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報道自由度 

世界の報道自由度ランキングというのがある。

報道の自由や言論の自由を守るために世界のジャーナリストが設立したNGO「国境なき記者団」が世界180か国と地域のメディア報道の状況について、独立性、多様性、透明性、自主規制、インフラ、法規制などの側面から客観基準で数値化した指標によりつけた順位である。

日本が一番高かったのは民主党鳩山政権時代の2010年の11位。しかし、第2次安倍政権になってから大きく低下し、2016、2017年が72位、今年2020年は66位である。(韓国42位、台湾43位より低い。) 

日本人の多くは、日本は報道の自由が保障されている国と思っているのではないか。この事実はあまり知られていない。当事者である日本の報道機関が情報を流さないからだ。

7年8か月という長期に及んだ第2次安倍政権は、格差拡大、公文書改ざん、解釈改憲(集団的自衛権)などとともに、報道統制という「負の遺産」を残した。

高市早苗総務大臣はテレビ、ラジオ局に対し電波法の許認可権をちらつかせた。古館伊知郎、国谷裕子などの有名ニュースキャスターの交代が続いたことは記憶に新しい。

報道統制を仕切ったのは菅官房長官(当時)である。後継首相になった際、アメリカのメディアからは「マスコミ報道を委縮させた人物」と評された。

政府は各テレビ局のニュース、報道番組を細かくチェックしており、「問題」があれば、有形無形の圧力をかけていることは、公然の事実である。そこに、政府への「忖度」が生まれる。

特に顕著なのがNHK。いまや政府の広報機関になっている。

いま問題になっている日本学術会議委員の任命拒否問題についても、それがはっきりと表れている。

NHK報道の看板は夜9時からのニュースウオッチ9。この問題が発覚した時は、有馬嘉男キャスターが「政府は反対意見をも受け止める度量が必要」などと、珍しく踏み込んだコメントを言っていた。

しかし、その後この問題が世論を巻き込んだ大問題になってくるに従い、トーンダウン。いまでは両者の言い分などをなぞる報道をするだけで、「丁寧な説明が必要」「国会でしっかり議論をしてほしい」などど、実質ノーコメントであり、政府への忖度の姿勢がありあり。

有馬氏個人にすれば、最初のような政府にきびしいコメントを言いたいのだろうが、番組制作上層部からの圧力(方針)でそれが言えないもどかしさが顔に現れている。

昨夜(29日)の同ニュース、およびそのあと続く「クローズアップ現代」も、現場スタッフの苦悩が現れた編集であった。

NHKは、今年9月末まで日本学術会議の会長であり、今回拒否された6人を含む105人の委員を推薦した山際壽一氏(元京都大学学長)への単独インタビューをおこなった。山際氏は、学術会議が数年前、委員の欠員補充をしようとしたさい、首相官邸(杉田副官房長官)はこれを拒否し、面会、説明を何度も求めても応じなかった、という先例を生々しく証言していた。

しかし、NHKは、一方で、政府の対応を認める憲法学者もいるとして、百地章氏(国士舘大学客員教授、日本大学名誉教授)のコメントを紹介。「個人としての学問の自由は侵害されるものでない」。

百地氏は、皇位継承問題では男系維持を主張するなど、いろんな場で、政府を擁護する「札付き」の「御用学者」であることは有名である。今回の問題で百地氏と同じ主張をするような憲法学者はほとんどいない。「超少数派」だ。

また、2人のNHK記者は、どっちつかずのあいまいな解説をして、せっかくの山際氏のインパクトのある話の印象を薄めていた。

政府に忖度した、帳尻り合わせであることは、はっきりしている。

安倍政権から菅政権に替わり、ますます報道統制は強化されるであろう。これを変えるには、選挙でまともな政権に交代をさせる以外にない。

ビキニと核兵器禁止条約

核兵器禁止条約が国連加盟50か国で批准され、来年1月から発効することになった。核兵器の開発・製造が違法とされる時代、核と人類が共存できない時代に入った。歓迎したい。

10月17日、近藤謙一監督映画「我が友・原子力―放射能の世紀」が黒潮町あかつき館で上映された。

近藤監督がフランスでつくった映像で、すでにフランス、ドイツではTV放送されているが、日本では初公開。これから全国を巡回上映する予定という。

なぜ、ここが初公開地に選ばれたのか。

高知県幡多地方では、幡多高校生ゼミナールなどが中心となって、長年、ビキニ水爆実験の被災漁船調査を続けており、被災船員による国家賠償訴訟もおこしているからである。国に対して核実験による被災救済を求める裁判をおこなっているのは、世界の中でここだけ。世界から注目をされている。

これまで、原発、フクシマを扱った映画は何本もつくられている。また、ビキニ調査の映画やTV報道も。しかし、それらは別々のテーマとして。

「我が友・原子力」はこれらのテーマを一本にまとめたことに価値がある。フクシマ、ビキニだけでなく、ヒロシマ・ナガサキ、フランスのラジウムガール(時計の蛍光塗料に使うラジウムによって工場女性労働者が被災)も取り上げている。

アメリカでは、フクシマのトモダチ作戦に参加した空母乗組員も被災。その証言も紹介。

要は、核兵器も原発も同じ原子力(放射能)であり、人体、人類を破壊するという点では同じであり、「我が友」=逆説語なのだ。

上映会には渡辺監督とともに、ビキニ裁判原告団も登壇し発言。会場との意見交換、交流をおこなった。

上映会は、核兵器禁止条約発効を見越しての企画であった。主催、太平洋核被災支援センター(山下正寿事務局長)。

条約発効により、時代は新しいステージに入った。唯一の被爆国としての日本政府の姿勢への世界の注目度も、である。

にもかかわらず、加藤官房長官は、相も変わらず、核兵器廃絶へのアプローチの仕方が違うので、日本政府は批准できないと弁明。世界最大の核保有国アメリカへの忖度ばかりである。

また、核保有国と非保有国との間の「橋渡し」役をおこなうと繰り返し言っている。勝手な方便である。

それならそれで、どんな橋渡しの取り組みをしてきたのかと問いたい。何もしていないではないか。

仮に橋渡しをするにしても、自らの土台(立場)は非核ということではっきりさせないと、土台があいまいなままでは、活動のしようがないではないか。

今回、気になったのは、NHKまでもが「今後は橋渡しとしての日本の役割が世界から求められることになる」と日本政府へのヨイショ解説をしていることである。

唯一の被爆国として、まず非核への決意を鮮明にすること。そのことによってこそ、世界からの信頼を得られる。日本は他国にはないそのチャンスをみすみす放棄している。

NHKがその免罪のための橋渡し論を言うようでは、報道の役割の自己否定である。政府の広報機関に墜してしまったことを示している。

そんな日本ではあるが、核兵器禁止条約の発効は、ビキニ裁判にとって追い風になる。全国からの支援をお願いしたい。

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大阪都構想 2

11月1日、大阪市の運命を決める住民投票まで残り5日となった。大阪市民のみなさんが大阪市を歴史から抹殺してしまわないよう、賢明な選択をしてくれることを祈っている。

世論調査では、1,2か月前は「賛成」がかなり上回っていたが、直近では僅差ないし「反対」がわずかに多くなっている、と報道されている。

これまでは、「なんとなく」「ムードで」、維新の会の甘言に乗せられていたものが、いよいよ投票が近づき、まじめに考えるようになれば、どうもおかしい、インチキ臭いということがわかってきた。維新のメッキが剥がれてきたようだ。

いろんな識者の発言も出てきている。

1. 仮にも行政を簡素化するのならば、一番身近な単位の市町村を残すのが地方自治の原則だ。本末転倒。(宇都宮健児・弁護士)

2. 実態は都構想ではなく区構想。都をつくるのではなく、大阪市を4つの区に格下げするのが実態。住民の権利権限は縮小される。(前川喜平・元文部科学省次官)

3. 大都市行政の今後の在り方としては、大阪のように政令市を廃止するのではなく周辺自治体を取り込んだ上で、道府県のほとんどの権限を移譲してもらうやり方もある。吉村洋文知事と松井一郎市長は「自分たちの人間関係で成り立っている『府市一体』を都構想で制度化する」としている。しかし、新しい4人の区長が同じ党派になるとは限らないし、区長が常に知事に従う関係は地方自治ではない。「身近な特別区」は名ばかりで、知事による中央集権になる可能性が高い。(片山善博・元鳥取県知事)

この通りだと思う。

行政改革、目に見える改革といっても、市民にとってどんなメリットがあるのかわかりにくいし、実感がない。

だからであろう。維新は苦し紛れに「大阪の発展を止めてはならない」などと、漠然とした経済のほうに話をもっていっているようだが、維新が府政・市政のトップについてから豊かになったという実感はないし、この間の大阪の経済指標は全国平均よりも低い。

どっちにしようか迷っている人もいるであろう。しかし、もし大阪市をなくしてしまえば、二度と元に戻すことはできないが、維新の側は、今回が二度目の住民投票であるように、手を変え品を変え、またチャレンジすることができる。迷っている人は、今回は反対としてほしい。

いずれにせよ前回同様、僅差であろう。

後悔先に立たず。大阪市民のみなさん、くれぐれも維新の会にだまされないように。

大阪都構想

11月1日、大阪都構想の是非を問う、第2回目の住民投票がおこわわれる。

私は12年前、地元にUターンして来る直前の4年半は大阪市民だったこともあり、この問題の行方には強い関心をもっている。

私が大阪市民だったころには維新の会というような政治団体は存在しなかったのに、いつの間にか橋下徹という変なヤツが現れアッと言う間に勢力を拡大してしまった。「身を切る改革」などと、耳障りのいい弁舌で、大阪人を扇動し、まるでヒトラーが登場してきた時のように。

大阪都構想は維新の会の看板政策であり、レーゾンデートル(存在意義)のようなもの。政令指定都市の大阪市と大阪府の二重行政の無駄を解消しようというものだが、その内容は漠然としたものであり、具体的イメージはだれも(維新自身も)もっていない。空想が独り歩きしているようなものだ。

都構想なるものは、維新の会の党勢拡大のための壮大なプロパガンダなのだから、具体的中身はないのである。住民投票の結果にかかわらず、名称は大阪府のままであり、大阪都になるわけではないのも、わかりにくい。

政令指定都市なら、大阪市だけでなく、横浜市、名古屋市、札幌市など、全国にたくさんある。二重行政が問題であるというのなら、ほかでも都構想が議論になりそうなものである。しかし、よそではそんな動きはまったくない。

大阪は維新の会の発祥の地であり、一定の影響力をもっているためという、大阪特有の現象なのだ。

大阪はかっては日本の経済の中心地であったのに、いまは東京にその地位を奪われてしまったことへの、ひがみや郷愁に対して、大阪人のプライドをくすぐり、また、うっぷんのはけ口として、耳障りがよいように聞こえるのである。

市民の間で、二重行政で困っているから、市と府を一つにしてくれというような要望や運動があるわけではない。普通、住民投票というものは、何かに不満のある住民がおこすものである。

今回の住民投票は、維新の会が上から押しつけたものである。しかも、4年前の住民投票は反対多数で決着がついている。

それを、案を少し変更しただけで(5区を4区に、など)、基本枠組みは変わっていないにもかかわらず、再度住民投票をやるというのは、ありえないことである。

もう一つ重要なのは、二重行政を解消するというのなら、大阪府をなくすのが筋である。憲法で定められた地方自治制度においては、地方自治の基本単位は市町村である。市町村は基礎自治体と言われている。

都道府県は国と市町村の中間的存在であり、建物で言えば中二階と言われるように、中途半端な存在である。どちらかと言えば、国に近く、国の出先のような機能・役割を果たしている。現に都道県知事の半数以上は総務省(旧自治省)など国の官僚出身者が占めている。本来なら、都道県のほうが不要な存在である。

大阪市がなくなれば、いまの大阪市の一般財源の3分の2は大阪府に吸い上げられてしまう。4つの区民が自由に使える財源は3分の1に減るのである。

大阪市は130年の歴史をもっている。昭和初期のころには「大大阪」と言って、東京市よりも人口が多かった。

長い歴史の中で積み上げてきた有形無形の貴重な大阪の資産をなくしてしまっていいのか。

一部の大阪市民は、維新の会の巧言にだまされ、二重行政が解消すれば、なにか生活がよくなるというような幻想を抱いているようだ。

しかし、もしそうなれば、大きな混乱の中で、市民サービスなどは確実に低下するであろう。こんなはずではなかったと、あとで後悔しても、元には戻らない。

大阪市のみなさんが、賢明な選択をすることを祈るばかりである。

国鉄中村線 2

国鉄中村線

10月1日、鉄道が中村に着いてから50年になった。

私が初めて汽車に乗ったのは小学校低学年のころ窪川から。中村から急行バスに揺られ途中で吐き気をもようし、バス備え付けの洗面器の世話になった記憶がある。

鉄道が佐賀まで来たのは小学5年の時で、6年の修学旅行は土佐佐賀駅から高知市方面へ。お城、桂浜、五台山、県議会、柳原の遊園地、大丸、日章飛行場、杉田ダム、龍河洞などへ行った。田舎の小学生にとって高知はドキドキの大都会であった。

高校になって高知に出たが、まわりには幡多弁がわかりにくかったようで何度も笑われた。幡多は当時「陸の孤島」と言われていた。私にはいやな言葉で蔑称と感じだ。

高校3年の時、待望久しかった鉄道が中村に着いた。これで高知と対等になった、高知に負けるもんか、と心底うれしかった。

しかし、国鉄中村線は赤字路線として国鉄分割民営化に合わせわずか18年で廃止され、地元自治体が受け皿としてつくった第三セクター土佐くろしお鉄道に移管された。

その後も人口減少に加え、高速道路の延伸等により、厳しい環境が続いているが、幡多人にとって鉄道は「誇り」であり、特別の意味がある。幡多の「希望」をつなぐレールは絶対に維持存続しなければならないと思う。


声ひろば
2020.10.10

国鉄中村線












国鉄中村線

1970年10月1日、鉄道(国鉄)が中村に着いてから50年になった。

中村駅で記念のパネル展をやっているので見て来た。最初の列車が中村駅を出発するさいに駅に集まった群衆の多さ。みんな手旗を振っている。幡多にとって鉄道は名実ともに悲願であった。

当時、私は高知市の学芸高校3年生であった。高校の寮にいたので、中村に帰るのが楽しみで、冬休みが来るのが待ち遠しかった。

いよいよその日、それまで終点であった土佐佐賀駅から先に伸びたレールの上を走るときはドキドキであった。青く光る佐賀の海が飛び込んで来た。東大方→上川口→浮鞭→入野→西大方と進み、後川の鉄橋を渡り、右にカーブすると、いよいよ中村だ。感動は最高潮に達した。

当時、中村に汽車が来るなんて夢のまた夢であった。高知市から遠い幡多は「陸の孤島」言われていた。それまではとても考えられなかった高知市への日帰りが可能になった。

小学校6年生の時の修学旅行の行先は高知市方面であった。貸し切りバスで佐賀まで行き、列車に乗った。高知はドキドキする大都会だった。お城、桂浜、五台山、龍河洞、杉田ダム、日章飛行場などに行った。

高校を出てから、大学、就職は東京であり、帰省のさいはいつも中村線にお世話になった。

転機は、1988年、中曽根内閣の時の国鉄の分割民営化。これに合わせて、中村線はわずか18年で廃止路線になった。地元自治体は受け皿として第三セクターの土佐くろしお鉄道をつくり、移管を受けた。

当時、その後つながった予土線のほうの赤字がはるかに大きかったため(今もそうだが)、予土線が廃止になり、中村線は残るのではないかと言われていたが、結果は、予土線は四国循環線であるため残り、窪川から盲腸のように伸びていた中村線が切られ、がっくりした。

中村線は当時の全国の国鉄路線の中では、赤字額はそう多いほうではなかったが、窪川までが土讃線で、中村は乗り換えなしの延長線なのに、当時の中村市長が「中村」の名前にこだわり、窪川~中村間を「中村線」としたたことが裏目に出て、切り捨てられる口実を与えた形になった、と言われていた。

第三セクターになってからも特急はJRと相互乗り入れなので、利用する側の見た目に変わらないが、年々赤字が累積してきているいまとなっては、地元自治体の財政負担は膨らんでいる。

赤字は、自助努力を超える部分は、高知県が半分、地元の幡多6市町村と四万十町が半分を負担するルールとなっている。四万十市の負担額が一番多い。

今年度はコロナの影響で利用者が激減しているので、赤字が過去最大になることは必至である。

一方で、高速道路のほうはドンドン伸びてきているので、鉄道利用者はさらに減少していくことであろうし、人口減が続く中、今後の見通しに明るい材料はない。

自治体は期成同盟会をつくり高速道路延伸に力をいれているが、一方を建てれば、もう一方の足を引っ張る。自分で自分の首を絞めているようなものである。

しかし、かくいう私も最近はマイカーを使って、列車に乗ることはめったになくなった。

早晩、鉄道の廃止問題の議論が出てくるだろうが、公共の足としての鉄道は絶対になくしてはいけない。50年前のあの感動を忘れてはいけないと、自分に言い聞かせている。

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今こそ幸徳秋水の「非戦論」を

今こそ幸徳秋水の「非戦論」を

       幸徳秋水を顕彰する会 事務局長 田 中 全  67歳


いま日本のジャーナリズムは瀕死状態にある。いや、すでに死んでしまっているのかもしれない。ジャーナリズムは「社会の木鐸」であり、その最大の使命は権力の横暴を監視、批判することにあるはずである。にもかかわらず、安倍晋三政権の下、報道は政権におもねり、忖度を繰り返してきた。まるで権力の飼い犬のように。

現在がそんな状況だからこそ、権力に立ち向かった一人のジャーナリストを紹介したい。幸徳秋水である。

日露開戦の前年、1903年、「ロシア撃つべし」と新聞、世論が沸騰する中、幸徳秋水は堺利彦、内村鑑三とともに開戦論に転じた「萬朝報」を10月決然と退社、翌月堺と平民新聞(週刊)を創刊した。

秋水は燃えるペンで非戦論を展開した。「戰爭と道德」「兵士を送る」「戰爭の結果」「戰死者の遺族」「戰爭と新聞紙」「嗚呼増税」「列國紛爭の眞相」「戰時と非戰論」など。名文としても知られている。

1904年1月17日の代表的な論説には、次のフレーズがある。

 吾人は飽まで戦争を非認す
 之を道徳に見て恐る可きの罪悪也 
 之を政治に見て恐る可きの害毒也 
 之を経済に見て恐る可きの損失也 
 社会の正義は之が爲めに破壊され 
 万民の利福は之が爲めに蹂躙せらる 
 吾人は飽まで戦争を非認し 
 之が防止を絶叫せざる可らず

秋水は18 71年11月5日、高知県中村(現四万十市)に生まれた。土佐の自由民権の空気を吸って育ち、中江兆民に師事し、新進ジャーナリストとして活躍。自由・平等・博愛・平和を掲げ闘ったが、政府の激しい弾圧で「大逆事件」の首謀者に仕立て上げられ、1911年1月24日、39歳で刑死した。 

秋水の非戦論は反戦平和の原点であり、戦後、永久平和・戦争放棄の日本国憲法9条として結実した。

しかし、戦後75年たった今、安倍政権は解釈改憲によって安保法を成立させ、日本を「戦争ができる国」に戻してしまった。菅義偉新政権も安倍路線を受け継いでいる。

来年2021年は幸徳秋水生誕150年(刑死110年)になる。「幸徳秋水を顕彰する会」(事務局四万十市)では、これを記念し、先のフレーズを石に刻み、「非戦の碑」と呼んで、平和を愛し守る国民総意のシンボルにしたいと願っている。

建立場所は秋水墓がある浄土宗正福寺境内(四万十市)、時期は秋水の誕生日にあわせ、来年11月の予定。

費用に充てる寄付金を募集しています。詳しくは「幸徳秋水を顕彰する会」ホームページをご覧ください。

(秋水の論説にある旧字体は新字体に改めました。=編集部)

、「週刊金曜日」2020.10.2  「論考」

金曜日    金曜日


プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
フェイスブック(FB)もしています。

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