殿様も大変

 中村の殿様も水害には悩まされたという話。

9月27日、私も会員である、西南四国歴史文化研究会(通称よど)主催の歴史講演会が公民館で開かれた。四万十市文化祭事業の一つ。テーマは「四万十市の歴史と山内家資料」、講師は山内資料館横山和弘氏。

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中村の支配は、一條氏 →長宗我部氏 →山内氏、と変遷する。関ヶ原の戦いのあとは、山内氏が入国し、土佐藩(初代一豊)の支藩として中村藩(初代康豊。一豊弟)がおかれた。

山内家資料館(高知市)には約6万7千点の歴史資料等が保存されている。土佐藩の西の拠点だった中村にかかわるものも多くある。その中の一つ「歴代公紀」。各殿様(藩主)の時代のできごとの記録である。

中村藩3代忠豊、寛文6年(1666)の記録。
土佐一国中、大風雨、洪水、高潮にみまわれた。「御入国以来之損亡」、「前代未聞之大水」「前後五度之洪水」「中村及大破」「中村莫大之損亡、笑止千万無申計候」・・・

「損失帳」によれば、損田24,700石、損米22,230石(中村藩石高3万)、井川破損1,200ヶ所、流家潰家2,037軒、流死人37人、流牛馬579疋・・・

城があった為松山麓の侍屋敷一帯にも「不残棟ヲ一面二水押申候」。殿様屋敷(いま中村高校手前あたり)も同様で、忠豊は近くの寺に避難したが、その寺の裏山が崩れ大変なことになった・・・と。

中村の町は、四万十川(当時は渡川)と支流の後川、中筋川の合流点のデルタ上にあるため、町の歴史は川の氾濫の歴史である。「歴代公紀」には、寛文9、12年にも洪水があったと記されている。

四万十川の本格的な治水事業は昭和4年から始まる。
8月に開かれた「中村百年写真展」では多くの水害の写真が展示されていた。明治以降では、昭和10年の洪水が最も大きかったとされている。しかし、その時、死者はでなかった。今年夏の出水も大きかったが、幸い人的被害はなかった。ここらの人々は川との付き合いの仕方が身にしみている。対応に慣れている。
・・・しかし、ゆめゆめ油断することなかれ、である。

なお、中村藩は5代豊明(通算)が、将軍徳川綱吉の怒りに触れ、元禄2年(1689)、全領没収になり、本藩(土佐藩)に吸収された。

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    明治44年洪水

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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

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