英霊たちの叫び

 きょう8月15日は、二度と戦争をしてはいけないと誓う日。今年はことさらその思いを強くした。このほど、ある戦没兵士の日記を読んだ、からだ。

その本は、花井睦編『父が残した戦場日記 ― ニューギニアから故郷土佐へ』。
父とは、隣町、大方町(現黒潮町)早咲の農業、倉橋一美さん。昭和16年10月召集され、18年1月、東部ニューギニア戦線で「戦死」。28歳。

倉橋一美さんには、2人の子どもがいた。召集当時4歳であった上の女の子が睦さんで、父の日記を今年3月、自費出版した。

一美さんは高知144連帯の大本営直轄部隊「南海支隊」軍馬係(馬の世話)であった。坂出港から輸送船に乗り、小笠原→グアム→ラバウルを経て、17年8月、東部ニューギニア、バサブアに上陸。ジャングルの中で、連合軍(アメリカ、オーストラリア)との戦闘を繰り返した。日記は、高知入営直後から書き始められ、飢えとマラリヤで野戦病院付近で餓死したと思われる、その直前まで綴られている。

日記はあるアメリカ兵が戦利品として持ち帰り、戦後の昭和31年、大方町の遺族のもとに届けられた。日記はずっと知られずにいたが、3年前、高知新聞連載「祖父たちの戦争」(南海支隊の生き残り兵士の記録)を機に、注目を集め、今回、全容を公開したものである。

 先の戦争への出征兵士の手記や日記はほかにもたくさんあるが、この日記の特徴は、日本に早く帰りたい、家族に会いたい、子どもに会いたいという、正直な気持ちが赤裸々につづられていること。お国のためという勇ましい記述もないし、戦闘の細かい記録もない。戦争をうらむこともない。ただ、早く帰りたい、の繰り返し。最後は食べるものがなくなり、飢餓の極限状態、地獄絵になったことも。以下、日記より・・・

 「子供の写真を出してみる。たびたび出すので汚れてきた。新しい写真が見たい。」
 「子供も大分多くなり、また変わっていると思う。早く帰り、抱いてみたい。」
 「いよいよいやになった、早いこと帰りたいねや。」
 「あの船に乗って帰れるのなら、何も言うことはないが、帰りたいねや。一日に二、三十ぺん、帰りたいと言い暮らすな  り。」
 「近日、どうもたびたび治子(妻)の夢を見る。前夜も見る。これといってとりとめることのできない夢なれど気になる。病気 でもしているのではなかろうか。」
 「遠く離れていると今さらながら、妻の有り難さがひしひしと胸にこたえてくる。帰ったら無理も言うまい。無茶なこともすま い。仲良う昔の新婚当時のような気持ちで、一生、惚れて惚れられて暮らしていきたいと思う。」
 「子供たちのオトウサンと呼ぶ声が早く聞きたい。懐かしき妻子の喜ぶ顔を思い、早く帰りたく思う。」
 「いつ話しても食う話のみ。さみしい心になったものだ。何度見ても、写真見飽かず。子供の顔見たし。どんなに大きくな っていることかしらん。いつになれば見ることができるのか・・・見たし見たし。」
 「生きて帰らんで、愛する妻子が待っていてくれるに。子供の写真を見ると
 、どんなことがあるとも命だけは取りとめて帰らねば。母様よ妻よ子ら、神様に頼んでくれ、元気で帰れるよう。」
 「前夜、イナゴを採り熱して食う。何でも、トカゲでも、草の芽、木の芽、食わん物がない。これほど飢えて、死んでも死に 切れるものか」
 「腹いっぱい何でも食いたし。治子よ、俺が万一のことあれば墓へ飯を祭ってくれ。・・・・子供のこととうちのことを頼む」

  そして、最後に(1月15日)・・・字はほとんど判読できない。
 「いよいよ後送(撤収)あり。今まで一生懸命に辛抱したけれど、足が今、立たず。一生懸命やるつもりなれど分からず。 戦友吉村君に頼み下る(残る)。財布の中に種あり、また南瓜の種あり、形見と思い植えよ。後のこと願う。皆元気で一  生懸命、家のことと子供のことを頼む。子供見たし。」・・・戦友吉村君も日本に帰って来なかった。


 藤原彰著『飢死(うえじに)した英霊たち』(2001、青木書店)によると、太平洋戦争による日本人死者は約300万人(軍人約230万人、民間人約70万人)。軍人のうち、約6割は飢死や飢えによる病死であったと推測している。その原因は、補給無視、過度の精神主義、降伏禁止・自決強要など、人命軽視の日本軍隊の特性にあった。

 きょうも安倍内閣の閣僚らが靖国神社に参拝をした。みな口々に「祖国のために戦った英霊たちの御霊に捧げたい」と言っている。しかし、その「英霊」たちの多くは、華々しく散ったのではない。飢えと病気で、あえぎもがいて果てたのだ。帰りたい、家族に会いたいと、ひたすら念じつつ・・・

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 8月7日、上川口小学校(黒潮町)夏休み登校日の「戦争体験を聞く」に、神奈川県から帰省中の花井睦さんも参加。2年前、高知県南海支隊戦友遺族会で、はじめて東部ニューギニアを訪ね、70年ぶりにお父さんに会ってきたことを話されていた

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Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

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