原発は地域のプライドを奪う
脱原発をめざす首長会議主催「講演会&対談」が終わった。9月6日、四万十市320人、7日、高知市250人が参加し、両会場ともいっぱいであった。2人の講師の話は、自らの闘いの経験に基づくものであるため、迫力と説得力があった。
村上達也前茨城県東海村長(首長会議世話人)は、原発立地全国22市町村(54基)の首長経験者でただ一人、脱原発を公言されている、勇気ある人である。4期16年村長を務めたが、在職中の1999年、JCO(核燃料加工施設)臨界事故があり、国県の判断を待たず、独断で住民避難を行なった。以来、国のへの不信感を募らせていたところに福島原発事故。国は真実を隠し、ウソばかりつく。日本は原発開発の技術はもったが、それをコントロールする社会をシステムを構築することができない国である。

「原発は地域のためにならない」「疫病神」「一炊の夢」・・・「原発は地域のプライドを奪う」。地方の自然や文化にこそ本当の豊かさがある。なのに、原発マネーはそのすべてを吸い取ってしまう。安倍政権は民意無視、強権型で突き進んでいる。真の豊かさとは何か。「化け物」に依存する社会から脱却して人間性の回復を図らなければならない。
島岡幹夫元窪川原発反対町民会議代表(元窪川町会議員)は、もとは大阪府警の警察官で、地元に帰って農家を継いでからもバリバリの自民党員だった。窪川町は農畜産業と林業のまち。四国一の食糧基地。「たかだか20~30億円の税収に目がくらみ、耐用年数30年程度の原発のために、2000年続いてきた農業を犠牲にするのは愚の骨頂」と、自ら進んで原発反対のリーダーになった。
「ふるさと会」を組織し、勉強会を重ね、また伊方にも乗りこんで独自調査を行ない、原発が地域を疲弊させている実態を知る。原発推進派町会議員を切り崩し、反対派を多数とすることにより、町長を辞任に追い込んだ。島岡さんは、当時原発推進派だった町民からも、フクシマの後は、あなたのおかげと感謝されている。

対談の司会は私がおこなった。会場からも、明神照男明神水産会長(カツオ船船主)から三陸沖の海の汚染について、山下正寿さん(元高校教師)からはビキニ核実験の放射能汚染データの隠ぺいはフクシマでも続いている、と発言があった。閉会挨拶は、ともに首長会議会員の久保知章元三原村長(四万十市会場)、高瀬満伸前四万十町長(高知市会場)が行なった。
講演会は4か月前から準備した。4月26日、脱原発首長会議総会が神奈川県小田原市で開かれ、私は参加した。そこで、村上さんに声をかけた。そのあと、島岡さんにも快諾をえた。脱原発をめざして運動している人々、「原発をなくす高知県民連絡会」と「脱原発四万十行動」には共催団体として協力をいただいた。また、行政の高知市、四万十市および両教育委員会からは後援をもらった。
私の地元、四万十市では市広報誌にチラシを折り込んでもらった。四万十市会場のほうが参加者が多かったのはそうしたこともあるだろうが、伊方原発に近いのは県西部(四万十市までは50キロ)であり、不安を身近に感じているからだろう。もし、窪川原発ができていたらと思うとぞっとする。立地予定場所は、南海トラフ巨大地震による津波が直撃する、まさにその地点である。
伊方の再稼働は絶対にやめてもらわないといけない。また、先日の高知新聞連載「四万十川と核」でも取り上げられたように、県西部はいまでも核廃棄物処理場の候補地として密かに狙われ続けているのだ。
今回は、ふだんこの種の集会等には来ないような顔ぶれが多かったように思う。伊方の隣、愛媛県八幡浜市からの参加もあった。これを機に、脱原発のうねりがさらに大きくなることに期待したい。
今回ご協力をいただいたすべての皆様にお礼を申し上げます。
なお、この「講演会&対談」は、後日、ブックレッド形式の報告書として出版を予定しています。

村上達也前茨城県東海村長(首長会議世話人)は、原発立地全国22市町村(54基)の首長経験者でただ一人、脱原発を公言されている、勇気ある人である。4期16年村長を務めたが、在職中の1999年、JCO(核燃料加工施設)臨界事故があり、国県の判断を待たず、独断で住民避難を行なった。以来、国のへの不信感を募らせていたところに福島原発事故。国は真実を隠し、ウソばかりつく。日本は原発開発の技術はもったが、それをコントロールする社会をシステムを構築することができない国である。



「原発は地域のためにならない」「疫病神」「一炊の夢」・・・「原発は地域のプライドを奪う」。地方の自然や文化にこそ本当の豊かさがある。なのに、原発マネーはそのすべてを吸い取ってしまう。安倍政権は民意無視、強権型で突き進んでいる。真の豊かさとは何か。「化け物」に依存する社会から脱却して人間性の回復を図らなければならない。
島岡幹夫元窪川原発反対町民会議代表(元窪川町会議員)は、もとは大阪府警の警察官で、地元に帰って農家を継いでからもバリバリの自民党員だった。窪川町は農畜産業と林業のまち。四国一の食糧基地。「たかだか20~30億円の税収に目がくらみ、耐用年数30年程度の原発のために、2000年続いてきた農業を犠牲にするのは愚の骨頂」と、自ら進んで原発反対のリーダーになった。
「ふるさと会」を組織し、勉強会を重ね、また伊方にも乗りこんで独自調査を行ない、原発が地域を疲弊させている実態を知る。原発推進派町会議員を切り崩し、反対派を多数とすることにより、町長を辞任に追い込んだ。島岡さんは、当時原発推進派だった町民からも、フクシマの後は、あなたのおかげと感謝されている。



対談の司会は私がおこなった。会場からも、明神照男明神水産会長(カツオ船船主)から三陸沖の海の汚染について、山下正寿さん(元高校教師)からはビキニ核実験の放射能汚染データの隠ぺいはフクシマでも続いている、と発言があった。閉会挨拶は、ともに首長会議会員の久保知章元三原村長(四万十市会場)、高瀬満伸前四万十町長(高知市会場)が行なった。
講演会は4か月前から準備した。4月26日、脱原発首長会議総会が神奈川県小田原市で開かれ、私は参加した。そこで、村上さんに声をかけた。そのあと、島岡さんにも快諾をえた。脱原発をめざして運動している人々、「原発をなくす高知県民連絡会」と「脱原発四万十行動」には共催団体として協力をいただいた。また、行政の高知市、四万十市および両教育委員会からは後援をもらった。
私の地元、四万十市では市広報誌にチラシを折り込んでもらった。四万十市会場のほうが参加者が多かったのはそうしたこともあるだろうが、伊方原発に近いのは県西部(四万十市までは50キロ)であり、不安を身近に感じているからだろう。もし、窪川原発ができていたらと思うとぞっとする。立地予定場所は、南海トラフ巨大地震による津波が直撃する、まさにその地点である。
伊方の再稼働は絶対にやめてもらわないといけない。また、先日の高知新聞連載「四万十川と核」でも取り上げられたように、県西部はいまでも核廃棄物処理場の候補地として密かに狙われ続けているのだ。
今回は、ふだんこの種の集会等には来ないような顔ぶれが多かったように思う。伊方の隣、愛媛県八幡浜市からの参加もあった。これを機に、脱原発のうねりがさらに大きくなることに期待したい。
今回ご協力をいただいたすべての皆様にお礼を申し上げます。
なお、この「講演会&対談」は、後日、ブックレッド形式の報告書として出版を予定しています。
