村上春樹

 ノーベル賞の季節になると、ここのところ村上春樹の名前がずっとあがっている。彼はいまの日本の中で、外国で最も読まれている作家だそうだ。

そんな話題作家でありながら、私は彼の小説をひとつも読んだことがない。特に理由はない。読んでみようかという気がおこらないだけだ。彼は普段は外国(いまはアメリカ)で生活をしているので、人物像もよくわからないし、それだけで何か自分とは縁がない作家というようなイメージが勝手に私の中にできあがっている。私が本を読むのは、小説とかのジャンルにかかわらず、大抵の場合、それを書いた人物に興味、関心があるからだ。

 そんな村上春樹の本を一つ今週はじめて読んだ。それは小説ではない。「走ることについて 語るときに 私が語ること」(文春文庫)という、ちょっとややこしい題名のエッセイ集のようなものだ。

彼は「走る作家」=ランナーであり、走ることについての彼のこだわりのようなものを書いた本があるということを最近教えてもらった。彼は作家デビューした直後の33歳の時からずっと走り続けている(現在66歳)。きっかけは体調管理のためだったそうだが、以来、これに「はまって」しまった。1週間に60キロ走ることが生活の基本であり、毎日10キロを6日走り、1日くらい休むことを目安にしているという。1か月に約300キロという驚くべ距離である。ニューヨークシティーマラソンやボストンマラソンなどにもたびたび出場しており、フルマラソンを走ったのは50回を超える。

 この本で彼が書いているのは、なぜ走るのかという、多分に哲学めいたことである。彼は人間としての「自分への誇り」をもつために走っているのだという。「過去の自分に勝つ」こと、タイムは問題ではない。自分の小説への他人の評価はどうでもいい。自分が満足できるかどうかは、自分が設定した基準に到達できているかどうか。走ることと同じ。

「与えられた個々人の限界の中で、少しでも有効に自分を燃焼させていくこと、それがランニングというものの本質だし、それはまた生きることの(そして僕にとってはまた書くことの)メタフィーでもあるのだ」。

走ることの効果は、自分だけの「沈黙の時間」がえられることであり、何も考えない「空白」を獲得できること。また、走ることは「痛み」があるからこそ続けられる。

彼はたくさんの小説を書いているのに、よくもそんな走る時間があるね、とまわりから言われるそうだ。彼は、毎朝4~5時に起きて、朝方、小説を書く。午後は、走ったり泳いだり。暗くなったら音楽を聴くなど自由に楽しむ。そして、午後9時には寝る。その繰り返し。書くことと走ることが生活の両輪になっている。どちらが欠けても、車は走れない。


ほかにもいろんなことを書いているが、ランナーの「はしくれ」の私には示唆に富む内容だった。というのも、あと6日で四万十川ウルトラマラソンである。私は60キロの部に今年も参加することにしているが、はや3回目である。最初は勢いで参加したが、今後はどうするのか。フルマラソンも4回走った。これをいつまで続けるのか。100キロに挑戦するのか。いまいろいろ考えているところだからだ。

なぜ、自分は走るのか。自分にとって、走ることの意味は何か。
しばらく悩みが続く。

まあ~、村上春樹には「ご縁」ができたので、彼の小説のいくつかも読んでみようと思う。

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Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

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