追悼 笠木透

「フォーク歌手」の笠木透さんが22日、亡くなった。77歳。

笠木さんの名前はだいぶ前から知っていた。私が20代のころから。最初は「私の子供たちへ」、次に「わが大地のうた」をつくった人として。岐阜県中津川で地域に根差したフォーク活動をしていると聞いていた。野音のはしり、フォークジャンボリーを企画した人とも。

エッセイ集も読んだことがある。しかし、直接本人の歌をきいたことはなかった。同じフォークでも、軽いタッチで歌い、テレビにも時々出るような「かっこいい」、斜に構えた奴らとは違うということはわかっていた。

顔がいかつく、体全体でうなる、野生の大男という印象だった。山を開き、畑を耕す哲学者にも見えた。およそそこらの歌手イメージではなかった・・・得体の知れない人物像を抱いたままであった。しかし、最近は彼がつくった歌をきく機会も少なくなり、名前も忘れかけていた。

その笠木透を、突然私に引き寄せてくれたのは幸徳秋水であった。
3年前の1月、幸徳秋水刑死100周年記念墓前祭の直前のことだった。フォークグループ「笠木透と雑花塾」のメンバーの1人、鈴木幹夫さん(長野県松本市)から、当時四万十市長であった私のもとに1通の手紙とCDが届いた。内容は、秋水を追悼する歌をつくったので、1月24日の墓前祭で歌わせてほしいという内容だった。

笠木さんが、いまそんなグループをつくっているとは知らなかった。私が高知新聞に書いた秋水追悼記事を読んで、そんな市長なら歌わせてくれるかも知れないということで手紙を書いたという。笠木さんは幸徳秋水のことをよく調べ、勉強し、尊敬していた。

私はもちろん大歓迎。秋水墓前で新曲「ポスター」を「献歌」してもらった。
歌の出だしは「国が間違っていました。幸徳秋水さん、あなたは無罪です。2011年1月24日、日本国・・・」

地下の秋水にも届いたであろう、大合唱となった。
幸徳秋水は無罪であるということを書いたポスターを世界中の街角に貼ってほしい、と訴えたこの歌は、そのあと大逆事件犠牲者の追悼歌を集めたCD「ポスター」に収録された。(その中には「四万十川」という曲も入っている。)

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夜の交流会でも全国から集まった墓前祭参加者とも意気投合。「私の子供たちへ」「わが大地のうた」などを一緒に歌った。私がこの歌は前から知っていると言ったら、笠木さんは大喜びだった。

話はそれだけにはとどまらない。第2弾があった。

秋水刑死100周年事業は1年間をかけて、講演会、シンポ、サミット、展示会などを開いたのだが、その締めのイベントとして、同じ年の12月、地元のバンドグループを中心にして「秋水平和コンサート-LOVE&PEACE-」を、市立文化センターで開いた。そこに「笠木透と雑花塾」をゲストとして招いた。今度はステージを通して地元との交流をしたのだ。大いに盛り上がったのは言うまでもない。

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それ以降、私は笠木さんに会っていないが、雑花塾メンバーとの交流は続いている。今年2月、笠木さんからこんな手紙をもらった。

「昨年の12月から、体調悪化と全身打撲で、歩くのもやっと、座るのもつらいといった、なんとも無様で、腹立たしいあり様。もうこれまで、すべてを止めようと、朝起きるたびに思っていました。でも、2月になったら、少し回復して、なんとかあと1年ぐらいは動けるのではないか、と思いはじめています。」

笠木さんは直腸ガンの宣告を受けていた。階段からも転落し、体の自由がきかなくなっていた。そんな中でも、1年間の行動計画表を書いていた。「できるかどうか、できるところまで」とのただし書き付きで・・・ 新しい歌集やCDの発行、コンサート、「私のフォークソング論」脱稿など・・・10の目標を。

笠木さんは、いくつ達成できたのだろうか。覚悟のうえとはいえ、年を越えることはできなかった。無念も残ったであろう。手紙は遺書だったのだろう。

しかし、笠木さんは満足していると思う。
手紙の中で、笠木さんはフォークソングの祖と言われているアメリカのピート・シーガーについて書いている。

「私がピート・シーガーさんに学んだことで、重要なことのひとつが、歌と生き方に分裂がないことでした。歌は歌、暮らしは暮らしではなく、うたったように生き、生きたことをうたってこられたと思うのです。いつも人びとと、平和と自由を求めて。」

別のところでも、こう書いている。

「私はフォークソングにふれて、この国で、人間らしく生きるためには、なによりも『表現』することが必要ではないか、もう一度、歌を作り、うたうことが必要不可欠である、と考えた。」「表現することで、自分が解放され、少しずつ自由になっていく、人間らしくなっていくことではないのか。」

このように生きてきたのが笠木さんだ。

笠木さんの人物像は一言ではいえない。
「歌手」と言うには、大きすぎる。詩人、哲学者、思想家でも物足りない。「人間の解放を求めて歌い続ける革命家」といったところだろうか。私は類似の人物像を日本にさがすことはできない(過去も今も)。

笠木さんのご冥福を祈る、というようなことは書けない。
笠木さんの歌は生きているし、「人間」を励まし続けているから。
私もそんな生き方をしたい。
笠木さんがうらやましいです、と言葉をかけたい。

笠木さんは、いまごろ、あこがれの人、幸徳秋水と握手をしていることだろう。

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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

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