宮尾登美子の満州(3)

 小説「朱夏」は、そのリアルな描写で、満州開拓団の引き揚げ記録としても貴重なものである。飢えの極限まで追いつめられると、人間の本性が出て来る。家族の中でも自分だけは生きたい。子どもを現地人に売る者も出てくる。きれいごとでは生きられない。修羅場での人間の強欲。宮尾も民家の軒先に干してあった服を盗んで、それを食料に交換したこともあると告白している。

しかし、私は、それでも宮尾の難民生活は、まだましというか、多分に運に恵まれていたと思う。

まず、大土佐開拓団は新京(現・長春)の近郊、鉄道沿線という交通至便地にいたこと。脱出のさいは、鉄道は止まっていたので、徒歩によった。団員は入植区画ごとに4グループ別々に行動した。宮尾ら教員家族は吾川郡(神谷村、清水村)の人たちに合流した。鉄道沿いに、隣駅の九台まで数時間歩き、そこからトラックに載って営城子へ。炭鉱社宅跡に収容され、越冬する。この間、現地人の襲撃からは免れた。

食料がないのはどこも同じだが、営城子では、わずかながら高粱のスイトンの配給はあった。また、スチーム暖房も。真冬は零下何十度の世界では、暖房があるかないかで生死を分ける。

さらに宮尾は、ずっと一緒だった夫が炭鉱の使役に出て、わずかながらも賃金が入った。当時、開拓団員でも教員でも、若い男はほとんど現地で兵隊にとられていたが、夫は視力に少し難があったことから免れていた。

同じ高知県でも、大土佐開拓団より先行した、幡多郡江川崎村開拓団(現四万十市)や十川村開拓団(現四万十町)は、満州でも交通の便の悪い奥地に入植させられたことから、脱出はすべて徒歩で難渋を極め、途中現地人の襲撃にあい身ぐるみをはがされ、裸同然で越冬(暖房などない)し、飢餓と病気(発疹チフス)で、団員の約3分の2が命を落としている。現地人に追い詰められ、自決した者もいる。

それに対して、小説「朱夏」では、飢えに苦しみ、着替えはなし、風呂ももちろんない生活が描かれてはいるものの、周りの団員がゴロゴロと死んでいったということは書かれていない。

私は市長時代の2010年5月、江川崎村開拓団が入植した場所を、生き残りの人たちと一緒に訪ねた。吉林省樺甸県大清溝は長春駅から約400キロ。貸し切りバスで6時間もかかる山間部だった。途中、大土佐開拓団入植地の飲馬河の近くも通った。(この記録は後日アップしたい)

宮尾たちは、昭和21年9月、営城子から新京、コロ島へと移動。そこからアメリカ艦船で佐世保に入港。1年半ぶりに日本の土を踏んだ。

乳飲み子の娘を含めて、家族3人が命を落とさずに帰れたことは、高知県の開拓団の中では、希有なケースだと思う。      (続く)

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR