四万十市合併10年を考える(3)

 合併による財政効果は大きかった。合併特例債の発行(起債)枠88億円が与えられた。これを使えば70%の返済は免除される。

澤田市長は合併後、たびたび「市庁舎を建て替えるために合併した」と発言。ただちに最大の懸案であった市庁舎を建て替え(同位置)に着手した。(総事業費39億円)

当時、もう一つの懸案があった。市民病院の経営問題。赤字が膨らんでいた。理由は医師の減少による収入減。医師臨床研修制度が変わり、徳島大学からの医師の派遣が難しくなったのが主な原因。ピーク18人いた常勤医師は6人まで減り、夜間救急は休止した。

合併特例債はインフラ、ハード事業にしか使えない。合併3年目の2007年には、市の一般会計から3億円を病院に投入。続く2年間は投入財源を職員の給与カット(1年目・市職員全員、2年目・病院職員限定)で充てた。

2009年4月、合併後2度目の市長選挙は、その渦中に行なわれた。私は澤田氏に挑んだ。合併問題は決着していたので、争点は合併後のまちづくりのあり方。

私は市政に臨む次の基本姿勢を公約とした。
① 対話を大切に市民の力を引き出す。
② 弱い立場の人を応援する。
③ 「地元で出来るものは地元で」、地元を優先する。
④ 四万十川を再生する環境・産業を育む。
⑤ 幡多の歴史と文化を育む。

選挙では市民病院をどうするかが大きな争点になった。

澤田氏は、病院問題は自己責任であり、赤字なら給与カット等の自己改革(身を斬る)でやるべきであり、今後市一般会計からの支援は行なわないと発言。その先には、病院の切り離し(民間委託等)の意図があるように思えた。

私は、病院赤字の主因は国の医療制度改革(研修制度)によるもの、市民病院は市民の命と健康を守るために必要であり、自己努力で足りない部分は市から財政支援する、医師の回復増員にも努力する、と主張。市民病院をいまの形態で守ることを約束した。

市民は私のほうを選んでくれた。私は四万十市2代目市長になった。

市長になり、実際の市政運営に携わって思ったのは、合併して4年、四万十市という新しい枠組みはできたものの、中身は中村市と西土佐村をくっつけただけで、新市としての内容が伴っていなかったことである。

合併にあたって、向う10年間を見通した「新市建設計画」をつくっていたが、これは、国への申請手続きのための必要書類のようなもので、短期間に仕上げことがアリアリ。「いきいき遡上!四万十市 ~かがやく笑顔、豊かな自然、やすらぎ溢れるまち四万十」というキャッチフレーズがついていたが、四万十市ならではの理念やコンセプトがなく、「こころ」や「想い」が伝わるものがなかった。

庁舎新築工事だけは、急ピッチで進んでおり、1年後には落成した。

 (続く)

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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

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