題の深さが異なる。

日本は島国であった。しかし、韓国は、過去の歴史においても、周りの大国(中国)から干渉を受け続けた試練、苦難の歴史があり、いまも南北に分断されている。民族としての鍛えられ方が日本とは違うのだ。大人の対応だ。

私は韓国の人たち=反日、というイメージをずっともってきた。私には、過去の日本が与えた強制、迫害、差別への負い目がある。その裏返しと自己分析している。

しかし、今回の旅で、韓国の人たちの本当の心が幾分なりともわかったような気がする。だから、いま日本政府が仕掛けている対立の構図が許せない。

両国の歴史をきちんと学び、知り、真摯に向きあう。これが大事だと思う。知らないことは怖しい。

韓国の人たちは言っていた。いま、両国は対立しているが、私らの友好は深いし永遠であると。その通りだと思う。

いまの対立を早く克服できるよう、私も今回教えてもらった韓国の人たちに思いを、ひろく日本人に伝えていく努力をしたい。(終り)

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国民文化研究所 李鉉盆副会長


文子を追っかけ韓国日記(4)

4日目

金子文子関係のイベントは2日間で終わったので、この日はフリー。翌日の帰国は早朝便なので、残りは実質この日だけ。

私はかねてより、韓国に行くのならば、戦前、日本が支配した痕跡を訪ねたいと思っていた。韓国では、その時代の日本のことを日帝(日本帝国主義)と呼ぶ。

亀田さんと金昌徳さんが案内してくれるというので、最初に安重根義士記念館をお願いした。安重根(アン・ジュン・グン)は1909年10月、満州ハルピン駅頭で伊藤博文をピストルで銃殺した、韓国にとっての英雄である。だから「義士」とされている。(数年前、日本の菅官房長官は彼のことをテロリストと呼んだことは記憶にあたらしい。)

朝9:30、金さんがマイカーでホテルに迎えに来てくれた。記念館はソウルのシンボル南山タワーがある南山公園(丘)の一角にあり、20分で着いた。南山にはかつて日帝がつくった朝鮮神社もあった。

記念館入口には巨大な安重根の像がそびえている。安の書を刻んだ石もあちこちにある。館は2010年立て替えられ、4つの箱がつながったモダンな構造。

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入場無料に驚く。多くの国民が来やすいように。国の位置づけ。入口ホールにも白く大きな像。バックには、同志12人が指を切った血でかいた「大韓独立」の文字。

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安は名門の家に生まれた。教育家で軍人。抗日義兵闘争に参加。その生い立ちから、伊藤銃撃、裁判、31歳で死刑(殉国)にいたる過程が、写真、パネル、人形等で詳細に展示されている。

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一番衝撃的なのは、伊藤を銃殺する場面が再現されているところ。リアルである。

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幸徳秋水は安の「義挙」を讃える漢詩をつくり、安の絵葉書に書き添えた。絵葉書はサンフランシスコの日本人アナキスト(南繁樹ら)がつくったもの。秋水は最後に湯河原で拘束されたさい、カバンの中に、この絵葉書をもっていた。この漢詩を紹介した当時の韓国新聞(2010年)が展示されていた。

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この記念館に来たかったのは、こうした秋水とのつながりがあるからでもある。
秋水の思想は、その後、韓国独立運動家に影響を与えた。朴烈や金子文子にもつながっている。

高校生たちが課外研究で来ていた。私らが日本人であることに興味をもったらしく、なぜここに来たのかと聞かれた。安と秋水との関係を教えてやった。礼儀正しい高校生に感心した。

安は獄中でたくさんの書を残した。秋水が絶筆漢詩を遺したのと同じだ。また、自伝や「東洋平和論」も書いている。これも秋水に似ている。

旅順で行われた安の裁判には高知県人が多くかかわった。検事の溝渕孝雄、弁護士の水野吉太郎など。そうした関係から安の遺墨が高知県に残されていた。いまはこの記念館に寄贈されているときいている。秋水を含め、高知県とのつながりの重さを感ずる。そのあたりのことに詳しい学芸員は不在であった。

次に、西大門(ソデムン)刑務所跡に連れていってもらう。こちらは亀田さんの推薦。途中、車中からソウル駅の旧建物を見る。東京駅にそっくりであり、日帝建造とわかる。

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西大門刑務所は、1908年、日帝がつくった監獄。有料だが、65歳以上は無料。

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安重根は死して英雄になったので、まだ見やすいが、こちらのほうは日本人が見るには心がいたむ。一般囚人も入れられていたが、展示は、日本に弾圧迫害された韓国独立運動家たちのことが中心になっている。

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拷問が行われた部屋、処刑室(ギロチン)、犠牲者の生の写真、女性も多い。亀田さんによれば、政権が変わるごとに微妙に展示が変わるそうだが、もらったパンフにもあるように「韓民族の受難と苦痛を象徴した」、忘れてはいけない歴史として位置付けていることは不変であろう。

日本でいえば、広島の原爆資料館が同じような役割をもっているのだろうが、こちらのほうが、より陰湿であり、苦しい。

この建物は多くの映画やテレビでもロケに使われる。「金子文子と朴烈」の映画にも登場していた。朴烈の仲間が釈放されるシーンで。

このあと仁寺洞(インサドン)入り口で車を降ろしてもらい、金さんとお別れ。仁寺洞は東京の原宿のような通りで、いろんな店があり観光客に人気があるところとか。ここでお茶と軽い食事をする。土産物を買う。

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少女像(慰安婦像)は歩いてすぐ。斜め前が日本大使館。小雨が降ってきたので、少女はレインコートを着ていた。観光客らしきは私らだけで、みんな何も気にせずスイスイ通っていく。一般の韓国人にとっては日常風景なのだろう。

像の隣にテントが張ってあり、中に人がいるようだ。像を守っているのだそうだ。像には影も描かれていた。影のほうがインパクトがある。少女が生きているからだ。

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大きな通りを渡り、景福宮へ。京都の御所、東京の皇居と同じ。中に国立古宮博物館がある。

庭が広い。その中に、韓国伝統衣装をまとった女性が多い。みなレンタルだという。京都でもレンタルの着物を着てブラブラ歩いている若い女性をみかけるが、同じだ。

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博物館は無料。朝鮮王朝時代の展示が中心。日本は中国、朝鮮から文化が入ってきていることから、日本で見るものと、そんなに差はない。しかし、重厚、荘厳ではるかに深みがある。

雨が降ってきた。正面の大通りを歩く。世宗大王、李舜臣将軍(秀吉軍を撃退)の像は迫力がある。王宮を背景に、こんな見事なレイアウトの像は日本にはない。

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仁寺洞に戻り、夕食をとってから、ホテルにタクシーで戻った。(続く)

秋水、文子で日韓交流

7月23日、韓国聞慶市(ムンギョン)で開かれた金子文子追悼式に参加してきた。

きっかけは今年5月、韓国独立運動、アナキズム研究者の金昌徳(キムチャンドク)さんが幸徳秋水を訪ねて四万十市中村に見えたこと。秋水の自由平等思想は韓国独立運動家に影響を与えたという。

在日朝鮮人だった朴烈(パクヨル)とその妻文子は関東大震災の年、東京で弾圧逮捕され、大逆罪で死刑判決を受けた(無期懲役に減刑)。6月、四万十市と高知市で自主上映した韓国映画「金子文子と朴烈」で描かれた通りである。

文子の墓は朴烈の生地聞慶にあり、韓国独立のために闘った日本人として顕彰され、毎年命日、墓前で追悼式が開かれている。昨年、文子は韓国政府から独立有功叙勲も受けた。墓は朴烈義士記念館の敷地内にあり、2人の詳細な展示の中に秋水も紹介されていた。

いま日韓が対立しているように見えるが、それは為政者レベルでのことであり、しかも過剰に報道されている。

今回肌で感じたのは、韓国国民一般は日本に対して友好的であること。過去の歴史に関しても、為政者と国民を分けて考える冷静さと懐の深さをもっている。追悼式、交流会でも大変な歓迎を受けた。

韓国はかけがえのない隣国。日本国民としても冷静対応で、今後も継続的に友好交流を一層深めていくことが大切だと思う。


 高知新聞「声ひろば」投稿
 2019.8.2
高知新聞 日韓交流 2019.8.2

プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
フェイスブック(FB)もしています。

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