FC2ブログ

コロナ政局10 専門家会議(6)

きょうで7月が終わる。いま日本の政府はコロナ対応で機能不全に陥っている。飛行機で言えば、ダッチロールで墜落寸前だ。

きょうは東京で463人の感染が確認された。このまま行けば、8月は東京発の感染爆発が全国に広がるであろう。

なのに、政府は何も有効な対策を打てない。対策は都道府県任せで、政府はサジを投げた感じ。安倍首相は巣籠りして、記者会見も開かない。西村担当大臣にしても、以前に比べ、会見が少なくなった。

こうなったのは、3,4月の一次感染の段階で、PCR検査を徹底してやらなかったからだ。いったん収束したように見えたが、その時点でも検査をスルーした、症状のない感染者がたくさんいたとういうことだ。

韓国では、徹底した検査を行い、感染者を隔離した。だから、いま感染者が一部に再確認されても、すぐにターゲットを絞って封じ込んでいる。両国の初動対応の違いが、いまになって大きな差となっている。

こんな中、専門家の顔が見えない。春には、あれだけ登場をしたのに。

専門家会議は6月末、突然に自主解散のような形で閉店に追い込まれた。経済優先に戻したい政府にとって利用価値がなくなり、じゃまな存在になったから。

7月からは経済人や知事なども加えた「分科会」という形に改組された。座長には尾身茂氏がついた。

尾身氏は専門家会議では副座長であったが、テレビの顔になっていたので、はずせなかったのであろう。

この分科会はどれだけ機能をしているのかわからない。政府も最近は「専門家の意見をきいて・・・」という言い方は少なくなった。

GO TOキャンペーンについて、分科会で尾身座長は先送りしたほうがいい旨の意見を言ったようだが、政府はこれを無視し強行した(東京は外したが)。政府にとって分科会もじゃまな存在となっているようだ。

一方で、旧専門家会議のメンバー(特に分科会からはずされた者)は、国にはいくら言ってもダメだと、あきらめているようだ。専門家と国の信頼関係が崩れてしまった。

尾身茂氏の発言も最近はぶっきらぼうだ。政府にいいように使われ、あげくにはてには梯子をはずされた。不満が爆発寸前だ。

東京医師会の会長が政府の対応にシビレを切らして、こんな国家的一大事の時は、1.国会を早急に開き、緊急法律をつくる。2.PCR検査を徹底して広げる、等の提言をしている。

東京世田谷区では、いつでも誰でも検査を受けられる世田谷モデルと言われているような体制をつくっているが、国の規模でも同様な体制をつくる。そのためには法整備が必要、とも。

きのう野党各党は、憲法の規定に基づき、早急な臨時国会開催を衆議院議長に申し入れた。当然である。

政府は当事者能力がなくなったのであれば、国会を通して問題点を明らかにし、野党の力も借りるという、腹を決めなければならない。与党、野党という問題ではなない。国家的危機なのだ。

幸徳秋水と秩父事件  NHKファミリーヒストリーの真実

 1.「暴徒・暴民」「逆徒・極悪人」

 「嗚呼自由党死す矣、而して其光栄ある歴史は全く抹殺されぬ。」

一九〇〇(明治三三)年八月、幸徳秋水は「自由党を祭る文」を、師中江兆民の勧めで「萬朝報」に書いた。

自由党は一八八一(同一四年)、板垣退助らによって結成された。しかし、明治政府の弾圧や内部抗争もあって、一八八四年十月二九日、大阪で解党大会を開いた。その二日後の十月三一日から十一月一日にかけて、埼玉県秩父の農民たちが一斉蜂起した(秩父事件)。

自由党はその後も復活・再編を繰り返していたが、秋水が「祭る文」を書いた翌九月、伊藤博文がつくった立憲政友会に最終的に吸収された。秋水は堕落、変質してしまった自由党を断罪した。

秋水はその後、日露戦争で非戦論を展開。真の自由・平等・博愛を掲げ、人間解放の社会主義、無政府主義へと思想を深化させていった。しかし、厳しい弾圧により天皇暗殺を企てた「逆徒・極悪人」に仕立てあげられ(大逆事件、一九一〇年)、抹殺された。

一九七一(同四)年、中村に生まれた秋水は、秩父事件当時は一三歳の少年であり、事件との直接のかかわりはなかった。

秩父の農民たちは自由党の指導を受けて独自の困民党を結成。秩父事件は「恐れ多くも天長様に敵対するから加勢しろ」のスローガンを掲げ「革命本部」を置き、圧政を重ねる明治政府の転覆を目的にピークで約一万人が参加した一大変革闘争であった。

驚いた政府は軍隊を派遣。鎮圧後は、田代栄助総理ら事件幹部八人に死刑など事件参加者に極刑を課し、事件は百姓一揆さながらの「暴徒・暴民」による「暴動」であったと宣伝し、事件の実態・真実を長く隠し続けた。

それは、秋水が「逆徒・極悪人」とされたのに先駆けた、国家への反逆は許さないという一大プロパガンダであった。


 2.NHKファミリーヒストリーの間違い

昨年(二〇一九年)八月一二日放送NHK「ファミリーヒストリー小澤征悦」(指揮者小澤征爾の息子で俳優)でのこと。

小澤家のルーツは山梨県西八代郡高田村(現市川三郷町)。征爾の従兄という人物が出てきて、二人の共通の祖父新作は土方の棟梁のような農家、村のまとめ役で、「人並はずれた義侠心があり」「幸徳秋水をかくまったことがある」という証言をした。

私は驚いた。そんなはずはない。すぐにNHKに抗議のメールを出し、続けて手紙も書いた。

一、秋水が山梨県に行った記録はない。

二、そもそも秋水が「かくまわれる」理由がない。のちの昭和の治安維持法、特高警察の時代とは違い、秋水の時代は尾行されることはあっても堂々と出歩いている。これでは秋水はまるで犯罪者、逃亡者だ。

三、秋水が映像に突然登場し消える。秋水につながるような新作の思想、行動等の紹介もなく不自然な編集。

しかし、NHKからの返事はなかった。そこで、直接高知放送局に出向き回答を求めたところ、やっと東京の小山好晴番組プロデューサーから電話が入った。

一、 問題の証言については秋水研究者、郷土史家等に裏付け調査をしなかった。お詫びする。

二、 再放送をする場合は、当該箇所をカットするか編集(説明)を加える。

NHKはいいかげんな番組をつくり、秋水の名誉を傷つけた。

しかし、なぜ間違ったのだろうか。私はこの顛末をブログに書いたところ、「秩父事件逃亡者と入れ替わったのでは」との無記名書き込みをもらった。私はなるほどと思った。

秩父事件研究顕彰協議会(事務局秩父市)に照会したところ、事件幹部の一人落合寅市(乙大隊副隊長)が逮捕されたあとに書いた「綸旨大赦義挙寅市経歴」に逃亡ルートが出ており、そのルート上に高田村があることを教えてくれた。寅市は高知まで逃げ、板垣退助に会って土佐山村に潜伏し、翌年同じ道を引き返し秩父に一時戻ったことも。

私は今年一月二五日、東京渋谷区正春寺(管野須賀子墓がある)で毎年開かれる大逆事件犠牲者追悼集会に参加した。

翌日、山梨県旧高田村に向かった。小澤家跡地、墓、菩提寺を訪ね、小澤開作(征爾の父)顕彰会世話人にも会った。

その日、寅市、秩父事件につながる記録・資料等は見つからなかったが、「寅市経歴」に出てくる甲府→鰍沢の逃亡ルートは小澤家の目の前の道であったことは確認できた。

また、NHKに問題の証言をした征爾の従兄小澤清氏(埼玉在住、昭和六年生まれ、八八歳)と連絡がとれ、直接電話で話を聞くことができた。

それによれば、秋水の話は晩年の新作(昭和十年没、七三歳)の世話をした母が新作から聞き、それを自分が小学生の頃教えてくれた。しかし、いつ、どこでかくまったのかというような具体的なことは聞いていない。新作は助けを求めて来た人は理由を問わず誰でも助けたが、思想的な背景はなかったようだ。秩父事件のことは聞いていない、と。

電話の話ぶりでは全くの作り話とも思えないことから、誰かほかの人物をかくまったことが、言い伝えの中で秋水に入れ替わった可能性があると思われた。

番組にも登場した小澤征爾の兄俊夫氏(小澤昔ばなし研究所代表、筑波大学名誉教授)にも問いあわせたところ、自分もテレビで見たが秋水の話は聞いたことがない、従兄(清氏)の思い違いだと思う、とメールで返事が来た。

ちなみに、この小澤俊夫先生は中村出身の小説家中脇初枝さんが筑波大学時代の学部長だったそうだ。


3.落合寅市か、菊池貫平か

秩父事件逃亡者を調べる中で、やはり幹部の一人(参謀長)菊池貫平も事件の二年後、甲府で捕縛されていたことを知った。

貫平の孫高橋中禄が書いた「秩父一揆巨魁の逃鼠」(昭和六年)によれば、貫平は秩父を逃れ、山を越えて出身地信州佐久に転戦したが、東馬流の戦いで敗走。東京、土浦などを経て、甲府の博徒のもとに潜伏していた。

甲府と高田村は近い。小澤新作と接点があったと考えられないことはない。

さらに、「チガヤの大将」こと島崎嘉四郎も佐久から敗走後、甲府に潜伏(貫平逮捕後)していた。チガヤ(千鹿谷)とは秩父郡上吉田村の地名。

しかし、嘉四郎の場合、春田国男著『幻歌行―秩父困民党島崎嘉四郎の生涯』によれば、偽名戸籍をつくり所帯ももっていたので、正体が発覚したのは大正八年没(五九歳)のずっと後も後、一九八三年のことである。

以上の調査から、小澤新作が「かくまった」のが秩父事件逃亡者とすれば(私はその可能性大と思う。ほかに幸徳秋水に相当するような山梨で有名な「犯罪者」はいないだろうから。)、落合寅市か菊池貫平ということになるのではないか。


4.山縣有朋、松室致

秩父農民たちの蜂起は信州佐久での抵抗含めても十日戦争で終わった。短期間で収束させた政府側の最大の功労者は山縣有朋であった。長州志士で、戊辰戦争、西南戦争等を指揮した歴戦の強者で、日本陸軍を育成。当時内務卿であった。

山縣は埼玉県から事件の急報を受け、即座に憲兵隊、鎮台兵の派遣を決定。もし、この判断が遅れていたら、秩父農民たちの希望と夢はもっと広がっていたことであろうに。

山縣は首相を二度つとめたあと、元老として内閣をコントロール。

山縣は秋水らの運動を徹底マーク。首相を西園寺公望から子飼いの桂太郎にすげ替え、大逆事件を仕組んだ黒幕である。

今回、菊池貫平欠席裁判、死刑判決文(明治一八年一一月、浦和重罪裁判所)を読んだ。裁判長判事島田正章、陪席判事補松室致とあった。

松室致はのちに山縣、桂の意を受け大逆事件を直接指揮した人物である。秋水らを消したことを手柄にして、検事総長から司法大臣にまで昇進した。秩父事件の延長線に大逆事件があったといえる証拠、証人である。

菊池貫平は帝国憲法発布による恩赦で無期懲役に減刑、さらに日露戦争勝利恩赦で釈放された。

落合寅市も欠席裁判で重懲役十年であったが、憲法発布恩赦で釈放された。

なお、大逆事件の震源とされた爆弾実験を行い処刑された宮下太吉は甲府生まれで、墓も甲府にあることから、今回立ち寄ったが、宮下は若いころから機械工として愛知、長野等に出ていたので、本テーマとの絡みはない。

今回の調査は、NHKが秋水について間違った放送をしたことによるものであるが、以前から関心があった秩父事件について詳しく勉強するきっかけになった。

秩父事件と秋水はつながっているだけでなく、明治維新以降の日本の歴史において唯一最大の、国権から民権への国家体制変革をめざした民衆蜂起であったことを知ることができた。

東京にいたころ、秩父には一度遊びにいったことがあるが、次回は事件探訪というような形で史跡、痕跡等を歩いてみたい。



「文芸はた」8号所収  2020年7月刊

20191022184412c6b.jpg
NHKファミリーヒストリー小澤征悦  証言


秋水非戦の碑を

幸徳秋水は明治4(1971)年、中村に生まれ、土佐の自由民権の空気を吸って育ち、若くして中江兆民に師事し、新進ジャーナリストとして活躍しました。

日露戦争に対しては、非戦論を唱え、堺利彦、内村鑑三とともに戦争容認に転じた萬朝報社を退社。堺と平民新聞を発刊し、自由・平等・博愛・平和を掲げ、論陣を張りました。

敵国ロシアでも文豪トルストイが戦争非難の平和論を発表。秋水は平民新聞でこれを翻訳紹介し、国際平和に向け、海を越えた連帯を進めようとした。

秋水の非戦論は、戦後、永久平和・戦争放棄の日本国憲法第九条として結実。しかし、戦後75年を経たいま、日本政府は憲法解釈変更により集団的自衛権を容認し、日本は再び戦争に巻き込まれかねない国に変えられてしまいました。

来年、秋水生誕150年・刑死110年を迎えるにあたり、私どもは秋水の非戦論の代表的論説「吾人は飽くまで戦争を非認す」の一文を石に刻み「非戦の碑」として、秋水の墓がある市内正福寺境内に建立する計画を進めています。

いまこそ「反戦平和の原点」である秋水の非戦論に立ち返り、平和を愛し守る日本国民のシンボルにしたいと考えています。

多くの方のご賛同とご支援に期待してします。


高知新聞「声ひろば」投稿
2020.7.28

202007281028318fd.jpg

チラシ完成版

疑問 高知大学寮

高知新聞記事によれば、高知大学寮ではコロナ対策で2人部屋をなくすため、1人8万円を払って出ていってもらっているという。

私は大学時代、前期寮4人部屋、後期寮2人部屋だった。ともに自治寮で運営は自分たちでおこなっていた。同じ釜の飯を食った仲間との生活は一番の思い出であり、寮生活がなかったならば大学生活の色は淡く薄いものであったろう。

校歌は紙なしでは歌えないが、寮歌はいまでも全部そらんずることができる。みんなの顔が浮かび、涙がにじんでくる。当然ながら、卒業後の交遊が濃く続いているのも寮生である。

今回問題なのは、相部屋を容認し現に住んでいる寮生同士を切り離し、追い出しているとみられること。個々人や補償金額の問題ではない。寮生全体の意思として大学の要求を受け入れたのかも気になる。

個室なら卒業すればいやでも体験できる。相部屋の共同生活は学生時代にしかできない貴重な体験、青春の特権であり、人生における教育機能のようなものである。相部屋がダメというなら、極論すれば恋人・夫婦・家族だって同じということにもなるだろう。

高知大学側の措置はやりすぎであり、「角を矯めて牛を殺す」ものであると思う。

高知新聞記事 → https://www.kochinews.co.jp/sp/article/370361

「青のり」と「あおのり」

アオノリといえばかつては四万十川の代名詞であった。天然スジアオノリがたくさんとれた。アオノリ漁は、四万十川の冬の風物詩であった。

しかし、近年はトンと採れなくなった。主たる原因は水温が高くなったこと。地球温暖化で海水温が上がっているので、河口に近い汽水域に育つアオノリはその影響をもろに受ける。

さらに、四万十川では、2009年、河口の砂州が消失し、いまだ復元されていない。このために塩分濃度の高い海水が以前に比べて大量に川に流入し、生態系の微妙なバランスが崩れてしまった。このため、アオノリが採れるポイントが上流に移動し、狭くなってしまった。

私は2016年、この現状をこのブログに書いている。
→ http://hatanakamura.blog.fc2.com/blog-entry-236.html

かつては全国生産量の70%くらいを占めていた四万十川のアオノリは、そのトップシェアの地位を、徳島県吉野川河口の養殖アオノリに奪われてしまった。

しかし、最近は吉野川の養殖アオノリのほうも収穫量が激減している。そのため、市場に出る量が少なくなり、異常なほどの高値がついているそうだ。

アオノリはそのかぐわしい香りの良さから、ご飯、お好み焼き、焼きそばなどのふりかけに使われているが、生産がこれだけ減少すれば、ふりかけメーカーとしては原料確保がむずかしくなっている。そこで、あの手この手の対策を考えているようだ。

広島市にふりかけのトップメーカー三島食品がある。三島食品は、四万十川のアオノリを大量に買い付けしていたことで有名であった。いまは吉野川のその調達の主力を移しているが、それでも最近は十分な量が確保できなくなっているそうだ。

そこで、ついにアオノリの中での最も香が良いスジアオノリを入れた主力商品で青色でデザインしていた「青のり」(226円)の販売を休止した。

代替商品として品質が落ちるウスバアオノリとヒラアオノリを混ぜた商品「あおのり」を薄緑色にデザインをしたパック(同価格)に入れて販売を始めた。代替商品の包装裏には「三島食品の青のりファンのみなさまへ」という次のメッセージを書いるそうだ。

「 三島食品が 品質に自信をもってお届けしてきた すじ青のりを 伝統の青いパッケージで作る事ができなくなりました。国内産地での記録的な不漁が続いた為です。陸上養殖をふくめ原料確保につとめていますが、しばらく時間がかかりそうです。その間、今できる精一杯の青のりを準備しました。でも待っていてください。必ず帰ってきますから。 」

三島食品は2015年から高知県室戸市でスジアオノリの陸上養殖を始めているが、今年からは広島県福山市でも始めたそうだ。

そんな記事が地元中国新聞に書かれているのを見つけた。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6366081

アオノリの中でもスジアオノリが一番の高級品であるが、そのスジアオノリの中でも養殖ではなく天然ものが最高品である。それが採れるのが四万十川である。

四万十川のスジアオノリこそ、帰ってきてほしい。

秋水「非戦の碑」建立計画

来年2021年は幸徳秋水生誕150年(11月5日)・刑死110年(1月24日)にあたる。

幸徳秋水を顕彰する会では、毎年1月24日の秋水命日(刑死日)に墓前祭を行っているが、10年きざみの節目の年には、規模を大きくした記念事業に取り組んでいる。

直近では、2011年の刑死100年には、四万十市(行政)と一緒に1年間を通した記念事業に取り組み、幸徳秋水シンポジウムや大逆事件サミットなどを開いた。サミットは、その後も全国各地に引き継がれ、今年10月には第5回が神戸市で開かれることになっている。

来年は、刑死110年が生誕150年と重なることもあり、記念事業の目玉として秋水二つ目の顕彰碑を建立することを計画している。

いまある顕彰碑は、秋水刑死70年記念事業として1983年、市内為松公園に建立したものであり、秋水が死刑判決を受けた日、獄中で書いた漢詩「区々成敗・・・」を刻んでいる。われわれはこれを絶筆碑と呼んでいる。

秋水絶筆碑 1983年建立 為松公園

この碑の除幕式は1983年1月24日の墓前祭の日に行い、記念講演は塩田庄兵衛先生におこなってもらったのだが、その夜、何者かがこの碑にセメントを塗り込んだ。

翌朝早く公園管理者は発見し、セメントがまだ固まっていなかったので、水で洗い落とすことができ、ことなきをえた。犯人は不明だが、当時は右翼団体のいやがらせもあったので、そうした人物によるものと思われている。

いまではそんな「事件」はなくなったが、世の中の不穏な動きはそのころより増しているよう思う。不穏な動きとは、日本が再び戦争をはじめようとする動き。

第2次安倍政権になってからはそれが顕著で、5年前には、憲法九条の解釈改憲によって安保法を成立させ、日本を「戦争ができる国」に変えてしまった。さらに、明文改憲に執念をみせている。

幸徳秋水が日露戦争に反対した非戦論は「反戦平和の原点」である。戦後それが結実したのが憲法九条である。いまこそ、秋水の非戦論に立ち返り、憲法九条を守らなければならない。

そんなことから、今度の秋水顕彰碑には秋水の非戦論の文章を刻むこととした。日露開戦前夜、秋水が創刊間もない平民新聞に書いた論説「吾人は飽まで戦争を非認す」(1904年1月17日)の中の次のフレーズを引用する。

吾人は飽まで戦争を非認す
之を道徳に見て恐る可きの罪悪也
之を政治に見て恐る可きの害毒也 
之を経済に見て恐る可きの損失也
社会の正義は之が為めに破壊され
萬人の利益は之が為めに蹂躙せらる
吾人は飽まで戦争を非認し 
之が防止を絶叫せざる可らず

建立場所は秋水墓がある浄土宗正福寺境内。佐藤嘉辰住職が快く場所を提供してくださった。

建立除幕式は来年2021年11月3日(文化の日)を予定している。秋水誕生日が11月5日なので、その直前の休日であり、かつこの日は1946年、日本国憲法が公布された日である。

実は、この日は明治天皇の誕生日であり、戦前は明治節とされていた日である。
そんな因縁のある日ではあるが、だからこそ、「非戦の碑」の除幕にはふさわしいと思う。

建立にかかる費用は約300万円。秋水顕彰会会員をはじめ広く協力寄付金を募ります。ぜひ、多くの方のご支援をよろしくお願いいたします。1口=5千円を目安としていますが、それ未満でも結構です。振込先は次のとおり。

ゆうちょ銀行 一六九支店
当座 0009071
名義 幸徳秋水を顕彰する会

振込口座は、チラシにも書いています。

チラシ完成版

「非戦の碑」は単に秋水だけの記念碑ではなく、平和を愛し守る国民総意のシンボルにしたいと思います。

ぜひ、多くの方のご賛同と、ご支援をよろしくお願いいたします。

20200721152608354.jpg
高知新聞2020.7.19


小田原市長公約 10万円

「市民を守るコロナ対策 ひとり10万円」はウソだった。

5月17日投票の神奈川県小田原市長選挙で当選した守屋輝彦氏(新人)が選挙公報(選挙管理委員会発行)に載せた「市民を守るコロナ対策 ひとり10万円」の公約が問題になっている。

テレビ、新聞でもさかんに報道されている。

→ https://www.tokyo-np.co.jp/article/40427

この選挙は4期目をめざす現職の加藤憲一市長に新人の守屋輝彦候補が挑んだもの。ともに無所属だが、加藤市長はいわゆる市民派で、特定の政党・企業・団体をもたずに、草の根の市民運動をバックにしていたのに対し、守屋氏は自民党の推薦を受けた元県会議員であり、自民・公明両党や、各種企業・経済団体等の推薦、支援を受けていた。

加藤市長は「あなたと拓く小田原の未来 歩みを止めない!」を前面に出して、たたかった。

私は加藤さんの実績と人柄を知っているので、きびしい選挙ではあるが、負けることはないだろうと思っていた。

加藤さんは、私と同じく「脱原発をめざす首長会議」の会員であり、2年前からは会の世話人(代表)をつとめてくれている。2014年、小田原で同会総会を開いた際には、私も参加し、大変お世話になった。

→ http://hatanakamura.blog.fc2.com/blog-entry-70.html

小田原市は、自分たちの手でエネルギーをつくっている。市民参加・出資による事業体をつくり、各所に太陽光パネルを設置している。小学校の屋上にも置かれていた。「エネルギーから経済を考える経営者ネットワーク会議」もつくられていた。

市民の力を引き出し、市民の手で市政をすすめる。

加藤さんの政治哲学・理念は市民の間に広く浸透、支持を受けていた。だから加藤さんは選挙に強かった。3期目は無投票であった。

そんな加藤さんに選挙で勝つためには、並みの方法でだめだ。守屋陣営はあの手この手、使える手はなんでも使った。市民を惑わすポスターを貼り、ビラを次々にまいた。

選挙では、コロナの渦中のため、公開討論会は開ける状況ではなかったし、主催しようという団体も出てこなかったにもかかわらず、加藤さんがさも討論会を拒否しているように書いたビラもまいた。

「コロナ対策 ひとり10万円」もその中の一つであったが、普通のビラではなく選挙公報に書いたものだから、効いた。

選挙結果は、守屋輝彦37,245票、加藤憲一36,701票 
その差わずか 554票

新市長のイスに座った守屋氏は、最初の議会で、この公約について追及されたのに対し、「これは国からの10万円支給の手続きを迅速に進めるという意味」「書くスペースが少なかったため、誤解を招く表現になった」「だますつもりではなかった」と弁解した。

しかし、これは明らかな確信犯である。だれが読んでも、市独自に10万円支給してくれると思う。

現に、多くの市民が独自に10万円が出るものと思ったと証言をしている。
票差の554人以上の人が、だまされたことは確実であろう。

TV番組でも、この問題を各局が取り上げている。しかし、私が不満なのは、ただ10万円問題をおもしろおかしく取り上げるだけで、選挙がどういう実態だったのか、このウソの公約がなかったならば、加藤さんが4選を果たしていたということまでは、突っ込んでいないことである。

市民の間では、うその公約の選挙は無効であり、守屋氏は責任をとって辞職すべき、さもなければリコール運動をおこすという動きもでているようだ。当然である。こんな市長、良識ある小田原市民にとっては恥であろう。

しかし、辞任をする気はさらさらないようである。なぜならば、批判を覚悟のうえで、勝つためにやったのだから。

人の噂も75日と、こうした候補者は、選挙を愚弄している。選挙民はだませばいいと思って、バカにしている。

勝ちさえすればいい選挙をやる者は強い。人間の弱さ、もろさを知っているから。私も選挙を2度経験しているので、このことは身に染みている。

国政においても、いまの政権はウソで固められているのに、選挙では強い。

市民や国民がもっと主体性をもって政治に参加する、政治は自分たちのものであることを自覚しなければならない。

加藤さんは小田原で、このことを実践し、着実に実績をあげてきたのに、最後は足元をすくわれた。

加藤さんが蒔いた種は広がっている。
小田原市民の奮起に期待したい。
プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
フェイスブック(FB)もしています。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR