西村ルイのこと 秋水最初の妻(1)

 三年前(二〇一二年)、一月二十四日。恒例の幸徳秋水墓前祭(没後百一年)に見知らぬ三人の女性が現れた。指名献花が順次行なわれたあと司会者が希望者もどうぞと促すと、三人は前に出て白い菊花を恭しく捧げた。

 その日は、NHKテレビの取材があり(Eテレ「日本人は何を考えてきたか―幸徳秋水と堺利彦」)、その姿がちょうどカメラに収まった。正福寺墓地には小雪が舞い、映像効果を上げていた。

 墓前祭終了後の交流会(市役所会議室)で三人の自己紹介を聞き、みんな驚いた。秋澤チヅさん(千葉、昭和十四年生)と佐藤栄さん(東京、同十九年生)は姉妹で、幸徳秋水最初の妻ルイ(別名朝子)の孫にあたるという。ルイが秋水に離縁されたあと再婚して生まれた長男の娘さんなので、秋水との血のつながりはない。しかし、姉妹は祖母が最初結婚していた相手、あの幸徳秋水のふるさとを一度は訪ねてみたいと思っていた。踏ん切りがつかないままであったが、新聞記事で墓前祭のことを知った姉の友人木原恵美子さん(小学校同級生、広島)から促され、高知駅で合流して来たという。

 姉妹がずっと抱いてきた想いは一つ。「おばあさん」は、なぜ秋水にたった一年ぐらいで離縁されてしまったのか。その疑問であった。姉妹は東京でルイと一緒に暮らしていた。子供の目にも「おばあさん」は常に凛として作法もキチンとしていた。両手を重ねる時は、相手に手の甲皺を見せないため手のひらを上に合わせる。大きな声は出さず、本をよく読んでいた。

 そんな話をきいて、私は以前から抱いていたルイのイメージとはまるで違うと思った。

 幸徳秋水は生涯三度結婚している。ほかに師岡千代子と管野須賀子(内縁関係)。この二人については数ある秋水研究書等でも生々しく描かれている。特に須賀子は激情の女、ともに絞首台に上った革命の同志、女性解放の魁などとして。また、千代子は、タイプは全く異なるが、著名な国学者の娘。秋水の原稿書きの手伝いもしている。秋水との生活の思い出を書いた「風々雨々」は名文、名作であり、その教養の高さを示している。

 それに対し、ルイの記録はほとんどない。当時の写真もない。秋水は何も書いていない。ルイを知る人物で、わずかに書き残しているのは友人小泉三申と従姉妹岡崎てるだけ。しかも、三申晩年の「懐往時談」ルイ離縁のくだりは新妻のイメージを気の毒なものにしている。

 即ち、秋水は明治二十九年か三十年ごろ(二十五、六歳)中村から母多治を東京に迎えて同居。その頃、福島県三春辺の移住開墾地から、旧久留米藩士某の女を迎え結婚した。十七、八の可憐で質朴、田舎気質のういういしい娘だった。しかし、秋水は美人至上主義者。新婦が無学で夫を理解できないことにも不満。悩んだ末、一度里帰りをして来いと上野駅まで送ったあと、離縁状を送りつけた。なんともひどい話だが、これによりルイは「無学」「田舎娘」という定説ができあがってしまった。

  (続く)

 「文芸なかむら」30号
 2015年7月刊 一部加筆

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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

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