潮は山迄

川は津波を増幅して呼び込みます。
高知県が発表した南海トラフ巨大地震による津波浸水予想図(本市最大震度7、津波高26.7m)によると、津波は四万十川を遡上し、本流は具同、入田、後川は安並、岩田あたりまで浸水します。

にわかには信じられません。この予想図は、「次に起こる地震津波を想定」したものでもなく、「何年に何%という発生確率を念頭」においたものでもなく、「発生頻度は極めて低い」ものの、最新の研究などの知見に基づき最悪ケースを想定したもの、とされるからです。

では、その可能性はないのか?というと、あるのです。「千年に一度」の地震がそれです。
約百年ごとに繰り返される南海地震の歴史では、何回かに一度「どでかい」のがあります。都司嘉宣(つじよしのぶ)先生によると、昭和地震(1946年)は「小粒」、安政地震(1854年)は「標準」、宝永地震(1707年)は「特大」でした。
宝永がその「どでかい」ヤツでした。宝永地震直後、土佐藩士奥宮正明が被害を記録した「谷(こく)陵記(りょうき)」には、いまの市内の状況を次のように書いています。

下田・・・亡所、潮は山迄、山際に家具ばかり残る。
鍋島・・・竹島、井沢、小津賀(こつか)、潮は田丁、窪田は海となる。
中村・・・地震に三分の二家倒る。潮は田丁、窪田迄。
佐岡・・・潮は田丁迄。
右山・・・潮は田丁残なし。
坂本・・・潮は香山寺麓迄。
山路・・・潮は田丁迄、木戸は家尽く流れ、窪田は海になる。
真(さね)崎・・・潮は山迄、田丁不残(のこらず)海になる。
深木、間崎、津蔵渕・・・潮は山迄、田地中・半(なかば)海になる。
初崎・・・亡所、潮は山迄、一木一草残りなし。

小津賀(古津賀)、真崎(実崎)は旧字。「田丁」は普通の田、「窪田」は低地の田のこと、「亡所」は集落が跡かたもなく流された状態です。
まさに今回の浸水予想図どおりではありませんか。

私は、昨年7月、東北の被災地を視察に行きました。最も衝撃を受けたのが石巻市を流れる北上川下流域の惨状でした。同川では、河口から上流12キロ付近まで、堤防決壊や津波の越流で住宅や農地が浸水しました。
北上川下流域は四万十川とそっくりの地形。被災状況も今回の四万十川浸水予想図とまるで同じです
生徒の7割、74人が犠牲となった大川小学校は河口から上流5キロ地点。四万十川でいえば、八束小学校と同じ位置でした。大川小学校にも裏山がありました。「潮は山迄」駆け上がっています。

繰り返しますが、昭和21年の南海地震は「小粒」でした。「小粒」でも、中村の町のほとんどの建物は倒壊をしました。鉄橋も崩れました。

次の南海地震は、前回地震のエネルギーが残っているため、宝永地震クラスの「どでかい」ものになることを想定しておかなければなりません。

今年の秋には、県からさらに詳細なデータに基づく津波浸水予想図が示されることになっています。
しっかりと対策に取り組む必要があります。

「広報四万十」2012年7月
「市長談話室」
写真は今回貼り付け

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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
幸徳秋水を顕彰する会事務局長。
FB(フェイスブック)もやっています。

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