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秋水と小澤征爾ファミリー(3)

私は1月25日、東京都渋谷区正春寺(管野須賀子墓がある)で毎年開かれている大逆事件犠牲者追悼集会に今年も出かけた。翌日、山梨に向かった。甲府駅で降り、タクシーですぐ近くの光澤寺にある宮下太吉(大逆事件死刑)の墓を弔った。

そのあと、またタクシーに乗り、旧高田村がある西八代郡市川三郷町に向かった。笛吹川の土手沿いの道を西へ進み、約40分、JR身延線市川大門駅と鰍沢駅(かじかざわ)の間、笛吹川と釜無川が合流するあたりの平野の中に高田はあった。

最初に事前に電話をしておいた小澤家の菩提寺、日蓮宗高田山長生寺を訪ねた。住職さんに本堂の中を案内してもらい、小澤征爾の父開作が昭和13年寄贈したことが刻まれている、大きな「おりん」を見せてもらった。当時、開作は満州で歯科医をしていた。

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  高田山長生寺     「おりん」の土台

小澤家の先祖墓は少し離れた共同墓地にあるという。住職のお母様とお嫁さん?が車で案内をしてくれた。

ファミリーヒストリーにも登場した2基の墓はごく普通の墓で、征爾の祖父新作、父開作らが入っているという(開作は分骨)。花を手向け、線香を焚き、手を合わせた。

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次に、新作、開作時代の小澤家があったという旧道沿いの場所に案内してもらった。そこはいまは他の人の所有に移っており、空き地で駐車場に使われていた。

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私は、明治の高田村時代の歴史に詳しい郷土史家のような方はおられないか聞いた。何年か前まではおられたが、その方は亡くなった、しかし、息子さんがいるので、もしかして何か資料をもっているかもしれないということで、そこも案内してくれた。

息子さんは詳しいことは何もわからないという。高田村史のようなものはないかと聞くと、1冊だけあるということで、「市川大門町史稿本・高田村誌」(1997年、市川大門町教育委員会)を出してきてくれた。幸徳秋水、秩父事件の話を聞いたが、まったくわからないという。

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小澤家の直系の人たちは、みな東京方面に出ている。遠い親戚筋の家は何軒かあるが、古老はみな最近亡くなったので、行ってもたぶん何もわからないだろう。「村誌」なら同じものが図書館にもあるというので、前の日新築移転したばかりの町立図書館に案内してもらった。親切にしていただいた車のお二人とは、ここでお別れした。

図書館玄関には役場の方がいた。訪ねた目的を話すと、小澤家に詳しい方がお一人おられるというので、連絡をとってくれた。

その方は、「小澤開作顕彰会」の事務局長を最近までされていたという伊藤進さんで、すぐに図書館においでくださった。郷土史コーナーでお話をお聞きした。

同じ地元出身でも、小澤征爾は有名だが、ファミリーヒストリーではメインで紹介された父の開作については、ほとんど知られていないということで、もっと開作のことも知ってもらいたいと、2年前に顕彰会をつくったのだそうだ。

伊藤さんは、今回のファミリーヒストリーの制作において、NHKに多大な協力をされた。番組最後に流れる字幕にも、お名前が出ていた。

小澤開作に関連する資料、記録を提供し、縁者も紹介。番組制作はNHKといっても、実際は椿プロダクションが下請けで制作したものであることを、教えてくれた。

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 伊藤進さん

伊藤さんは開作についてのたくさんの資料を持ってきてくださった。しかし、新作については、いまでいえば土方の棟梁のような人物で、消防組頭もやっていた、ずっと地元にいた(東京には出たことがない)、ということぐらいしかわからないと言われた。幸徳秋水、秩父事件についてはわからない、きいたことがないという。

また、「高田村誌」といっても大雑把な記述しかなく、秩父事件の落合寅市の逃亡を思わせるような記録はみたことがない。しかし、寅市本人が書いているという、甲府から鰍沢を通って身延、興津(静岡県清水)へ逃げたというのなら、通る道はここの旧道(中宿通り)しかない。小澤家は旧道沿いにあった、と言われた。

私はNHKで証言をされた小澤清さんの連絡先をご存じないか聞くと、家に帰ればわかるというので、あとで携帯で教えてもらうことをお願いした。

図書館には小澤征爾の兄の小澤俊夫さん(作曲家オザケンの父)のコーナーもあり、たくさんの本が置かれていた。俊夫さんは、NHKでも紹介されたように、ドイツ文学が専門の筑波大学名誉教授で、89歳のいまもお元気で世界の昔話の普及に力を注いでおられる。神奈川県川崎市に小澤昔ばなし研究所を開き、昔話の出版はもっぱらこちらでされており、本には連絡先が書かれていたので、メモをして図書館を辞した。

伊藤さんは開作にかかるたくさんの資料をくださったうえに、市川大門駅まで送ってくれた。山梨の方はみなさん親切だ。いいところに来させてもらったと、こちらの気持ちもあたたかくなった。

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  市川大門駅

身延線で甲府まで戻り、中央線に乗り替えた。途中塩山駅で降り、金子文子生家跡と歌碑を見てから、新宿のホテルに帰ると夜8時を過ぎていた。

翌日27日は夕方の飛行機で帰ることになっていた。伊藤さんから携帯で教えてもらった小澤清さんの住所は都内であった。もしかしてご自宅に伺わせてもらえるかもと思い電話をした。しかし、通じなかった。

小澤昔ばなし研究所には電話が通じた。係りの方が、用件をメールしてくれれば、俊夫さんにつないでくれるという。

28日、家に戻ってからも何度も清さんに電話をしたが、通じない。俊夫さんには、メールを打った。内容は「幸徳秋水の話を聞かれたことがありますか」ということ。

29日、俊夫さんから返事のメールが届いた。「自分もテレビであの場面を見ましたが、幸徳秋水の話はまったくきいたことがありません。従兄弟の思い違いだと思います。」ということだった。

清さんには電話が通じないので、手紙を書いた。秋水の資料などを添えて。

すると、2月3日、清さんから電話がかかってきた。いまは埼玉県の娘さんの家におられるという。そこに私の手紙が回されたという。清さんは、私の質問になんでも話してくれた。以下のとおり。

自分は昭和6年生まれ、祖父の新作は昭和10年没。幸徳秋水の話は自分が小学生高学年のころ母から聞いた。新作の長男開作は家を出たので、次男の父清作が家を継いだ。新作の面倒をみたのは、自分の母よう、であった。新作は晩年、母にこの話をしたという。

祖父は、土方の棟梁だった。ずっと地元にいて、東京に出たことはない。義侠心に厚く、困った人が助けを求めてきたら、理由を問わずに助けた。しかし、ただそれだけで、思想面で秋水に共鳴していたとか、何か社会運動をしていたということではない。祖父は秋水の話は母にしかしなかったと思う。ペラペラ話すような内容ではないので。父からは聞いたことがない。

秋水の話は、いつ、どこで、どうやってかくまったのかという具体的なことは聞いていない。ただ、自分の頭にはずっと残っていた。母は平成4年に亡くなった。もっと詳しくきいておけばよかったと思う。

NHK(椿プロダクション)には、2時間くらいいろんな話をしたのに、テレビで流れたのは秋水の部分だけだった。あやふやな話を公にしたのはまずかったのかもしれない。NHKからは放送後、再度秋水の件で問い合わせがあった(私の抗議に対してだと思われる)。

秩父事件、落合寅市については、何も知らない。秋水に取り違えられたのではないかと言われても、わからない。


清さんは、ほかにもいろいろ話してくださったが(開作は頭がよかったと聞いているなど)、秋水に関する部分は以上である。清さんは、丁寧に、淡々と話をしてくれた。

秋水は山梨県に行ったことがないし、「かくまわれる」ように逃げることはなかったので(逃げる必要もなかった)、この話は間違いであることは確かである。

その中で、今回わかったのは、新作は東京には出たことがなかったということである。つまり、秋水との接触はありえないということがはっきりした。

しかし、清さんの話ぶりからすると、まったくの作り話とも思えない。となれば、晩年の新作の記憶違いか、母の聞き違いか、母の言い伝え間違いかということであろう。(もしかして清さんの聞き違いかも)

新作の晩年というと、大正~昭和10年である。秋水が処刑されたのは明治44年(明治は45年まで)であるから、その当時、秋水の名前は天皇暗殺計画の極悪人として有名になっていたであろう。秩父困民党の幹部で当時生き残りであった落合寅市(昭和11年没)が秋水と間違って伝えられた可能性はあると思う。

今回の山梨訪問では、NHKへの不信をさらに強くした。

NHKがおもしろい話に飛びついて、時代考証や専門家に裏付けをとることもせず、そのまま流してしまったことの問題の重大さは強調しておきたいのだが、そのことを指摘した私に対して、ウソの言い訳をしていたことがわかったからだ。

ここまでくれば、名前を書くが、私の問合せ、抗議に対して、昨年10月、電話で回答をくれたのは番組の小山好晴プロデューサーであった。

小山プロデューサーは、最終的には、事実確認をしないまま放送してしまったことを詫びたのだが、その話の過程において、清さんに再度聞いた話として、

1. 新作は地元だけでなく全国あちこちに出かけていた。どこかで秋水を助けたという話もでた。

2. 新作は身内のほかの者や近所の人たちにも自慢話としてよく話していた。

と言ったのだ。私は、この言葉を信じ、このブログの1回目に書いた。

しかし、これは今回書いたように、清さんや、伊藤進さんの話とは違う。新作は、ずっと地元にいた人だった。また、この話は清さんのお母さんにしかしていない(しかも、ヒソヒソと話した感じ)。現に、小澤俊夫さんは知らないという。

清さんから話を聞いたのは椿プロダクションであろうが、番組制作の最終責任はNHKにある。

初回に書いたように、私はNHKファミリーヒストリーには興味をもって結構見てきた。しかし、こんなにずさんで、視聴者にも不誠実な形で番組がつくられていることを知り、もう二度と見たくなくなった。歴史とは興味本位のエンターテイメントではない。

今回なぜ間違ったのか、真実はわからない。秋水でないことははっきりしているが、落合寅市だというのも「状況証拠」だけで確実な裏付けはいまのところない。

私は引き続き調査を続けていくつもりである。歴史の真実を明らかにするために。
(当面終り。新しい発見あればまた書きます。)

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長生寺から富士川堤防、西山を望む。

プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
フェイスブック(FB)もしています。

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