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裁判所の塀と秋水桜

幸徳秋水の墓がある浄土宗正福寺の墓地は裁判所と隣接しており、境界には裁判所が建てた塀がある。この塀が3月末、取り壊され、新しく作り替えられた。

正福寺は、本ブログ2019.12.28にも書いたように、承元元年(1207)建立、法然ゆかりの古い寺である。

勤皇討幕運動がさかんだった当地では、明治になると廃仏毀釈が横行。そのあおりを受け、中村の他の多くの寺同様、明治4年、正福寺も廃寺になった。

明治9年、広い本堂跡には中村区裁判所(検察部併設)がつくられた。現在は高知地方裁判所中村支部、同検察局中村支部になっている。

墓地の場所はそのまま残り、明治36年、寺が再興されたさい、新しい本堂はいまある位置(高知県幡多総合庁舎隣)につくられた。

秋水刑死の3か月後、明治44年4月、堺利彦が幸徳家慰問に来た際、京都丹波の岩崎革也に報告した葉書は裁判所の写真が載った絵葉書であり、当時の裁判所の様子がうかがえる。

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墓と裁判所の境には、戦後の写真によれば、木が植えられていたようだが、昭和54年、裁判所、検察庁がいまの庁舎に建て替えられたさい、ブロックを積み上げた塀が作られた。

しかし、経年劣化と次の南海地震対策として、墓入り口付近の検察庁敷地の塀が昨年9月、秋水、清馬墓に面した裁判所敷地の塀がこの3月、樹脂製のフェンスに替わった。

幸徳家の墓が正福寺につくられたのは、裁判所ができるずっと前の江戸中期であるが、のちに秋水が不義不当な暗黒裁判によって処刑され、ここに眠っていることを考えると、断ちがたい因縁を感じる。

秋水墓は禁断の墓とされ、日本敗戦まで、参拝者は裁判所窓越しに監視された。秋水は死んでも安らかに眠ることを許されなかった。

今では、いつ植えられたのかわらないが、裁判所庭の桜の大木が秋水、清馬に詫びるように枝を伸ばしている。恩讐を超えたように花を咲かせるこの桜を私たちは「秋水桜」と呼んでいる。

いつか塀もなくなってほしいと思う。

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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
フェイスブック(FB)もしています。

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