大原富枝

先日、友人に会うために本山町にでかけた。
その際、地元本山町出身の作家、大原富枝文学館も初めて訪ねた。

 大原富枝はたくさんの作品を残しているが、私がこれまでに読んだのは、代表作「婉という女」と「於雪 土佐一條家の崩壊」だけである。ともに学生時代のことで、その後は縁がなかった。
「婉という女」は映画の話題作(監督今井正、主演岩下志麻)だったので、映画にあわせて原作を読んだ。
「於雪・・・」は、中村の一條家の歴史が書かれていることから、出版と同時に読んだ。
野中兼山の娘と一條兼定の愛妾、ともに実在した女性が主人公だ。

どちらも作品も女のドロドロとした執念が書かれていた。男では書けないものだ。
それは作者自身の体験にもとづくものなのだということを、今回知った。

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大原富枝は女学校時代に結核をわずらい、ずっと家で療養生活をする中で、「書くことは生きること」と決め、29歳で単身上京する。そして、平成12年(2000年)、87歳で死ぬまで、独身を通した。

今回、晩年に書かれた自伝「吉野川」を読んだ。上京のきっかけは、付き合っていた男に裏切られたことが引き金になったことを告白的に書いていた。私はこれまで、大原富枝は純粋に文学一筋に生きた人と思っていたが、意外というか、やはりこの人も女だったのだ。

高知県を代表する女流作家として、もう一人宮尾登美子がいる。彼女も結核をわずらい、その後子供と家庭を捨て、高知新聞編集者と一緒になって上京したことは有名な話である。

女は強い。特に高知県の女は。
他人には言えないような、そうした体験を肥やしにして、自らの文学を築きあげて行ったのだ。

今回、改めて「於雪・・・」も読んでみた。
長宗我部の陰謀によって滅ぼされた土佐一條家最後の「御所様」一條兼定が、女の目から描かれている。
キリシタンとしての洗礼を受け、ドンパウロと呼ばれた兼定。宇和島沖の戸島に逃げ延び、幽閉された形で最期を迎えた。奇怪で謎のような人物。いまでも、島民から「御所様」と呼ばれているという。
私は、以前から、島の人たちが守ってくれている兼定の墓を訪ねてみたいと思っていた。近いうちに行ってみようという思いを強くした。

文学館の展示の半分は野中兼山についてであった。
ここら周辺は、土佐藩から野中家が管理を任せられた領地。「婉という女」を書いた背景にも、そんなふるさとへの特別な思いがあったのだ。

文学館を出て、すぐ近くの吉野川に面した帰全山公園にも行ってみた。
以前から、気になっていたところだ。その後、窪川に移転し、いまは農業大学校になっている旧県立帰全農場の創立の地である。私らの世代には、なじみ深い学校だ。中学卒業後、ここに進む者が多かった。
太平洋戦争中、高知県からは多くの満州開拓団が大陸に送られたが、開拓団員は帰全農場内に設けられた「満州拓土訓練所」で訓練を受けてから大陸に渡った。開拓団は、江川崎、十川など北幡(幡多郡北部)からが特に多かった。

公園には野中兼山の銅像が立っていた。この一角は、兼山が母親の廟所を建てたところで、「帰全」の名前も兼山に由来することを書いた解説板があった。
「全」の文字が以前からひっかかっていたが、これで納得をした。
片道3時間をかけた甲斐があった、本山訪問であった。

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プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

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