四万十市合併10年を考える(4)

 新しい革袋には、新しい酒を入れなければならない。新しい四万十市を動かす理念・コンセプトである。

私は「里も栄えて街も栄える」という言葉をさかんに使った。中村の町は幡多の中心。15世紀、京都から下向してきた公家の一條家がつくった、「土佐の小京都」。商業の町である。そのお客さんは、近郷近在の農山村から集まって来る。第一次産業が支えてきた「おまち」。町と郷との交流・往来によって、ともに繁栄をしてきた歴史をもつ。私はこれを「いちじょこさん経済」と呼んだ。過疎高齢化が進む山間地でも人が暮らし続けられるようサポートをすることによって中心部(まちなか)も栄える。

すぐに始めたのが農商工連携事業。ぶっしゅかん(地元で採れる酢ミカン)や栗、野菜を使った加工品づくりである。新たな地域特産品として、いま販路を拡大中。また、四万十ヒノキのブランド化も流域自治体に呼びかけ。

地域単位に住民主体の健康福祉委員会も立ち上げ、支えあい、助け合い、健康・生きがいづくりを進めることにより、自分たちの力で地域を守る取り組みも始めた(健康福祉推進事業)。山間地の足を確保するため、路線バスは使いやすい予約型のデマンド交通(ミニバス、タクシー)に切り替えた。

私は四万十市を「清流に歴史と文化を映すまち」と呼んだ。四万十川の清流と、一條文化は市のシンボルである。自分たちのまちの自然、歴史、文化等に自信と誇りをもつこと、それが新市を動かすエネルギーとなる。「いちじょこさん150周年事業」や「幸徳秋水刑死百周年事業」などに取り組んだ。

交流人口の拡大をめざし、「四万十市ふるさと応援団」の募集も始めた。四万十ファンのネットワークづくり。市ホームページも情報発信型に拡充し、FB(フェイスブック)も開いた。地域おこし協力隊を募集したら、これをモデルにTVドラマ「遅咲きのヒマワリ」の舞台にもなった。ふるさと納税もたくさん集まるようになった。

最大の公約、市民病院については、市民の命と健康に責任をもてる体制へ回復・拡充するため、医師の確保に最優先で取り組んだ。大学からの派遣がむずかしいのなら、自力で集めるしかない。地元出身者等の縁故、人脈等を頼りに直接アプローチ等を行ない、常勤医師はボトム6人から11人まで回復させ、休診中だった泌尿器科も復活した。夜間救急の再開には至ってはいないが、医療収入が回復したことにより、経営も一時の危機的状況からは脱し、赤字額も大幅に圧縮した。

そんな最中におこったのが、3.11東日本大震災。防災対策、とりわけ地震津波対策が緊急かつ最重要課題となった。私も東北被災地を視察。中村の町は昭和21年南海地震で、全国最多の291人の死者を出した。100年に一度必ずやってくる南海地震。庁内に地震防災課を新設。次の地震では一人の死者も出さない覚悟で、自主防災組織拡大、防災訓練、避難路・避難タワー整備等に取り組んだ。

 (続く)

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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

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