17歳の特攻隊員

 高知県の特攻隊員を中心に追跡調査している大西正祐さんが、このほど2冊目の本「17歳の特攻隊員」を出版した。

大西さんの特攻隊員調査のきっかけは、昭和19年10月から始まった神風特別攻撃隊の第1陣に幡多郡大方町(現黒潮町)出身の2人(宮川正さん、野並哲さん)がいたことを知ったこと。2人とも旧制中村中学卒業生だった。この2人の生涯を軸にまとめたのが前著「二人の特攻隊員」。

今回の本で紹介をしているのは、やはり幡多郡大正村打井川(現高岡郡四万十町)生まれの特攻隊員山脇林さん。山脇さんは昭和2年生まれ、昭和19年12月、フィリピンミンドロ島沖の特攻作戦で散った。その時、わずか17歳(二等飛行兵曹)であった。

打井川といえば、四万十川支流沿い、いまは旧小学校跡に海洋堂ホビー館やカッパ館ができている。そのキャッチフレーズの通り、「辺鄙な」山の中だ。山を南に越えれば四万十市常六である。

昭和2年生まれは私の母と同年、父より2歳若い。山脇さんは父親の病死から6日後に生まれた。8歳上の兄と4歳上の姉がいた。兄が20歳で陸軍に召集されたこともあり、高等小学校を1年、13歳でやめ、農業に従事していたが、飛行機乗りになりたいという夢やみがたく、反対する家族を押し切り、16歳の時、海軍予科練に年齢制限ギリギリで志願。昭和18年4月、岩国航空隊に入った。

短期の猛訓練を受けたあと、館山、台湾、フィリピンへと移動。最後に日本を離れる時は、打井川の実家の上空を旋回してふるさとに別れを告げた。

大西さんが山脇さんの記録をまとめることができたのは、山脇さんの兄(敏麿さん)が調べた資料があったから。兄は、陸軍で満州、ボルネオと転戦し、最後は収容所に入れられたが、九死に一生を得て、昭和21年春生還した。帰国後、弟の死を知った。

以来、弟の戦友を全国に訪ね、フィリピンの基地跡(ミンドロ島バタンガス)にも出向いた。それらの資料を本にまとめたかったが、それを果たせず20年前に亡くなった。その遺志を受け継いだのが大西さんという訳だ。

17歳といえば、いまは高校生。そんな若い命を、「国のために」と敵艦に突っ込んでいかせた戦争とは、いったい何だったのか。

「国を守る」が再び喧伝される今だからこそ、多くの人に読んでもらいた。

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今を生きる我々の使命

「日本は、アメリカに宣戦布告もなしに真珠湾を奇襲して戦争をした。また、中国や韓国といったアジアの国々を侵略し、大変な数の人々を殺した。だから原爆を落とされても仕方がないと、先生から教えられました」。若い人達がこう話すを聞くと言葉を失う。

あの戦争は世界史的にみれば避けようのない戦争だったのではないか。

19世紀から20世紀の中頃まで、世界は植民地を持つ国と植民地にされる国の二つしかなかった。日本は植民地にされない道を選んだ。「植民地にされたくない」という危機感で日本は一つになり、有色人種で真っ先に、近代化に成功することができた。

現在の定義に照らせば、確かに日本は侵略国家ということになるが、
その事実にいたった理由や背景、当時の世界の情勢や価値観がどのようなものだったのかを
考えることこそが、「歴史を知る」ということ。そして、時代時代で価値観は違うという
事実と、その時代を生きた人々への愛情を絶対に忘れてはいけない。

戦争は昔から外交の一手段、一つの方法だと言われているように、
戦争という手段を選択すること自体は、少なくとも当時の世界の情勢から考えれば、
過ちではなかった。

1951年に、マッカーサーでさえ「日本が戦争に飛び込んでいった動機は、
大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった」と認めているのだ。

戦死した海軍大尉の日記の「戦地に敢然と突っ込む人は尊いのだ。
共同体を擁護するために、我らの祖先と、同時代人と、子孫と、
伝統と未来の擁護のために。それが日本において、共同体の精神的中心と
なってきたことはいうまでもない」という文章を読んで、
2011年3月11日の出来事を思い出したと言う人もいる。

先祖が作ってきた郷土、今をともに生きる肉親や仲間、
そして未来を生きるであろう子孫のためには、死ぬこともいとわない。
そんな心のありかたを指しているのだ。

東日本大震災に際し、多くの日本人がその精神を行動で示した。
「自分の生命よりも尊いものがある」ということも事実であると、私たちは教えられた。

特攻隊員たちも、自分の生命よりも大切な何かを見出して飛び立った。

人間は誰かのためでなければ、死ぬことなどできない。その「誰か」の一部に、
彼らにとって「未来」であった今を生きる私たちが、間違いなく含まれているという事実を、
私たちは受け止めなければならない。

先人たちの思いを受け止め、未来につなげることが、今を生きる我々の使命だ。
プロフィール

Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市(旧中村市)在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

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