もうひとつの 9.11 - 1973年、チリ・クーデター

2001年のきょう、アメリカで同時多発テロが発生した。
ニューヨークの国際貿易センタービルに旅客機が突っ込んだ映像は衝撃だった。その1年前、私は海外出張でこのビルの屋上にのぼっていただけに、なおさらであった。
テロは、アルカイダによる攻撃であり、その後のアメリカによるアフガン、イラクへの報復戦争につながった。いままた、シリアにも・・・
この事件は、記憶に新しいが、40年前、もうひとつの9.11があったことも、忘れてはならないだろう。

1973年9月12日。 
私はその日のことを、はっきりと覚えている。大学2年の時だった。
午前中の経済学の講義で、その教授は冒頭、青ざめたような真剣な顔で「きのうチリで反革命がありました」と言い、しばらくその背景などについて説明があってから、講義の本題に入ったのだ。
私は、当時、南米のチリのことなど何も知らなかったので、驚いたというよりも、どういうことなのか、ほとんど理解ができなかった。
しかし、ことの真相は、いまでは歴史的事実として明らかになっている。

これもアメリカが深くかかわった「事件」であった。
世界で初めて自由選挙により誕生した社会主義政権(正しくは、社会主義をめざそうとした政権)を軍部がクーデターにより転覆させたのだ。
当時のチリ政権は、社会党を中心とする人民連合政府であり、アジェンデ大統領は3年前の1970年の大統領選挙で当選した国民的英雄であった。
アジェンデは、キューバとも友好関係を結び、企業や鉱山(銅)の国有化などを進めていったが、旧来からの反対勢力も根強く、資本家側がストライキを行なうなど、国内経済は混乱を深めていた。

アメリカ(ニクソン大統領)にとって、この反米的政権は看過できない存在だった。社会主義は「暴力革命」でのみ生まれるとしてきた「常識」が覆されるからだ。
アメリカは、チリ国内の反政府戦力にあらゆる支援を行ない、ついには軍部を動かし、大統領宮殿を攻撃させた。アジェンデは、最後まで大統領辞任を拒否し、国民への最後のラジオ放送をおこなったあと、銃で自決した。

新しい大統領には、クーデターを指揮したピノチェト将軍が就いた。軍事政権は、アジェンデ支持者らへの弾圧を徹底して行ない、国外亡命者を含め、数十万人が犠牲になったと言われている。
ピノチェト軍事政権は16年間続き、民政に戻ったのは1989年であった。この間、アメリカは軍事政権を支え続けた。
クーデター当時、日本政府(田中角栄首相)も軍事政権支持を表明している。
・・・・・・

南米では、9.11と言えば、アメリカ同時多発テロよりも、この日のことをさす場合が多いそうだ。


チリ・クーデター
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%BC

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Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

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