四万十市合併10年を考える(1)

 きょうで四万十市が誕生してから10年になる。2005年4月10日(四万十の日)、中村市と西土佐村は合併し、新市として生まれ変わった。

きょうは合併10周年記念式典が市立文化センターで開かれ、私も招待され出席した。中平市長が式辞を述べたあと、市民表彰、記念映像上映、小学生による合唱等が行なわれた。

 思い返せば、10年前、私は農林中央金庫に勤務をしており、大阪にいた。この日を、中村市が消えた日として、はっきりと覚えている。寂しくて、悔しくて、しかたがなかった。転勤で全国をまわっていた私にとって、ふるさとはずっと中村市であり、誇りであった。

昭和50年代、四万十川が急に有名になった。家の前を流れる四万十川では、こどものころ、夏は一日中、泳いだり、魚を釣ったり、シジミを掻いたりした。この川にも誰にも負けないくらいの愛着がある。

その中村市が四万十市になり、私は動揺した。
中村も四万十も大好きである。しかし、「四万十」はあくまで川の名前だ。これでは、私のふるさとを「最後の清流四万十川の流れる中村市」として自慢できなくなってしまう。そんな気持ちを、高知新聞「声ひろば」に、「惜別中村市」の表題で投稿したら、「四万十市はなじめない名前」と変えられ、掲載された。私は、その後、いろんなテーマで高知新聞に投稿するようになったが、この時の投稿が最初である。

また、インターネットの「四万十川新聞」に、こんな歌も投稿したら、「四万十川百人一首」の一つに採用された。

 四万十にのみこまれにし中村市 ふるさとは町も川もおなじなれど

きょう4月10日は、四万十市の誕生日であるが、中村市と西土佐村にとっては命日なのだ。

 
その1年後には、四万十川上流に四万十町(高岡郡)も生まれた。窪川町、大正町、十和村の3町村が合併したのだ。二つの四万十・・・私の頭の中はさらに、かき乱れた。

悶々として3年を過ぎた時、私は心を決めた。市長選挙に出るために、2008年9月、55歳で仕事を辞め、地元に帰って来た。中村市が消えたのは、合併を選択したから。なぜ、合併をしなければならなかったのか。中村が衰退したのなら、その輝きを取り戻したい。中村を取り戻したい。

私は2009年5月、市長になった。
以下、市長としての4年間の経験から、合併とは何だったのか、考えてみたい。 

(続く)

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
幸徳秋水を顕彰する会事務局長。
FB(フェイスブック)もやっています。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR