太陽館

 中村の文化のともしびが、また一つ消えた。
 太陽館の経営者だった澤田寛さんが亡くなった。
 享年88歳。きのう通夜、きょう葬儀だった。ご冥福を祈りたい。

 太陽館は「おまち中村」の賑わいのシンボルだった。私が子供のころには、中村には4つの映画館があったが、一番馴染み深かったのが太陽館だ。東宝・大映系の映画を上映していた。「おまち」にでかけ、太陽館で映画を見て帰るのが最高のぜいたくだった。

 いろんな映画を見たのだろうが、はっきりした記憶で一番古いのが、小学校4年の時みた「キングコング対ゴジラ」。小中学校では映画をみにいく授業があり、いつも太陽館だった。「東京オリンピック」の記録映画もみた。
 館内には2階席もあった。2階の袖には、桟敷席もあった。芝居小屋のようだった。入口に売店もあった。いつも客であふれていた。

 太陽館が中村で最初の専用映画館として、いまの場所にオープンしたのは西暦1926年。元号でいえば、大正15年と昭和元年が一緒だった年。四万十川に鉄橋がかかったのもこの年だ。大正デモクラシーによるモダン文化が流入し、中村の「おまち文化」が花開いたころといえるだろう。
 この場所には、天神山(いまの市役所)から注ぎ込む、天神池と呼ばれる池があり、その埋め立て地に、澤田寛さんのお父さん(雅夫さん)が太陽館を建てたそうだ。隣には、相撲場もあったという。

 DSCF1713.jpg     DSCF1712.jpg     DSCF1715.jpg

 私は高校から中村を離れたので、それ以降は、太陽館に入った記憶はあまりない。テレビの時代になり、中村の映画館も他の3つ(北劇、中劇、末広)は早々と閉館になったが、太陽館はふんばり続けていた。
 澤田さんが書く、角ばった赤と青い字の看板が道路脇の電柱などにかかっているのを、帰省したさいよく見かけた。ああ、まだ太陽館は、やっているのだと思った。あの独特の字は、中村のシンポルカラ―になっていた。澤田さんが中村の文化の孤塁を守り、一人でたたかっているようだった 

 最後のころは、話題作品だけの不定期上映になっていたらしいが、ついに2005年、幕を降ろした。
 その後も、建物や入口の看板はそのまま残しているので、中村の商店街の衰退を象徴するような、「文化の残骸」を見るようで、寂しさを禁じ得ないまま、いまにいたっている。

 太陽館は中村の文化の象徴であった。市民みんなのこころに刻まれている。建物も、映画文化華やかなりし頃の構造をそのまま残している。いまの映画館は、イオン高知のシネコンに見るように、ほとんどが商業施設の中に封じ込められてしまっている。
 そのことからいえば、太陽館の今残る建物の入り口付近の雰囲気は、文化財的価値があると思う。

 そんなことから、私は市長時代、この建物の入り口付近の構造をそのまま残す形で、市が映画上映を含めた多目的ホールをつくることができないかと思い、澤田さんに相談を持ちかけたが、すでに澤田さんは体調を崩されていたこともあって、話は前に進まなかった。そのまま今日を迎えたことは残念なことである。

 しかし、何という偶然だろうか、今日から「四万十おきゃく映画祭」(~17日まで)が始まった。映画館がなくなった中村に、全国から映画ファンを集め、地元も一緒に楽しみながら、地域おこしにもつなげようという企画だ。たくさんの映画上映とともに、監督、俳優などの対談、講演会等も予定をされており、てんこ盛りの内容だ。
この映画祭がどういう結果に終わるのか、私は大きな関心を持っている。
 今回が第1回とうたっていることから、来年以降も続けるということなのだろうから、ぜひともこの中村に映画館を再生させ、まちに賑わいを取り戻す原動力になるような取り組みになることを期待したい。

それは太陽館が発信し続けてきた中村の文化を継承するということである。

(3年前)

DSCN0033.jpg     DSCN0032.jpg     DSCN0034.jpg

(きのう)

DSCN5747.jpg     DSCN5745.jpg     

  

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR