不破八幡宮 神様の結婚式

不破八幡宮は、地元では「不破(ふば)の八幡さん」と呼ばれ親しまれています。土佐一條家ゆかりの神社です。
応仁2年(1468年)、京都の名門公家(五摂家)一條教房は、応仁の乱を避け、自らの所領「幡多の荘」を守るため中村に下向しました。そして、文明年間(1469~87)、京都の石清水八幡宮を勧請し、幡多の総鎮守としたのです。

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毎年、10月には秋の大祭がおこなわれます。当時、幡多では、「嫁かつぎ」などと言って、略奪婚が横行していました。教房は、こういう野蛮な風習をやめさせるため、人間の結婚とは、かくも厳粛なものであるという見本を示すために、神様になぞらえて、結婚のありようを示したのが、この祭りの始まりです。

私が小学生のころは、友達と八束の実崎から「山路渡し」を舟で渡り、歩いて「八幡さん」行っていました。参道には、たくさんの屋台が出て、大変なにぎわいで、親からもらった小使いで、めずらしいものを買ったり食べたりするのに夢中でした。
ですから、神社の前の田んぼで行なわれていた「神様の結婚式」の儀式について、まったく記憶がありません。
5年前に、地元に帰って来てからは、公職の身として、宵祭りに招待をされたりして儀式の一部に参加をさせてもらいました。しかし、祭り当日の儀式の全貌、つまり本番の最初から最後までの流れについては、まだこの目で、通しでは見ていませんでした。

そこで今年こそはと思い、一日を追っかけてみました。
まず、朝早くから一宮神社(いっくさん)に向かいました。四万十川河口近くの八束の間崎にあります。十代地山(大文字山)の近く。ここには三体の女神様を祀っています。
 徳益御前・・・豊作と平和の神様
 椎名御前・・・雨を降らす神様
 鉾名御前・・・気性が荒く争いが好きな神様
毎年の結婚式の花嫁候補は、この中の一体が前夜の神事(神移しの儀)のくじで決まります。今年は、徳益御前が選ばれました。間崎部落の氏子総代たちは、祝言前の一晩、神輿と一緒に神殿に泊まり込みます。

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そして当日、神殿から神輿を出します。神輿は舟に乗せて不破八幡宮まで運びますが、舟は四万十川対岸の下田側が用意をします。これを「水師の役」と言います。下田側の4地区が交代で務めます。今年は水戸が当番でした。
以前は、一宮神社の目の前の川(津蔵渕川)に舟を寄せていましたが、いまは浅くなり、また水門もできたため、神輿は台車に乗せて、初崎・天理教前の本川(四万十川本流)まで運び、そこから舟に乗せます。この舟は「神舟(かんぶね)」と言って、色鮮やかな飾りを付けます。

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神舟にはお供の舟がつきます。「供舟(ともぶね)」といいます。この役割を「お供の役」といい、八束3、鍋島、竹島の計5組で務めます。今年は八束下組(名鹿、初崎、津蔵渕、間崎)が当番。「神舟(かんぶね)」が太鼓をたたき、舟団になって川を登って行きます。
そして八幡さん近くの不破の河原に着きます。しかし、神輿はすぐには陸揚げをしません。しばらく休憩し、舟の中で「お客(宴会)」をします。本番前の景気づけです。用意をしてきた寿司や肴を前に、酒やビールを飲みます。朝が早かったので、昼食を兼ねるようなものです。

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その頃、一方の男神輿はどうしているかというと、八幡さんの本殿から運び出されて、中村の街中(まちなか)を練り歩いています。男神輿をかつぐ役は、中村の街中を取り巻く7地区(不破角崎、右山、安並佐岡、具同、入田など)が交代で務めます。今年は入田が当番でした。

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さて、不破の河原には、そうこうしているうちに、八幡さんからの使者がやってきます。結婚式の仲人です。今年は、不破と右山の区長さんが務めました。
実は、この時点では、まだ結婚は正式には決まってはいないのです。あくまで、まだ花嫁候補です。そこで使者が舟に乗りこんで、嫁にもらうための交渉をするのです。相手は水師です。これを「茄(なすび)取りの儀」と言います。これがおもしろい。掛け合い漫才のようなものです。

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使者は酒と茄をもってきます。水師に酒をふるまい、茄を差し出します。そして交渉が始まります。しかし、水師は容易に了解しません。この茄は貧弱だ。こんな茄では嫁にはやれんと、ゴネます。ああだ、こうだ、と難癖をつけます。歌もうたえと言いだし、みんなの笑いを誘います。そして、やっとのことで嫁に出すことを承諾します。
なぜ茄なのか、ということですが、茄は花が咲けば必ず実が成る。夫婦円満、子だくさんのシンボルということのようです。毎年、形が曲がったおもしろい格好をした茄が選ばれます。

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この儀式が終わると、いよいよ女神輿を陸揚げして、八幡さんまでかついで運びます。これは「お供」の役です。
結婚式会場は八幡さん前、河川敷の田んぼの中につくられています。幟(のぼり)がたくさん、立てられています。
このころが、ちょうど正午。
八幡さんの階段を下りた延長線にある畔道では、「あげ馬」も行なわれていました。幡多農業高校馬術部の生徒が馬に乗って、この一本道を走るのです。この伝統行事は地元に馬がいなくなってから長く行なわれていませんでしたが、幡多農高の協力のおかげで、4年前から復活をしたのです。

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結婚式場から少し離れた、川べりの一角に花嫁の控室があります。「高屋の式場」と言います。女神輿は、まずこちらに運ばれ、中を練り歩いたあと台座にすわります。
そこで「灼(しゃく)とりの儀」が行なわれます。柄杓(ひしゃく)で樽の中から酒をくみ、竹筒の杯に注いで、花嫁側、花婿側の双方にふるまわれます。この儀式は一宮神社がつかさどるものです。

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そのあと、男神輿の登場です。街中を練り歩いたあと戻っていた男神輿は、再び八幡さん本殿から出てきます。そして、「高屋の式場」に控える女神輿のそばにやってきて、回りを一巡します。ここで顔を合わせるのです。
そして一緒に本式場のほうに向かいます。ここからがメインイベント。

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二つの神輿を正面に向かい合わせてすわらせます。そして、かつぎ棒の両端をゴツン、ゴツンと3度ぶつけます。これで結婚成立です。めでたく夫婦になりました。

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そのあとは披露宴です。新郎、新婦をひな壇に並べ、関係者一同でお祝いの玉ぐしをささげます。祝いのお神楽の舞いもあります。

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ひとしきりにぎわったあと、無事、婚礼と披露宴はお開きとなります。
そのあと、二つの神輿は、それぞれもとの神社に帰っていきます。
八幡さんでは、最後に餅投げが行なわれました。

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祭りの一部始終を見て思ったのは、これは不破八幡宮やその氏子だけで行なう祭りではない、ということです。近郷近在の村々の神々や人々が総がかりでつくりあげる祭りです。不破の八幡さんが、幡多の総鎮守といわれる所以です。

特に、川の役割が重要です。一宮神社は四万十川河口近くにあります。女神輿は舟で運ばれるように、川に沿った村々にはそれぞれの役割分担があります。この川なくして成り立たないのがこの祭りです。祭りが盛んなころには、人々は舟に乗ってやってきて、舟の上で一杯やりながら、祭りを見たそうです。

この祭りは幡多の郷(村、里)の祭りです。男神様をかつぐ役割の組には、街中の商店街などは入りません。入田、具同、右山、安並、佐岡などの、町の近郊(周辺)です。これが大事です。

商店街などは、別に一條大祭(いちじょこさん)をとりおこなうからです。八幡さんは郷の祭り、一條さんは町の祭りと分けられているのです。ちなみに、歴史から言えば、江戸幕末にできた一條神社にくらべ、不破の八幡さんのほうがはるかに古い。

「神様の結婚式」と呼ばれるこの祭りは、「奇祭」と言われています。たしかに人の結婚を神様になぞらえるのは珍しいかもしれませんが、これはいまにも続く真理を示しています。男女の風紀は、当時よりいまのほうが乱れているのでは?

ところで、祭りの人出が昔にくらべ少なくなっていることは寂しい限りです。宵宮には、まだ少しは人が集まるようですが、本番当日に屋台が10店も出ていないというのは、以前の賑わいを知るものにとっては、驚くばかりです。

最近は、祭り本番は、旧暦ではなく「体育の日」(10月第2月曜日)の前日の日曜日と決められています。3連休の中日です。しかし、逆に、この時期は、あとからいろんなイベントが行なわれるようになりました。いまでは毎年、お隣の「宿毛まつり」とぶつかります。

人出が少なくなっていること、これは「いちじょこさん」にも言えることです。地方の伝統行事はどこも同じでしょう。
理由は、地方にはそもそも住む人間が少なくなっていること。伝統行事が若い人に引き継がれていないこと。また、人々の趣味や楽しみが広がり、地味な行事には関心を示さなくなったこと。等々・・・

いま地域の活性化が声高に叫ばれています。いろんな新しいイベントも行なわれています。しかし、地域の歴史や伝統、文化に誇りをもつことが活力の源です。その上に立ってこそ、新しいイベントが根付き、新しい歴史、文化が築かれていくのだと思います。

不破八幡宮社殿は国の重要文化財に指定をされています。
また、一宮神社では「七星剣」といって、ほかには奈良の法隆寺、正倉院、大阪の四天王寺にしかない鉄剣が発見され、いまは幡多郷土資料館に保管されています。

まだ来られたことがない方は、本市においでのさいは、四万十川だけでなく、ぜひともこちらにもお出でください。この地域の本当の価値を発見することができるでしょう。

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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
幸徳秋水を顕彰する会事務局長。
FB(フェイスブック)もやっています。

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