東京墓参―大逆事件

大逆事件処刑106回追悼集会への参加(1月30日、東京渋谷区・正春寺)にあわせて、東京にある同事件犠牲者墓やゆかりの場所をたずね歩いた。

1. 奥宮健之墓
正春寺に管野須賀子の墓があることは前回書いたが、東京にはほかに奥宮健之(死刑)の墓も巣鴨染井霊園にある。奥宮は高知県出身犠牲者5人のうちの1人で、唯一高知県外に墓がある。

染井といえば桜の「ソメイヨシノ」の発祥の地。都立霊園には多くの著名人の墓もあり、若いころ一度訪ねたことがあるが、その時は奥宮健之のことは知らなかった。

奥宮の墓は周りに比べて小さいもので、妻サワと並んで名前が刻まれていた。雨の中、シキビと線香を立て、手をあわせた。

奥宮は植木枝盛と同年で自由民権運動の闘士として植木と一緒に全国遊説などをした。大逆事件犠牲者では最年長の53歳。霊園入口の著名人掲示板には「大逆事件で死刑となった。旧自由党員であった。」と書かれていた。

霊園には、同志であったろう、婦人解放運動家、福田(景山)英子の墓もあった。

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2. 刑死者慰霊塔(元東京監獄処刑場)
 幸徳秋水らが絞首刑になった場所。東京監獄跡は、いまは自衛隊市ヶ谷駐屯地になっているが、その一角にあった処刑場は、小さな児童公園の中に残っている。新宿区余丁町4、都営地下鉄曙橋駅から歩10分。

日本弁護士会連合会が昭和39年建立した慰霊塔には、町内会の人だろうか、花がさされていた。肌寒いシトシト雨は、秋水らの無念の涙であろう。

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3. 師岡千代子墓
秋水の妻。日暮里駅から高台に登った谷中霊園そばの多寶院(真言宗)。本堂の奥に師岡家墓があった。幕末平田派の国学者であった父正胤と母米子と3人連名で刻まれていた。

秋水は生涯3度結婚しているが、籍を入れたのは千代子だけ。1度目は西村(のち横田)ルイ、3度目は管野須賀子。しかし、千代子は須賀子の出現により、最後は幸徳籍から除かれたためか、いろんな書物では師岡姓で記録されている。千代子は知識、教養高く、秋水との思い出を書いた「風々雨々」は名著として有名。

住職夫人によると墓守はいまいないようで、無縁状態だという。
なお、中村の正福寺の幸徳秋水墓の並びにも「師岡千代子墓」が立っている。これは夫婦並んでという思いから坂本清馬が建てたものだが、遺骨は入っていない。

寺には立原道造の墓もあった。

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4. 横田(旧西村)ルイ墓

秋水最初の妻。福岡県黒木町(現八女市)生まれ、旧久留米藩士西村正綱の娘。西村家は明治26年、福島県安積開墾事業に参加。中江兆民同門の友人の紹介で結婚したが、1年もたたないうちに離縁。ルイは秋水の子を宿していた。子は再婚相手の大工横田の籍に入れられた。(横田ハヤ子)

このあたりのことは、このブログですでに計6回書いている。(2015.7.23~25, 12.26~30)

横田家墓は青山秩父宮ラグビー場そばの高徳寺(浄土宗)にあった。寺は浄土宗東京では増上寺に次ぐ高い格で、墓は孫の妻横田みつゑさんによって、しっかり守られていた。幸徳と高徳・・・縁だろか。

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5. 小谷(旧横田)ハヤ子墓

「秋水の子」ハヤ子は小谷清七と結婚。小谷家の墓は品川本栄寺(日蓮宗)にある。京急新馬場駅そば。ハヤ子は6人の子を産んだ。そのうち2人はいまも健在である。上記ブログに書いた。墓は立派に守られている。

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6. 平民社跡(巣鴨、千駄ヶ谷)

 秋水は日露戦争に対し、非戦論を展開し、内村鑑三、堺利彦とともに万朝報社を退社。堺とともに平民社を立ち上げ平民新聞を発行した。その拠点となったのが、当時秋水が住んでいた巣鴨。いまは大塚駅北口前である。あとで知って驚いたが、私は若いころ、この裏の高台に少しの間住んでいたことがある。今回は、大塚駅ホームから写真を撮った。チンチン電車の都電荒川線が走っている。

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平民社はその後、柏木(新宿)を経て、千駄ヶ谷に移る。ここで、秋水は管野須賀子と同棲する。宮下太吉、古川力作らが出入りし、うっぷん話が「爆弾事件」に仕立てられたのがここ。坂本清馬は事件直前に秋水と仲たがいをし、飛び出ていた。

いまの場所は新宿駅南口を出て甲州街道を下ったすぐの交差点の南側(渋谷区代々木2丁目7)。当時は前を玉川浄水が流れ、葵橋がかかっていた。隣家で親しくしていた増田謹三郎の紹介で、管野須賀子の遺体は近くの正春寺に埋葬されたということだ。

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7. さいごに

私は学生時代を含め、東京には長く住んでいたが、大逆事件関係の場所を訪ねたのは今回が初めてである。

今回改めて思った。秋水の活動拠点は東京であり、当然ながら、事件の痕跡も東京に多く残っている。しかし、事件の犠牲者(受刑者)は26人いるのに、東京に墓があるのは、管野須賀子、奥宮健之のほか新田融(有期刑、多磨霊園)の3人である。

和歌山新宮、熊本、大阪、岡山井原、長野・・・事件は全国規模に拡大(フレームアップ)され、当時の「主義者」が一網打尽にされたということ。

今回参った墓に、横田ルイ、師岡千代子、管野須賀子の墓がある。いずれも秋水の妻だった。ルイ、千代子は刑を受けた訳ではないが、秋水の影を背負い、死ぬまで日陰の暮らしを余儀なくされた。ハヤ子もそうだ。

これまでに地元高知、和歌山、岡山にある墓は訪ねたことがあるが、これからも、その他の墓を少しずつ参りたいと思う。

大逆事件はいまも生きているのだから。

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丁寧な記載内容、ありがとうございます。
私はハヤ子の孫です。
プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

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