四万十市合併10年を考える(5)

 私が市長を務めたのは、合併5年目からからの4年間。前市長が「市庁舎を建て替えるために合併した」と公言したくらいだから、私が就任した時点では、新市としての新しい事業は、他にはほとんど行なわれていなかった。

旧西土佐村地域においては、それが顕著だった。西土佐の人たちは、新市になって良かったのは水道料金が下がったくらいと不満を言い、端々(はしばし)は切り捨てられてしまうと不安を抱いていた。

それもそのはず。西土佐総合支所(旧西土佐村役場)の建物は、旧中村市役所庁舎と同じように老朽化していたのに、その建て替え計画はなく、合併の条件にもなっていなかった。また、合併の目玉として、前村長が公約していた「道の駅」構想も、建設場所すら決まらず、棚上げ状態になっていた。

これでは、西土佐村は、中村市役所の建て替えのために、利用されただけではないか、と思った。

私は人事異動で支所の体制を強化し、これら「西土佐問題」の解決に取り組ませた。視点を変えれば、打開策は見つかるもの。支所建物および消防分署の移転建て替えと、道の駅の新築の3点セットの計画案が、ほどなくできあがった。

「西土佐問題」は他にもあった。旧村時代から続いている園芸作物価格安定基金制度は、西土佐の農業を支えてきた価格保障制度であるが、今後どうなるのか、検討されないままで、農家は不安を抱いていた。

この問題については、中村側にも規模は小さいが、類似の制度があったので、双方の農家代表に参加をしてもらう検討委員会をつくり、西土佐側の制度の基本枠組みを維持する形で、両制度を統一して残すという案をまとめた。

また、双方の区長会(自治会)を統一することも難題であり、手つかずのままであった。中村の制度では、区長さんはあくまでボランティアが基本であるのに対し、西土佐では、村の職員に準ずる位置づけ(准公務員)であり、報酬も多く、両者には、水と油の違いがあった。双方の長い歴史の違いからくるものであるから、互いに言い分があり、協議には双方たっぷり汗を流してもらったが、段階的に統合していくことで、そのスケジュールを決めた。

合併の実態。
カネがほしい。そのためには、合併特例法の適用期限までに、急いで合併の「形」をつくるのが先であり、肝心の中身はあとから考える、しかし、合併後もそれを先送りしてきた、それが四万十市の姿であった。

 (続く)














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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。
幸徳秋水を顕彰する会事務局長。
FB(フェイスブック)もやっています。

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