如水

 NHK大河ドラマ「黒田官兵衛」が終わった。
私は最近大河ドラマをあまり見ていなかったが、今回は最初から見た。官兵衛に以前から妙な縁を感じ、興味を持っていたからである。信長、秀吉、家康による天下統一を一人の軍師の視点から描いた内容は、なかなか見応えがあった。

私の社会人としての駆け出しは大分だった。農林中央金庫に就職して最初に赴任をしたところだ。大分県北部は昔の豊前の国。官兵衛が居城にした中津城があった。私が九州ではじめて登った城がこの城であった。海(周防灘)に面した城郭はめずらしいと思った記憶がある。官兵衛は晩年、関ヶ原の戦いの混乱に乗じて、中津から九州制覇→天下取りへ、乾坤一擲のカケに出たが夢破れた。私は大分には独身時代の3年半いた。

その後、岡山にも転勤になった。すると長船町(現・瀬戸内市)に福岡という地名があった。官兵衛は姫路生まれだが、黒田家は曾祖父、祖父の時代、近江を追われ、ここに移り住んでいた。この地名が九州の福岡の由来になったということを聞いた。刀剣の「備前長船」を生んだところで、備前焼の里(伊部)のとなりだった。岡山にはバブル絶頂期の3年いた。

さらにその後、その九州の福岡でも仕事をした。社宅から福岡城内を通って通勤した。城のお堀である大堀公園は私のジョギングコースとなった。もともと博多は大陸に開けた商人のまちであったが、黒田が入ってから、那珂川をはさんで西側に武家のまち福岡をつくったのだ。それまで私の頭の中で混乱していた博多と福岡の関係がはっきりした。福岡側の天神ターミナル近くには湾曲した道があり、交通渋滞をまねいていた。これは城攻めをむずかしくするための軍略によるものと聞いた。福岡には神戸大震災のころ3年いた。

戦国時代の武将もいまのサラーマン同様、転勤を繰り返していたのだ。いまと違うのは単身赴任はなく、一族郎党引き連れての移動であった。私も岡山、福岡は家族帯同であった。

黒田が赴任した3か所は、私にとっても思い出深い地であり、いまでもいろんなつながりをもっている。

また、官兵衛とはこんな縁も。
官兵衛は晩年出家してからは「如水」と名乗った。
私の母校一橋大学の同窓会も「如水会」という。私のもとには毎月「如水会会報」が届く。

如水会の命名者は渋沢栄一。中国の五経の一つ「礼記」にある「君子の交わりは淡きこと水の如し」による。大正3年、如水会が誕生して今年で100年。本部は東京神田一ッ橋の如水会館にある。

「上善如水」とは、水ほど善き(強き)ものはないということ。水は自在に姿を変える。しかし、必ず下へ流れる。どんな環境にも適応できるが、常に謙虚な姿勢を忘れない。

軍師官兵衛の名を不動のものにしたのは、秀吉高松城攻めの最中、本能寺の変がおこり絶対絶命のピンチに陥ったさい、それを天下取りのチャンスととらえ、秀吉を動かしたこと。逆転の発想である。

私も肝に銘じたいと思う。

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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
幸徳秋水を顕彰する会事務局長。
FB(フェイスブック)もやっています。

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