山路渡し

 四万十川には、かつてはあちこちに渡しがあった。中村から下流だけでも、私が知っているだけで、山路(やまち)、竹島、下田にあった。

その中で、 私が一番お世話になったのが山路渡し。小学生の頃、不破八幡宮の秋の大祭には、実崎から、同級生たちと往復15キロの道を歩いて行った。途中、澄んだ川底に目をやりながら山路渡しを渡ったが、手漕ぎの舟が対岸の角崎に着くまでの胸の鼓動は何だったのだろう。

子供にとって、橋のない川の対岸は、自分の知らない別の世界であり、不安と期待が入り混じっていた。渡りきると、そのもやもやを、振り切るように、かけっこをして「八幡さん」に向かった。帰りには、川岸で手を振ると、舟が迎えに来てくれ、山路側に戻ると緊張感がほぐれほっとした。

当時、中村の赤鉄橋から下流には橋がなかった。しかし、現在では鉄道橋も含めてほかに4本も掛かっている。

 山路渡しが廃止になったのは、私が高校1年の時は渡った記憶があるので、昭和40年代だったと思う。竹島渡しは、その頃はすでになく、下田渡しは、その後も続いたが平成7年廃止になった。

最近は、川を車で簡単に渡れるので、対岸という感覚はなくなった。いまの子どもたちは、川を泳いで渡ったり、舟で渡ったりした時のあの感動はもはや経験できなくなっている。

このほど角崎に堤防ができた。山路側の舟着き場の跡ははっきりしている。角崎側はどのあたりだったろうかと思い、探してみた。川岸は竹藪におおわれ、近寄るのも容易ではなかったが、藪の中に、だいたいこのあたりであったろうと思われるところがあった。

 菜の花や 行き交う舟が夢の跡 

 DSC_5404.jpg     DSCN2180.jpg     DSCN2183.jpg
     



コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR