上林暁と幸徳秋水(3)

 上林暁は小説以外にもたくさんの随筆、評論等を残している。しかし、政治や社会問題等にふれたものはほとんどない。そんな中、「政治的関心について」という希有な評論がある。「同盟通信」昭和十五年五月号に寄せたもので、「全集」第十五巻に収録されている。

 ここで上林は冒頭「生まのものがほしい」、「社会的現象や政治的情勢などひつくるめた生まな現象について我々作家も理解と関心を持ちたい」、「生な現実こそ文学にとつて成長素だ」と書いている。

 また、作家の政治的関心など「乳臭い」ものであり作家は政治の「実際事情」「運用」の才能はもっていないと言われるかもしれないけれど、政治の「理念」をつかむことはできる。むしろ、作家の「曇りなき眼」こそ、政治の高い「理念」をつかむのにふさわしい、と。

 さらに、作家特有の「芸術的境地」と「生な現実」との間を彷徨し、それらの矛盾対立によって文学精神が推し進められる。その象徴がトーマスマン(ドイツ)だ、とも。

 上林にしてはめずらしく力んだ文章である。これには対米開戦前夜という時代背景がある。昭和十五年といえば、菊池寛、岸田国士らが文芸銃後運動を始めた年でもあり、新秩序形成下、文学者の自由な執筆や発言がますます圧殺されたころである。

 上林のこの評論はそんな「時局」を意識していることは間違いないが、全体を読めば、必ずしも「時局」に迎合したものとも思えない。上林は戦中もひっそりと地味な作品を書き続け、筆を汚さなかったからである。

 そのうえで私がこの評論で注目したいもう一つは、「嘗て、階級という問題が喧しい時代があった。その時代には、皆々、何を考えても階級といふ問題に突き当るらしい風潮であった。恰も、それ以外には、如何なる思考の方法もないかの如く思はれた。さういう見方は、勿論誤りであった」と書いていること。これはプロレタリア文学に対する批判であることは明らかである。

また、「心理主義の文学」も同様に片寄った思考方法だった。「生まなものがほしいからと言って決して政治的に片寄った文学でなくてはならぬという意味ではない」とも。

 しかし、「心理主義の文学」はともかく、プロレタリア文学批判については、その詳しい理由を書いていないことからも、どこまで上林の本音なのか疑わしい。

なぜなら、上林自身プロレタリア文学の影響を受けているからである。上林が私小説という分野(ジャンル)に自分の居場所を見つけたのは昭和十三年以降のこと。

 上林は昭和二年、東京帝大を卒業し、当時出版業界の先端を走っていた改造社に入社。誰もがうらやむコースであった。だが、中村中学時代、将来は文学で身を立てたいと心に決めていたことから、サラリーマン編集者生活には飽き足らず、昭和九年四月、作家として独立することを決意。その前年ひそかに処女創作集『薔薇盗人』を発表していたことも後を押した。

 しかし、たちまち行き詰まる。父急病の知らせを受け、同年九月、家族(妻、子二人)で下田ノ口に帰ったが、父の容体回復後もそのまま実家に居座る。

 田舎での鬱屈とした、「蟻地獄のような」生活を経て、再起を期して上京したのは一年半後、昭和十一年二月であった。その後、昭和十三年に発表した「安住の家」が私小説作家への転機になった。

 大正末期から昭和初期にかけては、プロレタリア文学が幅をきかせた時期。『薔薇盗人』に収録された十二の短編は、昭和二年から七年の間に書かれたものであるから、その影響を受けたのは当然のことであった。

 「星を撒いた街」は、作中にそれもどきの言葉も出てくるように、徳永直「太陽のない街」を真似た作品。上林は改造社時代、秀英社(現大日本印刷)に校正作業にでかけていた。その体験をもとに、印刷労働者を描いた。撒かれた星とは彼らの家々からこぼれる灯。

 「風はユーカリ樹に」は、大学入試に失敗した学生の話。学生はプロレタリア作家同盟の文芸講演会や左翼劇場の芝居に行く。その間、「ブルジョア」の家で働いたが、ユーカリの植え替え作業をしたわずか四日間で首をきられる。その労役で英訳「資本論」の古本を買う。

 単行本のタイトルにもなった「薔薇盗人」と「敗れて敗れた男」は農村の極貧者が主人公。前者は、母を亡くしろくに仕事をしない父のもとで、小学生の息子が幼い妹のために学校で育てていたバラ一輪を斬って与えるという話で、後者は、不貞を働いた妻にも頭が上がらなくなった男の話。

 これらの作品は社会構造の中に貧富の「階級」が存在することが前提になっている。

 農村社会の「階級」は私小説として書かれたその後の作品「ちちははの記」(昭和十三年)、「離郷記」(同十四年)にも顔を出す。上林の実家は小地主であり、小作人がもってくるカヂシ(小作料)によって、都落ちして無為にすごしている自分ら家族が養われているという後ろめたさ。

 その後、「階級文学」とは一線を画した上林が「生まのものがほしい」とは、よけいな解釈を加えず現実を淡々と描くことが私小説に通ずると言いたかったのであろうか。

 大方文学学級「大形」289号(2015年11月)掲載
 5回連載

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田中全(ぜん)

Author:田中全(ぜん)
四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃんです。

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