熊本の大逆事件

  震災復興に懸命の熊本。いまでこそ九州の中心都市は福岡市だが、明治から昭和にかけてのそれは熊本市であった。諸官庁など国の出先がいまでも熊本に多いのはそのためであり、旧制高校の五高も熊本にあった。

西南戦争において、西郷軍が攻めたのも熊本鎮台である。その拠点熊本城を猛攻したが、結局落とせなかった。しかし、今回の地震で城は崩れた。自然災害にかなうものはいない。

熊本は文化情報でも九州の発信拠点であった。時代の先覚者たちも多く生んでいる。大逆事件で処刑された4人(松尾卯一太、新美卯一郎が死刑、佐々木道元、飛松與次郎が無期懲役)もそうした人たちであった。

彼らは幸徳秋水らの「平民新聞」の影響を受け、「熊本評論」を発行した。「平民新聞」が発行停止されて以降は、その代替紙としての役割を果たし、全国に発信した。

そのため官憲の弾圧厳しく発行停止に追い込まれただけでなく、発行にかかわっていた4人が大逆事件に連座させられた。人間の自由、平等、博愛を掲げた、秋水らの思想に共鳴する者たちを全国で一網打尽にした大逆事件を象徴している。(全国で死刑12人、無期懲役12人)

この4人をはじめ全国の犠牲者を顕彰する記念碑が2年前、熊本県山鹿市にできたので、一度訪ねて手を合わせたいと思っていた。地図を見ると山鹿市は福岡県黒木町と接していることから、今回黒木町から足を延ばした。国道3号線で山を越え、車で50分ほど。山鹿市内は地震の被害はほとんどなかった。

記念碑は本澄寺(日蓮宗)の一角に建っていた。4人の名誉回復と顕彰活動に取り組んでいる熊本近代史研究会(代表廣島正さん)の人たちが中心になって建てたものだ。碑文は「過ちは絶対に繰り返させてはならない」で結ばれていた。

この寺の納骨堂に飛松與次郎の遺骨が納められている(墓はない)。住職に頼んで、お堂に上がらせてもらい、飛松が納まっている高田家の納骨堂に手を合わせた。高田家とは飛松の妹が嫁いだ家であり、妹が一緒に供養してきたものである。

山鹿といえば、温泉と灯篭で有名であるが、飛松のような歴史に刻まれた人物を産んだことも多くの人に知ってほしい。

山鹿の郊外には麦畑が広がっていた。

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Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

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