満州分村

 満州分村とは、戦前、日本が「満州国」に農業移民をさせた形態の一つであり、村を二分して満州へ開拓団を送り込むこと。高知県では、幡多郡江川崎村(現四万十市)がその第1号、隣の同郡十川村(現四万十町)が第2号であった。

江川崎村は、昭和17~19年、117戸、429人を、十川村は、昭和18~20年、132戸、547人を満州に送り込んだが、戦後の引き揚げの中で、ともに約7割が亡くなった。送出数、犠牲者数では、ともに高知県下で1,2位である。

幡多郡からは、ほかに津大村(59戸、129人)、大正村(60戸、273人)も分村を行っている。いずれも幡多郡北部、四万十川中流域の山間部で、「北幡」と呼ばれる地域である。

 今年は戦後70年。満州引き揚げ者は皆高齢になり、生存者は少なくなってきた。

 8月5日、十川村引き揚げ者とその家族4名が江川崎村開拓団資料を展示している権谷せせらぎ交流館(旧権谷小学校)を訪ね、江川崎引き揚げ者や地元の人たちと交流をした。この場には、江川崎開拓団から残留孤児となり、のちに帰国し、現在高知市に住んでいる女性も加わった。ほかに、大陸(中国、満州、朝鮮)からの引き揚げ経験をもつ高知市周辺の7名も。

それぞれ体験を述べた。江川崎、十川の人たちは、みな家族の誰かを満州で失っている。

国策に翻弄され、国にだまされた。戦争はいつも「平和ために」行われる。「五族協和」のために日本は大陸を侵略した。なのに、いま再び、国が国民をだまそうとしている。戦争法案である。「抑止力」のために戦争準備をする??? 同じ論法だ。

みな、口々に、二度と戦争をしてはいけないと繰り返していた。

満州開拓団資料を保存している資料館は全国でもめずらしい。ほかには長野県阿智村にあるくらいではないか。

この権谷せせらぎ交流館は、いまのところ、江川崎開拓団の資料しか展示していないが、これからは高知県全体、いや全国の満州関係資料を展示保存してはどうだろうという話にもなった。

十川開拓団引き揚げ者の中には、満州での引き揚げの模様を絵に描いている方もいる。その絵をもってこられていた。こうした絵は貴重な記録である。

戦争の記録、満州開拓団の記録は、これからもしっかりと伝えていかなければならない。日本を再び戦争をする国に、しないために。

 2015080622493156a.jpg     201508062249330f2.jpg     201508062249353b0.jpg

 20150806225212517.jpg     20150806225212722.jpg     201508062252111b6.jpg

コメントの投稿

非公開コメント

資料館

叔父が四万十市出身で、満州から引き揚げてきたそうです。
満州移民・難民に興味をもったきっかけでした。
田中さんのfbのページから中脇初枝さん、講談社「世界の果てのこどもたち」を知り最近読みました。
資料館、ぜひ訪れてみたいと思います。

No title

高知市の会社員です。母が小筑紫町田ノ浦の引揚者です。職場で高齢の嘱託男性社員にたまたま話の流れで「祖父祖母が満州の引揚者ででみたいな話をしたら「日本は戦争中中国人にひどいことをしてきたらしいな」と10年前に言われそれからは話題にすること95はさけてます。
プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR