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コロナ政局6 専門家会議(2)

きのう20日、衆議院予算委員会で参考人質疑が行われ、新型コロナウイルスに関する政府専門家会議の脇田隆字座長(国立感染症研究所)が出席した。その模様がNHKテレビで中継され、今朝の高知新聞記事には顔写真が出ている。

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私は、この間、専門家会議では、もっぱら副座長の尾身茂氏(独立行政法人地域医療機能推進機構理事長)が記者会見や国会対応の前面に出て、座長の脇田氏の顔がさっぱりみえないことに対する疑問を先に書いた。

私の把握する限りでは、脇田座長が専門家会議を代表してこうした場に登場するのは初めてである。私のような疑問を抱く人は多いことであろうから、今後は本来座長が果たすべき役割を果たすという正常な形になったのかなと一瞬思ったが、どうもそうではないらしい。

というのは、きのうの参考人質疑に呼ばれたのは3人で、尾身氏も呼ばれていたからである。ただし、尾身氏は基本的対処方針等諮問委員会の会長として、である。(諮問委員会の役割については前回書いたので省略する。)

もう1人は、慶応大学教授で経済学者の竹森俊平氏であり、経済面での影響予測について、考えを述べていた。

なぜ、国会は、こんな人選をしたのだろうか。

コロナ問題について、広く意見を聞くというのなら、専門家会議の座長と副座長の2人(ともに医療分野)をダブって呼ぶより、教育、福祉など、ほかの分野の意見を聞いたほうがいいだろうに。

2人はどんな話をしたのか。

尾身氏は、いつものように、感染拡大、終息の見通しについて話し、緊急事態宣言を解除しても、見えない感染が続いていると考えるべき、と。

脇田氏は、もっぱらワクチン開発について述べ、有効なワクチンができるにしても年を越えるだろうし、いつになるのか予想はできない、と。脇田氏はかつてC型肝炎に有効なワクチンを開発した実績があるように、ワクチンの分野の専門家である。

2人は、それぞれ得意な分野について意見を述べており、「分業」したといえるので、納得できる面はある。

しかし、2人は、専門家会議では座長と副座長なのであるから、どちらか1人が代表して(普通なら座長)話をすればいいし、その空いた枠を医療以外の分野の人の意見を聞いたほうがよかったのではないかと思う。

それと、最近ほかに気づくことがある。

相変わらず、テレビには尾身氏ばかりが出ているが、同氏の肩書は、ずっと専門家会議の副座長と紹介されていたのに、最近は諮問委員会会長として紹介されている。

たとえば、緊急事態宣言が5月14日から39県で解除されたさいの首相記者会見に同席した尾身氏は司会者から諮問委員会会長と紹介されたし、その前後、国会に1人呼ばれたさいも、議長からそう呼ばれていた。明らかな変化である。

私のような疑問をもつ声が多く届き、副座長では格好がつかないということになったのだろうか。それとも、ほかに深い意味があるのであろうか。

尾身氏はWHOで仕事をしてきた経験を持っているし、日本では感染症対策の第一人者であるという理解で、私も納得している。今回も実質、専門家の立場で対策を仕切っているのは尾身氏であることは明らかである。

それならば、2012年新型インフルエンザ対策の有識者会議会長を尾身氏がつとめたように、今回の専門家会議座長も尾身氏がつとめれば、私があれこれ悩むこともない。

今回の専門家会議の座長をなぜ尾身氏がつとめないのか、私なりの推測は前回書いたが、本当のところを知りたい。ご意見をいただければ幸いです。

濱口雄幸生誕150年

今月は濱口雄幸生誕150年である。(誕生日は明治3年5月1日)

濱口は高知県出身で最初に首相となった人であり、髭をたくわえた、いかめしい風貌からライオン宰相と呼ばれたことなどは、以前このブログにも書いた。(2015.5.8)

きょう改めて書きたいのは、いまのコロナの状況が濱口の首相時代と似ているからである。

いまのコロナ蔓延による世界的な経済不況は、1929年の世界恐慌以来だと言われている。濱口の首相在任期間は1929年7月~1931年4月。世界大恐慌の象徴、ニューヨーク株式市場の株価大暴落は1929年10月、濱口首相就任3か月後のことである。

当時の日本は世界に先行したデフレ不況の中にあり、さらに世界からの大波をかぶった形になった。

当時、濱口内閣は国際協調、緊縮財政を基本としていたことから、世界統一の金本位制への移行を断行。しかし、これが裏目に出て、経済は混乱した。

濱口は1930年のロンドン海軍軍縮会議において軍縮案に合意したことから、軍部から反発を買い、11月4日、東京駅頭で右翼の銃弾を浴びた。その傷がもとで、1931年4月14日、命を落とした。「男子の本懐」という言葉を残して。以降、首相は若槻礼次郎、犬養毅と続く。

濱口死の5か月後の9月、日本の関東軍は満州柳条溝を爆破し、満州事変を起こす。政府も経済政策をインフレ、軍拡路線に転換。戦争の道を突き進む。(いま朝ドラ「エール」でやっている、古関裕而作曲、早稲田大学応援歌「紺碧の空」がつくられたのは、この年の6月)

濱口は、第一次大戦後、台頭してきたアメリカに対して、将来戦争をしても勝てないと考えていた。だから、国際協調、軍縮を常に基本にしていた。

しかし、世界大恐慌からの脱出の中で、あとの首相は軍拡→戦争への道を選んだ。(犬養首相は5.15事件で銃殺された。)

いまの状況に置き換えてみればいい。この間、アメリカの意を受け、日本の防衛予算(軍事費)は増加を続けている。日本はいまや軍事大国になっている。

そんなときのコロナ禍。社会経済活動は止まり、国民生活はどん底である。その救済策に政府も自治体も汲々としている。一人あたり10万円支給などが決まったが、その財源はすべて赤字国債である。将来のつけは国民に跳ね返ってくる。

こんな時こそ、軍縮である。軍事費からまわせばいい。軍事費は不要不急なもの。トランプの一声で莫大な価格の戦闘機などを買わされているというのに。

しかし、いま野党からも、誰からも、コロナ対策財源は軍事費からまわせという議論は出ない。情けないと思う。

コロナのあと、どんな日本になるのか。どんな世界になるのか、心配である。

今回、政府は反対世論の高まりに押され、検察庁定年延長法案をいったん取り下げたが、また手を変えて、出してくるだろう。

濱口雄幸がめざした軍縮は、世界大恐慌の混乱の中でつぶされ、軍拡→戦争への道へと突き進んだ。

コロナを機に、日本のいまの政権の独裁化が一層進み、憲法改悪、さらなる軍拡、アメリカと一体となった戦争への参加、という構図が現実化してくることを心配している。

コロナ政局5 専門家会議

私は、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議において、座長ではなく副座長が前面に出て発言を繰り返している(記者会見、国会対応等)ことに疑問をおぼえ、自分のFB(フェイスブック)に短く2回、書いたところ、いろんな意見(書き込み)をいただいた。

そこで、改めて、これらの意見を踏まえ、同会議の目的、委員構成、いま果たしている役割等について調べ、何が問題なのか、自分の考えを整理したので、以下に書きたい。


同会議は、政府の新型コロナウイルス感染症対策本部(本部長・安倍首相)の下に、2月14日、「医学的見地から助言等を行うため」、設置された。

構成員は12名で、この中から、座長脇田隆字氏(国立感染症研究所長)、副座長尾身茂氏(独立行政法人地域医療機能推進機構理事長)が選ばれた。他の10名は大学教授などである。名簿は政府プレス発表をごらんいただきたい。

→ 政府プレス発表 https://www.cas.go.jp/jp/influenza/senmonka_konkyo.pdf#search=%27%E6%96%B0%E5%9E%8B%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9%E6%84%9F%E6%9F%93%E7%97%87%E5%AF%BE%E7%AD%96%E5%B0%82%E9%96%80%E5%AE%B6%E4%BC%9A%E8%AD%B0%27

専門家会議の初顔合わせは、2月16日、政府対策本部会議においてであった。すでにこの時、クルーズ船乗客に死者が出ていたことから、専門家会議の立ち上げが遅かったうえに、この会議に閣僚3名が欠席(代理出席)したことで多くの批判を浴びたことは記憶に新しいところだと思う。

その後、コロナ感染が国内外ともに急拡大し、専門家会議は頻繁に開催されている。政府への提言も多く出しており、安倍首相も「専門家会議の意見を聞いて」と繰り返しているように、政府の諸対策にこれらの提言が反映されている、ということになっている。

この間、緊急事態宣言が出され、いまも戦後最大の国家的危機という状況が続いている。安倍首相もたびたび記者会見を開いており、専門家会議代表も同席することが多い。

その際、同会議を代表して同席するのは、常識的に考えれば座長であろう。しかし、実際はこの間一貫して副座長が座っている。国会対応も副座長がおこなっている。尾身茂副座長はすっかりテレビの顔になっている。

かたや、脇田座長はいっさい顔を見ない(少なくともプレス対応では)。

なぜ、こういうことになっているのか。どんな組織においても、重要な場面では、トップが顔を出し、発言をするのが当たり前。ましてや、戦後最大の国家的危機と言われるいまの状況下である。

トップの発言は重い。だから、説得力、信頼性がある。国民も納得できる。なのに、なぜ座長は出ないのか。

これでは、国を代表して、安倍首相ではなく麻生副総理が国民に向かって訴えているのと同じだ。NO1とNO2の差は大きい。私はこのことに、ずっと不信と疑問を抱いている。

そこで、尾身茂氏の経歴を詳しく調べてみた。

1949年生まれ(70歳)、自治医大1期生で地域医療の現場に携わったあと、厚労省保険局勤務、さらにWHO(世界保健機構)で実績をあげる。同西太平洋地域事務局長をつとめ、同本部事務局長選挙に出たが僅差で落選。自治医大名誉教授。

WHOでも実績を残しているので、日本を代表する感染症対策の専門家と言えるだろう。テレビで見ても、話し方はソフトでわかりやすく、温厚そうで人あたりもいい。

一方、座長の脇田隆字氏。

1958年生まれ(61歳)、名古屋大学医学部卒後、一貫して研究畑を歩き、国立感染症研究所部長、副所長、所長。世界で初めて、C型肝炎ウイルス培養細胞政策に成功。同ワクチン開発につなげた。いわば、感染症研究所一筋の人。研究者としては、なかなかの実績を残している。

しかし、脇田氏の顔は見たことがなく発言も聞いたことがないので、これ以上の人物像はわからない。

私は前から、尾身氏は元厚生官僚だったと聞いていたので、政府とのパイプが太いだろうから、政府の意向に沿った調整にたけているから、座長を差し置いて、前面に出ているのだろうと思っていた。

しかし、今回よく調べると、座長の脇田氏がいま所属する国立感染症研究所は厚生労働省の機関そのものであることを知った。つまり、脇田氏は厚労省職員ということである。

一般的には、元職員だった尾身氏よりも現職のほうが政府とのパイプは強いだろう。しかも、感染症研究所所長は、厚労省の技官としては医務技監(事務次官級)と並んで、最高位のポストのようだ。

ということは、尾身氏が前面に出ているのは、元厚生官僚だったということが一番の理由ではなく(それも多分にあるだろうが)、WTOでも仕事をし、実績をあげており、感染症予防対策では国内では名実ともに第一人者であるからであろう。

しかも、話し方がうまく説得力もあるという資質も勘案されているように思う。前面に出る以上は、同会議の顔=広報官としての役割も大きいのだから。

ここまでは、こういうことで納得ができる。

しかし、である。

それならばそれで、尾身氏を座長にすればいいことだ。年齢も尾身氏が上だし、国際的にも名が知られ、WTOにも深いパイプがあるのなら、どうみても座長には尾身氏のほうが適任ではないか。そうすれば座りもいいし、私だけでなく、誰もがすっきりするだろう。

実際、今回調べたところ、2012年、いまと同じような新型インフルエンザが問題になった時、当時の民主党政権でも同対策本部を設置し、その下に「有識者会議」を置いた。その有識者会議の会長は尾身氏であった。

当時、新型インフルエンザ等対策措置法がつくられ、緊急事態宣言を出すことができるようにした。宣言を出す場合は、有識者会議の下に設けられた「基本的対処方針等諮問委員会」に諮らなければならないこととされた。尾身氏はこちらのほうの委員長でもあった。

今回、初めて出された緊急事態宣言は、新型インフルエンザ等対策措置法をバタバタと一部改正して適用したことは、つい最近のことである。この際、この法律に基づく基本的対処方針等諮問委員会は、新型コロナ対応についても対象とされ、そのままの機能が残ることになった。この諮問委員会の委員長は現在も尾身氏のままある。

つまり、ややこしいが、現在、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の座長は脇田氏であるが、基本的対処方針等諮問委員会の委員長は尾身氏という、トライアングルの関係になっているということである。

ここで、結論である。

なぜ、こんな経緯があり、尾身氏と言う最適任者がいるのに、脇田氏を今回の座長にしたのか。これが一番の問題であると思う。

座長は科学的、専門的意見を言う場であるから、極力政府色の薄い人のほうがいい。その意味でも、尾身氏のほうが適任だろうに。

政府(厚労省)が、それほどまでにして脇田氏を座長に置いた理由として、私が考えるのは、国立感染症研究所の権威を保ちたいということだと思う。

戦前、日本陸軍では731部隊に代表されように、細菌戦部隊を育成していた。細菌の研究は戦争に勝つという、国家の命運をかけた事業であった。戦後の昭和22年設立された同研究所の前身は、こうした流れも受け継いでいたのではないか。

戦後の感染症・防疫行政において、常に同研究所は全国津々浦々の保健所等をすそ野に置くヒエラルキーの頂上にあった。その権威は絶大なものがあるのだろう。所長が厚労事務次官と同格ということがそれを表わしている。

新型インフルエンザの時は、尾身氏を有識者会議のトップにおいているではないかといわれるかもしれないが、その時と今回では、事の重大さがまるで違うからだと思う。

国立感染症研究所の権威が高いということが、今回のコロナ対策で大きな足かせになったといえるのは、PCR検査システムである。

日本は医療崩壊を防ぐということを最大の理由に、クラスター対策に重点を絞った。だから、PCR検査数が極端に少ない。

これについて、国の内外から批判が沸騰した(している)ことから、最近になってやっと検査を増やす方針に転換した。しかし、いつまでたっても検査数は増えない。

その原因は、国立感染症研究所を頂上に置く日本の検査システムにあるといえるのではないか。それは、検査データをすべて感染研究所が把握し独占したい、基本的に民間等には検査をさせない、という長年しみついたシステムは一朝一夕に変えられるものではない。かつて細菌研究は軍事機密であった。

その結果がいまである。

見かけの感染確認数は5月になって徐々に減少してきている。しかし、検査数が圧倒的に少ない以上、実際の感染者数はわからない。実際は10倍の感染者がいるだろうという専門家の発言もある。実態は、これからもずっとわからない。

正確なデータがない以上、効果的な対策の打ちようがない。海外からの不信もおさまらない。来年のオリンピックも絶望だろう。

最近、尾身氏の顔色がとみに悪くなっている。相当に疲れているようだ。国家の命運がかかった重責を負わされているのだから、心労は並大抵ではないだろう。

それでも、自らが専門家会議の座長として、仕切れるのならまだましであり、やりがいもあるかもしれない。

しかし、記者会見等の前面には出るものの、お目付け役のように実際の座長(責任者)は別におり、それが国の機関の人ということならば、国の意向との板挟みで、調整に多大なエネルギーがいるだろう。

たとえば、オリンピックの本年開催と言う国の事情があったため、初期の対応が遅れた(と私は思う)背景には、そういうことであったのではないか。専門家会議としては、もっと早く手を打ちたかったのではないかと思う。

最後の結論。

専門家会議の座長に国の機関である国立感染症研究所の所長を置いているということは、同会議が実質的には国と一体であるということであり、本来の役割を果たせない。

この問題は、いまの国家的危機からの脱却を難しくしている、日本のコロナ対策の象徴である。

非戦の原点

わが地元の先輩幸徳秋水は日露戦争に反対し非戦論を唱えた。(平民新聞)

吾人は飽まで戦争を否認す 
之を道徳に見て恐る可きの罪悪也 
之を政治に見て恐る可きの害毒也 
之を経済に見て恐る可きの損失也 
社会の正義は之が為めに破壊され 
萬人の利益は之が為めに蹂躙せらる 
吾人は飽まで戦争を否認し 
之が防止を絶叫せざる可らず 

秋水は人間の自由・平等・博愛を掲げたたかったが、明治国家による思想弾圧(大逆事件)で抹殺された。「百年ののち誰か私に代わって言ってくれる者があるであろう」の言葉を残して。

その百年後の2011年、私は市長であったことから、四万十市をあげて幸徳秋水刑死百周年記念事業に取り組んだ。市長退任後も幸徳秋水を顕彰する会事務局長を務めている。

秋水たちが命をかけたたたかいは、戦後日本国憲法として結実した。永久平和、戦争放棄の九条は非戦の原点である。

しかし、いま再び国家権力が牙をむき出し、九条を亡きものにしようとしている。

私は非戦の原点を守るために「絶叫」を続ける。


元四万十市長  田中全
全国首長九条の会ニュース 第4号

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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
フェイスブック(FB)もしています。

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