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正代(しょうだい)

きょう大相撲秋場所で初優勝した関脇正代関の大関昇進が決まった。正代関は熊本県宇土市出身で、熊本県出身力士としては初めての優勝だったそうだ。

熊本県といえば、初代知事(県令)が中村出身の安岡良亮であり、明治9年、神風連の乱で斬られ殉職した。良亮は幸徳秋水の母のいとこであり、その死は秋水の運命に影響を与えたことは有名な話である。私は4年前、熊本市花岡山にある良亮の墓を訪ねた。

また、大方町(現黒潮町)生まれで旧制中村中学を出た作家上林暁は熊本五高に進んでおり、熊本が第二のふるさとと書いている。

正代という四股名は本名(正代直也)だという。めずらしい名前である。

正代という名前で私が一番にひらめくのは正代焼(正岱焼)という焼き物の里。熊本県の最北、福岡県堺の南関町を中心に荒尾市にも窯元がある。10軒くらいか。

焼き物が好きな私は、以前福岡に転勤していた時、何度か訪ねたことがある。高速道路の南関インターを降りてすぐのところである。正代焼という名前は、正代山という名前の山のふもとにあるから、ついたとか。ネットで調べると、正代という人名は熊本県が一番多いというから、正代山に由来するのではないだろうか。

正代焼の特徴は、藁灰、木灰などと長石を混ぜてつくった釉薬(灰釉)を使っていること。主に皿、茶わんなどの生活雑器であり、民芸風のやさしさがある。私は斑唐津に代表されるような灰釉の焼き物が好きである。

正代焼の窯元の一つに瑞穂窯というのがあり、ちょうど初めて訪ねたのが窯出しの日であり、たくさん買った。

その後、東京に戻ってから、銀座を歩いていたら、熊本物産館があって、そこにも正代焼がたくさん置いてあり、なつかしかった思い出がある。

いま大相撲は危機的な状況にあると思う。この秋場所は横綱2人(白鷗、鶴竜)がけがで休場し、横綱不在となった。

大相撲は興行であるから、看板になる横綱がいないと様にならない。横綱の土俵入りを見られないのに、お客さんからお金をとるのははばかられるというものだろう。

しかも、横綱2人の年齢は30代半ばであり、力のピークは過ぎている。だからケガも多い。さらにモンゴル出身ということで、日本人が求める横綱の風格には遠い。これについては批判も多いが、日本人でない以上やむをえないと思う。

相撲協会は営業政策上、日本人の横綱を早くつくりたいのだろうが、期待と言う下駄をはかせて横綱にしたという感じの稀勢の里は重責に耐えられず、簡単に崩壊してしまった。

白鷗、鶴竜の引退は時間の問題であるから、早く次の横綱をつくらなければならない。そのためには、まず大関から育てなければならない。

ということで、最近は大関の粗製乱造である。過去の時代ならば、大関になれないような成績でも、簡単に昇進させている。ここ3年以内では、高安、栃ノ心、貴景勝、朝乃山である。

このうち、高安、栃ノ心はすでに大関を陥落。その前の大関の琴奨菊、照ノ富士もいまは下で相撲をとっている。豪栄道は陥落が決まったので引退した。

そんな中での正代の大関昇進である。

正代はおっとりしていて、顔もアンパンマンのようで、正直、強そうなオーラはない。年齢も大学相撲出身(東京農大)で28歳と決して若くはない。

誰しも大関昇進の時は、それなりの勢いがある。しかし、昇進後は、そんなにうまくはいかない。みんな壁にぶちあたっている。

そんな中、最近にはない大器晩成型の正代は、案外トントンと行くかもしれない。
期待をしてみよう。熊本出身だし。

半沢直樹

TBSドラマ「半沢直樹」第2作の放送(全9回)が終わった。

7年前、「倍返し」の言葉が流行語になり、半沢現象といわれるような一種の社会現象になったように、今回も放送前から話題を呼び、前作同様、高い視聴率(最終回は32%)を獲得したようだ。

半沢直樹は銀行マン(東京中央銀行。今の三菱UFJ銀行がモデルだとすぐわかる)。私も都市銀行とは業態が違うが、現役時代、農林中央金庫に勤めていたので、このドラマには興味があり、前作、今作ともに全放送を見た。

結果は大変おもしろく、痛快であった。半沢が銀行内の不正や社会悪に敢然と挑戦する展開は、水戸黄門ばりの痛快時代劇を見るようであり、エンターテイメント性、抜群であった。

しかし、第1作と2作では、私の受け止め方はだいぶ違う。

第1作は、銀行の内情がリアルに描かれていた。原作者の池井戸潤は三菱銀行に勤めていたので(私より10歳若い)、銀行の仕組み、内情を自ら体験しているだけあって、銀行員でしかわからないような、仕事のやりかたの機微にふれた描写は、生々しかった。銀行員しか使わない専門用語も多く出ていた。

私も半沢と同じく、企業融資を結構長く担当していたので、企業との日常的なつきあいの仕方、融資判断から与信管理、回収まで、どこまでが真実で、どこまでが脚色をしているかがよくわかった。

大蔵省検査はMOF検といって、みんな恐れていた。日常業務そっちのけで対応に追われた。私も検査官のヒアリングを受けたことがあるが、ドキドキ冷や冷やだった。幹部、上司ほど緊張をしていた。

過剰に、かつコメデータッチで描かれていたとはいえ、片岡愛之助演ずる黒崎検査官が恐れられていた姿は真実である。

総じて第1作は、銀行の内情が丁寧に描かれていた。

しかし、第2作は、銀行の真実から離れたオーバーアクションが過ぎた。エンターテイメントとしてみるしかなかった。(それでも面白かったが)

前半は半沢が出向している子会社の証券会社(セントラル証券)が舞台で、企業買収(M&A)がテーマであった。

私は原作を1冊も読んだことがないのでわからないが、池井戸が三菱銀行に勤めていた1988~1995年ころには、企業買収案件は銀行でも証券でも、まだそんなに多くはなかったのではないか。だから、この部分は原作から離れたオリジナル脚本ではないかと推察する。

展開が早く、ドラマチック過ぎて、へきえきするぐらい。

後半の帝国航空再建で、政治家と対決するに至っては、刑事物語になってしまった。あんなところまで一介の若い銀行員がかかわることはありえない。

第2作では、歌舞伎の舞台のように設定されている場面が多かった。半沢のまわりにはやたらに人が多く群がっていた。

おそらく、第1作で歌舞伎役者の片岡愛之助を使って、予想外に受け、話題を呼んだので、それに悪乗りして、ドラマ全体を歌舞伎の舞台風に演出したのであろうが、いかにもお芝居という感じで、現実離れしていた。市川猿之助を使ったのも、2匹目のどじょうを狙ったのであろう。

1,2作を通して気になったのは、銀行の内部を描くことはいいとして、人事問題がいたるところに出てきて、銀行員にとっては人事がすべてというふうに描かれていたこと。

サラリーマンにとっては、人事は誰もが気になるところであることはその通りである。しかし、ドラマのテーマが、銀行の社会的役割から、さらに広げて社会的正義にまで大ぶろしきを広げていたのに、核心的な場面でチンケな人事問題が出てくると(瀬戸内海の小島の企業に出向させるゾ~、など)、ガクッとしてしまう。また、出向=左遷と決めつけていたのも笑えた。(出向には「栄転」の出向もたくさんあるのに。)

半沢にしても、第2作では出向先のセントラル証券から論功行賞で銀行本体の戻されるときには、破顔一笑であった。

ドラマの核心テーマと、人事という卑属な問題とのギャップは最終回まで一貫していた。

また、政治の舞台裏が描かれていたが、女性の建設大臣が正義感から老獪な幹事長(自民党二階幹事長を彷彿とさせた)に反旗を翻すという場面は、そんなことはありえない、そらぞらしいお芝居であった。

若い半沢が銀行頭取を託されるというエンデイングは、ことここに極まれり。

第1作はリアルでハラハラドキドキだったけれど、第2作はオーバーアクションの歌舞伎お芝居を客席から見た感じであった。

それでもエンターテイメントと割り切ってみたので、最近のドテレビドラマでは一番楽しめた。

岬めぐり

私が属している四万十市の観光ガイド組織「LOILOIしまんと」(ロイロイは幡多弁でウロウロするという意味)は、結成2年であり、みんな経験が浅い。幡多の観光地としては足摺岬や竜串・見残しがある土佐清水市が先輩である。(四万十川が観光で知られるようになったのは最近のこと。)

そこで、25日、四万十市の7名は土佐清水市の観光ガイドの技を学ぶために視察研修にでかけた。5つのポイント(場所)を案内してもらうことにした。

朝9時、竜串の観光案内所前に集合。

最初は、グラスボートに15分ほど乗り、湾の向いの半島、見残しへ。ガイドは大町さん(女性)。「見残し」とは弘法大師が見残して残念がったといういわれがある。私は竜串までは最近も結構来ているが、見残しへ渡るのは約40年ぶり3度目。

しかし、前夜の雨で海底が濁り、残念ながら売りの一つ、海中のサンゴはよく見えなかった。

船を降り、波打ち際の遊歩道を歩く。竜串、見残しの見どころは奇岩。地殻変動と波の浸食でつくられた自然の造形。見残しは女性的で、網の目のような穴があいた岩があたり一面。夫婦岩、人魚岩、蜘蛛の巣城、鼓岩など。

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コースの半分で引き返し、船で戻る。今度は竜串海岸全コースをぐるりまわる。こちらは男性的で、有名な大竹、小竹など、沖に棒のように突き出した岩が特徴。

ベテランガイドの大町さんは、説明のポイントを心得ている。岩の特徴もおもしろ、おかしく例えを示して、質問を交え、説明してくれる。一方的にはしゃべらないので、聞く側も記憶に残る。ゆっくり、おっとりと。

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次は足摺半島へ。途中、清水の街中の「あしずり食堂」で昼食をとってから、足摺のジョンマン像前で合流。

岬のガイドは森田さん(女性)。展望台からは、地球は丸いことが実感できる。太平洋のパノラマ。私はいつもなら、向かいの絶壁、天狗の鼻にお客さんを連れて行くのだが、森田さんは灯台コースを選んだ。こちらは当分の間、来ていなかったので、よかった。灯台の高さ18m、大正3年開設。ロケット型。

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足摺岬は昭和30年代、田宮虎彦の小説「足摺岬」と映画で有名になった。青年が自殺をするために岬を訪れる物語のため、かつては自殺の名所として有名になった。以前は、灯台付近には「ちょっと待て」の看板が立っていたが、いまは見ない。しかし、飛込みはいまでも時々あるようで、ごく最近も男子大学生が・・・と聞いた。

38番札所金剛福寺→白山洞門(足湯から眺める)へと案内を受ける。

ガイドは男性の浜田さんに替わり、半島の尾根にある唐人駄馬に向かう。スカイラインを登る。ここは3年ぶり2回目。

足摺半島は花崗岩の塊である。花崗岩は軽いので、長い年月をかけ地殻変動や風雨で石が割れ、溶け、地表が水に流されると、地表に浮き上がり顔を見せる。ここらあたりは、その花崗岩の石が集中している。まるで古代人が運んだように。

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道路が通るふもとには縄文人が住んだ跡があるので、巨石群は祭祀のシンボルにされたことであろう。

浜田さんは、地質学をよく勉強されておられる。ブラタモリに来てもらえばぴったりの舞台。

最後は山を下り、臼碆(うすばえ)へ。黒潮が日本で最初の接岸(ぶつかる)岩場として知る人ぞ知るポイント。きょう私が一番行きたかったところ。約40年前に来たことがあるが、絶景ポイントがどこだったのかわからなくなったので。

林を抜け、長い階段を降りると海のすぐそばに竜宮神社がある。その場所が絶景ポイントだった。ああ、ここだったのか。

黒潮が接岸するのは、時間帯、季節によって違うので、この日は残念ながら見えなかった。しかし、午後5時を過ぎていたので、夕暮れ迫る岩場は幻想的なムードを醸し出してくれた。

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浜田さんは、いろんな質問に答えてくれた。やはりガイドがいるといないのでは大違い。自分たちも、きょうの3人のような、喜ばれるガイドにならなければならない。

私は案内してもらった5カ所にはすべて来たことがあったが、ガイドのおかげで、まるでは初めてのところのような新鮮さがあった。

最後は、竜宮神社で7人が一人一人が一日の感想と浜田さんへのお礼を述べてから、駐車場へ引き返し、解散した。

初秋の晴天下、ぜいたくな岬めぐりを満喫させてもらった研修となった。



いきいき百歳体操

私が住んでいる実崎では、毎週水曜日午前10時から、集会所で「いきいき百歳体操」を行っている。毎回10人前後の高齢者が参加している。

主催は実崎地区健康福祉委員会。今年から私はこの会の役員(事務局長)になったので、毎回参加している。

健康福祉委員会とは、四万十市が2012年度から開始している事業で、高齢化が進む中、地域住民が住み慣れた地域で支え合い、自立し、安心して日常生活ができるような地域づくりを行うことを目的としている。市が各地区単位での結成をすすめ、現在は市内ほぼ全地域につくられている。

健康福祉委員会では、1.組織活動事業、2.介護予防・健康推進事業、3.支え合いの地域づくり事業、などに取り組んでおり、それぞれの事業に対し市から委託費(補助金のようなもの)が支給される。

実崎では、主に高齢者向けの介護予防、健康推進事業として、いきいき百歳体操に取り組んでいる。

この体操は高知市健康福祉部が開発したもので、いまは県内だけでなく広く全国に普及し、有名になっているようだ。専用のDVDがつくられており、テレビ画面のインストラクターがやるのをまねてすればいい。

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体操のメインは筋力運動。日常生活の動作に必要とされる筋力をアップさせる。腕、足、腰、首など。高齢になっても、立ち上がり、転ばない歩行ができるように。

私はいま67歳で、参加者の中では若手であり、大半が75歳以上、中心は80歳台である。

私は、最初は、どうせ年寄り向けの体操だろうと軽くみていたが、とんでもない。40分間みっちり、鉄アレイなども使ってやるので、じわり汗も出てくる。最後は、のども乾き、は~は~息が荒くなるくらいにきつい。

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体操には、高齢者だけでなく誰でも参加できるのだが、常連さんの高齢者に固定化されている。みんな私よりも前から参加している。

なぜ、飽きもせず続けて参加しているだろうか。一番は、体操が楽しいからだ。まず、体操と一緒にゆっくり流れる童謡の音楽がいい。「鳩ぽっぽ」「蝶々ちょうちょ」「どんぐりコロコロ」など。誰もが知っており、気持ちがいい。心も軽くなる。

また、インストラクターもいい。庶民的で好感がもてる男女の先生。龍馬さんのぬいぐるみも登場する。

40分があっという間だ。

終わった後は、輪投げで遊ぶ。

そのあと、お茶会。ウーロン茶、ジュース、コーヒーなどを大きいサイズのペットボトルで買ってきて冷蔵庫に入れているので、それを取り出して、駄菓子を口にいれながら、おしゃべり。

あの人はこうした、どうしたなど、地区のいろんな話がでてくる。見守りに役立つ。貴重な情報交流。

11時半ごろまでには解散。また来週。

実崎には75歳以上がいま32人いる。この中には、施設に入っているか、通っている(デイサービス)人が7人いる。

いきいき百歳体操に参加しているのは最大15人くらい。まだまだ農業の現役で、体操どころではない人もいるので。

無理をせず、押しつけをせず、参加者をふやしていくことが課題ということ。一番の目的は地域のまとまりをつくること。

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報道自由度ランキング


世界報道自由度ランキングというのがある。

「国境なき記者団」(Reporters Without Borders, http://en.rsf.org/ )という世界の報道の自由や言論の自由を守るために、1985年にパリで設立された世界のジャーナリストによるNGOが、世界180か国と地域のメディア報道の状況について、メディアの独立性、多様性、透明性、自主規制、インフラ、法規制などの側面から客観的な計算式により数値化された指標に基づいたランキングをつけている。
→ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A0%B1%E9%81%93%E8%87%AA%E7%94%B1%E5%BA%A6%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0

日本が一番高かったのは民主党鳩山政権時代の2010年の11位。しかし、第2次安倍政権になってから大きく低下、2016、17年が72位、今年2020年は66位である。

世界の上位は北欧諸国(1位ノルウェー、2位フィンランド、3位デンマーク)。アジアでは韓国42位、台湾43位であり、日本より高い。(アメリカ45位、中国177位、北朝鮮180位)

1~14位 「良好な状況」
 ~47位 「満足できる状況」
 ~110位 「顕著な問題」
 ~157位 「困難な状況」
 ~180位 「深刻な状況」

と区分評価している。
日本は「顕著な問題」を抱えている国とされているのだ。

日本の多くの国民は、日本は報道の自由が保障をされた国と思っているのではないか。この事実はほとんど知られていない。なぜならば、当事者である日本の報道機関が自分のことは報道しないからである。

第2次安倍政権は7年8か月に及んだ。長期政権ゆえに多くの弊害を残したが、その一つがマスコミ(報道)統制であった。

高市総務大臣はテレビ局に対し電波法をちらつかせ圧力をかけた。古館伊知郎、国谷裕子などの有名ニュースキャスターの交代が続いた。

国政選挙に対しては「公平な報道」を求めた。政権を批判するな、というプレッシャーでる。これにより、選挙中、選挙報道が少なくなり、国民の選挙への関心をそらし、投票率の低下を招く要因となった。結果として組織票をもつ自民党、公明党が有利になった。投票率を低下させる安倍政権の作戦は成功した。

政府は特定秘密法も強行した。

報道統制を仕切ったのは菅官房長官である。今回、後継首相になったことについて、アメリカの報道機関からは「日本のマスコミ報道を委縮させた人物」と指摘された。

特に顕著なのはNHKである。政府の広報機関になってしまった。政府を批判する報道は抑制し、忖度を繰りかえす。菅政権に移行したばかりのいまは、歯が浮くほどの期待を促す報道が目立つ。実際は「安倍なきアベ政権」なのに。

ジャーナリズムは「社会の木鐸」であり、権力の横暴を監視し、批判することにその最大の使命がある。日本のジャーナリズムはいま瀕死状態にある。報道の自由度ランキングがそれを示している。

自助・共助・公助

きょう16日、国会で新総理に菅義偉氏が選任された。7年8か月続いた安倍政権がやっと終わったと思ったら、後釜には安倍政権を支えてきた元官房長官の菅氏が座り、安倍政権の継続を看板に掲げているのだから、これでは全く変わり映えしないし、期待もできない。新閣僚の顔ぶれも続投が多い。アベ政治は続く。

菅新総理は3人による自民党総裁選挙(石破、岸田と)において、自分がめざすスローガンとして「自助・共助・公助」を掲げた。

私はこれを見てぞっとした。体に寒気が走った。

「自助・共助・公助」とは、東日本大震災以降、よく使われるようになった防災用語である。

災害はいつやってくるか、わらない。だから、普段から、いざというときは、まず自分で判断してすぐ逃げるなど、自分の命は自分で守る(自助)ようにしなければならない。「津波てんでんこ」という言葉があるように、津波の時は家族が離れていても、それぞれがバラバラに、まずは逃げること。

次に、避難のさいは、隣近所や一緒に住む地域の人々が助け合わなければならない。頼りのなるのは遠い家族より近所の人たち、という言葉もある。日頃から近所の人たちとは仲良くしておくと、いざというとき助け合える。地域にまとまりがあるところは、防災においても力を発揮する。共助=地域の防災力である。

最後が公助である。避難所の運営や救援物資の手配などは、行政に頼らざるを得ない。一番身近なのは市町村であり、次に県や国がかかわってくる。国は国家予算の配分なども決める。

このように「自助・共助・公助」は、いまや防災用語として浸透しているが、この言葉を使うのは主に個人個人の戒めとして、地域の集まりやなどで使われる。いざというときは、行政は頼りにならないので、自分の命はまず自分で守ろうと。これは当然のことである。

しかし、一国の総理がこの言葉を防災対策に限定しない政治スローガンとして使うとなると、意味は全く異なってくる。

国民一人一人の生活は、誰の力も借りず、まず自分で行いなさい(自活)。それが難しい場合は、まわりのみんなと一緒に助けあいましょう。それでもダメな場合は国が助けてあげます。国が面倒を見るのは最後の最後だから、それをわきまえておいてくださいよ。それまでは自己責任ですよ。

私にはこう聞こえる。冷たく突き放した言葉として。

菅新総理も深くかかわったアベノミクスは弱肉強食の政策であった。社会を分断し、強いものはますます強くなり、弱いものは切り捨てられていった。規制を撤廃し、どんどん競わせていく。新自由主義ともいう。安倍政権のもとで、日本の中の貧富に格差は大きく広がった。

私は菅氏の政治家としての感性を疑う。

歴代自民党の政策の基本は自己責任である。歴代の政策がそうである。

しかし、その本音を隠し、いかにも国民みんなのことを平等に考えていますよというふうにカモフラージュし、だましてきたのが、歴代政権である。

それなのに、菅氏はある意味正直に本音をストレートに言っている。それでは反発を買うのではないだろうか。

それとも、私のような受け止めをする者は少数者であろうか。

政治家安倍晋三も相当に強引な政治をやり怖さを感じたが、それでも「おぼっちゃんあがり」の軽さが丸見えであった。

政治家菅義偉には、何を考えているのかわからない不気味さを感じる。

台風の思い出

台風9、10号が立て続けにやってきたが、九州西の東シナ海を北上したため、日本には大きな被害はなかった。特に10号では、過去に例をみない最大級の規模として、大騒ぎをした割には、肩透かしを食らった形になった。(韓国、北朝鮮は直撃であった)

私は地元に帰ってきて12年になるが、この間、幸いにもこれと言った台風被害がない。何度か、道や田んぼが水に浸かったことはあったが、たいしたことはない。

昔から、ここらは台風銀座と言われ、今の季節台風が来るには日常茶飯事であった。たびたび、付近に上陸した。

しかし、最近は台風の接近が少なくなった。今回は九州の西を通ったし、最近は土佐湾の沖を通り抜け、関西や関東方面に上陸するケースが多い。地球温暖化による海流温度の変化のためだという報道もあるが、どうなのか。

この季節、台風が来てくれないのも寂しい気がする。

というのも、子供のころの台風が近づいてくる時の胸の高まり、ゾクゾク感がなつかしいからだ。

子どもは台風を歓迎した。なによりも学校が休みになる。

遊びも増える。竹を切って風車をつくった。堤防の上に立ち、風上に向ければ、プロペラがブンブン回った。川は濁流で水位が高くなっていく。怖いというよりも、スリルでドキドキした。

大人たちも台風を楽しんでいた。ここらでは8月の盆までには稲の刈り取りを済ませるため、田んぼが浸かってもかまわない。

水が引いたあとの田んぼの水たまりには、逃げ遅れた鯉やフナがウロウロ。それを手でつかみとる。

川の淵には、ウナギが逃げ込む。長い竹の先に針にミミズを餌にして入れると、面白いようにウナギがかぶりつく。ズズグリ漁と言った。普通の竿でも、チヌなどが釣れた。

川辺には上流から木々や竹などのゴミが流されてくるが、その中には使える材木や板なども混ざっていた。それをあさる。

そんな刺激的で楽しい思い出ばかりだが、昭和38年8月の9号台風は心底、恐ろしかった。私が小学校5年の時だ。

川の水位がドンドン上がり、いつもと違う。大人たちの顔色が変わった。このままでは堤防が切れる。父は土砂降りの中、当時家で飼っていた牛を墓がある山の上に引っ張って行った。

夜になった。朝まで堤防がもつかどうか。家が流されるかも。2階で、ドキドキしながら、なかなか寝付けなかった。

知らぬ間に寝てしまい、朝、目が覚めると、家はそのままあった。ホッとした。少し上流の古津賀の堤防が先に切れたと聞いた。古津賀の人には申し訳ないが、そのおかげで八束は助かったのだ。

9月になり、学校が始まると、たくさんの衣類など救援物資が全国から届いていた。八束の被害は大きくなかったのに、中村など上流の被害が大きく報道されたためである。あの物資はどうなったのだろう。

大人になると社会的視野も広がり、まわりの事態も客観的に見える。台風のおそろしさを頭で受け止めることができるようになる。

中村市が合併で四万十市になった年、2005年(平成17年)9月、台風14号も約40年ぶりの規模であった。この時は、中村から上流、大川筋、西土佐で多くの住宅が浸水した。

私がいま住んでいる家には両親が住んでいた。玄関先まで水が来て、1階の畳を2階に上げた。私はその時大阪にいたが、リアルタイムの電話でドキドキした。

ここらでは洪水のことを「水が出る」と言う。
この時以降、大きな水は出ていない。

この年になると、このままであってほしいと思う。
プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
フェイスブック(FB)もしています。

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