メモリー岡山

 11月8日、第1回岡山マラソン(フルマラソン)に参加した。10月18日に地元の四万十川ウルトラマラソン(60キロ)を走ってから3週間後であり、普通ならこんな短い間隔では走らない(走ったこともない)のだが、場所が岡山であり、かつ第1回目という記念の大会ということで、どうしても出たかった。

 岡山には私の「想い入れ」がある。私は農林中央金庫勤務時代、1989~93(平成元~4年)にかけての3年間、岡山で仕事をした。本店から初めての管理職(支店融資課長)として、岡山支店に転勤になった。36歳であった。

農林中金といえば、農業など第一次産業向けにしか融資ができないと思われがちだが、実際はその関連産業(食品、流通、農業機械、製紙、造船など)向けにもかなり広く融資をしている。私はそんな一般企業向け融資を担当していた。

岡山の企業は元来銀行取引は保守的で、融資の新規参入は容易ではなかった。しかし、当時はバブル経済の時期に入っていたこともあり、岡山の企業にも変化の兆しが見えてきていた。

私は県下を走りまわった。いろんな産業分野のリサーチを行い、従来取引がなかった地元優良企業等に積極的にアプローチを行った。しぶとく、強引に、熱意をもって。たたけば反応がある。取引はどんどん増えていった。農林中金全体の中でも岡山の伸びはきわだっていた。

同時に、岡山のいろんな分野の人たちとの交流やおつきあいも広がっていった。多くの方にいろんなことを教えてもらい、お世話になった。

バブルはその後消え、多くの企業や銀行が傷を受けた。しかし、農林中金は不動産融資ができない等の規制があったことから、バブルの恩恵も少なかったが、傷も少なかった。その分、取引先に迷惑をかけることも少なかった。

私は55歳で農林中金(および子会社)を退職し、ふるさとに帰ってきた。東京を拠点に、九州から北海道まで転勤も経験した。どこでも仕事にやりがいはあったし、いろんな風土の中でいろんな出会いがあり、総じて楽しい思い出ばかりだ。しかし、その中でも、岡山が一番である。岡山での自分が最も輝いていた。サラリーマン生活の中で、そんな時期とタイミングであったのだと思う。

だから、岡山ではじめてのマラソン大会が始まるときいて、ぜひ参加したいと思った。岡山へのお礼が言いたいと思った。またあの輝きを取り戻したい・・・とも。

スタートとゴールになった運動公園。私はその近くに住んでいた。時々、ジョギングもしていた思い出の場所である。

桃太郎大通りを抜け、南に下り、児島湾干拓地に沿って、ぐるり一周するコース。郊外には新しい住宅地ができるなど、風景がだいぶ変わっていたところはあったが、どこも記憶に刻まれた「におい」ばかりであった。途中のエイドでは、名物の「吉備団子」に後押ししてもらった。

最後の10キロは、旭川河口から上流に沿って土手を岡山城、後楽園に向けて走り、ゴールに着いた時はヘロヘロだった。しかし、気分は爽快このうえない。

岡山よ、ありがとう。

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Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

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