常総市

 今回の豪雨により関東から東北にかけて大きな被害が出た。茨城県常総市では利根川の支流鬼怒川の堤防決壊で広範囲にわたり浸水し、13日現在、死者2人、行方不明15人となっている。

報道によるとこの地域に避難指示が出たのは川の決壊後。川の水位が急激に上昇しているという情報が市に伝わらなかったためだ。市は監視体制をとっていなかったようだ。「川が氾濫するとは思ってなかった」と、市長がおわびの記者会見をしていた。

こんな対応は四万十市では考えられないことだ。四万十市では、川の洪水対策は徹底している。台風や大雨等で、四万十川が増水をしはじめると、ただちに各消防団が警戒態勢に入る。堤防の危険個所に立ち、刻々の水位を図り、市に報告する。市はその報告に応じて、災害対策本部を設置するなどして、避難勧告や指示を出す。

四万十川は暴れ川である。洪水は年中行事。市民も川の怖さを知り尽くしている。だから、川の表情には敏感である。市民はみんな自分の逃げ場所をもっている。だから、犠牲者が出ることはめったにない。

常総市では、市長の言葉にあるように、川が増水することは普段はないことだから、氾濫なんて考えられなかったのだろう。行政として、川に対する危機管理意識が薄かった。市民も逃げ方、逃げ場を知らなかった。

地域として災害の経験がなく、だから対策のノウハウもなかったことが、今回の大きな被害につながったように思う。

 ところで、今回、常総市と聞いて、茨城県にそんな市があったの? と思った。あとで、2006年、水海道市が隣町(石下町)と合併して名前を変えたのだということがわかった(人口6万2千人)。水海道市なら北海道と似た名前だなということで、知っていた。ミツカイドウ・・・ああ、あそこか。

今回、「水海道」の名前を調べてみた。昭和29年、市制施行前は水海道町であった。利根川と支流の鬼怒川の合流点に近いこの地域は、江戸時代になってから、江戸と水運で結ばれて栄えた、水の街道だった。

平安時代の武将、坂上田村麻呂がこの地で馬に水を飲ませた(水飼戸:ミツカヘト)という故事があることから、両者の掛け言葉としてつくられたのが「水海道」であったようだ。地域の歴史に由来する、キラリと光る、いい名前である。

ところが、平成の合併において、隣町を編入(吸収)したさい、市の名前を常総市に変えてしまった。

わが中村市も西土佐村との合併で市の名前を変えてしまったことは似ているが、四万十市の場合は新設合併(両市村を解散し新しい市をつくる)であったことが違う。

一般的には、編入合併のさいは、合併主体の自治体の名前はそのままなのに、なぜ水海道市は名前を変えてしまったのだろう。不思議である。どんな事情があったのか、知っている方は、教えてほしい。

「常総」とは、常陸と下総を重ねた地名であり、いまは茨城県南部地域の総称だそうだ。高校野球の常連に常総学院(土浦市)があるように、そこら周辺では使われる名前なのだろうが、エリアが広すぎて特定しにくい難がある。

平成の大合併では、全国いたるところで、伝統と由緒のある名前が消えてしまった。水海道の場合は、かつての水運は衰退してしまい、いまは陸運ばかりになってしまったからではないだろう。水海道が水害にあうというのも皮肉な話であるが、ここも合併の被害を受けた地域だったのだ。

いずれにしても、行方不明者の発見と、早い復旧を望みたい。

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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

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