紫電改

 紫電改は太平洋戦争末期、ゼロ戦に代わる新鋭機として開発された戦闘機。きょう7月24日、その姿を見るために、愛南町にある紫電改展示館を訪ねた。

宇和島方面にでかける際、すぐ近くを何度か通っている。しかし、いつも時間がなく一度も立ち寄ったことがなかったので、やっとのことだ。

展示館は国道から海側に半島を10分ほど入った、展望のきく山の上(馬瀬山公園)にあった。

戦闘機を見るのは初めて。こんなにも大きいものか。全長9.34m、主翼11.99m、高さ3.96m。見上げてしまう。全身緑色で、でっぷりと威圧していた。

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この機体は、昭和53年、展示館下の久良湾の海底40mから引き揚げられ、修復されたものである。

昭和20年7月、広島、呉を爆撃して引き返す米軍機を迎え撃つため、長崎県大村基地から21機の紫電改が飛びたち、豊後水道上空で空中戦となった。6機は帰還しなかった。そのうちの1機であったとされている。

6人の飛行士の写真や手記等も展示されていたが、この機に載っていたのは、誰かは、特定できていない。

海底からの引き揚げの生々しい写真やテレビ映像、機体の部品なども展示されていた。

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紫電改はゼロ戦をしのぐ性能だったと言われているが、敗戦間近の資材不足などから、わずか400機ほどしか製造されなかった。うち4機がいまも残っているが、3機は戦利品としてアメリカへ(スミソニアン航空博物館など)、日本ではこの1機だけだという。

ここは足摺宇和海国立公園の一角。展示館のそばには煙突のような宇和海展望タワーがそびえたっていた。すばらしい景観。タワーから眼下に久良湾を一望できた。

驚いたことに、紫電改がここに墜落(着水)したのは、昭和20年のきょう7月24日ということを知った。

71年前と同じ景色の中で、戦争のことを、われわれのことを忘れないでくれと、必死で叫んでいる声が聞こえてきた。だから私をこの日に呼び寄せたのか。

紫電改の引き揚げおよび展示館建設は、愛媛県が行なった。
しかし、レジャー施設と隣あわせていることの違和感。

展示館の管理運営はタワー会社に委託されている。入場無料。

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Author:田中全(ぜん)
高知県四万十市在住。
幡多と中村が自慢のおんちゃん。

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