浜口雄幸

 4月26日、土佐史談会総会記念講演は学ぶことが多かった。
川田稔・名古屋大学名誉教授(高知県出身)「浜口雄幸と昭和陸軍」

浜口雄幸は典型的な政党政治家であり、政友会と並立していた民政党総裁として第26代首相(1029-31)になった。官僚出身だが、髭をたくわえた、いかつい顔で、ライオン宰相と呼ばれた。昭和恐慌の真っただ中、金解禁など、緊縮財政を断行。ロンドン軍縮会議において、海軍の増強を抑える等、軍事費の抑制を図ったことから、軍部の反発を買い、東京駅で右翼の銃弾にたおれた。

浜口は高知県出身であり、こうした経歴については知っているし、浜口を描いた城山三郎の小説「男子の本懐」も読んでいる。しかし、私は浜口の評価については、いま一つわからないところがあったし、キチンとした研究に出会ったこともなかった。

川田氏の話は、戦争回避にむけて心血を注いだ、浜口の行動と考えは、平和的産業国家への途をめざしたものであり、戦後政治体制の原型であったと評価するものだった。関係著書もあるようだ。

(以下、要旨)

第一次世界大戦は、国家総動員体制=総力戦の魁であった。終戦後の情勢として、将来の日米開戦は不可避とみられていた。開戦にそなえ、軍部は軍備増強を主張。しかし、浜口は、アメリカには勝てないと考えた。軍拡を抑え、当時生まれた国際連盟の平和維持機能のもと、国際協調体制をすすめ、戦争防止システムをつくる以外にない。ロンドン海軍軍縮会議においては、軍部の反対を押し切って、断固軍縮を通した。

浜口は、パリ不戦条約が発効したさい(1929)は、「世界平和のため人類幸福の上に慶賀に堪えざるところである。ねがわくば、原調印国はもとより、参加列国はその本領に従い、その目的たる国家政策遂行の手段としての戦争放棄を永遠に順守して世界平和の実をあげんことを余は衷心より希望するものである」との談話(閣議決定)を発表している。

現行日本国憲法9条の戦争放棄規定は、第2次世界大戦の反省から生まれたものと考えられがちであるが、実は、戦前政党政治の時期に、日本自身も加わって締結された国際条約を一つの重要なベースにしている。この戦争放棄規定の体現をめざしたのが浜口である。憲法9条の原型は、すでにここにあった。(ただし、9条2項の戦力不保持規定は、別の要因による。)

・・・・

ここまでの浜口評価に出会ったのは初めてであり、感激である。

というのも、浜口には、以前から親近感を覚えていたからだ。謹厳実直で筋を通す頑固者は土佐のいごっそうそのもの。
浜口は高知中学時代、漢学者木戸明の教えを受けている。木戸は中村出身であり、かつて中村で私塾の師として、幸徳秋水も教えている。秋水の格調高い漢文調の文章は、木戸明から伝授されたもの。浜口は、大正期、木戸明銅像が中村小学校校庭に建てられたさい、東京から寄附金を送っている。2人とも木戸明の教え子である。

幸徳秋水は日露戦争で非戦論を唱えた。
浜口は、立場も基本思想も異なるが、戦争回避、国際協調の途をめざした。
再び戦争体制へと進んでいるいまだからこそ、2人に学びたい。

中村の木戸明子孫宅には、2人からの葉書が残っている。

木戸明の墓は秋水墓の隣にある。(中村正福寺)

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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

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