孤島の太陽 荒木初子

9月19日、沖の島に初めて行って来た。
幡多は広い。香川県とほぼ同じ面積である。私は5年前、40年ぶりに中村に帰ってきたが、幡多にはまだ行ったことがないところ、知らないところがたくさんある。幡多を知らずして幡多を語る資格はない。そこで、以前から行ってみたいと思いながら、これまで行けなかった沖の島を訪ねた。
船の定期便は宿毛市片島港から1日2往復(片道1時間20分)。朝の便に乗り、夕方の便で帰るという日帰りだったが、島のあちこちを回ることができた

DSCN4712.jpg     DSCN4729.jpg     DSCN4736.jpg

どうしても行きたいところがあった。それは、荒木初子さんの生家だ。荒木さんは、高知県の島駐在保健師(当時は保健婦と呼んでいた)として1949~1967年、献身的な活動をされた方だ。
衛生指導、生活指導を地道に行ない、診療所の医師らと一緒になって、風土病であったフィラリアも撲滅した。助産婦の資格ももっていた。島では赤ちゃんの死亡もゼロになり、「日本のマザーテレサ」とも呼ばれた。漫才師・横山やすしのお母さんが島に里帰り出産したさい、取り上げたのも荒木さんだった。
その献身的な仕事が認められて、1967年、第1回吉川英治文化賞を受賞した。同賞は、讃えられるべき業績をあげながらも、目立たず報われない人・団体が対象。(今は、この夏の四万十市民大学の講師でみえた柳田邦男さんらが審査員になっている。)

DSCN4766.jpg     DSCN4744.jpg     DSCN4751.jpg

当時、作家・伊藤桂一が荒木さんを取材して『沖ノ島よ 私の愛と献身を』を書き、これをベースに映画「孤島の太陽」(1968年、日活)もつくられた。
映画の荒木さん役は、「おはなはん」で人気絶頂だった樫山文枝。ロケは、荒木さんの生家のある沖の島弘瀬集落を中心に行なわれた。島民もエキストラで大勢参加した。その頃、私は高校生だったが、原作を読み、映画もみた。
この映画は、四万十市が昨年の秋企画をした「映像の幡多上映会」でも幡多が舞台になった映画4本のうちの一つとして上映した。

DSCN4752.jpg     DSCN4757.jpg     DSCN4745.jpg

荒木さんは生涯独身で1998年、81歳で亡くなったが、親御さんと暮らした生家が弘瀬に残っている。いまは空家となっているが、「孤島の太陽記念館」として、表彰状や新聞記事などの関係資料が展示されている。隣人が管理し、昼間はだれでも入れる。
最近は訪ねる人も少なくなったが、先日は、鹿児島から若い女性が来ていましたと、管理の方が言われていた。いまでも、全国の保健師の間では伝説的な先人として知られているのだ。
四万十市役所にも、保健師は10人いる。市民の健康を守る重要な仕事だ。
四万十市は、いま保健・医療・福祉連携事業に力を入れている。昨年からは、「活き活き訪問健診」といって、市民病院の医師も一緒に地域を訪問し、健康診断と指導を行なっている。高齢化が進む中、このような取り組みはますます重要になってきている。

DSCN4770.jpg     DSCN4769.jpg     DSCN4772.jpg

沖の島弘瀬には、「あったかふれあいセンター」があり、高齢者が集い、支え合いの取り組みをおこなっていた。少し、おじゃましてみた。
こんな話も聞いた。戦争中、昭和20年8月には、全島民が宿毛の奥、橋上の野地に強制疎開させられた。船に木々の笹をかぶせ、敵に見つからないようにして渡ったが、1週間後終戦になり、すぐに帰ってきたという。中村で私が知っている方のお姉さんもおられた。
昭和30年代には、島の人口は3千人を超えていたが、いまは200人を切っている。高齢者が元気で暮らし続けられるように、どこも同じ課題をかかえている。

DSCN4738.jpg     DSCN4802.jpg     DSCN4805.jpg

島の集落は弘瀬と母島の二つに分かれているが、それぞれが江戸時代は別の国だった。弘瀬が土佐藩、母島が宇和島藩。国境紛争が絶えなかったが、明治になってから全島が高知県になった。その後も、両地区は長い間婚姻関係を結ばなかったなどの歴史もある。いまでも、お年寄りの話す言葉が微妙に違うという。
島は、昭和29年、合併で宿毛市になるまでは沖ノ島村であった。役場などの行政機関は母島におかれた。
私の祖父は明治39年から2年間、駐在巡査として島に赴任してきていた。日露戦争から生きて帰った直後のことである。その頃、祖母と結婚をし、新婚生活をここで送った。いま巡査はいなくなったが、当時は民間の家を借りて駐在所にしていたという。そんな祖父母の足跡をたどることも、今回島に来た目的の一つだった。祖父母が当時お世話になったとして名前を聞いていた方の消息も知ることができた。

DSCN4812.jpg     DSCN4819.jpg     DSCN4832.jpg

沖の島は近かった。島というから、どうしても遠く感しるが、来てみればアッと言う間の距離。何でもそうだが、無知(知らないこと、経験がないこと)であることほど、怖いものはない。
これからも、何度も来てみようと思う。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR